混在思惑
「どの位持った?」
「1分弱、といったところか」
「ふん。まあそんなものか。今後は耐久性と経秒劣化の抑制が課題だな」
来訪者に目もくれず、老人は奇妙な作業に没頭する。
左手で机に投影されたキーボードを叩き、右手で四角い鉱石のような物を弄ぶ。
黒一色のその物体は、特殊な工程を経て生成された高純、高密の金属である。
「こいつは研磨されれば最高の切れ味を誇る。だが完全に酸化すれば鉄クズだ」
「持って三手。それで仕留められれば話は別だがな」
「今回は偶々暴走していなかったからいいが、3体目も暴走、さらに別の戦略AIが積まれていればお前も危なかっただろう。いや、生命がではなく信用がね」
獲物が無くなったところで引けをとることなどありえない。
だが仕事に時間がかかるものは技術とは関係の無い所で無慈悲に信用を削られる。
「現状性能の引き上げは?」
「やっては見るが、それでも限界がある。何より経秒劣化の進行を抑えることが先決だ」
「信用している。今はな」
踵を返す銀髪の男、深界は時間の経過は信用の崩壊と示す。老人の言の意趣返しである。
「今より薄く表面を研げば…いや、刀身が厚くなれば空気に触れる面も大きくなる」
だがその程度で揺らぐほど老人は稀薄な人生を経ていない。
刻まれた皺は研鑽と苦難で深く掘りこまれ、眼光は鋭く厚く鈍く光る。
最新技術と伝統技法の融合をこそ今の刀の進む道と見出したこの老人。
深開を現代における剣客とするなら、この老人は現代における刀鍛冶である。
最新技術は金属を楽々と断つ高水圧、高周波振動の刃を生みだした。
本来ならば刀の存在理由は終焉し、伝統工芸として残されるのみであったろう。
芸術として飾り立てられ振られずじまい。それは刀のあるべき姿であろうか。
所詮刀は人切包丁。人を切るためそこに在り、人を殺してこそ意味を持つ。
川に放られた二振りの刀。一刀は舞散る木の葉を切り、一刀は撫でるのみに終わったという。
切るべき時に切ってこそ真の刀と論じられ、後者の刀が誉を受けた。
だが、刀としてその本分を全うしたのはどの刀であろうか。
「研磨鞘の回転率を上げ、より早く研磨してみてはどうか…」
老人は前者の刀となるべく、今日も今日とて研鑽に励む。
「失礼します」
「重役出勤とはいつからそこまで偉くなった?」
入室した深界に侮蔑を投げるは深界の属する「企業」のナンバー2。ラルフ・シュルツ。
「社長を待たせるなど一兵卒如きがしていいことではない」
睨め付ける様に動くその眼球は、蛇を想像させる。
「は、申し訳ありませんでした」
「謝罪が聞きたいのではない!誠意を見せろと…!」
「なに、別段気にはしていないさ」
なお一層の罵倒を遮る静かな女性の人声がラルフの口を噤ませる。
「社長、しかし」
「私がいいといっている。気にするな。すぐに声を荒げる様では器が知れるぞラル」
ラル、それは愛称だろうか。その呼ばれ方を受け、ラルフは大人しく下がる。
渋々という面持ちではあるが、どこか満足げな表情を浮かべている。
「さて、早速だが支倉。君と二人で話がしたい。構わないかね?」
「社長それはあまりに…」
新開が応えるよりも先にラルフは反論を述べる。
「これは極秘事項なんだ。知るべきはトップである私と、当事者たる彼だけだ」
「は、しかし」
「話をするだけだ。それとも、そんなに私が信用できないか?」
どことなく不安そうに眉を顰め、右手をラルフの頬にあてて社長は問うた。
社長、という顔ではない。一人の女の面を前に、ラルフは只々一礼し退室する他なかった。
「気分を害したかな?だがあれで可愛い奴だ。手なずけておくに越したことはないのだよ」
一転して微笑を浮かべつつも慈悲のかけらも感じぬ社長としての面貌を放つ。
「何だ?押し黙って。女に二面性があるなど茶飯事だろう。要は使い分けだよ君」
掛けたまえ、とオフィス中央のソファへの着座を求められ、深界は社長と相対して着席した。
「まずは任務御苦労。先方の要望に沿う形の理想的始末だったと言える」
電子データではなく、紙媒体の報告書を捲りながら社長は淡々と告げる。
漏洩の可能性を限りなく下げるため、社長は一切の情報を紙として保存する。
「生存者については既に保護を終えて孤児施設に送った。わが社の傘下のな」
その発言は如何様にもとれるが詮索する程の興味もなく、深界は無言で続きを待つ。
