俺の女神
「君は『殺人幇助』『殺人教唆』という罪があるのを知ってる?」
結月薫は、タバコ1本吸い、聖の(口をつけていない)グラスを奪って、飲み干した。
職務っぽくない態度。
後藤の顔に生気が戻る。
「知ってますよ。でも、絶対無理でしょ。僕は桜井さんとは七年前に、一度話をしただけで、」
話の途中で、
「どこで? 君はどこで話をした?」
と薫が問う。
「あ、はい。……喫茶店です。店の向かいの『白樺』。母の店です」
後藤は素直に答える。
聖は、写真館でコーヒーを出前してもらったと思い出す。
あの人が母親かも知れないと。
「もう一人の協力者にも話を聞かないとな」
「佐々木さんにですか?」
とても意外そうだ。
「当然やろ」
「あの人は、全然、何もしてませんよ。……あ、俺、いいです。覚悟決めました。どんな罪でも、納得します。……だから俺だけにして下さい」
そして、泣き出した。
子供のように泣きじゃくった。
「また連絡するかも知れないけど、今日の所は、君は家に帰りなさい」
薫は後藤の肩を優しく叩いた。
「あ、でも帰れないかも。車で来たなら帰れない。飲ませちゃったし」
聖は、ややこしい事になったと思う。
後藤だけでは無い。薫も、飲んでる。
「帰ります。バスで来たんです。大丈夫です」
後藤は立ち上がった。
「俺も一緒に出る」
薫が、
「セイは、酒入ってない。あんな、ここ、バスの本数めちゃ少ないねん」
と言う。駅まで車で送れという事らしい。
工房の裏でロッキーの後部座席に男二人乗せる。
助手席にはシロが先に座っている。
「セイ、裏から行こう。この車なら通れる。昨日、森の木を伐採したらしい。新しい橋を渡って県道に出よう。その方が早い」
と薫が教えてくれる。
「へーっ、そうなんだ。知らなかった」
小さな吊り橋を三人乗せて渡るのに不安があった。
新しい道、新しい橋に心惹かれる。
森へ入る。
確かに、道が出来ている。
「シロ、なんか、最低限ロッキーが通れるように、木を切ってる、よね」
白い切り株が続く道を行くと、すぐ山田動物霊園の建物が見えて、
そして、新しい橋へ道は繋がっていた。
「意外と地味なんだ」
新しい橋は茶色い。
コンクリートの橋は、木の橋のようなデザイン。
「うわ、県道、すぐじゃん。凄いなシロ。」
橋から県道まではアスファルトで細い道が出来ていた。
聖は嬉しかったので、隣の愛犬に喋っていて、
後部座席の二人の男の存在を忘れていた。
……静かだったので、忘れていた。
ミラーで覗くと
薫が、困ったような顔をしている。
後藤は、眠ってるようだった。
酒のせいかもしれない。
目を閉じで、脱力した上半身は薫に寄りかかっていた。
べったりと、無防備に寄りかかっていた。
マユは最初に、こう聞いた。
「佐々木さん……、今は吉村さんね。吉村加世さんの夫。……どんな人?」
聖の長い報告が終わった後だ。
後藤と薫が来た日から1週間経っていた。
この1週間、薫から連絡は無い。
「会ったこと無いから、何とも言えない」
「写真見たんでしょ?」
「うん。結婚式の写真を後藤写真館で見たけど。あの時は花嫁が加世さんだったから驚いて、隣の男は顔も良く見なかった。体つきは、デカくて、筋肉質。薫みたいな感じ」
思い出してみた。
「そうなんだ。やっぱりね」
とマユは何かを発見したかのように、ちょっと嬉しそうだ。
「何が、やっぱり、なの?」
「後藤君の動機がね、理解出来なかったの」
後藤は、復讐を、<自分の企画>と言った。
はじめは高校生男子の思いつきに過ぎなかったと、考えるのが自然だ。
「普通、そこまでやるかしら、って思わない? ゲーム感覚だとしても、達成率の低いコトに7年も縛られないでしょ?」
「確かに、それは一番理解できないよな」
「高校、大学、もっと他に楽しみはいくらでもあるでしょ?」
「……ホントだ。岩切山ホテルに潜入て7年続いたのは凄いと思ってたんだ。仕事が気に入ったのかも知れないけど」
「でしょう? 彼女でも出来たら、そんなコト忘れると思わない?」
「……確かにそうだ。アイツは女の子より『復讐ゲーム』が好きだったのかな」
