今日という一日 4/7
印象的だった一日を書き残した。それだけの文章である。
「きゆづきさとこ展」が東京渋谷で開催されているということを知ったのはつい二日前の夜のことであった。
調べれば、なんと二月から個展は開催されていて四月十日が終わりだというではないか。残り六日間。
翌日が雨であれば母と約束した倉庫の中の本の山を整理を黙殺して飛び出そうとも思ったが、あいにく翌日は快晴で、この雨の多い春においては他にない絶好の掃除日よりだった。
というわけで、二日後に私は東京へと発ったのである。
電車に長いこと揺られて足が棒になりそうと思った頃、ようやくJR渋谷駅に到着した。
目的地は歩いて二十分ほど。まだ開館には一時間もあったので、ぶらぶら渋谷の町を歩くことにした。
しかし、私は一介の方向音痴である。進行方向が北か南かも気にしていないが、第一に目的地に向かうまでの計画を頭の中で練る知力が地理的問題に関しては殆ど働いていない。
駅構内の案内図で現在地を目的地を確認したにもかかわらず真逆の方向へ歩いて行って、間違いに気づいたのは駅から一キロ先だった。
まあ、それは慣れたことなので道を変える。来た道を使わずに方向だけ合わせて真っ直ぐ歩いた。方向が分かったのは携帯電話の地図昨日のお陰である。昨今、この地図によって救われた者の多いこと。ありがたや、ありがたや。
しかし、携帯電話の地図機能がなかったら一日かけて辿りつけない可能性もあるというのが我ながら恐ろしい話である。逆にそんな便利なものがあるから私の頭が一向に鍛えられないと言えるかもしれないが、きっとものぐさな私はそんな状況に陥っても頭を使わないかもしれないとも言える。どちらにせよゾッとする話である。
渋谷の町を歩いて意外だったのは道が思いのほか小綺麗だったことである。
始めは線路沿いを伝っていたのだが道は新しいしゴミも落ちてはいるが非道いというほどではない。直前に出かけて印象深かった三保半島の三保の松原じゃない方の海岸には大きく目立つゴミがちらほらあった。
まぁ、海岸と町中じゃゴミの集まり方も清掃の頻度も違うであろうから比較としては可怪しいのかもしれないが。
都会らしく紙くずと、渋谷の風物詩のスプレー落書きはいたるところにあったが、それでも汚い印象を受けなかったのは渋谷区の常の努力があるに違いない。
落書きに話題を移す。
この落書きというやつは少し人気がなくなる道に入るとポストでも電柱でも、あまつさえカーブミラーの柱にさえ、これでもかと描かれている。
このキャンバスを求めてやまぬ気持ちは賞賛に値すると思う。願わくばもう少し目を楽しませるような技量を見せてほしいものである。
しかし、青春の抑えがたい活力を発散しきれずに、こういったところで垂れ流す他ない屈託した現代の若者の心情が現れているものと思う。やはり渋谷というのは若者の町なのだ。
さて、道を直して行く際に地図に川が記されていたのでその傍を辿ろうとしたが、この町(東京の都市部は皆そうなのかもしれないが)の川はビルの隙間を通っていて土手というものが存在しない場合がある。
私が目指した川もビルの断崖に挟まれて流れていた。川の名は知れない。橋の名は忘れた。轟々と川に流れ落ちる雨水を傍目に通り過ぎて実直に大通りを歩くことになった。
お昼を食べるお店を物色しながらビルの大渓谷の底を歩いた。程なくしてラーメン食べたいと決めたのだが、それからラーメン屋を見かけなくなる罠に落ちてしまった。何事も即決が大事なのだと思い知らされる。結局SUBWAYでサンドイッチを食べた。おばあさんの店員さんと韓国か中国の方らしい女性とおじさんというよく分からない店員たちに迎えられた。狭い店舗で地下に食事のスペースが取ってあったのに驚かされた。しかし外の視線が気にならないからかえって気楽に食べることが出来た。結果ラーメンよりもヘルシーに腹が満ちた。最近の食生活を鑑みるにこれで正解だったと思う。
昼食が終わり、いよいよ展示会に乗り込む。
一見裏口へ続いていそうな扉を二つもくぐり、当日チケット800円を払って入場した。
まずいくつもの大きな描き下ろしアートグラフがで迎えてくれた。
きれい!さすがの色使いである。
さらに大画面の迫力と美しい印刷も相まって色彩の洪水が目になだれ込んできたように思われた。
販売もしているらしいとのことだったが、このアートグラフは安くて四千円から、上は二万円を超えていたので経済的事情から断念せざるを得なかった。そもそも完売していたのだから諦めるほか無かったのだが。
しかしクロ(作品『棺桶担ぎのクロ』の主人公)が白いレースを羽織っているのなんてもう溶けてしまいそうな雪の結晶を見ているような淡さで思わず手が伸びてしまう。
魅惑的なアートグラフ、そして少々の、しかし物欲をそそるグッズを抜けると(距離にして三歩~四歩)、歴代の表紙やイラストの展示になる。
(うわー。初期の方まるっこくてかわいいー。でもその先の少しリアル目のやつもかっこいい。というか線が素敵。
うわっ!?如月とクロの水着とかなんてかわいいんだ。一瞬クロに見えないクロの笑顔とか見れて嬉しい。眼福眼福。
知らないイラストとか結構あるなー。積極的に探してたわけではなかったから仕方ないんだけど、でもみんな綺麗でかわいい。空の描き方とかもイラストの雰囲気に合わせてデフォルメされてたりリアルだったりするのには気配りが感じられる。やっぱりプロだなー。
