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暗夜鋼路  作者: ドグラマクラ
6/6

鎧袖一触

地面が割れた。破片が舞った。巨体を支える6本の脚が無尽蔵に瓦礫を生み出す。

油圧式の無骨なメタルアーマーが杭を打ち込むように地面を踏む。その度地面は揺れ踊る。

多脚戦車『BC6type-2』。土木用である装甲車を軍事転用したものである。

外見はハエ取りグモ。だが前部に蟹のように2本の腕、マニピュレータが搭載されている。

本来であれば巨木裁断用のアームカッター。今は12.7mmの重機関銃に変更されている。

「正面から挑めばハチの巣か」

支倉深界は鉄筋コンクリートの柱に隠れ、戦車の動向を探っていた。

それこそ土木工業が盛んだったのであろう山林の中腹にある廃工場。

ここへはとある資源の横流しを行っていた官僚とその相手方を抹消する依頼できていた。

当初の依頼は問題なく果たせたと言える。取引の現場を押さえ徒手空拳で以て鎮圧した。

しかし、現場にいたうちの一人が忍ばせていたのであろう多脚戦車を持ち出したのだ。

「まさかこんな所で戦時の怪物に遭うとはな」

多脚戦車はあらゆる環境での運用を想定した設計となっている。

密林や沼地は当然、砂漠などの足元をすくわれる地形でも問題なく起動する。

それは多脚、即ち多数の姿勢安定・制御アウトリガーによる賜物である。

「どのような場所であれど的確に正確に射撃を行う、か」

不運にも深界は工場で入り口とは反対方向へ飛び退き、戦車の初撃を回避した。

外へ出て野戦に持ち込もうにも、それは得策ではない。

初撃を打ち損じたのは操縦者の腕の問題ではない。工場内という密集地であったがためだ。

操る人間が赤子であろうと引き金を引くだけで演算処理された正確な射撃が行われる。

しかし、弾道予測が正確でも反動を完全に抑制できねば意味はない。

多脚のデメリットとして、姿勢制御の為に広範囲に位置を取る必要がある。

射撃の際の衝撃を地中に伝え、拡散するという原理の特性上、より広く、より低く。

柱と資材、瓦礫の山が射撃位置確保を不完全にし、結果若干のずれが生じる。

つまり多脚戦車にとって、この密集地という状況は唯一の不利な地形なのだ。

「ここで戦うしかない、が」

だがそれは深界とて同じこと。地形が狭いなら限定的な行動しかとれない。

「ましてやここは柱の裏だ」

左右どちらに飛び抜こうと、コンピュータ制御の精密射撃が1秒かからず対象を薙ぎ払う。

万事休す。八方塞がり。四面楚歌。深界には逃げも攻めも取りようがない。現状は。

「こいつを使うとして、何秒かかる。何太刀入れる」

右手が掴むトリガー付きの無骨な異様な刀。先の戦闘では一切使わなかった。

この刀ならば戦車と言えど勝算はあるだろう。だがこの武器は長期戦を想定していない。

良くて三太刀。あの分厚い装甲を寸断するならそれが限界であろう。

それ以上は刀身が持たず、錆びて崩れて塵となる。

『経秒劣化』。刀匠、大獄はこの現象をそう呼んでいる。

一度刀身を研磨すればそれは何ものをも斬る魔刃となる。

しかしその劣化速度は凄まじく、秒単位でその身をすり減らす。まるで一瞬の火花のように。

そしてその劣化速度は刀身を振り上げるだけで加速する。

空気抵抗。対物摩擦。要するに外界のあらゆる環境が刺激となるのだ。

生まれて間もない赤子の皮膚が、刺激に敏感なのと同様に、繊細で儚い魔刃の刀。

「タイミングを間違えず、見極め、正確に」

幾重にもシミュレートをしている最中、再度戦車からの砲撃が始まった。

「しびれを切らしたか」

2本の腕から放たれる秒間20発の飛礫の嵐がコンクリートを削り取る。

コンクリート片が宙を舞い、浮き出た鉄骨を弾丸が打ち鳴らし火花を生む。

少しずつ、確実に深界を捉えつつ銃撃が続く。

「まだだ」

深界はひたすらに機を待った。されど機銃掃射は止まない。

窮地の状況下。にも拘らず、いやそれ故なのか、深界はある帰結を生みだした。

「これで分かった。素人だ」