「ふふっ」
意味ありげに笑って、マユはひらりと立ち上がった。
そして、工房の中をゆっくり歩く。
推理が始まるのだ。
「後藤君が夢中になっていたのは『復讐ゲーム』じゃないわ。……佐々木さんよ」
と思いがけない結論。
「そうなの?……なんで?」
後藤の童顔が頭に浮かぶ。
可愛らしい、人なつっこい顔が。
「彼は大好きな佐々木さんと繋がっていたかった。出会ったときは、アルバイトの大学生だったんでしょ? 卒業すれば縁は切れる。彼は父親を亡くして佐々木さんまで離れてしまうのが耐えられなかったのよ」
マユは言い切る。
「縁は切れないだろう。普通にまた会えるんじゃ無いの? 大人になってからでも一緒に飲みに行くとか」
高校生と大学生で知り合って、その後も、何かしらと繋がりは残せる。
「薄い繋がりでしょう? 加世さんは後藤君を知らなかった。友人として紹介されていないし、結婚式にも呼ばれていない。薄い付き合いになるのは耐えられなかったのよ。強い思い。執着。この人とずっと二人だけの時間を持ち続けたい……」
「へっ?……それって、つまり、」
恋だ。
聖は、やっと解った。
後藤は佐々木に恋していた。
そして愛し続けた。
「ゲイだとしたら、納得出来る。……佐々木はノーマル。片思いか」
「父親から聞いた話を佐々木さんに話した。強烈な話でしょ。当然、興味を示す。二人で色々喋る。佐々木さんが、『復讐できるかも』と言う。絵空事だったかも知れない。でも後藤君は現実に行動を始めた」
「佐々木は、面白いことが始まったと、思っただろうな」
「そうでしょ。結局佐々木さんは、何のリスクも無かったでしょう?」
親族の経営するホテルにバイト先の息子を紹介した。
具体的に、やったのはこれだけだ。
「しかし、大事故はホテル側にはダメージだろ。経営者一族だ。デメリットはあった」
「ええ。おそらく、予想外だったと思う。後藤君は桜井さんが皆殺しまでできないと思っていた。佐々木さんも、まさか、出来るわけがないと……予測を誤った」
「後藤は泣いていた。19人も死んだことが、興奮が冷めて、怖くなってる」
「そんな風に、穂乃華ちゃんを殺した19人も、怯えて生きてきたのかしら」
……かわいそうね、
呟きと同時に、マユは消えた。
それから、一月過ぎても、薫からの連絡は無かった。
バス事故の報道も終わった。
マユも姿を見せてはくれなかった。
「結果ぐらい、聞いてもいいだろう」
聖は薫に電話を架けた。
「ああ、忘れてた。晩にいく」
と。
そして日付が変わる頃に、コンビニの半額になった弁当を二つ持って、来た。
「お疲れさん。まあ、飲んだら」
聖は発砲酒の缶を並べる。
薫が来てくれて嬉しい。
事件の事を話して欲しい。
そうすれば、またマユに会える気がする。
(後藤も、なんでもいいから佐々木の気を惹きたかったのかな)
と、ふと思った。
「桜井美穂は、七年前に後藤に呼び出されて、会った事は事実やと認めた」
「……殺人幇助になるのか?」
「いや。無理や。娘の事故が殺人だとか、おかしな事を言っていた、とな、」
桜井美穂は後藤の話を真に受けて居ないと断言した。
ただ、馬鹿馬鹿しい<復讐計画>の<バスの運転手>が心に残った。
車の運転は元々好きで、バスを運転したいと閃いた。
岩切山ホテルに採用になったのは偶然だ。
岩切山ホテルのボーイが写真館の後藤とは、知らなかった。
よくある名字だし、話をした事も無い。
事故は思いがけなく娘の同級生達を乗せて、パニックになった。
生きていれば、もう大人なのかと。
「それで、辻褄は合うよな」
「まあな」
「加世さんの旦那には会ったのか?」
「会ったよ。帝塚山の高級マンションに行ってきた。加世さんも、同席や」
「それ、マズくない? 話しにくいじゃん」
「いや、ソレがな、後藤から聞いてる、妻にも全て話したと、言うんや」
(元)佐々木は、桜井穂乃華の死について、
「事故でも、殺人でも自分には関係ない、と言った。当時の後藤は精神状態が不安定だった。可哀想で話し相手になってやった。頼まれたからホテルは紹介はした。『復讐計画』なんか忘れていた。多分いくつかの『復讐計画』を思いつくままに喋った。実現不可能な、ただのお喋りだった」