ってうおわわわああ!!?この集合絵の雅笑顔なんですけど!めっちゃレア!いや、ま、私が知らなかっただけなんですけど。でもそれでもなんて優しい笑みなんでしょうか。ああ、このままでは死んでしまう。キュン死してしまう…)
以上、心の中を中継したが、まぁ一人のファンにして大道雅は俺の嫁な私なのでベタ褒めになることはご容赦願いたい。(如月、大道雅、共にGAアートデザインクラスのメインキャラクター)
順番に行けば次は寄せ書きノートコーナーとイラストメイキングコーナーなのだが、人が居たので先にグルっと会場を回ってしまう。
そこからはクロのイラストと原画が展示されていた。クロはなかなかシリアスな話なのだが、イラストとなると笑顔が多くてなんかホッとする。なんというか控えめな笑顔に癒やされるのだ。ちなみにノダミキのハツラツとした笑顔は私には充電用。傷を癒やすのと更なるパワーを得るのとの違いはあるけどどっちも好き。
しかし、なんというか、原画ですら美しい。こんなに繊細な描き込みとラインをしている線なのに、ホワイトの修正が少ない。もう十年以上も描き続けている蓄積の顕れなのだと思うと、紙面にかけてきた集中力や情熱を慮ってなんともいえない感慨がこみ上げてくるのであった。
あ、この髪を蒼く光に透かしたクロのイラストは目に焼き付けておこう。
一周回ったのでさらにもう半周して寄せ書きノートを拝見させていただいた。三冊あって、三冊目は現在進行形でファンの方が書き込んでいる。
私は既にコメントされ尽くしたノートをめくった。みんな愛情がこもったコメントしてるなぁ、と思ってめくっているとびっくりするほど上手いクロのイラストが。見た感じボールペンの一発書。これはプロの仕業。
さて、マツコ・デラックスをLサイズとしたらMサイズに当たるようなふくよかなファンの方が書き終わったので私も書きかけのノートを手にとった。文章を嗜むものとしてこれは書かねばなるまい。しかしもし、きゆづきさんが見ることがあるのなら手を抜いては失礼だろう。イラストは無理でもなにか、きゆづきさんを楽しんでいただければ良いのだけれど。
そこでふと思いついたのが短歌だった。これなら他と差別化を図りつつ印象深いものになるかもしれない。守護霊のインスピレーションに感謝しつつ思いついた単語を頭で組み立ててみる。この感動と感謝を言葉に変換しようと思って、思いつくままに書いた。
始まりは いつかは終わる 旅路とて
我が青春の 一枚の空
上手いか下手かは他人の評価が決めることではあるが、私の心情を素直に表すことが出来たように思う。私としてはお気に入りの一句になった。
最後に自分のユーザー名とお礼の言葉で締めた。ユーザー名を書き損じたのが少し恥ずかしい。
以下の歌はこの日記を書いている最中に思いついたので記しておく。
ありがとう 手のひらの空 雨もよう
桜散る 雨上がりの空 黒い道
木の葉に透かす陽 淡い夏風
さて、次に向かったのは書下ろしイラストのメイキング映像コーナーである。
色塗りの途中から見始めたが、どうしても下書きとペン入れと色塗りの始める部分が見たかったのでほぼ一周するまで直立不動で画面を凝視し続けた。四十分程は立ち呆けていたらしく、足がだいぶ棒になっていた。
印象的だったのは、まずはその無駄の無さだと思う。
同じ箇所を何度も何度も書きなおしているシーンは少なく、サッと線が決まっていくのが気持ちよかった。勢いというか線の流れが自然なのは流石だと思った。集中しているけれども神経質に下書きをなぞるだけではないというのが私には発見であった。
次にフォトショとペンタブを使う場合、髪の毛や背景や影や目は別々のレイヤーにしているようだ。白や茶色、黒なども色ごとレイヤーで管理しているように見えた。普段、絵など描かないから技術の蓄積がない。なので「こうやって使うんだな」と恐縮して拝見させていただいた。余暇があれば描くだろう。たぶん。
最後にグッズコーナーを漁り、クリアファイルと画面拭きを二種類購入させていただいた。絶対にきゆづきさんのイラスト以外を挟むことも、画面を拭くことはないだろうが。
作品を鑑賞しながらふと、これから働き始めればこんなふうにこだわりの部分で我を忘れるようなこともできなくなってくるのだろうな、と未来に思いを馳せた。
橋本佐内という偉人は「男子、十五にして稚心を捨てる」と言ったという。子供のような与えられるのが当然という価値観は早々に捨てて、社会国家のために志を立てなさい。そのような意味だったはずである。
私もいつまでも子供ではいてはいけない。この作品に出会ったきっかけは中学の時に見たネットの書き込みであった。私の青春期に重なる作品だった。
それが終わった。
きゆづきさとこさんはプロとしての責任、社会人としての責任を果たしておられる。それを受け取る私とて、いつまでも欲しがるだけの子供ではいけないだろう。
会場を出る時、私の幼稚な心も同時ここにおいていくような気がした。
無事に自宅の最寄り駅に着いた。精算するために駅員さんに切符を渡した時一緒にICカードも渡してしまい、いらない恥をかいてしまったが、ともかく無事に帰ることができた。
今日という一日に感謝をしたい。
そしてまた明日も、感謝と共に一日を送りたいものである。
好きな作品が終わるのは寂しい。
しかし、それもまた、良い。
どうあがいても諸行無常が世の常なら、それを観じて味わいたい。