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2-4

 紬ちゃんを連れて一度店の外へ出て、ビルの裏手に回る。

 そこには従業員用の出入り口に見せ掛けた地下室の入り口がある。一応の空き巣対策として、普通の鍵の他に側のパネルを開き、静脈認証と暗証番号を入力する必要があるのだが、一度も空き巣に入られたことはないので無用の長物と化している。

 そもそもこんな小さな喫茶店を狙う空き巣がいるとは思えないが。



「どうぞ中へ」

「……どうやら嘘じゃないみたいね」

 紬ちゃんは横目で私を見ながら階段を下りていく。そして躊躇うことなく、階段を下りてすぐの扉を開けた。

 中に入ると柔らかな照明に包まれた全面白色の空間が現れる。

 数メートル四方の一切の飾り気のない部屋。

 その正面に『オルナンの埋葬』が掛けられている。

 他に展示されているのもはない。


「……ホワイトキューブ」

「気に入ってもらえると嬉しいんだがね。そこいらの怪盗とやらに奪われて、劣悪な環境に置かれるよりかはずっとマシだろう?」

「………」

 ここはその辺の美術館よりも設備が整っている。なによりも温度も湿度も照明も、その作品に合わせて調節している、ただ一つの作品のための部屋なのだ。



 ホワイトキューブと呼ばれる展示空間。

 それは鑑賞者の意識を作品だけに集中させるため、展示空間から全ての装飾的要素を排除した空間である。その特性から古典から現代美術に至るまで、あらゆる作品に対応出来るのだ。

 故に近代の美術館は大抵ホワイトキューブを採用しているだろう。

 また、善し悪しは別として、どんなものでも『作品』に見えてしまう効果がある。それを逆手にとってガラクタを展示する作家も現れたりしたが、そこに含まれる意味を考えれば、芸術的行為と言えなくはない。

 あとはもう好みの問題だ。


「あなたはなんのためにこれを盗んだの? こんなことをするなら、花柳美術館で見るだけでいいじゃない」

 紬ちゃんの疑問は当然の反応だろう。確かに眺めるだけなら美術館で十分だ。

「本当に作品を見るというのは簡単なことじゃないんだ。大勢の人間が集まる美術館で、作品と自分だけの関係を作ることなんてまず無理だろう? だから私は本当に見たい作品をこっそり持ってきて、こうして鑑賞してるんだ」

「……つまり、単なるエゴってわけね?」

「本当に盗もうとしてた人に言われたくはないね」

「うっ……」


「それに、せめてものお詫びにそっくり同じものを置いてきたんだから、他の人たちはそれで勘弁してもらいたい」

「そうよ! なんなのよあれはっ。あれほどの贋作、例えオルセー美術館の学芸員でも気づかないわ!」

 紬ちゃんはすぐ側まで詰め寄ってきて、私を睨み付ける。その気迫に押されて、壁際まで追い詰められてしまった。

「今回は完全に同じものを用意したからね。あれを偽物と気づけるのは、君みたいに予め細工をしてた人間か、美術館で本当に作品を見ることが出来た人間だけだよ」

 本物にあって偽物にないもの、それはクールベの込めた魂だ。

 いくら同じものを作ったとしても、それだけは真似することが出来ない。


「でも、さすがに科学的鑑定とかされたらばれるかもしれない。会期中にそんなことするとは思えないけどね」

 例えば、紬ちゃんがこのことを美術館に言ったりしない限りは……。

 しばらくの間紬ちゃんは私を睨み続けていたが、大きくため息をついてゆっくり離れていく。

「……誰にも言わないわよ。あなたも、それがわかってるから私をここに入れてくれたんでしょう?」

「まぁ、そうかもね」

 どれだけ信用出来るかはわからないが、少なくともこのことを誰かに話すような人ではないだろう。



「そういえば、私たちって言ってたよね。他に仲間がいるのかい?」

「……んー、今は一人かな。今回は商会を通じて他の怪盗と手を組んだのよ。ベリーニ兄弟っていう二人組の怪盗でね、予告状は出さないんだけど誰も傷つけずに狙った獲物を盗んでいく凄腕よ。まぁ、私は予告状を出してこその怪盗だと思うんだけどね。」