それは戦車を乗りこなしたことがない、民間人だといっていいるようなもの。

軍需品の横流しをしていようが、それは軍人であるということとイコールではない。

深界はここまでの敵の攻撃からそのことを読み取ったのだ。

軍人、もしくは戦術に精通しているものならば、本来このような射撃は行わない。

目標が動き、姿を現したところを集中射撃する。

それはコンピュータの計算力を常に最速に維持するためである。

連射をする過程でコンピュータは弾道補正を常時行う。

故に咄嗟の行動に対しラグが生じてしまう。これを防ぐ必要があるのだ。

又、精神状況を相手に伝えないためでもある。

このような戦闘は相手に対し、自分は余裕がないといっているようなものだ。

常に冷静で、敵が動くまでは決して撃たない。

これは相当なプレッシャーを与え、負けたものから逃げ出し、弾を喰らう。

プロなら犯さぬ二つの過ち。それは戦闘経験の未熟を意味する。

そう理解したからこそ深界の執る行動は待機。

「このままならば―」

たった一太刀で決する。図らずともそれは現実となった。

操縦者は射撃が意図なくして終わったことに疑問を感じたであろう。

弾は300発のバレルケースが6個。単純計算して90秒の連射が可能なはず。

ゆえに眼前のモニタにオレンジの蛍光色で表示された単語への理解が遅れた。

『Barrel Heating』

二度の世界大戦の頃より機銃について回るある弱点。

銃身の放熱処理速度を超えた運用によりコンピュータの自動停止システムが発動した。

モニタ表示の表示に目をやると同時に搭乗者は眼前の光景に釘付けとなる。

コンクリートが生成する粉塵とは明らかに異なる白銀の羽が舞い。

次いで外界集音スピーカーが捉える高音域の金切り声が木霊する。

今までの状況下でこの光景が作り出される材料などない。

搭乗者が軍人であったなら、まだ勝算はあった。

バレルエジェクトシグナル、予備の銃身に切り替えるコードを入力していれば。

0.3秒で再射撃を行い、深界は蜂の巣どころか原形すら留めぬまでに分解されていただろう。

機銃の銃身に内蔵されている空冷フィンの開閉口を全開にしていれば。

バレルジャケットから勢いよく噴き出る熱風で攻撃を阻害ないし妨害できていただろう。

だが、搭乗者は、彼は一介のチンピラに過ぎなかった。

学校など碌に通わず。喧嘩に盗みに明け暮れて、どうしようもない社会不適合者。

ただ亡き両親に変わり、弟の学費のため、多少危ない真似をしてでも金を稼ごうとした。

かつて父親から教わった機械いじりに望みを託し、せめて今日の仕事料だけでも弟に。

だが、搭乗者は、彼は一介のチンピラに過ぎなかった。

激しく舞う羽は気付けばかな雪のように静かに舞い散り。

金切り声は風鈴の共鳴のように静かに大気に溶けていく。

そこから先は深界による一方的な展開が切り開かれた。

前脚2本を袈裟切り、逆袈裟切りで下半球の円弧を描くように切り落とす。

設計上後部に弾倉や燃料タンクを積載するBC6は前脚により安定姿勢を確保している。

重心が後ろにかかり過ぎぬように成された安全策である。

そしてその脚を失った今、戦車は姿勢制御を行えず、後方に倒れ行く。

ここで搭乗者が再度姿勢制御入力をしていれば、いや、どちらにせよもう間に合わない。

脚を斬る過程で、深界は逆袈裟切りの切り上げを左腕マニピュレータにまで施していた。

左腕にマウントされた機銃を失ったことを意味し、戦車は右側に傾いた。

『これで右腕の機銃も使えないな』

姿勢安定のために戦車は右腕マニピュレータを地面に叩きつけ、銃身は折れ曲がった。

一閃で状況を此処まで変えた深界。そして猛攻は終わらない。

折れた銃身を足場に深界は戦車の右腕を駆けあがり、コクピットブロック頭上に着地した。

「どのような場所でも正確に、蜂の巣にというのが、お前の売りだったな」

呟きながら深界は右手の刀を確認する。

刀身表面が泡立ち始めていた。限界時間が近づいていることの証明だ。

「その売り、そのまま返してやる」

刀を逆手に持ち替え、深界は刀を真下の隔壁に静かにゆっくり突き刺した。

