曇天月下
恐らく、いや相当痛々しい文面ですのでご了承ください。
「さぁハダリ―。いよいよ君が生を受けるときがやって来た」 ―リラダン「未来のイヴ」―
日暮れまで降っていた泥混じりの雨水を跳ねながら、車のヘッドランプが夜霧を裂く。
居住区画を通り過ぎ、繁華街の奥の奥、とある建物へと真っ直ぐ向かう黒塗りの車。
「ロリコン御用達の売春窟だったんだが、その中にガイノイドが混じっていてな」
ガイノイド―。精巧に似せられた、金属フレームと合成樹脂の人間の模造品である。
「悪戯が過ぎた客を殺しちまって、それが原因で他の娼婦も含め籠城。事態は膠着状態というわけ」
運転席で煙草を吹かしながら、運転手は軽快に事の次第を話し始めた
「……ガイノイドの存在は前から?」
後部座席から響く。低く、冷たく、単調な、男の声。
「いんや。本物の粒ぞろいってのが店の触れ込みでね。まあ最近のは精巧につくられているからな。言われなきゃ人間かどうかなんてわかりゃしねえ」
ミラー越しに運転手は後ろに座る男を見る。長身痩躯の男だった。
夜に溶け込むかのような黒い外套、反して闇を打ち消す銀の髪。
運転手は水先案内人案内人であり、案内される者はこの男である。
「だがガイノイドは幼女型なんだろう。鎮圧は容易では?」
「そうしたいのは山々なんだがな」
苦虫を噛潰すように顔を歪め、運転手は言葉を濁す。
「警察というのも、ガス抜きが必要なわけで」
「ああ、成程」
皆まで聞かずとも意味は分かる。その売春窟には警察関係者がいるのだろう。
下っ端ならば切り捨てればよい。だが上層部の人間となればそうはいかない。
スキャンダルを防ぐため、事をあまり公にせず秘密裏に片付けねばならない。
警察部隊を動かさずに、ガイノイドを始末する。それが求められていることのようだった。
「数は?」
「従業員の話では3体。裏ルートで仕入れたらしくて随意出力は未調整。劣悪環境におかれることによる誤作動の可能性が高い」
ガイノイドは随意出力。即ち力の限界点が設けられている。その許容値を超えての自律運用は事実上不可能であるが、システムが正常に働かない状態ではその制限は意味を成さない。正式登録を行っていない闇ルートからの流出品はオフライン状態であるため、システムの更新が出来ないのだ。
「それと、確認は取れてないんだが、軍事ガイノイドの可能性もあるそうだ」
「それは始末が悪いな」
軍事、戦略的意図を以て開発されたアンドロイドは構造からして一般の物とは異なる。
外皮は衝撃吸収能力と耐水性に優れ、骨格はチタンがベースの特殊合金。
アクチュエーターはカーボンワイヤー3本を編み込み、自重の5倍の物を持ち上げられる。
「要約すると暴走中の手が付けられない怪物3匹がいるってこと。そんで、あんたにそいつらをブっ壊して欲しいってことだ」
話としてはそれだけの単純な仕事。断わる理由は無かった。
「事件発生からどれくらい時間がたっている?」
「2,30分ってとこか」
「もう死んでいるんじゃないのか。客は」
「それならそれでいいさ。あいつ等が死んだところで俺の安月給に変わりはない」
そのどこまで行っても平淡な様はある種の好感が持てると、男は運転手を評価した。
「っと、ついたここだ。まだマスコミも騒いでないな。じゃあ頼むぜ」
座席横のドアを開け、長身痩躯の男、支倉深界は渦中の建物へと歩き出す。
暗雲は晴れ、月光に照らされながら、立ち込める水煙の中へと男の影は消えていった。
小奇麗な廊下を歩く。室内の照明は消えており、最奥部までは窺えない。
「成程。魔窟だ」
怪物がいる。だが囚われの者も善良市民などでは決してない救いようのない穴倉。
道中、首の跳んだ死体をいくつか見た。恐らく大半は死んでいるだろう。
廊下を渡りきり、広間へとたどり着くと、深界はむせ返る鉄の匂いを嗅ぎ取った。
入り口そばのスイッチを押すがそれは照明のものではなく、天井を開くものだった。
天井が開かれ、雲の隙間から差し込む月光が部屋を照らす。
月の作る巨大なスポットライト。それは奥の蠢くものを照らし出した。
さりとて深界は緊張せず、左手の一振りの長物を握る力を弱めた。
その長物は若干の反りが認められ、柄のような握り手が施されている。
遠目からは日本刀と見まがうその在り様は、しかし近距離では相違点がいくつか見られた。
刀身が、無いのである。鈍器としては持ち入れるかもしれないが刺突、斬滅は不可能だ。
そして鍔に当たる位置に奇妙な器具がついている。刀には存在しえない現代的フォルムだった。
深界は左手のそれを右手に持ち代え、蠢くものに切っ先を向けた。
少女だった。両腕をだらりと伸ばし、虚ろな目は此方を確と凝視する。
ワンピースであったのだろう布きれは、その前方を赤黒く濡らしていた。
顔面には血とともに異物がへばりついている。髪、肉塊。あれは脳漿だろうか。
「それ以上来るな!来たら殺す」
少女の傍らから又一人の少女が現れる。警戒心か敵視か。いずれにせよ歓迎はされていない。
「生存者はいるか?」
深界は少女に訊ねた。
「女の子はみんな無事」
「客の方だ」
少女の言い終える前に深界は口をはさんだ。
「…あいつらは、何人かは生きてるんじゃないの?奥の部屋にいるよ。ジェシカとね」
「ジェシカ?」
