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月をナイフに  作者: 倉永さな
《六》幻影世界へ
54/67

06

┿─────────────┿


 モリオンの一言に、しかし、真珠は顔を上げることが出来なかった。

 今は反論するだけの気力が真珠にはなかったのだ。


「モリオンさま! 何度も違うとっ」


 その代わり、マリが真珠をかばうように反論をしてくれている。


「モリオンさま、違います! アメシストさまも違うと……」


 モリオンはアメシストの名前に強く反応を示した。


「アメシストが? 純真無垢なアメシストが、ラーツィ・マギエの真の正体を知っているとでも?」


 吐き捨てるような言い様に、しかし、マリは怯むことなく言い返した。


「アメシストさまはシトリンさまの代理ではありますが、現在はこの国のラーヴァであります。ラーツィ・マギエのことを一番分かっていらっしゃ……」


 マリはそこで言葉を止めた。

 視界の端に先ほどまで真珠が映っていたはずなのに、いつの間にかいなくなっていた。


「……カッシー?」


 マリは慌てて周りを見回すが、マリよりは身長はあるが、モリオンとルベウスに比べると小さい姿が見あたらない。しかも、ルベウスもいなくなっている。


「モリオンさま! カッシーとルベウスが」

「……放っておけ」

「しかし!」


 モリオンは空を見上げた。東の空から月が昇ってきているのが見えた。


「カッシーは逃げた。ラーツィ・マギエだと言っているようなものだろう?」

「違いますと……」

「違わないだろう? オレたちをこんな訳の分からない場所に誘い込んだのはあいつだ。だからルベウスが追ってるんだろう」


 違うとマリは反論をしたかったのだが、なにを言っても今のモリオンには通じないと悟り、口を閉じた。


「モリオンさまがそんなに頑なに思っていらっしゃるのなら、わたしはこれ以上、なにも言いません」


 マリは大きく頭を振り、辺りを見回した。


「カッシーがラーツィ・マギエであろうがなかろうが、探さないとわたしたちは帰れません。ルベウスもいなくなりましたし、わたしは探しに行って来ます」


 マリはそれだけ言うと、モリオンの返答を待たずに走り出した。


┿─────────────┿


 真珠はというと、自分が地球に存在しているということを確かめるため、マンションへと走り入っていた。

 自分がラーツィ・マギエというわけの分からないものではないという証拠をモリオンに突きつけるためだ。

 マンションの入口に立つ。

 きれいに磨かれたガラスの扉。辺りの光を照らして反射していて眩しく感じる。いつものように目を細めて、真珠はなにか違和感を覚えた。それがなにか分からず、取っ手に手を伸ばし、扉を押そうとして……。


「え……」


 その手はすかっと空を切り、すり抜けた。

 訳が分からずにいると、真珠の身体はガラスの扉を通り抜け、中に入っていた。


「なにが……どうなって」


 そういえば交差点に立った時も、周りの人たちや車にぶつからず、すり抜けていった。今もいつもならそういえばガラスに自分の姿が映るのに、真珠は映らず、後ろの風景しか見えなかった。これが違和感の正体だったようだ。