まるで紙でも引き裂くような感覚で多重装甲フレームが突き破られる。

金属を貫く感触を感じつつ突き進め、そしてある位置で感触が変わった。

肉を、骨を裂き、貫いた感触。同時に深界は刀を引き抜いた。

頭上に掲げた刀身は、限界時間を超えその役割を全うした。

切っ先に付着した血痕を覆うように刀身が赤褐色の錆に埋もれる。

崩れると同時に空中で粉となり、霧散する様は赤黒い雪の結晶の様だった。

それをしばし見つめていた深界は、ふと足元に視線を落とした。

突き入れは最小の接地面積で行ったが、引き抜く際は大きく所作を取ったせいであろう。

縦長の亀裂からはコクピット内が垣間見え、搭乗者の死相が見て取れた。

驚愕の表情。眼球は見開かれ、舌を出し頭上を見上げたまま膠着していた。

どんな恐怖だっただろうか。頭上から聞こえる金属を切り裂く音。

音が鳴り始めてから1秒も経たずに刃が頭上にあらわれる。

コクピットブロックにしっかり体を固定していたがためにその軌道を除けられない。

前頭葉から侵入した刃は下垂体を引き裂き上顎を割り咽頭、喉奥を刺し貫いた。

経験したこともない痛みと、喉の異物に対する嘔吐感から下と眼球が踊り狂う。

気管の内側から外側に切っ先は進み、心臓を正確に刺し貫く。

せり上がって来る大量の血液は一瞬で機関の穴から肺に入り込む。

人間は脳の僅かな損害位で簡単には死なないし、喉を刺してもすぐには死なない。

彼の直接の死因は、大量出血でも心臓不全でもなく、肺に入り込んだ血液による溺死だった。

死相を見届け、深界は戦車から飛び降り、出入口に向かった。

搭乗者の死とともに、多脚戦車も又その生涯を終えようとしていた。

油圧式ポンプは突然の負荷に耐えられず亀裂が走り、破裂する。

冬場の作業を想定し、揮発性の高いオイルが使用されていたのだろう。

周囲は一瞬にしてオイルの匂いがむせ返るほどに充満した。

切掛けは些細だった。放熱途中の銃身。千切れた電導ケーブル。幾つもの要因。

背中に感じる吹き荒れた爆風の風。深界は背後に一瞥もくれず、惨状を後にした。

罪悪感などない。憐れみも情けもかける気はない。深界はただ、己の仕事を全うした。

殺しになれたからでも人殺しに快感を見出しているわけでもない。

只々深界は、そういう人間だというだけである。


「まさか戦車とはね。こちらのミスだ。それなら相応の装備を与えたが」

裏社会きっての汚れ仕事請負企業、三界商会のトップ。

その素性は誰も知らず、ある者は社長。ある者はミス・カンパニーと呼ぶ。

応接机の灰皿に書類を投じ、加え煙草で火を点ける。

「仕事は無事完遂。イレギュラーも問題なく鎮圧。昇進クラスの功績だ」

社長の言葉に思わずその横顔を除くラルフは戸惑いの表情を浮かべた。

「だがまあ、そんなものはどうせ興味は無いんだろう?」

「ええ。寧ろ事を公にしてしまった負債を帳消しにしていただけたこと、感謝します」

戦車との交戦は地方新聞社に報道されてしまった。

だが、逆にいえばそれ以上の広がりは無く、報道自体も作業機の故障として報じられた。

全て社長の采配であり、地方にまでその影響力は及んでいるという何よりの証明である。

「なに、この程度は負債に入らんさ。個人的なはからいだと思えばいい」

言って深界の右肩に手を乗せ、社長はある男の名刺を片方の手で握りつぶした。

いち早くこの事件に目をつけたフリーの取材者が工場の清掃業者を洗い出し、この事件の裏に三界商会を見出し、揺すりをかけてきた、といったところだろうか。

だがその相手は免罪符を前に恐れを抱く信徒ではない。掟の通じぬ高貴な獣だ。

「お前がそんな皮肉を言ってくれるほどには私に心を開いてくれているらしい」

丸めた名刺を灰皿に。炎は一人の男の経歴を呑み込み、闇に葬った。

「私はお前を気に入っている。手元に置き、常に仕事を任せるのもそのためだ。なあ、なんだったら、私に礼を感じるのなら、私を慰めてはくれないか?好きにしていいぞ。許可を与える。いかなる無礼も許そう。それぐらいでなければつまらん」

