第3話:雨のち雨
こんなに太陽が眩しいのに心に光は一切差し込まない。
心は靄でいっぱいだ。
学校に向かう道の途中、いつも涼平と待ち合わせている何もない道の途中。
入り組んだ道、ちょっとだけ坂になっている道の一歩手前。
待ち合わせの場所。
早く家を出たせいか、涼平の姿は無かった。
僕は足を止めること無く進んだ。
今、涼平に会っても僕は何も出来ない。
殴りたいかも知れない、それ以上に殺したいかも知れない、けれど涼平を前にすると躊躇うのが自分でも分かっていた。
憎い?と思う。
自信は無いけど涼平を嫌いになろうとしている。
それが、靄を纏う前か靄を纏った後かはイマイチ分からないけど…。
考えながら歩いていると学校を目前にしていた。
靴を履き替え中に入るが、生徒の姿がいつも以上に少ない。
時計を見ると、まだ七時になったばかりで、一時間ばかし早く登校したらしい。
頭が冴えていると思っていたのに、とんだ馬鹿さに笑えた。
一時間何をしよう?と 考えるより足が動いた。
美術室。
僕にはそこしかないから。
玄関から体育館横を通り美術室に向かう。
途中、窓から見える空の雲行きが怪しくなっていた。
今にも降り出しそうな雲色に
「帰りは雨かな?」と呟いた。
今度は足を止めて窓の外を見つめた。
「帰りは雨かな?」
「雨」
呟いて淋しくなる。
窓の外に広がる中庭の景色も、今にも降り出しそうな雲色も、誰も居ない廊下も、後数十歩歩けば辿り付く美術室も、全て涼平が隣りに居ないと成り立たない。
僕はこの世界の主人公じゃないんだ。
靄が一層濃くなった気がした。
美術室のドアを開くと独特の油の匂いがした。
慣れてしまった油の匂いは特別な証。
学校は元々油絵の教育など一切行っていない。
たまたま、僕が書いた油絵を校長か誰かが目にし、特別に学校の美術室を使って作品作りをして良いと言われたのだ。
嬉しかった。
しかし、割り当てられた部屋は美術室とは名ばかりの、牢獄のような汚い部屋だった。
それでも僕は嬉しかった。
涼平を頭一つ分ぐらい追い抜いた気がしたから…。特別待遇してもらい、特別に部屋まで用意してもらい、特別に美術の先生が絵を教えてくれる。
それが涼平を上回っている証だと、そう思っていたから。
けれど涼平の絵を見たとき全てが崩れ去った。
あの絵…、あの海を描いたあれは、僕を幼稚で自惚れた存在だと自覚させた。
サ―ッと竹が擦れるような音がした。外では雨が降り出していた。
美術室の窓から見る今日の雨は心に響いた。
絵を描こうと思った。
心に響いたこの瞬間を絵に残したいと思った。
絵を描けばきっと涼平への憎しみも黒い靄も何もかもが消える。
きっと今まで同じ日々が続き、僕らはずっと友達でいれるはず…。
僕は心から願って筆を握った。
けれど、それを黒い靄が許さなかった。
僕の思い描く雨粒色は繊細で透明で…、なのに僕がパレットに出した絵の具は黒色。
自分でも何がどうなっているのか分からない。
使い続けている同じメーカーの絵の具。
左から順番に絵の具の名前も言える。
間違うはずがない。
僕は左から十二番目のターコイズブルーをとったはず…、なのに何で僕の手には一番右端にあるはずの絵の具を持っているのだろう?
容器の中にある絵の具に手を伸ばそうとしたが思うように体が動かない。
吐く息が熱い、熱があるのか体中が汗ばむ、視界が霞む、朦朧とする意識の中、僕は筆を握り締めた。
僕の右手には黒い靄が絡み付いて、筆を握らせていた。
立ち上がろうとしたがやはり体は動かない。
右手も左手も足も口も声さえも出せないし動かせない。
朦朧とする意識の中で微かに目を開いているので精一杯だ。
目の前に置かれた真っ白なキャンバスに助けてと願い続けた。




