表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暗夜鋼路  作者: ドグラマクラ
5/6

四魂四笑

『もう、散らかしちゃダメってあれほど言ったじゃない』

ああ、これは夢だ。

『やっぱり家族って大変ね。なってみると改めて思うわ』

忘れようものか。その声、輪郭、佇まい。

『職場の机の上も汚かったからもしやと思ったけれど。部屋は予想以上ね恐れ入ったわ』

声を上げたくとも、口は開かず。体を起こそうにも指先一つ動かない。

ここは、ベッドだ。嘗て俺の部屋にあった、今はもうない。

シーツ上に散乱している。書類。これはそうだ。過去データとの比較実験中に。

『はいはい仕事は終わり。いい時間なんだから寝なさい。着替えて、書類を片付けてね』

ああ、また困らせてしまったか。彼女が助手だった頃はここまで気に病むことは無かったが。

『それ、どういうことよ。レディに対していう事ではないわね』

呆れながら、眉を寄せながらも笑う彼女。ああ、きれいだ。

『寝ぼけ眼で言われてもね。ベッドの上で改めて聞くわ』

レディとは思えない発言だ。

『たしなみよ。この程度じゃレディの風格は揺らがないわ』

そうか、なんともいい加減な解釈だ。

『皮肉を言うほどには目が覚めてきたじゃない。じゃあ着替えて来なさい』

わかったよ。着替えはどこに?