言葉は段々断続的に。目つきもギラつき、陶酔的に。

胸に手を当て、鎖骨を通し顎まで滑るように滑らかな手つきで社長は深界の躰を這わせる。

「しゃ、社長」

悲鳴にも見た叫び声はラルフのものだった。

途端手は離れ、社長はいつもの佇まいになおる。

「冗談さ。よくやった退出して待機。次の命令を待て」

「失礼します」

深界は踵を返し、社長室を後にする。

その過程で見たラルフの顔は、嫉妬、憤怒。いずれにしろ怒りを露わにしていた。

社長に怒りをぶつけるわけにもいかず、ねめつけることで無聊の慰みとしたらしい。

「・・・・・・・」

深界は自室に戻り、携帯型端末を起動した。

「アクセス。コード、25130409。起動」

端末はその大部分がモニタであるといってよい。というより、モニタしかない。

かつて小型端末に内蔵されていたようなモジュール、メモリは一切ない。

情報社会の極限に至った現代においてハードウェアの性能に重点は置かれなくなった。

今世界を回しているのは大規模ハードウェアによる全端末バックアップシステム。

今端末に求められているのは入出力装置と統括制御、処理装置である。

用は大規模の情報を処理できるだけの受け皿。

それ以外の記憶、演算は全て大型コンピュータが請け負う。

個人がスーパーコンピュータを所有しているのとほぼ同意義だ。

そしてそのコンピュータは政府の情報庁が管理している。

最も、米露戦争の影響でこの国の政府はもうその在り様を失いつつあるが。

「起動しろ」

声紋キーによって少女、マキナが起動する。

黒髪はどれ程乱雑に寝ようと乱れること無く綺麗にまとまる。

肌は白く瑞々しく、とても娼婦館にいたとは思えない。

操雲によって汚れの除去は行われたが、既存のパーツに何一つ手は加えていない。

その美しい顔の瞼が開き、少女は深界を見据えた。

深界は無言で少女の後頭部に手をあてがい、首元を強く圧迫した。

圧縮空気が閉所から排出され、高音が鳴ると同時に首元に裂け目が入った。

裂け目に手を置き上にスライドするとコードを接続する接続端子が現れた。

「端末と接続。バックアップ開始」

端末上にマキナのデータが開示される。

「義体の情報、搭載されているプロセッサ、モーションエンジン、CPU」

次々と映し出されるそれは、しかし深界の求めるものではなかった。

「性能はいらない。その奥にある、この義体にあるモノを開示しろ」

データ抽出が終わり、モニタはその全情報を展開していたが、仕様以上のデータは無い。

「データの形では存在していないのか?では義体内のブラックボックスか?それとも」

操雲のいっていたノイズ。もしデータでもモジュールでもなく電波の様な。

「電子の流れが干渉して生んだものだとしたら」

人体の構造、脳の構造は完全に暴こうとも、心の存在は未だ確認されていない。

人の死後、25グラム分の重さが失われ、それが魂の重みであるとしたものがいた。

心臓や肺、骨格から脂肪、皮膚に至る人体の諸要素を残して旅立つ魂。

医学は微細な分類に始まる。だがその分析は心にまで及んでいない。

極論、医学は魂の存在を肯定しない。全ては脳が作り出す作用の一環。

魂とは何か。哲学や宗教が解き明かす神秘と絵空事なくして確立できない存在。

科学的定義を定立できない以上、その存在を明確化することは不可能である。

魂を切って捨てた医学の権威は肉体の持つ理路整然とした数式を好む。

「通常の仕様は間違いなく機能している。だが、それと心は別物、か」

フランケンシュタイン博士は紛れも無く完璧なものを作り上げたのだろう。

だがそれは怪物であっても人ではなかった。25グラムの正体を暴けなかった。

「なら、やはり実現は不可能なはずだ」

深界自身、何度も実験した結果とうにたどり着いた帰結だった。

精密な、限りなく人体を模したコンピュータを想像しようと、それは人間ではなかった。

「だが、アレを見せつけられては、諦めがつかない」

自分では辿りつけなかった未知の領域。少なくともそこに辿り着いたものがいる。

