事故の後
ぞろぞろと、ホテルの中から従業員が出てくる。
駐車場のざわめきに何事かと……。
そして、恐ろしい光景を見下ろす。
聖は、まだ、これが現実と認識できない。
辺りに十数人いるのに、
とても静かだった。
叫び声は聞こえない。
「えーっ」
とか
「うそやろ」
とか低い呟きだけ。
「警察に電話しましたから。皆さん、落ち着いて下さい」
男の上ずった叫び声が静寂を破る。
紺のスーツに赤いネクタイ。
支配人らしい。
皆、スイッチが入ったように、様々なリアクションを始める。
……信じられない、なんで、こんな事が、
……うわ、バス、潰れてる、
……ひやー、何? 崖に人が倒れてる、……かわいそうにぐちゃぐちゃや
……ドアが開いてる。転がり落ちるときに、投げ出されたんやな。
側に居る誰かと話し始める。
興奮してはいるが、
取り乱す気配は無い。
ホテルの従業員はみな若くはない。
そして、残っていた客は聖たちだけだった。
「山田工務店のお客様、申し訳ありませんが、先ほどの、お部屋に、戻って頂けますか。見ての通り、下の道が通れませんからね。他に道はないんです。送迎バスを出せる状況ではありません」
支配人は高齢者の客を気遣った。
悲惨な事故現場に長時間立たせておけない。
でも、老人達は動かない。
「私は、フロントにいますので、何かあれば、おっしゃって下さい」
初老で白髪の支配人は、
(○○旅館か、△△ホテルか、)
と独り言を言いながら、慌ただしげに、その場を離れた。
彼は、今夜予約の客を、引き受けてくれるホテルを早急に捜す必要があった。
「セイちゃん、こんな山の上や。救急車はすぐに来られへんな」
酒屋のお婆さんが、言いに来る。
「うん」
確かに、一番近い消防署からでも三十分はかかるかも。
「助かるモンも助からんな」
「うん……あ、そうか」
お婆さんの言葉に、生存者のいる可能性を初めて考えた。
崖に放り出された身体は
頭部の損傷が激しく
今も流血し続けている。
直後には手足がぴくんぴくんと動いていたが、
今は静止している。
バスは裏返って潰れ、
人が這い出てくる気配がない。
だからと言って、
全員、死んでるかどうか分からない。
「そうだ、俺、ぼんやりしている場合じゃ無かった。救助にいかなきゃ」
大きな声で宣言する。
皆で(老人以外)ここで眺めてるだけでいいのか?
救助だろ?
「救急箱、取ってきます」
着物を着たスタッフが答える。
「カヨ、しっかりしいや。私が行ってくるから。助けにいくから、な」
側で吉村の声。
娘は真っ青な顔で膝と手をついて、
瞬きもせず、眼下の地獄絵巻を見つめていた。
この場に居る誰よりも
ショックを受けているに違いない。
聖は、こんなに近くに吉村親子が居たことさえ、その時まで
気付かなかった。
それくらい動揺していたが、
自分のショックは吉村加世の比ではないと自覚し、
理性をはっきり取り戻した。
「運転手さん、下までバスで行ってくれますか」
吉村が良く通る声で辺りに声を掛ける。
「了解しました」
聖達を送る予定だった運転手が、返事を返す。
すぐにバスに乗り込み、エンジンをかけ、ドアを開けた。
聖はバスの側で皆に声を掛ける
「今から救助に行きます。一緒に行ってくれる方は乗って下さい」
言ってはみたが、人手は少ない。
ホテルのスタッフはなにやら話し合っている。
全員がこの場を離れる訳にはいなかいのだろう。
「支配人に了解とってきます」
と比較的若い調理師らしい男が言う。
自分を入れて、男が五人、と聖は数え、
誰か忘れてると気付く。
一番頼りになるアイツがいるじゃないか。
結月薫は、どこだ?
捜すより先に、
当人の声。
「セイ、あかん。行ったらあかんで」
離れた所から聞こえた。
「カオル、どこ?」
「ここや、俺は、今、動けない」
声を辿る。
結月薫は、
バスが壊した柵の外側に立っていた。
斜面の草むらに。
……何してる?
……どうして、その場所から動けない?
聖は走り寄る。
すると、薫の足下に
一人居た。
膝を抱え、身体を震わせ、
ヒイヒイ泣いている。
「えっ?」
その人物は誰か、すぐ分かった。
しかし、なぜ、ここに居る?
どうして、バスに乗っていないんだ?
「運転手や。……俺はここで身柄を確保しておく必要がある」
「……うん」
落ちていくバスから、逃げた?
疑問を今、薫には聞けない。
幼なじみの目つきは鋭い。
刑事は、足下で泣きじゃくる中年の女を
犯罪者を威嚇する目つきで睨んでいた。
……この運転手は人殺しか?
聖は、女の手を見る。
でも、手袋をしているから、
たとえ<人殺しの徴>があったとしても、
今は分からない。
「あのさ、俺、下に救助に行こうとしてる。生存者いるかも。……お前、それ、止めた?」
止める理由がわからない。
聞き違いかと確認する。
「うん。行ったらアカンで」
「……なんで?」
「危ないからに、決まってるやろ」
「危ないの? どうして? 教えろよ」
どんな危険があるのか理解できないでいた。
「それはな、」
薫が話しかけた時、
下でバン、と爆発音。
バスから炎が上がった。
続いて、バンバン音がして
炎も黒煙も膨らみ、
煙は駐車場まで上ってきた。
「車輌事故では衝撃から少し遅れて出火の可能性があるからです。今回のケースでは中型バスで搭載しているガソリン量も多い。引火して爆発の可能性もあるから」
薫は説明してくれた。
「うん。よく分かった」
止めてくれなかったら、
死者の数を増やす事態になっていたかも知れない。
黒い煙と一緒に
<臭い>
も上がってくる。
<死の臭い>
だ。
「可哀想に、南無阿弥陀仏、南無阿弥……」
酒屋のお婆さんが手を合わせ、お経を、唱えだした。
風向きの加減で
煙は駐車場に満ちていく。
「みなさん、中に入って下さい」
支配人がマイクで呼びかける。
強制的な響きに、皆、従う。
この場を離れるきっかけになったと
それぞれ感じながら。
聖は警察官が来るまで
薫と共に居た。
炎上するバスを見ていた。
壊れた車体の隙間から
炎に包まれた人の一部が
はみ出てくるのも見た。
火は生存者をゼロにした。
(皆やねん。あの子ら全員背中に黒い影が、憑いてる)
山田鈴子が予知したとおり。
十九人死んだ。