サンドバックは二度死ぬ
近未来、脳科学が発展に次ぐ発展を遂げ、ある一つの到達点を見出した。それはVR技術と呼ばれるもので、人間の五感を完全にVRの世界に再現することができるのだ。
新しい技術は世界の様々な産業、特に第二次、第三次産業に大きな影響を与えた。
その波は日本のゲーム業界にも到来した。VR技術を使ったゲームの登場が既存のゲーム機及びゲームソフトを日陰へと追いやった。
旧来のゲーム方式の方が良かったとの声も上がったが、名作と呼ばれるゲームソフトを、VR技術を使ってリメイクしたことによって、その声も下火になって行った。
子供のころ、ゲームが好きな人だったら誰もが考えるゲームの中の世界に行きたいという願いが、叶えられたのだから必然ともいえた。
VR技術はさらなる広がりを見せた。
インターネットを介し、世界中の人々とゲームを楽しむことのできる多人数参加型ゲームMMOが登場した。
二一世紀初頭のMMOでは決して味わうことのできない、臨場感、興奮、スリル。そしてなによりも、言葉の壁のない人との繋がりがそこにはあった。
ソロでは決してクリアすることのできないクエストは、みんなで力を合わせる。困っている初心者プレイヤーがいれば、熟練したプレイヤーが手ほどきや、いらなくなったアイテムをあげたりする。
世話になったプレイヤーは自分が成長した時、別の初心者プレイヤーに恩を返すのだ。
MMOを初めとしたVR技術は人と人との繋がりを補助する役割も担い始めた。
事実、VR技術が一般的になり約十年、日本国内の未婚者数が十%低下したとの報告があったくらいだ。
そしてVR技術が一般化され、人の生活に溶け込んでから数年後、あるゲームが発売した。
それはRWWと言った。
RWWはFPS(一人称視点シューティングゲーム)にしては非常に高い自由度を誇るゲームだ。プレイヤーにはまずランダムで、一八ある内のどこかの都市に割り振られ、そこを拠点として活動することになる。
従来のように小銃を手に持ち戦場を駆け巡るのもよし、航空機を乗り回すのもよし、都市に引きこもり、新しい建築物の構造や内装を一から考え、都市の発展に情熱を注ぐのもよしである。
そしてRWW内で仲間を作り、クランを結成し、各都市ランキングそして全都市総合ランキングで上位を狙ってみるのもいいかもしれない。
一〇〇人いれば一〇〇人通りの楽しみ方がある、それがRWWである。
日本の学生、武宮 恭二はほぼ毎日VRMMOFPSのゲームRWWにログインし、フレンド登録した癖のある愉快な仲間と共に世界中の戦場を飛び回っていた。
恭二はゲーム内でクフィと名乗っていた。
恭二ことクフィは仲間と共にクラン《ボルボックス》を結成していた。RWWではちょっとした有名クランで、登録数約五〇〇〇のRWW全世界クランランキングにおいて加盟数一〇〇名以上の大規模クランでなければ不可能と言われたトップ九十九入りを三〇名という中規模クランで達成し、度を超えた廃人プレイヤーたちの集まりとして知られていた。だが、それは課金によるものではない。
確かに、RWWには課金武器と言う通常より威力が高い武器が存在するが、所詮武器は武器、所有者の実力が伴わなければ無用の長物になり果てる。
しかも、FPSをプレイしたことのある人ならば解ると思うが、フィールドでの遭遇戦は大抵の場合二秒と掛らずに終了し、勝敗が決まる。
つまり、ただ課金をしただけのルーキーのUNKO課金弾など、まず当たるものではないし、銃を撃つ前に、逆に撃ち殺されてしまうだろう。
実力と仲間との結束力が無ければRWWでのし上がって行くことはできないのだ。
そんな恭二ことクフィは今日もまたRWWにログインしていた。
腕の中にある、この小さめなM4がとても頼もしく思える。ダットサイトに相手の頭を捉え引き金を引く時、クフィはいつもそう思うのだった。