目覚めた少女の笑み。あれは造られたものでは断じてない。

何故かその確信があった。そうまるで、あの表情をどこかで見たことがあるような。

「知っているような」

そう呟いた瞬間、モニタの負荷値ゲージに僅かな乱れが生じた。

義体のCPU処理機能にかかった若干の負荷。深界は理解より早く記録に移った。

「記録開始。波形、負荷地点の検出」

キーボードをたたきながら少女を見る。

虚ろな、空疎な、人形の目が、物憂げな眼差しへと在り方を変える。

造花が生花に変わるような。死者が生者へと復活するような。

エモーショナルエンジンの負荷値は正常。即ちこれは感応センサの故障ではない。

AIが、少なくともAIと思われるこの義体の脳殻が、行動を選択している。

まるで人間の様に、伏し目がちにこちらを仰ぎ見、瞼を下ろした。

瞬間、各プロセッサの負荷は正常に。負荷の特定は、間に合わなかった。

突然の偶奇。だが機を逃したらしい。義体は再び物言わぬ彫像となった。

深く椅子に腰かけ、深界は大きく息を吐く。

余りにも一瞬すぎ、闇雲に伸ばした手は見事に空を切った。

これでは何の感慨も無い。突然すぎる邂逅は感動よりも思考停止を呼び込むものだ。

「掴みどころがあるようでない。まるで彼女みたいだ」

僅かにマキナの口角が上がった。ように見えた。


支倉深界は言ってしまえば雇われの会社員だ。

あらゆる腕利きを集め、多岐に渡るニーズに対応する三界商会。

支倉は当初その研究内容を見込まれ入社した。

その全容を知るのは入社時にすべての記録を閲覧した社長と呼ばれる女性。

そして入社以前より交流のあった天上操雲のみである。

とある事情で失意に暮れる深界に入社を促したのが、何を隠そう操雲その人であった。

「元は都市管理・統制用ドローンの開発が俺の主任務だった」

恐らくはドローンの設計図なのだろう複数のスライドで構成された空中投射図。

空中に放り出されたバーコードのようなそれは網膜投影で一枚の図面になる。

無論網膜センサを装備する操雲だからこそ可能であり、背後の風李になせる業ではない。

「それが何で戦闘用小型ドローンの開発計画に携わることになったの?」

どこから持ってきたのか紅いフレームの眼鏡のブリッジを中指で上げながら風李は問う。

「政府施設が軍に買収されたのさ。別に不満は無かった。資金も潤沢だったからな」

「研究が台無しになるかもしれないのに?」

「管理を偵察。統制を制圧に置き換えればどちらも用途は似たようなものだ」

都市における暴徒鎮圧を主目的としたドローンは機銃を着け奇襲兵装へ。

都市ライン正常化目的の監視ドローンは2mm以下の偵察ドローンへと在り様を変えた。

いずれも操作に不自由の無い強力なアンテナがあれば砂漠でも湿地でも使用できる。

100の兵隊を食料、弾薬、燃料を持たせ行軍させるよりも、

1000のドローンを一個小隊が利用する方が遥かに有効なのは言うまでもない。

「戦争は新しい技術を内包するパンドラの箱だ。開けるたびに技術革新が望める」

「その度に人類は停滞代償を受けるけどね」

「数の上での減少など自然界ではよくある事だ」

「それは本当にそう思う」

風李は警察官である。だが道徳心に満ち溢れた正義感というわけではない。

「自然を超越した人類は、自然を超えた『因果』によってその数を減らすべき」

「因果律量子論か?」

「自然をはるかに超えた、人類が観測できない、世界を構成する要素。それが因果」

「自然を数式に貶めた人類は、人間も又単純な物質であるという論理的帰結を生みだした」

「そっちは人間機械論だね」

情報化と科学化と数式化と義体化。残されたものは未知という名のブリキの缶。

「さて、そろそろ仕事の話しようか」

吊り上げた笑みと眼鏡越しでも鋭い眼光。風李は辿り着いた。

完璧すぎる証拠隠滅。その足跡を追ってたどり着いた廃工場の例の一件。

使ってもいない工業用重機の誤作動とオイルによる爆発。

この工場がとある資源の中継ポイントである事は風李が既に見抜いていた。

だがあえて手を出さなかったのは訳がある。網を張っていたのだ。