「ガイノイドの残骸は全て警察が押収した。3体ともな。ガイノイドの暴走事故で従業員を含む全入店者が死亡し、いずれもが民間人だった。そういう形でケリがつくそうだ」
身内が斯様な店に通うことを聞かされれば、遺族も事を大きくすることは無い。
後は生存した従業員と子供の口を塞げば事実上この案件は事故として片付く。
「無論君も口外無用だ。すれば契約通り抹消する。国籍から人権、生命までもね」
国際法的に見て明らかに非合法な契約ではあるが、そこに異論など深界には無かった。
「承知しています。それで、3体と仰いましたが」
核心に触れるその言葉を受け、社長の口角は吊り上がり、眼光は細められる。
「ああ。3体だ。あの店のガイノイドの形状を知る者はいない。君を除いて」
窓の向こう、摩天楼が放つ煌びやかな光を背に、社長は事の次第を話し出す。
「元々被害者の一人が秘匿回線で連絡したことで事件は警察の耳に入った」
上層部とあれば所轄を通さず一部の人間にのみ打診が出来る。
日頃危うい橋を渡り続ければその連絡経路は自然と構築されただろう。
「己の保身を優先するその態度は誇って良い物かどうか。まあ結果としてこうしてうまく事が運んだのだがな」
命よりも立場が崩れることを恐れた。いや、そもそも死など考えもつかなかったのか。
兎に角事件は秘密裏に報告され、極秘裏に片付けられた。
悲鳴と破壊音を聞きつけた野次馬や僅かの報道機関もその真意を知ることは無い。
情報秘匿は情報漏洩を防ぐ。臭いものに蓋をするのは警察の常とう手段であった。
だがそれが、それこそが付け入る隙となる。第三者の付け入る隙を許す。
中身を知るものがいないなら、中身をすり替えたところで影響はない。
彼らは変わらず厳重に中身を保管してくれることだろう。
「うまく事が運んだ、ということは社長はこうなることが予測できたので?」
そこまでしても得たもの。それがなんであるかは明白であり、その一点にこそ関心がある。
わざわざすり替えてまで入手した深界の連れてきた1体のガイノイドに他ならない。
「大方どこかの売春窟へと放り込まれているだろうと踏んでいた」
網を張り巡らし、情報が来るのを待っていた。そしてそれは図らずも理想的形で現れた。
「警察ならばその後の情報も漏れることは無いだろう。連中とて恥部に深入りたくはない」
メンツを重視する警察なれば不祥事潰しに余念はない。徹底した緘口令がしかれるだろう。
「完璧だ。一切の横槍なくアレを回収できた」
くくく、堪え切れぬ笑いが意味するものは、決して良い物ではないだろう。
「破壊でなく回収を命じた3体目。あれは我が社が探し続けたものなのだよ」
「こういうのは専門外なんだがね」
文句を言いながらマルチディスプレイを前に黙々と作業をする男。
「社長命令だ。首を跳ねられたくなければやるしかあるまい」
「それは社長の?それとも君の手で?」
「俺の手は社長の手だろうよ」
「俺もお前も社長の傀儡に過ぎないって事か」
「人形ならばいつ紐を切られても可笑しくないし文句も言えないな」
「最悪の会社だ」
冗談を交わしつつも作業は止まらない。だが男は深界を視界にとらえている。
男、天上操雲は視神経を丸ごと電子パーツに置き換えている。
アイカメラと操雲が常時アクセスしている監視カメラからの画像情報を直接脳に送り込んでいるのだ。
脳もその大半を電脳化―ナノマシンと人工海馬による脳のコンピュータ端末化―している。
故に過度の情報量に脳がパンクすること無く、操雲はダイレクトな状況認識が可能なのだ。
「今はどうなっている?」
強化ガラスを隔てた向こう。様々なケーブルに繋がれ鎮座する少女を見ながら深界は問う。
「スリープ状態。電力消費を抑えるために一部モジュールを除く全システム停止状態だ」
「補給されるまではこのままか」
「本当に補給が必要ならな」
「何?」
「プログラム上電力不足の場合に実行されるシステムだが今の電力でも運用に問題はない」
「損傷の可能性は?」
「外的損傷は無し。中身もきれいなものだ」
「ではこれは使用だとでもいうのか?」
「そうともいえん」
要領を得ない会話。だが操雲本人とて把握していないという事だろう。
「どういう事だ」
「義体はディファクトスタンダードだがスクリプトは独自のものだ」
「スクリプト加筆なんて珍しくも無いだろう」
「性能向上のためのものならな。だがこいつはノイズの一種だな」
「ノイズ?」
「マイクロプロセッサの処理能力に負担をかけてるのさ。これがスリープモードの元凶だ」
「なんだと?」