 なるほど、怪盗によって色々とポリシーがあるんだな。

 手際よく盗むことを美としたり、予告した上で盗むことを美としたりするわけだ。

「発信機を付けたのはどっち?」


「ちょっと待って、今度はこっちの質問。いいでしょ?」

「そうだね、交互に質問するとしよう」

「……あの贋作は誰が描いたの?」

「それは企業秘密にしたいんだが、だめかな?」

「なら、他の作品も描けるのかどうかだけ教えて」

「大抵のものなら用意出来るよ」

「そう……」

 考え事をしているのか、紬ちゃんは僅かに視線を逸らす。だがすぐに視線を戻して、私の質問を促してくる。


「発信機を付けたのは?」

「作ったのは私よ。付けたのは彼らがニューヨークで学芸員に紛れ込んだ時ね。安心してもいいわ。彼らは受信機を持ってないから」

 なら、そのベリーニ兄弟とやらにここを知られることはないだろう。

 紬ちゃんも話すつもりはないだろうしね。

「じゃあ私の番ね。どうやって『オルナンの埋葬』を盗んだの?」

「トラックのスタッフに扮して積み込みを手伝って、そのまま一緒にトラックに乗って、サービスエリアでドライバーを眠らせてから、サクッとすり替えた」

「とても大胆な手口ね」

「シンプルなのが一番だよ」

 そのための準備を以前から小夜ちゃんに頼んでいたのだ。こうしてスマートに事が行えるのも、小夜ちゃんの力添えがあってこそだ。



 さて……今度は私の質問か。

「君はあれを盗んでいたらどうするつもりだったんだい?」

「ベリーニ兄弟の手に渡ってたわ。その後の行方は知らないわね。私は彼らのサポートとして参加したのよ。報酬と引き替えにね」

 そうなると、盗まれた絵画は二度と日の目を見ないだろう。毎年多くの美術品が盗難されているが、それらが戻ってくる可能性は十パーセント程と聞く。盗まれた美術品は闇市場を介して高値で取引され、コレクターの地下美術館へと流れていくのだ。

 その点、私は借りたものをちゃんと返すのだから、とてもよい子であると胸を張って言えるだろう。


「あなた、他に仲間は?」

「パートナーが一人。誰とまでは言えないね」

「さっきの女性でしょう? 匂いでわかるわ」

「凄い嗅覚だな。どんな匂いだ、フローラルな香りかな?」

「……ものの例えよ」

「そこはなにか捻ってボケるところだろう」

「初対面の人間になにを求めてるのよ」

「そうだったね。失礼」

 つい、いつもの癖でやってしまった。もっとも、こんな場面でボケてくれるのは槇しかいないのだが。小夜ちゃんには何度もネタ振りをしてみているのだが、毎度全然相手にしてくれない。

 とても悲しい。



「次は私か。そうだな、君の普段の獲物は?」

「……そうね、いつもは今回みたいな大物は狙わないわ。金額で言うと数百万くらいの品かしら。宝石から美術品、獲物はなんでもいいの」

 つまり、紬ちゃんは怪盗になるために盗みを働いているのか。その目指す頂が怪盗ヘルメスというわけだ。

「他にも色々聞きたいことがあるけど、今日は次で最後にするわ。というか、これを聞かないと気になって帰れそうにないの。……ねえ、どうやってあの『オルナンの埋葬』をこの部屋に入れたの?」

「……それは確かに気になるだろうね」


 なにしろ『オルナンの埋葬』のサイズは縦が三メートル、横が六メートル以上ある大作なのだ。しかしこの部屋の入り口は普通のサイズの扉だ。入り口の他に、空調機器や展示台のある倉庫と私のアトリエ兼私室があるが、どちらも同じサイズの扉だ。