クフィはスッと引き金を引いた。パンパンパンと連続で銃口から光と銃弾が飛び出した。
ここで打ちすぎてはいけない。RWWの仕様でこのM4は五発撃つと途端に銃のブレが大きくなり無駄弾を撃つことになる。
クフィが放った銃弾三発は相手の頭に吸い込まれ、赤いしぶきを上げた。
相手ことユーザー名サンドバックはそのままのけ反るようにして地面に倒れ伏した。
「サンドバッーーク!」と現在狭い通路で銃撃戦をしている相手のクラン《ブルちゃんズ》の誰かが叫び声を上げた。
その瞬間、相手陣地の柱の陰から黒く大きい銃が現れた。クフィは銃口がこちらを向いているのを見てとっさに柱へと体を引っ込めようとしたが、わずかに遅く、腕右に一発もらってしまった。
クフィの視界が一瞬にして真っ赤に染まった。
RWWではダメージを受けると視界が赤く染まる。ダメージが軽ければ視界の端に血痕が付く程度なのだが、ひん死の状態まで追い込まれると赤い下敷きを通して見ているかのように視界が赤くなる。
クフィはこのダメージ量と先ほどから止まることなく撃ち続けられている豊富な装弾数からM60かミニミなどの軽機関銃だと推測する。
クフィは柱と左側の壁に体を押し付け、うずくまりダメージの回復を待った。クフィが隠れている柱の側面に線を引いたような弾痕がいくつも刻まれる。
RWWでのダメージ表記は、ダメージを受けてからダメージ量に関係なくおよそ五秒で全回復する。これでは何時までたっても勝負が決まらないかと思えるが、正面からの撃ち合いになれば大抵一秒以内に勝敗が決定する。もしクフィがあと少し判断に迷っていたなら胴体か腕に二発の弾丸を受け死んでいたことだろう。
ダメージが回復したクフィは視界の端に表示されたマップに二つのアイコンがこちらに接近してくるのを確認した。クフィはとっさにM4を構え、柱から上半身のみを出して引き金を引いた。
ダットサイトの中心にとらえた相手が崩れ落ちる。クフィは柱から躍り出ると銃を腰の位置で構え、ダットサイトを覗くことなく撃った。
クフィは腹に鈍い衝撃を感じた、すぐさま視界が赤く染まる。だが、クフィが倒れることは無かった。相手の銃がウージーというサブマシンガンで有ることが幸いした。9mm弾一発では頭にでも当たらない限り死ぬことは無い。
クフィは真っ赤な視界の中一直線に通路を走った。耳元を相手の銃弾がかすめる。それでもクフィは柱に身を隠そうとはしなかった。再びクフィは腰だめでM4を撃ち相手陣地の柱にへばり付いている銃口を黙らせる。
ついにクフィは相手陣地へと単身で乗り込んだ。何人いるかなど確認する暇すらない。クフィはすぐさま引き金を引き――だが弾が無かった。
「ちょ……」
まさかの弾切れにクフィはほんの一瞬硬直する。
四つの銃口がゆっくりとクフィに向かっていく。相手は全員驚愕の色を浮かべ必死の形相で引き金を引こうとしていた。じりじりと銃口が下から左から右から、それぞれ中央へと集まり出した。まだ完全にこちらを向いていないにも関わらず、銃口からは銃弾が発射されていた。
クフィはすでに伝達の遅い頭で考えるのを放棄していた、クフィの脊髄がとっさに銃を手放した。空いた右手が右太ももにくくり付けられたナイフを引き抜く。ナイフがノーモーションで投げられた。
ナイフは回転しながら相手コマンダーの喉に――当ることなく、喉元を横切りその後ろの壁に刺さった。
クフィが次に見たのは視界いっぱいに広がるマズルフラッシュだった。
「うわ……恥ずかし……。ここで外すかよ……」
クフィは自分が死亡する直前のリプレイ映像を見て顔を真っ赤にしていた。
リプレイが終わるとクフィは味方陣地にリスポーンした。
十人程の見知った面々がこちらを見てにんまりと笑顔を浮かべている。クフィはRWWのオーバーな感情表現により頭の天辺から白い蒸気が噴き出していた。
