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月をナイフに  作者: 倉永さな
《七》月をナイフに
60/67

02

┿─────────────┿


 落下速度を落とすことも、落ちたときの衝撃を吸収させるなにかも、なんの手段を持たない真珠は、このまま落下時の痛みを覚悟した。

 痛いのは仕方がない。ただ、死んでしまわないことを祈るしかなかった。

 生きて地球に帰って、琥珀の側に戻ること。

 今の真珠の願いは、ただそれだけだった。


 無情にも真珠の身体は地面へと近づいている。降下しながら、なぜかしら鳥肌が立ち始めていることに気がついた。

 最初は訪れる痛みに対して怖いからかと思ったのだが、どうもそれとは違うようなのだ。

 ぞわぞわとした感覚に覚えがないわけではなかったが、とっさには思い出せない。

 幸いなことなのか、運悪くなのか。真珠が落ちようとしている辺りは高い木がなく、更地に近い場所。下草は生えているが、緩衝材になるわけもなく。

 これなら、森の中に落ちた方が助かる確率が高かったかもしれないのに。

 そんな恨み言を思いつつも、真珠の身体は地面へと迫り、痛みを覚悟した。怖くて真珠はぎゅっと目を閉じた。


 真珠の身体は地面へと叩きつけられた。

 ……のだが。

 ぞわわっと鳥肌がさらに立ったのに、身体には痛みはまったく走らない。

 痛みは遅れてやってくるのだろうかと思い、数秒ほどそのまま待ったのだが、なんともない。その代わりに、痛いくらいに全身に鳥肌立っている。

 恐る恐る、目を開けても、目の前は真っ暗だ。

 もしかして、死んでしまった?

 痛みを感じるよりも早くに死んでしまうとは、どういうことなのだろう。


『相変ワラズ、オカシナことを考エル』


 聞き覚えのある声だが、だれのものだろう。

 真珠はきょろきょろと辺りを見回したが、暗くて見えない。声の主の気配はあるが、方向が分からない。


『我ノ身体が傷つクのは困ル』


「へっ? 我の身体って! こっ、この身体はぼくのもので、こ、琥珀に捧げるんだからっ!」


 と真珠は口にして、カーッと頬が赤くなったのが分かった。


『相変わらずノ邪念……』


 真珠の周囲を覆っている暗闇が、ゆらりと揺れたような気がした。


「あ、思い出した!」


 この感じ、どこかでと思ってずっと悩んでいたのだが、ようやく思い出した。


「ここに来たときに話しかけてきた……って。あんた、だれ?」


 真珠は相手の正体が分かっていながら、そう問いかけた。


『我は……』


 暗闇はさらに揺らいだ。


「ねえ、もしかしないでも、ラーツィ・マギエ?」


 その途端。


「うわっ!」


 真珠を取り囲んでいた暗闇は急速に縮み、お尻に鈍痛を感じた。放り投げられた、といった状態だった。


「ったぁ。もう、いきなりなにを、っ……?」


 真珠の視界は急に色を取り戻したことでまぶしさを感じ、目を閉じた。


『我は……そう、ラーツィ・マギエ』


 空気が揺らぎ、真珠の肌は再び粟立った。


『我は、肉体を持たぬ。おまえの身体が欲しい──』


「やっ、やだっ! だからっ! あたしの身も心も琥珀のものなのっ!」


 真珠はきつく頭を振り、目を開けた。目の前には、形のない黒いモヤのようなものが揺らめいている。どうやらこれが、ラーツィ・マギエのようだ。


「この身体はあたしのものだし、琥珀のものでもあるんだからっ!」


 真珠は地面に投げ出されたときに打ち付けた尻をさすりながら、立ち上がった。


「あたし……っ、違うっ! ぼ、ぼくを助けてくれたことは、感謝する。あのままだと最悪、死んでいたから」


 なにはともあれ、ラーツィ・マギエは真珠を助けてくれたのには変わりないので、素直にお礼を述べた。


「でも、身体はあげられない」


 ゆらり、と目の前の暗闇が揺れた。


『我は──眠っていた』


「眠っていた?」


『我の半身を探していたのだが、見つからない。探し疲れて、眠っていたのだ』


 真珠はこの国に伝わる神話を思い出した。

 ハザヴァーナアイジナが世界を生んだ話を。

 ハザヴァーナアイジナは二つで一組になるように生み出したが、ラーツィ・マギエだけは昏い場所から勝手に生まれたため、一つしか存在しないという。


「だって、半身は最初からいない……んでしょ?」


『いないはずない。我が闇から生まれるとき、確かに半身の気配が──』


 ラーツィ・マギエの声は、そこで途絶えた。そして目の前にあった暗いモヤが霧散した。


「っ!」


 真珠はとっさに、飛び退いていた。


「さすが救世主さまですわ」


 ふわり、と重さをまったく感じさせない身のこなしで、空からアメシストが降りてきた。


「でも、それが仇となりましたわね」


 真珠は目を見開き、アメシストを見た。

 なにかがおかしい。

 神様の屋根サンブフィアラで初めて会ったときと変わらないはずなのに、なにかがずれている。


「悪運が強いのもどうかと思いますわ」


 真珠は反射的に身体を丸め、右側にごろりと転がった。

 シュッと空気を裂く音が左からする。


「思ったよりも手応えがありますわね」

「やっ、ちょっ! ちょーっと待って、アメシストさま!」


 真珠は訳が分からなかった。

 どうして、あの今にも消えてなくなりそうなほど儚いアメシストが、真珠に対して攻撃をしてくるのだろう。

 しかもおかしなことに、モリオンとルベウスに襲われた時や、道々で出会った獣たちとは違い、殺意をまったく感じないまま。


「あなたがいたら、ラーツィ・マギエが『完全』になってしまいますわ。それでは、困るのです」


 ラーツィ・マギエが完全に?

 それは半身が見つかる、ということなのだろうか。


「半身が見つかったらもう、ラーツィ・マギエは暴れ……」


 シュッとまた鋭い音がして、真珠の左頬がカッと熱くなった。遅れて、頬になにか熱い液体が伝う。


「大人しくなられては、困るのですよ」


 ふふふっと以前と変わらぬ笑みを浮かべ、アメシストは真珠を見下ろしていた。

 その変わらなさに、真珠の背筋にぞっと冷たいものが伝う。


「平穏な世界には、わたくしは要りません」

「そんなこと……」

「いいえ。要りませんわ。争いもなく、飢えも苦しみも悲しみもなければ、わたくしは祈らなくてもいい」

「…………」

「世の中が平穏なら、わたくしの存在意義など、ないではないですか」


 アメシストは胸の前で両手を組み、かすかに首を傾げた。


「わたくしだって、年頃の娘です。他の人のように、恋をしたい。でも……それでは、平穏な世界になれば? わたくしは用なしになってしまいますよね」

「そんなこと……!」


 あるわけないはずだ。


「そんなこと、ありますわ。だって、シトリンは……。世界が平穏になってきたからと、アレクと共謀して、わたくしを亡き者に」

「そんなっ!」


 真珠は強く首を振って、アメシストの言葉を否定した。


「だって、あなたも見たでしょう? アレクがわたくしを足蹴にして、額の水晶をたたき割ろうとしたところを」


 そう言われ、真珠は言葉に詰まってしまった。



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