つまり、7年前に、そんな話をした記憶はあるが、忘れていたと。
「でも、加世さんを帰りのバスに乗せないように、したんだろ? 山田工務店に電話して」
「それも、後藤がした事だと。そういえば、事故の2、3ヶ月前にホテルで後藤に会って話しかけられた。その時に、吉村家の話から、所有地の一つを売って動物霊園に……」
流れで、義父が親睦会に呼ばれた話をしたという。
「それ、嘘だろ。無理がありすぎる」
「俺も、そう思った。でもな、後藤は昔から変なところがあって、とにかく、しつこく根掘り葉掘り聞いてくる。うっとおしい奴だと、説明するんや」
ただの知り合い。
友人でも無い。
妻も知らない。
「事故の後、客が来なくて、経営が危うい状態に追い込まれている。どうして、自分が、ホテルに損害を与える手助けをするんですか?」
言われて、返事のしようが無かった。
「玉砕だな。隣に加世さんが居ては、話しにくいしね。事故のショックから立ち直ってないかも知れないし」
「ソレは、解らん。加世さん、熱心に聴いてメモ取ってた」
「メモ? ヤバくないか。カオル、訴えられるかも。佐々木家も吉村家も資産家だ。弁護士に相談してるかも」
急に心配になってきた。
「その心配は無い。加世さんは、ある出版社からオファーが来て、本を出すらしい。それに書き足すネタが増えて……、」
「何、それ?」
「加世さんは、俺の訪問を、喜んでいた」
喜んでいたと、口に出した薫の目は、暗かった。
「本を出すのか」
聖は何だか気分が悪い。
汚い、怖いモノを見たように、気分が悪い。
「事故の生き残り、だし。……桜井穂乃華はネット上では有名人。書けば売れるやろな」
まあ、飲もう、と薫は誘う。
「売れるね。マスコミ関係者が絶対買う。そういう本はベストセラーになる」
ああ、飲もう、と聖は缶を開ける。
「加世は美形やから、作家になれば、すぐにTVの仕事が来るでしょう」
と薫が呟く。
「そうか。カオルでも、そんな事言うんだ。加世さんは美人なんだ」
何気に返すと
「アホか。俺は吉村一族の顔は苦手や。怖い。……旦那が、自慢げに、言いよったんや」
薫は、身震いする。
聖も、アルコールが回ってきたのに、一瞬、寒気がした。
「ああ、でも何より怖かったのは、さりぎわの、あの、言いぐさや」
「何て言った?」
怖いけど、聞きたい。
「嫉妬に狂った集団リンチだったなら、加世は、あの日から神様に守られていたんです。だって、もし登山を休んでいなかったら、加世だった。穂乃華は加世の身代わりになってしまったんです……やと」
マンションとは思えぬ位広い玄関。
夫は妻の肩を抱いて、一言一言かみしめるように言う。
刑事に聞かせているのか、妻にか、自分になのか知れないが、気持ちよさげに語る。
そして妻は。
吉村加世は、夫の腕の中で涙ぐんで……。
「しっかり、頷いた。俺はそれを、しっかり見て……逃げてきた」
「それ、怖いな」
「女は怖い」
「……そう言えば、カオル、彼女いないんだ」
薫はマユの写真を見て、惚れ込んでいたことがあった。
でも、それ以外に色っぽい話を聞いた事が無い。
「ひょっとして、男のほうが好きだったりして」
後藤がもたれていた光景が思い出された。
「アホか。俺は一途なんや。心の中に女神様を持ってるんです」
と胸を叩く。
えっ?
女神?
……マユか?
「俺は、山本マユちゃんが、忘れられない。未だ行方不明や。
……絶対探し出す。彼女に会うまで、他の女に心は行かない」
「……」
聖は、自分が愛を告げられたように、ドキリとした。
薫はマユを忘れてはいなかったのだ。
もし今、姿は見えないがマユが工房にいて、聞いていたとしたら?
嬉しいだろうか?
辛いだろうか?
聖はマユの気持ちを思いやった。
「絶対、捜してみせる」
薫の決意は固い。
聖は、きっとやり遂げるだろうと思う。
それは遠い先では無い。
はっきりと予感した。
最後まで読んで頂き有り難うございました。 仙堂ルリコ