第5話:睡眠不足
涼平は眠ってしまった。
こうして涼平の寝顔を見ていると、まだまだ子供なんだと思う。
あんなに綺麗な絵が書けても、勉強が出来ても、それは僕らの小さい世界での出来事。
僕は筆を取った。
毛先がボロボロになった筆には、朝の黒がこびりついていた。
黒く埋め尽くされたキャンバスは涼平が捨ててくれたのだろうか?
ここに無いということはそういうことだろう。
僕はまだ絵が描けるだろうか?
静かにキャンバスを手に取り床に座った。
胡座をかいてキャンバスを寝かせ筆を取る。
描く絵は今。
今この時を描きたい。
僕はキャンバスに色を載せた。
すーっと染み込む綺麗な茶色。
下書きもしないでただ色を付けていく。
「…描ける」
「描けるよ」
僕はキャンバスに涙を落とさないように描き続けた。
次の日、僕らは学校が始まると同時に逃げ出した。
朝は先生がうろついており、その後生徒達がわらわらと押しかけて来る。
人の網を潜り抜けることも出来たが、うっかり友達に会うと言い訳に困ってしまう。
揚句の果てに学校に逆戻りなど冗談では無い。
睡眠不足の体は、かなりバランスが悪く、立っているのがやっとだ。
僕等はホームルームの時間を見計らって学校から逃げ出した。
悪い事をしているのに、ついつい笑みが零れる。
涼平と笑い合いながら家路を急いだ。
涼平といつもの場所で別れ、僕は親への言い訳を考えた。
正直に話しても良いのだが、今の脳ではうまく説明出来ない気がした。
考えても考えても言い訳の理由は思い浮かばず、最終的には家の前で思考停止状態で突っ立っていた。
あー、もう面倒臭い、適当に言って、その場を凌げればそれで良いのに…。
取りあえず寝よう。
言い訳は起きてからすれば良いや。
玄関を開けると、母がいつもの感じで出迎えてくれた。
「涼平くんの家に泊まるなら先に言いなさいよね…、今日学校休むんでしょ? さっさと着替えて寝なさい」
そう言って母は奥へと消えて行った。
状況を飲み込めずに部屋に戻ると、インターホンの音が鳴った。
窓から玄関を覗くと、涼平と涼平の母親らしき人が立っていた。
涼平の母親は死んだはず。
でも涼平の隣に居るその人は、涼平の母親にそっくりだった。
数える程しか会ったことは無かったが、僕の覚えている涼平の母親は、今玄関前に立っているその人だった。
僕の視線に気付いた涼平はひらひらと僕に手を振った。
それを見た涼平の母が軽く頭を下げた。
そのうち玄関は開き、二人は中に入って来た。
直ぐさま涼平を部屋に招き入れ話を聞いた。
「ビックリした?」
あっけらかんとした対応、僕が一人騒いでいるのが馬鹿みたいだ。
「あの人は母親の双子の妹で、おばさんというものだ」
涼平は説明口調で淡々と続けた。
「昨日のうちに、おばさんに電話して、樹の家に電話してもらうように言っておいたんだ」
なるほど…。
「おばさんは全て知ってるんだ…」
僕は涼平の言う
「全て」とは、どこからどこまでを指すのかイマイチ分からなかった。
「おばさんは冷蔵庫に入ってる母親を見て、泣いてたよ…、すごく泣いてた…、同じ顔をしてるもんだから母親が泣いてるもんだと勘違いしたよ。」
涼平はベッドに横になりながら続けた。
「おばさんは仕方ないと言ったんだ。 父親が死んで、父親を恨んで、母親が冷蔵庫に入り、自分を恨んだことを…、だから涼平は悪くないと…、だから今日から涼平の母親になるからって、おばさんは言ったんだ」
事態が飲み込め無い。
脳が停止寸前だからだろうか?