 ということは、今の真珠の存在は幽霊みたいなものなのだろう。

 と真珠は自分をそう納得させた。

 ガラスの扉の先は、鍵がなければ入れない空間になっている。今の真珠はその鍵を持っていなかったので、通り抜けられるのならそれはありがたかった。

 真珠はすり抜け、マンションのロビーへと出た。

 ここは吹き抜けになっていて、しかも外光が取り込まれるような設計になっているので明かりが付いていなくても明るい。

 真珠は上を向き、自分の記憶と変わらないことを確認した。

 ロビーを抜けるとエレベーターホールになっている。エレベーターはどうやら五階で止まっている。珊瑚が乗って帰ったのだろう。

 真珠はエレベーターを呼ぶためにボタンを押そうとして、指が壁にめり込んで焦った。

 そうだった。物体がなぜか通過していくのだったのだ。

 ということは、真珠は階段を使って五階まで上がらなくてはならないようだ。

 階段を上ることを想像して、真珠は大きくため息を吐いた。正直、上りたくない。

 上らなくても済む方法がないかと逡巡して、一つ、思い当たることがあった。

 そうだ。

 郵便受けの名前を確認すればいい。

 真珠はロビーから入口に戻り、表に回って郵便受けを見ることにした。

 郵便受けには必ず入居者の苗字を出しておくのが決まり事になっていた。

 真珠の記憶の中では、貝守家は五○一、香椎家は隣の五○二。

 だから五○一に「貝守」の名前を見つけた時は安堵したのだが、五○二を見ると、知らない苗字が当たり前のように貼られているのを見て、真珠は叫びそうになった。

 嘘だ。

 貝守家の隣はずっと香椎家だ。

 真珠は自分の記憶違いではないということを確認するため、マンションの中へと走って入り、逸る気持ちを抑えつつ、階段を五階まで昇った。

 心臓が飛び出してきそうなくらいどきどきといっている。

 これは一階から五階まで一気にのぼったからだと真珠は自分に言い訳をして、動悸をおさめようとしたが落ち着かなかった。

 階段をのぼりきり、息を整える時間も惜しくて五○一の扉の前に立つ。

 表札は出ていなかったが、真珠の覚えのある扉だ。大きく息を吸い、真珠は扉に体当たりをするようにして中へと入った。


「……お邪魔……し、ます」


 思い切って入った割りにはそんなことを呟いてしまうあたり、小心者だなと真珠は思う。

 玄関内は真珠の記憶にあるままだ。入った左側に造り付けの靴箱があり、上の少し開いた空間に珊瑚が集めているグッズが所狭しと並べられていた。マメに掃除をしているようで、埃は見当たらない。

 玄関の三和土部分には帰ってきたばかりの珊瑚の靴がきちんと揃えて置かれているのもいつもの光景だ。普段ならその横に真珠の靴が並んでいるはずなのに、当たり前だがない光景に淋しさを覚えた。

 真珠は癖で靴を脱ごうとしたが、思いとどまった。どうもここでは自分は「いないもの」扱いになっている。律儀に靴を脱いでも仕方がないのではと、抵抗はあったがそのまま土足で玄関ホールへと足を踏み入れた。

 入ってすぐ、右側に扉が見える。この中は琥珀の部屋だ。入って確かめたい衝動に駆られるが、真珠は振り払うように大きく頭を振り、引き寄せられる身体をどうにか引きはがし、廊下を先に進むことにした。

 洗面所と風呂があり、廊下を挟んで手洗いがある。やはりそこも記憶通りだ。

 そして扉があり、その先がリビング・ダイニングに珊瑚の部屋と二人の両親の部屋がある。今の時期はこの扉はきっちりと閉められていて、磨りガラス越しに向こうの様子がぼんやりと見えるが、よく分からない。

 真珠は中に入るために扉の取っ手に手を掛けたものの、やはり手をするりとすり抜けていく。

 手を伸ばすとそこに扉があるはずなのに、まるでないように真珠の身体を通り抜けた。

 扉を抜けると、見慣れた風景が真珠の目に飛び込んできた。

 横長のリビング・ダイニングで、入ってすぐに目につくのは、ダイニングのほとんどを占拠している立派なソファセット。これは琥珀と珊瑚の父がこだわった品ということで、真珠は何度もどういった経緯で手に入れたかという自慢話を聞かされていた。

 海外出張先で一目ぼれして衝動買いしたという話で、それで琥珀と珊瑚の両親は激しい夫婦喧嘩をしたという。珊瑚が辟易した様子で話をしてくれたし、夫婦喧嘩をしたという夜、隣の部屋までそれらしき声が聞こえてきたのだ。その後、しばらくものすごく琥珀と珊瑚の母は機嫌が悪かった。

 しかし、いざ、喧嘩の原因となったソファが到着したら。

 どうやら琥珀と珊瑚の母も気に入ったらしく、機嫌が直ったのだ。

 確かにとても座り心地がよくていいソファだ。ソファは三人掛けと二人掛けと一人掛けがセットになっていて、真珠は二人掛けソファが定位置になっていた。琥珀と珊瑚はそこが真珠の定位置と知っているので、そこに私物を置くことはない。

 だが、今はその真珠の定位置に珊瑚の私物と思われる荷物が置かれていた。

 その光景を見て、真珠はなんだか複雑な気分になった。

 真珠は地球で生まれ育った。琥珀と珊瑚の側で──。

 だけど今、真珠の目の前に広がっている光景は、真珠がいたという痕跡が一つも見つけることが出来ない。

 心の拠り所であったはずの場所なのに、それがまったくない。

 どういうことなのだろうか。

 信じられなくて、真珠は大きく頭を振った。



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