捕まらぬものには事前に網を張っておく。ハンティングの常套手段である。

極端に政治色の強い賄賂は、発覚した際の脅威も考え一人の責任にして潰してしまいたい。

手を汚さずに、確実に、最小限の損害でもみ消したいのが人情だ。

「ああ、そう言えばそんなことを言っていいたな。仕事とは?」

「この一連の事件。特に実行に携わっている人間と消息不明のガイノイドについて」

「さて、何のことか」

抑揚のない平坦な口調で操雲は応えるが風李は釣った魚をリリースする趣味は無い。

「実は前々からこの組織に入るチャンスをうかがってたってのもあるんだよねえ」

ラボを仰ぎ見ながら風李は懐に忍ばせたメモリ媒体を取り出す。

「あんたたちの情報操作は完璧だ。だげど依頼人はそうはいかない」

アウトプットは完璧でも、インプットは付け入る隙がある。

コンピュータウイルスの侵入経路に一番多いのは外付けの外部記憶装置からだ。

城壁を高く積み上げようと、木馬を引き入れてしまえば内側から崩壊する。

「まずは工場爆発事件。汚職の揉み消ししては派手すぎると思うね」

「何を言っているのかわからいな」

「ホンボシではなかったけど手掛かりはあった。埠頭の密輸業者だよ」

メモリをラボのモニタに接続し、圧縮された調査ファイルが一斉に展開された。

羅列される文字。大量に記録された人名と、何かの航路マップだった。

「中間業者があると踏んでた。難民の横流しなんて一介の役人が出来ることじゃないしね」

とある資源。無論その正体も風李は理解している。他国から流入する難民である。

小規模内戦の群発する中東から逃げ延びた人々は北米、ヨーロッパに逃げ延びる。

だが100年以上発生していなかった大陸間での戦争がそれを許さなかった。

米露戦争。冷戦から200年間動きの無かった両国の再燃が引き起こした災厄。

冷めた血液が沸騰した。ブラッドボイリング戦争とも言われた大戦の始まりである。

初めは独立し始めた中東諸国の扱いにおける各国間の対立から生まれた軋轢だった。

国力低下を防ぎたいロシアと、不動の座を得るべくそぎ落としを狙うアメリカ。

膠着状態の中、着火の原因は米陸軍によるロシア国境付近の誤爆撃だった。

嘗て二次大戦の引き金となった奇襲爆撃が、被害者を加害者に変えて再来したのだ。

こうなれば戦争は止められず、独立したての資源も無い小国は途端に分裂霧散する。

逃げ道は各先進諸国。だがなまじ相対する二国が強大なだけに大きな動きは出来ない。

よって表向き受け入れをしても、入国手続きはせずにほったらかしにするのがほとんどだ。

悲運にも難民は他国の玄関口で締め出しを受けたのである。

各国入国ゲートには毎日多くの人間が詰め寄り、難民キャンプが展開される。

我が国の政府は二国の中心に位置することもあって外交にあおられている。

その最中に難民などという、言ってしまえば扱いの困る存在に目を向けることなどない。

よって役人一人に難民保護と言った適当なポストとともに押し付けて三猿を決め込むのだ。

一官僚の手に余る仕事は受け入れをしてくれる委託業者に任せるのが世の常だ。

追いつめられた官僚は金と交換に非正規ルートで臓器販売を行う企業にコンタクトを取る。

増えすぎた難民と、足りない金。双方を充たし己の地位を守るにはこれしかない。

不正といわれようと、今ある地位を失えば路頭に迷うと分かっているならやるしかない。

とどのつまり件の官僚とて悪人とは言い切れないだろう。

だが、失敗をすればそれはつまりすべての責任を抱え込んで潰れて消えるが定め也。

「つまり、君らは政府から一任された汚れ仕事を隠滅する汚れ仕事を任されたわけかー」

「一方的な意思の押し付けは会話ではないぞ」

「はぐらかすなよ。もう追いつめたんだからさ」

尚白を切る操雲に風李は両眼を細め、最後通牒を突き付ける。

「そんなことが出来るのはここしかない。いいか?ウチのお偉いさんが言えないんだったら私が言ってやる。ここがあらゆる汚れ仕事を請け負う委託業者、要は殺し屋の集まりだって事は承知している」