『いつもと同じ棚の上。その間ベッドの書類は片づけるわよ?いいわね?』

ああ、かまわない。

『・・・じゃあ、行きなさい』

何か、含みのある、いや、重みのある言葉。なんだろう。なんだろう。

身体が動く。話もできる。いや、当然か。さっきは何を思っていたんだったか。

そう、たしか、違和感。あるはずのない、まるで夢のような。

瞬間切り替わる情景。温かみのある明かりは無機質なLEDライトに。

先程までいた部屋は薬品のにおいのする実験室に。

絨毯はタイルに。ベッドは診察台に。俺の両手は血だらけに。

そしてその診察台に横たえられている女性。ああ、いやだ、やめてくれ。

女性は虚ろな眼差しで瞳をぎょろりと動かしてただじっと俺を見ている。

彼女はそれが精一杯。それしかできようはずもない。

首から下はもはや人体の構造をしていない。

ケーブルと人工外皮に包まれた身体。頭部はむき出し。中は空洞。

タイルだったはずの床は得体のしれない機械が敷き詰められ踏むと油が浮き出てくる。

白で統一された壁は罅割れ油が滲む。油だ。そう。断じて血液などではない。

女性はこちらを見ている。決してそらさず、見つめてくる。

批難。糾弾。怨嗟。悲哀。何れかのようで、その実すべてが混ざった瞳。

ああ、俺は。

「取り返しのつかぬことをしたのだな」

目覚めは決して良い物ではなかった。

己の呟きで目覚めた深界は己を横たえていた一人用ソファから腰を上げる。

だが途中で膝のあたりの違和感を感じた。

見るとそこには少女が一人。時間にして21時間前。出会ってまだ一日も経っていない。

両腕を膝に預け、まるでかしずくようにして少女は眠っていた。

「……起きろ」

音声を受け、スリープモードが解除される。少女はゆっくり瞼を開いた。

「…………」

口を開かず、ガラスの瞳を向けてくる。

「名前を、自分の名前を言え」

言語アルゴリズムを理解できぬのか、首を傾げるのみだ。

「やはり、駄目か」

今から約6時間前。マキナと名乗ったガイノイドの起動に成功した。

あの笑顔はガイノイドとしての、AIシステムとしてのそれを容易に越えていた。

普通の人間よりも豊かなその表情は、作りこまれた造形の顔を一層引き立てる。

だが、その瞬間、システムは全てブラックアウト。

5秒もすれば先起動したがそれはもう「マキナ」ではなかった。

「ノイズが消えている。今その義体は正常稼働中と言えるだろう」

操雲のその言葉に深界は見意味を傾けつつ義体の表情を注視する。

人間とはほど遠い、無表情。人形。ある意味で、人間らしい。

「参ったな。やはりあのノイズが何らかの負荷をかけていたのか。社長にどう報告すれば…」

「負荷…今のを負荷というのか」

「そりゃまあ。操作できない機能など不完全だ」

「操作か、それこそ誤りだとしたら?」

「何?」

「お前は、人間を完全に操れると思うか」

「……」

「お前の言ったことは、あながち間違いじゃないかもしれない。感情、感情か」

「なあ君」

「なんだ?」

「笑ってないか?」

歪んでいる?承知している。

正気じゃない?当然だ。

これが笑わずして居られるか。届くのだ。あの時諦めたあの距離に。


社長は表情一つ変えず。

「そうか、わかった。支倉。任務の更新だ。君は出来る限りその義体と行動を共にしろ」

「は?」

「現状君だけが起動できた。ひょっとすると君が何かしらの発動条件なのかもしれない」

「ですが、そのような何も確証もない推論では」

「ラボで調べようにも、そのノイズとやらが消えている以上調べようもない。それに、万一中のものが消えてしまっては本末転倒だ」

「社長、あなたはまだこの義体に、何かがいると?」

「それは君も確信しているんじゃないかい?」

引き出しから煙草を取り出し、火をつけながら社長は口を歪めた。

画策し、計算している笑いだ。まるで蛇の様な。夢の中の彼女とは違う、さっきの俺の様な。

「まあ当面は自室待機だ。休まずの任務御苦労。眠ってくれ」

深界はそれ以上何も言わず、社長室を後にした。廊下には少女が立っていた。

自室待機を命じられようと、少女を遠ざける理由にはならない。

「来い」

少女は何も言わず、深界の後をついていった。


「取り敢えずは、完成だ」

複雑な配合比率の末作り上げた鋼を慎重に鍛造し、成形する。

武骨な鉄板を刀身に。されど磨かず、尖らせず。

まるで鞘に納めたかのように一回り大きい黒塗りの刀。

如何なるものをも瞬断する兇刃、魔刃。それこそ老齢の刀匠、大獄炎泉の望む境地である。

彼の作る刀に彩色は一切ない。無骨無銘の一振りである。

元より彼は刀の装飾に意味などないときって捨てる人間である。

刀はただひたすら斬るための道具でいい。それ以上は求めない。

それが刀の正しき姿なれば、その境地へと誘おう。

それこそ刀工としての己の本懐であり、刀への最高の礼儀であるから。

故にその為であるなら手段は問わない。

鉄どころか多重装甲すら切り捨てるためには必然、現代技術の応用が必要となってくる。

鋼の多重装甲だけではなく、特殊繊維による装甲版をも相手にせねばならない。

こういった類の装甲は耐衝撃性に優れ、刺突すら通さぬこともある。

本来ならば高水圧や高周波、高温等を刃に伝導させ、これらの関門を突破する。

だがそれは最早刀ではない。あくまで一振りの刃で以て寸断できねば意味がない。

ただ硬いだけではなく、ある程度の軟性。加えて靭性。

「今はまだ、良くて4閃。だがいつか、まさしく無双無敵の刀を作ろう」

求める理由は何だったであろうか。それすらもうわからない。

唯一つ、立ち止まるには遅すぎた。否。その気すら元々ない。

「そのために、彼奴にはこれからも斬って斬って斬り続けてもらわねば」

前人未到の境地までそう遠くはない。


「ここも違うかぁ」

とある港の運輸会社にガサ入れと称して潜入した風李はコーラ片手に呟いた。

「そう簡単に襤褸は出ないと思ったけど、ここまで徹底しているとはなぁ」

現場に残っていた異様な金属。その足跡を辿ろうにもその痕跡は焼失した。

「素材の隠滅も兼ねているんなら成程素晴らしい兵器だ」

風李はあの金属は凶器であると確信していた。

原型は分からぬが、切断を目的とした兵器であり、それは装甲を斬れる。

心躍った。そんなとんでもないものがあるならば、使う者もとんでもないに違いない。

平凡な事件の捜査など飽き飽きだ。

汚職?好きにしろ。窃盗?よくある事だ。殺人?どうでもいいだろそんなもの。

