19の影
<岩切山観光ホテル>のランチコースメニューは、
一品ずつがアートで(器も)
もはや素材が分からない。
でも、
分厚い松阪牛のステーキー、
丸ごとの伊勢エビ、
分かりやすい御馳走もありで、
高級感は半端でない。
次から次に出てくる料理に
皆感動し、
写真を撮る。
それだけで、座が盛り上がった。
岩切山は奈良県の北西に位置する。
神流剥製工房のある奈良県南部からは車で一時間の道のり。
県内だが、隣接する大阪の中心部に行くより距離はある。
それでも聖や隣組の老人達は、この観光ホテルを知っている。
古くからあるのと、
地方テレビのコマーシャルで度々流れていた。
大阪、奈良で、このホテル名を知らない人は、いないくらいに。
「去年、リニューアルしたらしい。メニューは東京からフードコーディネータ呼んできて……努力しはったんやね。その結果、女性限定同窓会プランで儲かってるらしい」
と、山田鈴子は話した。
食べて飲んで、カラオケ。
温泉に行って、……三時間の宴は、まったり楽しく過ぎた。
聖は料理に満足した。
薫と、あれこれカクテルを注文し、酔いがまわり、
皆が風呂に行ってる間、昼寝していた。
鈴子は、酒は飲まなかった。
イメージは酒豪だが。
聖は竜宮城に来たような幸福な気分だった。
帰りもバスで、送ってくれるのも、楽ちんで嬉しい。
ホテルの広い玄関で、鈴子が会計を済ませる。
丁度、若い女性の一団が、ワヤワヤと溢れていた。
宴会が終わったのだろう。
二十代後半、皆同じ年に見える。
結婚式の二次会レベルに、綺麗にしていた。
ロビーの椅子に座ってる聖は、
何となく、彼女たちの手に目が行く。
立体的で人工的な爪。
あれ? ……片手だけネイルアート?
そんなのが流行ってるのかと……、
アルコールの残った頭で思った。
「お父さん、」
不意に、背の高い女が、
背後に声を掛けた。
「おう、カヨ、一緒になったな」
吉村が立ち上がる。
そう言えば、娘が同窓会、とか言っていた。
吉村加世は、背が高く、中性的な顔立ちをしていた。
宝塚の男役スターのイメージだ。
光沢の有る甘い色合いのドレスが
そこらに溢れているなかで、
モノトーンのあっさりした装いだ。
黒髪は耳の下のショートボブ。
爪は淡いピンクのマニキュア。
八角形の結婚指輪が光る指が
聖の目の前にあった。
「お父さんもバスで来たの?」
「うん。酒屋からな」
「それなら、一緒に帰ろうかな。……出張で居ないから、実家に泊まろうかな」
頬はピンク色。
聖と同じように、ほろ酔いらしい。
「山田工務店様、お揃いでしたら、どうぞ、お車に」
初老の、太った運転手が声を掛ける。
行きと帰りで、運転手が替わった。
聖は腰を上げる。
と、目の前に鈴子が立っていた。
「にいちゃん……」
初めて聞いた細い、高い声
見た事も無い表情。
青ざめ、唇が震えている。
「どうしました?」
「ソレがな……ナンカの間違いやとは、思うんやけど」
と、視線はロビーから、大きなガラスの扉の向こうへ。
先に出ていった同窓会の一団へ流れる。
「彼女たちが、何か?」
聞いて、すぐ思い当たった。
鈴子が、こんなに怯える理由は一つしか無い。
<死の影>を見たに違いない。
「あ、そうなんだ」
聖は反射的に、走って外へ出た。
鈴子も付いてくる。
「どの子、ですか?」
聞いてどうするとか考えはない。
しかし、聞かないではおられない。
「いや、それが……」
鈴子は胸の辺りを押さえ、その場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか?」
ただならぬ様子に、聖の鼓動も大きくなる。
「兄ちゃん。皆やねん。あの子ら全員背中に黒い影が、憑いてる」
「……へっ?」
19人の若い女達は
華やかで賑やかだ。
おしゃべりは耐えることがない。
互いに写真を撮りながら急ぎもせずだらだらと
バスに乗り込んだ。
「全員、なんですね。それは、きっと事故ですよ、あのバスだ、」
聖は
「待って下さい、」
と叫びながら、彼女たちの乗ったバスに走り寄った。
バスで行かせなければ
助けられると。
彼女たちは帰途で事故に遭い、全員死亡してしまう。
鈴子の予言を信じ、
次に、それなら回避できるじゃないかと思った。
今なら間に合う、と。
でも、バスのドアは閉まった。
全員乗ってしまった。
だが、運転手が、聖に気付いた。
女の人だった。
距離は10メートル程。
きっと、
何事かと、ドアを開けてくれる。
(それで、何と言うのか、この時は全く考えていない)
ところが、運転手は下を向く。
正面では無く、随分頭を垂れた格好だった。
次の瞬間、
バスは動いた。
後ろへ動いた。
「どうして、バックする?」
バスはスムーズに駐車場から出られる位置に停まっていた。
後ろには柵がある。
そこまでの距離は僅かだ。
「あ、当たって、しまうで」
誰かの声。
切迫感はない。
柵に触れる前に、停めると、
誰もが思った。
バスは非常にゆっくり動いていたから。
だが、その後、
異変が起きた。
何で、だか、急にスピードを上げ、柵に突っ込んだ。
「うわ、柵壊れたやんか」
柵の外に半分出た状態でバスは停まった。
中では人が立ち上がっている。
壊れた柵を指差して、何か言っている。
従業員らしい人が
慌てて走り寄っていく。
彼らが接触する間際で、どういうことだか、
またバスはバックしだした。
「危ない、ブレーキや、とまれ」
「崖や、停まらな、崖やで」
複数の声が叫んでいる。
数人が寄っていく。
一番機敏に動いたのは
結月薫だった。
しかし、
触れる寸前で車体は
大きく傾いた。
聖はバスの中を見てしまった。
彼女たちは
今は半分が立ち上がり、
昇降口へと
雪崩れ込んでいた。
広いホテルの駐車場から、
バスが消えるまで、それから二三秒の事だった。
柵の外、五メートル先に平地はない。
岩切山の断崖にいたる。
バスは転がりながら、
落ちていった。
四十階建てのビルの高さの急斜面を
転がり、弾んで落ちていった。
ホテルまで螺旋状に県道はある。
バスが転がり変形し、ようやく静止したのは
遙か下の、硬いアスファルトの上だった。
途中、窓から人が飛び出るのを、多くの人が見た。
ピンクのレースのワンピースが
水色のスカーチョが
血飛沫の染みを付け、
崖の木にぶち当たる。
強い衝撃で、首が落ち絶命までの、一部始終を。
聖も見た。