核心に触れた途端、ラボの空気が変わった。正確にいうなら機械の駆動音が鳴りやんだ。

そして天井にはいつの間にか昆虫型のドローンが大量に集まっていた。

先の会話からこれが操雲の研究であり、操雲の手によるものであることは明らかだ。

「で、何だというのだ」

操雲は初めて眼前のモニタから目を放し風李を捉えた。

眼球は、無い。操雲の眼窟にあるのは青い瞳の三つ入ったガラス玉。

そしてよく見ると目頭に位置する部分に小さな眼球が一つずつ。

まず初めに風李は蜘蛛を連想した。シンプルな球体で構成された無機質な蜘蛛の目を。

「我々がそのような悪事に手を染めていたとして、君はどうする?」

証拠があろうとなかろうと、強大な組織を相手にするとはそういう事だ。

相手にするというのなら、それなりの覚悟を遭うるべきだと。

故に風李もまた相応の覚悟を持って答える。否と。

「勘違いしないでよ。私はあんたらのやっていることに文句なんかない」

「なに?」

「隠滅、謀略すきにしなさいな。爆破事件だって私は全く興味が無い。そんなのはここに来るための口実だよ。何でもいいからここに潜入する理由が欲しかった。私が興味あるのは、いいか?私が興味があるのは持ち出したガイノイドと他2体を行動不能にした武器だ」

「武器?ガイノイド?」

「売春宿でのガイノイドによる暴走事件。民間人三人が被害にあったことになっているけど実態は私らの上司が7人死んでる。まあ自業自得さね。でもその事件は秘密裏に処理された。警察が来るよりも早く、何者かに」

「警察が介入し、鎮圧したのでは?」

「あの時私たちに出動要請はかからなかった。所轄の事件にも関わらず。警察の方から状況を動かさないようにしたと考えれば納得がいく」

情報漏れを考えれば、邪魔が一切入らないうちに内々で処理するのが適当である

その「邪魔」には当然所轄の警官も含まれる。事を公にされては隠し通せない。

「一公僕の言葉とは思えないな」

「戦争に巻き込まれても旧来の態勢を維持している時代錯誤の組織になんてとっくに見切りをつけてる。でも、この事件はそれとは別に、完全な私欲が入っているけどね」

「それだ」

椅子から立ち上がり、操雲は風李の方へ歩き出す。

「聞いていれば君は大よそ警察に諦観はあれど文句はないようだ。今回の事件もよくあることとして片づけ、そこに一切の呵責も無い。だが、そんな君がなぜその事件についてこだわる?武器といったな?」

操雲は風李を見下ろすほどにまで近づき、風李は存外小柄である事に気付く。

「ガイノイドを切断した武器。あの断面は高周波でも高水圧でもない、刃で切ったもの」

「ガイノイドを斬れる刃…か」

「そんな芸当をやってのける獲物も人間も私は非常に興味がある」

膠着状態。互いにいま切れる限りのカードを切った状態である。

「もう一度聞くけど、教える気はない?」

「重ねて返す。皆目わからんなんだそれは」

「あーそっかー荒っぽいことは好きじゃないんだけどなあ」

「事を荒げるつもりか?こちらとしても穏便に済ませたいのだが」

風李の鋭い眼光に合わせ、頭上のドローンも集結する。

激突の空気が漂う中、風李はなぜか踵を返した。

「どうした?」

「出直す。まぁすぐ戻って来るよ」

風李はメモリ媒体をコンピュータから引き抜き、再び懐にしまい込んだ。

出口まで淀みなくまっすぐ進み、と思うと自動開閉扉の直前で振り返った。

「I`ll be back」

音も無く閉じられる扉。その間際までサムズアップをし続けた風李。

そこに何のリアクションもせず、再びモニタに釘付けになるは天上操雲。

断じてジェネレーションギャップなどではないはずだと、風李は後に述懐した。


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