社会を形成する上で起こる事件はその大半が人間の手によるものだ。

それは人間の本質が社会形成に向いていないという事実に他ならない。

統制されるのが嫌いなら、端から一人であればいい。

だがその権利すら束縛されては、躍起になるのもわかるだろう。

社会がなければこんなこと日常茶飯事なのだ。なにも可笑しいことではないのだ。

矢来風李が警察に進んだことは、その思想の確認に過ぎなかった。

人が悲しみに暮れるさまも逆上するさまも、一歩下がり俯瞰して仰ぎ見る。

端的にいってつまらないこの社会の現状を再認識し、風李はそれ以上をあきらめた。

どうせ人はこんなもの。であるならそれ以上の介入はよそう、と。

なまじ人の世に深く干渉する仕事を選んでしまったがためにその気持ちは一層強くなった。

何度も退職をしようと試みた。だがそれすら叶わなかった。

彼女は人間として終わっているが、警察として類稀なるセンスを有していたがためである。

鼻が利く、とでもいうのか、彼女はほんのわずかな証拠から事件を解明できた。

彼女にとってそれは造作もないことであったが、そんな逸材を警察が手放すはずもない。

事件をパズルでも解くように消化していく。外面もいい彼女はその名声を轟かせた。

だが、その顔の裏では辟易していた。『よくあること』に付き合わされる毎日。

今回の事件にとっても同様だった。子どもが何人売られようと死のうとどうでもいい。

現場に入り、広間の惨状を見ても何の感慨もわかなかった。義体の残骸を見るまでは。

異常殺人なども結局は人間性の発露に他ならず、風李の心は動かなかった。

だがこれはなんだ?義体を綺麗に切り捨てている。そして戦闘の痕跡。

まずはっきり言って理由が分からなかった。こんな売春宿でそんな戦闘を起こす意味が。

これまでの事件の様な、直情的人間の心情が見て取れない。

その仕事は機械的。だがその裏には理性をおしこめた蛇の如き人間の姿が垣間見えた。

確証はない。だが確信している。鼻が利く。今日ほどそのことを喜んだことは無い。

謎の凶器と事件の暗部。それと、同僚にすら言っていないある要素。

あの場にいた義体は3体。収容された数も3体。だがそのうち1体は2体と違った。

巧妙に隠していたが、あの切り口は通常の高周波ブレードによるものだ。

わざわざ本署に忍び込んで調べたのだから間違いない。

重要なのは、分署にそれを渡さないのは納得したとしても、本署の人間にまで隠したこと。

それほどの重要な何かがこの事件の裏にはある。

そしてそのカギを握るのは現場にいたであろうガイノイド。

あの時現場にいたはずのもう1体はどこに行ったのか。

証拠隠滅の為に廃棄した?ならば残り2体を放置した説明がつかない。

本署の不手際で紛失した?わざわざ変わり身を立てるまでせずともいい。

何らかの意図で回収した?これが最も考えられる。

謎の凶器、事件の暗部、そして1体のガイノイド。

「あぁ。おもしろいなぁ。こんなのこの仕事してて初めてだよ」

思わずこぼれる満面の笑み。邪気のない子供の様な。されどその眼は細く鋭く。

「不審に思われないよう材料は大量に輸送しているはず。なら各国輸送ルートの中から足跡を辿れないものを虱潰しにしていけばいい。今回の事件、警察のやり口は杜撰だが実行犯側の証拠隠滅は徹底している。それが凶器にも及んでいるなら、完璧すぎる証拠隠滅がその足跡を辿る何よりのヒントだ」

兎も角ここははずれだった。別の場所を探そう。

「んじゃ、ご協力感謝します、皆の衆ぅ~」

埠頭の倉庫。コンテナとともに散乱する死体に手を振りながら、風李はこの場を後にした。


「消えた、か・・・・」

社長と呼ばれるこの女の本名は、外部どころか社内でも知る者はいないだろう。

唯一知られている企業のトップであるという点から、ミス・カンパニーと呼ばれている。

おおよそ女性につける名ではないが、それ以上のことは何もわからないのも事実だ。

分かっていることは、彼女が裏社会に進出してからこれまでの出来事のみ。

汚れ仕事を専門に請け負う三界商会を一代で気付き上げ、尚も拡大中。

その手腕にも驚かされたが特筆すべきはそれを当時十代の彼女が成し遂げたことだ。

小柄で華奢な矮躯とあどけない表情は人を殺すも裏切るも到底不可能に見えた。

だが彼女は当時三人の従業員を使役し、政府要人暗殺を成し遂げその名声を響かせた。

無論表立っては彼女の存在は公表されなかったが、以降は政府黙認の機関となった。

三界商会の特徴は依頼があればどのような側にも着くという事だ。

ある時は政府反乱分子。ある時は警察の汚職黙殺。料金さえ払えば一般人をも受け付ける。

中には他国政治家を始末するよう働きかけた政府官僚もいたほどである。

その幅広い経営方針は、あらゆる利害に直結し、如何様にも操作できないまでになった。

根を張りすぎ、引き抜こうものなら周りの土地ごと瓦解する。

だが彼女はその影響力を表社会にまで広げようとはしなかった。

一貫してあくまで汚れ仕事のみを請負い、間違っても他機関に干渉しようとはしなかった。

それが逆に信用を呼び、今では警察も多用するお抱え掃除人としての立場を確立した。

「消えはしないさ。眠っているだけだ」

そして企業から15年。少女は身も心も女へと成長、いや、変貌した。

可憐から優美。迦陵頻伽さながらに、妖艶な笑みの似合う女性。

「野に放ち、今日までずっと待っていたんだ」

しかし彼女は妖艶さとはほど遠い、片頬を吊り上げた邪悪な笑みを作り上げる。

「ただ、支倉。あいつも気付いたろう。当然だ。私以上にあれを欲する理由がある」

画策する。洞察する。

「やるものかよ。あれは私のものだ。だが目覚めるまではくれてやる。精々慰み者にするがいいさ。本当に欲しいものは、私一人で占めてやる。路傍に打ちひしがれながら、指をくわえて悔しがるがいいさ」


一夜で錯綜する思惑。

幾重にも絡んだそれは、解きがたく繋がれる。

とうの昔に捨て去った、その夢に再び縋ろうとする剣客。

外界の騒ぎに興味は無く、己が求むる無双の鋼を鍛つこと目指す刀匠。

絡む事件の匂いを嗅ぎ取り、その本筋を解明せんと目論む女刑事。

そして事件の全容を全て知り、盤上の駒を操作する鬼面の麗人。

笑う。笑う。不意に不遜に不穏に不敵に。

だが最後に笑うものは誰であろうか。

物語は動き出す。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