第7話:あのこのどの絵
「あの絵とは?」
「あの絵は、あの絵だ」
酔っ払いのおっさんか?分かりにくいしハッキリ言えばいいのに…、何で濁すんだろう?
「あの絵は俺が思っている以上に人を引き付けるはずだ。 今だからしか描けない、絵を描いている人にしか伝わらないかも知れないが、あの絵は大切だ、あの絵はもう二度と描けない、描いちゃいけない絵なんだ」
描いちゃいけない絵。
それから涼平は電話の途中で眠ってしまったようだ。
「もしも〜し、おーい涼平」
呼びかけても返事がないただの屍のようだ。
そう頭の中で唱えて僕も意識が薄れるのを、やんわり感じながら、やんわり感じながら……。
昨日はあまり思い出せない。
寝てばかりの実に充実した時間の使い方をしたからだろうか?
でも大切と感じている部分、想いはしっかり覚えている。
ベッドの上で枕を抱きながら、ぼんやり窓の外を眺めた。
雨か…。
今日が始まる朝一番に雨が降っていると、色々と削がれて憂鬱なスタートを切ることになる。
けれども僕は雨が好きだ。
この雨の中、憂鬱になっていないのは僕だけかも知れない。
階段を下りながら考えた。
毎年秋頃、県立美術館で盛大な美術展が行われる。
僕は毎年それに作品を出展している。
今回もその為に絵を描いていたのだが、上手く描けない。
しかも、絵を教えてくれている先生にも絵を批難され自信を無くしていた。
けれど、涼平は当たり前のように過ごした。
自分が絵を描くことが出来ないのに、出展する絵や僕の事ばかり気にかけて…。
もう涼平は絵が描けない。絵が描けないんだ。
玄関前を通り過ぎ洗面所に向かう。
涼平は絵が描けない。
何て苦しいんだろう?何て悲しいんだろう?どうして涼平は笑ってられるんだろう?
耳を澄ませば聞こえる雨の遮るような繊細な音。
その一つ一つが溢れ出して、なのに涼平は髪を乾かすこともしないんだね。
雨が大地に辿り着くのを一秒でも早めたいのか知らないけれど、僕はそんな涼平を放って置いたんだね。
涼平がびしょ濡れになっていても傘を貸すこともなく、でも自分が雨に晒されそうになると涼平に傘を開いてもらうんだね。
僕は改めて最低だな。
でも涼平は僕にしか支えることは出来ないと言ってくれた。
僕は涼平に何をしてやれるんだろう?