 つまり、このホワイトキューブに作品を運び込むのが物理的に不可能だということ。

「教えてもらえるかしら?」

「……説明するのは難しいね。事実だけを言うと、入り口を広げたんだ」

「そこの扉?」

「ああ」

 紬ちゃんは扉の側によると周囲を調べていく。だが、どれだけ調べたとしても入り口が広がるような仕掛けは見つからないだろう。

 その扉を含め、この建物自体はなんの変哲もないのだから。



「さっぱりわからないわ。魔法でも使ったのかしら」

「正解」

「……はい?」

 紬ちゃんはその突拍子のない答えに唖然としている。まぁ、本当に正解なのかどうかはなんともいえないが。

「ちゃんと説明してくれないかしら」

「ほら、手品は種明かしをしないのが鉄則だろ?」

「……これが手品なの?」

「最大公約数的には」

 それで納得してもらいたいところだが、そういうわけにもいかないだろう。

 だが、説明しようにも手品の種が普通の人の理解の域を超えているのだから、どうしようもない。

「まぁ、いっそのこと気にしないのが一番なんだけどね」

「これを気にしない人は神経を疑うわ」

「……だろうね。だけど、君だって初対面の人間に自分の手の内を明かすほど、お人好しではないだろう?」

「それは……そうだけど……」


「ということで、その質問の答えは秘密でいいかな?」

「……わかったわ。じゃあ、次の質問をどうぞ」

「私もこれで最後だ。紬ちゃんのスリーサイズは?」

「はい?」

 やはりこれを聞かねば男ではない。

 服の上からでも紬ちゃんのスタイルの良さは十分に見て取れる。となれば、それがどれほどのものか気になってしまうのも、致し方のないことではないか。

 まったく男とは悲しい生き物だ。



 そう、近世の絵画の多くが裸婦をモデルにしているのは、ある一面において現代におけるエロ本と同じ意味合いがあったという悲しい事実。描かれているのは裸婦ではなく、神話の女神などと言い繕っても、部屋で一人になってその絵画と対峙した時には結局は裸婦なのだ。

 だからこそマネの描いた『草上の昼食』や『オランピア』は、とてもスキャンダラスなものだった。なにせ彼は神話の女神ではなく、現実の娼婦をそのまま描いたのだから。

 まさに貴族の面目丸つぶれである。


 とまぁ……私が何を言いたいかというと、いつの時代も女性の身体への興味は尽きないということだ。

 ならばここは全男性を代表して、紬ちゃんのスリーサイズを聞かなければなるまい。

 決してこれが私個人の欲求ではないことを十分理解して頂きたい。

「スリーサイズだよ、君の。これを聞かないと気になって帰せそうにないね」

「……あなた、相当変わってるわね」

「ある程度は自覚してるよ。でも、これを聞くのは男のロマンだと思うんだ」

「そう……。でも教えてあげないわ。だって、知ってしまったらサイズを想像する楽しみがなくなってしまうでしょう?」

「なるほど。それもまたロマン溢れるね」

「なら、その質問の答えは秘密でいいわね?」


 してやったような紬ちゃんの小悪魔的な笑みに心を揺さぶられてしまう。

 ……しかしこの子、どこかで見たことあるような気がする。

 最近の交友関係の狭さから考えても、こんな美人を見たらそうそう忘れないと思うのだがな。

「それじゃ、私はこれで失礼するわね」

「……ああ。上まで送るよ」

「ありがと」

 紬ちゃんの後について階段を上っていく。


 目の前にあるしなやかな脚線がとてもまぶしい。そもそもミニスカートと黒タイツの組み合わせは反則級の破壊力がある。そんなものを装備した魅力的な脚線が目の前にあったら、フェティッシュな何かに目覚めてしまいそうだ。

 そんなことを考えていると、気がつけば階段を上りきっていた。

「またね、こそ泥さん。……そうだ、あなたも怪盗になるといいわよ。きっと素敵な怪盗になれるわ」

「そうかい。考えとくよ」

 紬ちゃんは去り際にさわやかな笑みを残して街へと消えていく。



 どうやら私は大変な人と知り合ってしまったようだ。

 何か厄介なことに巻き込まれそうな予感がする。

 出来ることならば、平和に過ごしたいところだがね……。


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