それはガイノイドという存在理念からしてありえない。
より高性能のエモーショナルシステムを構築してこそガイノイドは人に近づく。
ガイノイドは端的にいって性的嗜好品だ。人間味がある方が当然好まれる。
性行為に及んだ時限りなく真に迫った表情、吐息、行動は格好の興奮材料となる。
それを抑え込むシステムを組み込むことに意味性は感じ取れない。
「ガイノイドとしての必要条件をこの義体は有していない」
「それが闇に回った理由だとしたら?」
それはない、と操雲は即座に深界の意見を否定した。
「仕様通りなら何の問題も無いんだ。わざわざ加筆したって事はそれにこそ意味がある」
「ではコイツが闇ルートで売春窟に渡ったことをどう判断する?」
推測だが、と操雲は持論を展開する。
「恐らくこれはスクリプトですらない。つまり人為的につくられたものじゃないって事さ」
「ではこれは…」
「自然発生したバグ。システム内で生まれシステムを凌駕する意思とも言うべき存在」
バグとは人為的要素が介在してこそ生じるものだ。それが自然発生したとなると。
「感情ってことになるかな?」
「…高性能AIならまだしもガイノイドにそんなものが生まれる可能性があるのか?」
「発生過程を考えればその限りじゃない。種を作るのは容易じゃないが、種を植えることは比較的簡単だ」
「種…」
「人間の記憶や精神的成長の過程。それらを放り込めば可能性はある」
というより、と付け足し、操雲は初めて深界に向き直る。
「その可能性は君が一番良く知っているんじゃないかい?だって君は―」
言い終える前に深界は操雲の上衣を掴み引き上げる。
目は射殺さんばかりに開かれ、拳は軋みを上げるほど固く握られていた。
「とにかく、今は感情のような物が義体のAIに過度の干渉をしているという事。その負荷がかかって今義体は機能を停止、つまり人間で言う睡眠のような状態だという事。それぐらいしかわかっていない。どうかな。眠っているなら起こしてみては?」
首元を絞められ、怒気を受けようともその相貌は変わらず深界をのぞき込む。
後ろ手に素早くキーを叩き、強化ガラス室の扉を開ける。
「もし推論が正しければ、基礎プロンプトは正常のはずだ。呼びかければ応える」
ガイノイドは音声、挙措プロンプトで対象の求める行動体系を割り出す。
これはガイノイドが取り得る基本プロトコルだが。
「感情があるなら起こされ不機嫌になるかもしれない。下手を撃てば暴走だ」
極論だがその可能性は無いわけではない。
「どうせ社長に言われたんだろう?彼女を連れて来いと」
ここに来る目的などそれしかないと断ずる操雲に深界は反論などない。
「わかった」
強化ガラス室の入口を抜け、眠り義体に対峙する。
「おい」
通常のガイノイドならばこれだけで起動する。しかし―
「……」
義体は一向に起動しない。深界は語気を強め二、三度呼びかけるも起動しない。
「起きろ」
明確な口頭命令にも耳を貸さない。成程。確かに本来のガイノイドではありえない。
深界は躊躇しながらも右手をガイノイドに向ける。今攻撃されれば対抗不可能だろう。
だが、それをしても確認したい事象に突き動かされ、深界は義体頭部に手を乗せる。
良質な人口髪は手櫛でも問題なく通り抜ける程艶やかで柔らかい。
「おはよう」
そのまま頭頂部から左耳にかけて頭を撫でながら、深界は人間に言うように呟く。
普段の深界からは想像もできないこの発言は何を意味するか。
それは深界が己の性根を捻じ曲げ発した言葉なのかそれともこれこそが深界の―
「ん・・・」
時間が止まる。空間が切り取られる。まるでこの時を待ちわびたかのように。
まるで子供がするようにゆっくりと頭を上げ目元をこすり、目を開く。
『おはよう』。この言葉がキーワードとなっている可能性も捨てきれなかった。
「おはよう。あなたが私を起こしてくれたのね」
だがこの緩やかで流麗な言葉遣いはプログラムのなせる業であろうか。
だがこの微笑みはエモーショナルエンジンの到達しうる領域だろうか。
だがこの自然で優雅な動作は独自スクリプトでたどり着けるだろうか。
「お前は、何だ?」
呆然と、ただ聞くことしかできない深界に彼女は答える。
「私はマキナ。あなたが私を使うのよ?深界」
マキナと名乗った少女は、両手で深界の頭を包み込み、優しく抱擁した。
「だって君は―」
それをガラス越しに見ながら操雲は呟く。
「だって君はガイノイドに対する感情移植の第一人者なんだから」