怪異追跡
冷気が漂う白一色で統一された鑑識の遺留物調査室。
中央の台座に横たえられた眼球の無い少女を見下ろす二人分の影があった。
一人はこのラボの主、鑑識としてその半生を生きた葉山宏三。
一人は刑事としてまだ日の浅い苦労の絶えぬ優男、竜延弥彦。
「これが発見されたガイノイドの義体パーツだ」
「見事に真っ二つ。高周波ブレードですか?」
「だったら断面は波層が構成されているはずだ。電子顕微鏡で覗いたが、綺麗なもんだ」
右手を軽く振り上げ、断面図の立体投影を拡大させながら展開する。
「じゃあ、レーザー?」
「だったら表面が高温で変形しているはずだ」
焦げ一つないその義体からは、レーザー兵器の使用の痕跡など見て取れない。
「じゃあどうやって・・・・」
思案にふけりつつ顎を撫でる優男。
「関係しているかどうかは分からんが、現場の床に大量に飛散していたものだ」
続いて空中に表示された何かの金属と思しき赤黒い欠片が複数。
「義体のパーツって事は?」
「現存するどの義体にもこの素材は使われていない。それにちと妙でな」
「というと?」
「この素材、恐らくは金属だとは思うんだが、錆びついてるんだ」
「錆び?」
一連の事柄と関連性が掴めぬといった表情の弥彦に宏三は説明を続ける。
「しかもその進行速度が尋常ではない。これは16時間前の画像だが、現物はもう残っていない」
「は?まさか完全に金属が腐食したと?そんなのあり得るんですか?」
「恐ろしく速い速度で金属が酸化したとしか説明がつかん。こんな現象は初めてだ」
ここまでで、得心が行ったのか弥彦は宏三に尋ねる。
「これが凶器に使われたという可能性は?」
仮説だが、と思案にふけりつつ宏三が応える。
「これが酸化する前はどんな形状なのか想像もつかん。だがもしそれが義体を切り裂くほどの靭性を有していたならば、可能性はある」
「いずれにせよ、もう知る手立てはないってことですね」
悲痛な面持ちの二人。だが二人を尻目に女性、矢来風李は即席焼きそばを啜っていた。
「んぐんぐ」
緊張感のない咀嚼音に、というより咀嚼音に緊張も何もないのだが弥彦は目を向ける。
「矢来さん…。いい加減にしてください」
苦言をものともせず、箸は止めず。我関せずを貫き通す。
「署内とはいえ鑑識ですよ?万一証拠品に油汚れなんて着いたら・・・」
「げぇーっぷ。ごちそうさまー。ビールぅー。ごくごく」
「はぁ!?ちょっと酒はまずいですよ!!」
矢来風李。立神警察署唯一の女刑事にして唯一の女署員である。
赤い長髪を腰まで伸ばし、世間が羨むプロポーションの持ち主なのだが。
如何せんその中身がすべてを台無しにしている非常に残念な女性であった。
「事件の全容は分からないし、上層部から捜査は止められるし、上司はこんなだし」
ため息をつきながら独り言つ弥彦。しかし、風李とて刑事である。
「まぁとにかく、地道に捜査してみますかー」
缶ビールを空にして立ち上がり、ジャケットを羽織りながら身支度をする。
「へ?捜査は止められてるんですよ?」
「へ?じゃあ来ないの?」
「行きます!」
今朝方の事だった。風李と弥彦はとある売春宿で起こった殺人事件の調査に向かった。
売春宿にも拘らず娼婦は一人としておらず、五人分と思われる人体のパーツがあるのみ。
だがそれも上層部の鑑識の報告であり、末端である立神署には遺体の写真すら渡されない。
結局渡されたのは売春宿に残骸として残っていたガイノイド一体のみである。
取り敢えずそれを立神署内の鑑識に回したはいいものの、目ぼしい情報は無かった。
「何の手がかりもなしにどう捜査するんですか?」
暗中模索。いや、まだ暗闇の中に目的のものがあればいいが、それすら怪しい。