「私たちの強い味方よ。そしてこの子はレーナ。この子が私を助けてくれたの」
話に聞く、過ぎた悪戯を受けた少女とは彼女の事であろう。
レーナと呼ばれたガイノイドは彼女を助ける目的で起動したということらしい
「セクサロイドに攻撃防衛プログラムは存在しない。という事はコイツは」
本来、嗜好品として最大の価値を持つガイノイド。使用者を殺しかねないなど論外だ。
だが、ある目的で作られたものならばどうだろう。嗜好品としてではなく、兵器として。
その答えがこの戦闘用ガイノイド。戦場で敵を欺くために使われる少女の形をした兵器に相違ない。
「アンタが何者か知らないけど、もし止めようってんなら容赦しない」
「お前たちはこの状況を望んでいるのか?」
「あの地獄に戻るよりはマシよ。このまま助かっても似たような場所に放り込まれるだけ」
その言葉は的確だろう。警察の不祥事の生きた証拠を、孤児院などに手放すわけがない。
監視の行き届く場所か、外へ情報が洩れないところ。売春宿へ流れるが道理だろう。
「アンタは敵?それとも私たち全員を助けてくれるの?」
少女の目は怒りに震えている。だがそれだけではなく、まるで縋るような目をしていた。
ひょっとしたらこの男は味方なのでは。少女らを助け、解放してくれるものなのでは。
幾ばくかの期待を含むその言葉は、しかし無下に切り捨てられる。
「俺はここの客を助け、ガイノイドを破壊するために来た。そこをどけ」
刹那の逡巡に少女は顔を伏せ、わかってたよ、と小さく呟いた。
「レーナ。こいつは悪い奴だ。私たちに酷いことする奴だ」
耳打ちするように少女はガイノイドに話しかける。
「ワルイ…ヤツ……?イジメル?」
「そう。だから、やっつけて!!」
瞬間、ガイノイド、いやレーナは駆動した。
「アガ、ギ、ググググ、ガ、ゲギャ」
言語プログラムすら正常に機能していないのだろう。
今、レーナにあるのは敵を抹殺するという戦略プログラムのみ。
無造作に振り上げた右腕を地面に叩きつけ、床は地割れのように崩落する。
無論そんな攻撃をすればレーナとて無事ではなく、右腕は内部フレームが露出していた。
アクチュエーターが引きちぎれ、駆動、潤滑、冷却を目的とした疑似血液が流れ出る。
だがそんなものは意に介さない。痛みを感じないガイノイドは泣かずして攻撃を続行する。
縦横に振りかざされる両腕を、深界は右手の獲物を振りかざしながら盾として用いる。反撃はしない。
2撃、3撃、4撃に差し掛かろうとした瞬間、レーナは右腕を振り下ろすとともに躰を前方へ傾け、右足を軸にし半回転しながら左足での上段蹴りを放った。
「ぐ」
深界は咄嗟に跳躍しつつ獲物を盾に、その一撃を防いだ。
恐らくは一撃による姿勢不安定化が目的だったのだろう。
先刻までいた位置にはレーナの右足が深々と突き刺さっていた。
地に足を着いた状態で受けていれば、地面に倒れ込んで心臓を右足で穿たれていただろう。
「単調な戦闘ではなく、戦闘スタイルを変容させる。その発動条件は3撃以上の膠着状態」
戦闘用ガイノイドは本来、戦場で民間人を装い接近した兵士を殺すという不意討ちにこそ真価を発揮する。
ガイノイドの容量の狭い脆弱なAIでは、複雑な戦闘データを十全に使用できないのだ。
故に長期戦をすればガイノイドはプログラムの底が見えてくる。
同じパターンを繰り返すか、パターンにフェイントを入れるか。
いずれにせよ最後の最後には技を出し尽くし、最初に戻る。
そのことをよく承知している深界は、レーナの攻撃パターンを把握し、転じて攻撃の姿勢をとる。
レーナが再度右腕を振り落そうとした瞬間、深界は獲物を逆手に持替え逆袈裟切りを放つ。
予期せぬ一撃にバランスを崩したレーナは後方に倒れ込む。否。
すんでのところで左腕で受け身を取り、後方へと跳躍する。
レーナの居たところには深界の獲物による深い一撃が見舞われていた。
それが先刻のレーナの攻撃に対する意趣返しである事はレーナには及ばない。
だが、傍らにいるガイノイドではない人間の少女には感じ取れることである。
それはガイノイドであるレーナの絶対的優位が揺らいでいることを明示する。
自体を把握した少女が次にとりうるべき行動は何であろうか。
答えは一つ。優位性を得るための増援。彼女のいうジェシカの招集である。
もう1体については不明だが、この場においては後回しにすることに深界は決めた。
「だがまあ…」
3体同時に相手取る、それが一番の理想なのだが。
「ナオミ!ジェシカを起こして!!レーナがやられちゃう!!」
後ろにまだ隠れ潜んでいたのであろう少女に、ガイノイドの機動を促す。
ナオミと呼ばれた少女はカーテンに遮られた部屋へと向かった。
勢いで棚引いたカーテンの奥には、死体によってつくられた溜め池が広がっていた。
“生存者は、望めないか”
一切のブレなく、ただ結果をそのまま受け止め、深界は一つの帰結を見出した。
“なら、遠慮は無用か”
右手の獲物の、鍔口に施されている引鉄の様な器具を指で軽くなでながら。
深界はこの日ようやく顔を歪ませほくそ笑んだ。人間味の無い不気味な笑みだった。
お付き合いいただきありがとうございました。
近日中に2話目を投稿する予定です。
痛さに耐えられた方には、ぜひともお読みいただきたく存じます。