「こんな下っ端にまで捜査停止処分するぐらいですからヤバイ案件なんでしょうか?」
「いや、それはないでしょ。いつものもみ消しのパターンと同じだし。寧ろ…」
「寧ろ?」
「もみ消しに使ったものの方がヤバイ奴だと思うなー。見たでしょ?義体の損傷」
「まあ、見ましたけど」
先刻見た股関節から肩口まで綺麗に寸断されていた義体の状態を思い浮かべる。
「事件の内容はだいたいわかるんだけど、わざわざあんなものを使うのが気になってねー」
「気になってって、結局どこ行くんですか?」
「取り敢えずあの売春宿に行こう。新発見があるかもよ?」
その足取りはどこか楽しそうだった。まるで新しい玩具を与えられた少女のように。
「やっぱり何も残ってませんね」
「ソファ、寝具類は当然。食器にカーテン、絨毯までか。徹底してるね」
「これだけした割に、義体一体送り付けるのはかえって気前がいいかもしれませんね」
「それが狙いだったんでしょ。こんな重要なの送りつけたんだからもう来るなってね」
伽藍道の売春宿は天井まで取り払われ、日差しが入り込んでいた。
日差しは朝方では確認が取れなかった床の痕跡を克明に映し出す。
「ここかぁ」
「は?」
風李は床のある点を注視した。大きく陥没している。まるで砲弾でも受けたような。
「なんですかね?」
「どう見たって攻撃痕でしょ。物が落ちた形跡も、ここだけ崩落した可能性も低い」
「攻撃って誰が、誰に?」
「床に穴開けたってんだから人間じゃ無理でしょ」
「じゃああのガイノイドが?」
「だろうねぇ~。見た目は少女型だけどこんな真似が出来るって事は違法改造されたやつか軍用かのどっちかだろうけど、それを一介の売春業者が仕入れるってのも納得がいかないし、大方安く裏ルートで買い受けたってとこかな」
風李は座り込み、適当に相槌を打ちながら穴の周りをのぞき込む。
「こっちからあっちに向けて放たれてる。仰角は、こんなもんか」
「あのう、結局どういうことですか?」
だいたいの見聞をすませたのか風李は立ち上がり、穴を見たまま呟いた。
「間違いないね。今回の事件、ガイノイドの始末をしたのは警察じゃない」
「……じゃあ、誰が?」
「それは分からないけど、堅気じゃないでしょうね」
「ちなみにその論拠は?」
「いずれにしろ普通の人間をガイノイドが殺すんならここまでの事はしなくていい。首を締めるか撥ねるかすればいいんだから。でもこれは跳び蹴りか何かの空中攻撃が外れた痕だ。わざわざ姿勢制御に負荷がかかる真似をするって事は恐らく戦闘用AIでも搭載されてたんだろうけど、ガイノイドにそこまでさせる人間が果たしているかどうか?」
「やけに詳しいですね」
刑事にしては研究員並の推察である。まあね、と事も無げに風李は説明を続ける。
「で、さっき言ってた誰にってのがその人間離れした奴って事なんだけど、そいつはこれを躱してる。と思う」
床は絨毯などのフローリング類が引き剥がされ、血痕の有無は確認できない。
だが他ならぬ風穴にその類が見て取れぬことからそう判断できる。
「少しでもひっかけりゃ大けがだろうからね。」
「あの、本当に訳が分からなくなってきたんで整理してもいいですか?」
「どうぞ」
「まず、この事件はガイノイドが混ざっていることを除けば普通の事件である」
「多分ね」
「寧ろ問題なのはこの事件にかかわっている第三者」
「組織の可能性もあるけどね~」
「で、そいつは戦闘用ガイノイドの攻撃を躱せるほどの化け物」
「ひょっとしたらそいつもガイノイドかも」
「ここで質問俺たちがすることは?」
「美味しいものを見つけて蓋をするってのはつまらな…罪深いとは思わない?」
たった二人の、雇用主の警察すら知らない極秘調査が始まった。