クフィが所属するクラン《ボルボックス》はクラン《ブルちゃんズ》と、クラン対抗試合の真っ最中だ。試合ルールはコマンダーキル。コマンダーキルは両チームがコマンダー(チェスでいう所のキング)を一人ずつ選び、先に相手のコマンダーを殺したチームに一ポイント入る、六ポイント先取したチームが勝ちとなる単純なものだ。
そして現在のマップはサイドシティと言う。マップが綺麗なロの字型をしていて、まさに通路での銃撃戦やコマンダーキルにうってつけのマップだ。
《ボルボックス》のリスポーン地点はロの底辺部分、クフィは左側の通路から一気に突っ込み失敗したのだった。
現在の戦績は四対三で《ボルボックス》がリードしているが、気を抜くことはできない。この程度の点差なら一気にひっくり返ることは珍しくない。残り時間はあと五分と少し、このまま逃げ切るかダメ押しの特攻か、なかなか決められなかった。
「惜しかったでござるなークフィ殿」
と、クフィに話しかける、およそFPSには似つかわしくない人影があった。
「ホントに参ったよ、影丸さんの言った通りスローイングナイフの練習をもっとしておけば良かった」
彼の名前は影丸。現代FPSにもかかわらす忍び装束を着込んだ、忍者モドキだ。
RWWに忍び装束を着ている者は彼以外にもいる。だが、彼はただの目立ちたがり屋とは一味も二味も違うのだ。忍刀の代わりにグルガナイフ持ち、クナイの代わりにスローイングナイフを投げ、煙玉の代わりに発煙手榴弾を駆使し、銃器の類は重量が軽いハンドガンしか持たず、軽装備による持前のスピードで一気相手の懐へと潜りこむのだ。
他のプレイヤーから『そういうゲームじゃねーから!』と幾つものお褒めの言葉をいただいている。ちなみにクフィのスローイングナイフとナイフコンバットの師匠でもある。
「クフィ、喋ってないで弾幕張れ、相手に突っ込まれるぞ」
右側の通路からクフィに銃声にも負けない怒声が飛んだ。
「わかりました! トヨイズミさんも前に出過ぎないでくださいね!」
それだけ言うとクフィはそそくさと持ち場に戻っていく。影丸はさっそくグルガナイフを構え、左側の通路へと突っ込んでいった。
さきほどクフィに声を掛けたのはトヨイズミ。今回の試合でコマンダーを務めている。無精ひげにWW2のアメリカ軍の軍服を着た体格の大きい男だ。手にM60軽機関銃を持ち持前の火力で右側の通路の進行を防いでいた。
クフィはM4を抱え左側通路の柱の陰へ隠れようとダッシュする。通路のど真ん中に踊りでたクフィを相手のスナイパーが捉えていた。クフィを捉えた銃はバレットと呼ばれる大型の狙撃銃だ、バレットはリアルでもヘリコプターや装甲車に損害を与えることが可能な、アンチマテリアルライフルでスプラッタ的な意味で人に向かって撃っていい代物ではない。
RWWでもバレットの破壊力はいかんなく反映され、どの部位当ろうが即死する威力を誇る。
スナイパーはスコープに映るクフィを仕留めんと引き金に指を引いた。
バレットは確かにとても強力な狙撃銃ではあるが、悲しいかなRWWではゲームバランスの調整のため弱体化されている。本来のマガジンには十発プラス一発の弾丸を込められるのだが、RWWでは三発プラス一発に減らされ。さらに実際はセミオートなのだが、RWWでは一発撃つごとにボルトアクション方式のライフルのように一回、一回、薬莢の排出と装填を手動で行わなければならない。
そしてこのスナイパーはバレットの弾丸を二発も避け、陣地に乗り込んできた忍者が頭から離れず致命的なミスを犯した。
再装填を行なっていないと気が付いた時にはすでに遅かった。
パンパンとクフィが柱に隠れる時に近くで二発の銃声が響いた。自分が撃たれたかと思ったが、ダメージ表示は無くクフィは胸を撫でおろす。
「クフィ氏、危なかったですぞフヒヒ」
柱の影に隠れたクフィの背中に最新のVR技術がリアルな感覚と温度を伝えてきた。
「うひゃ! おいこらブタ! その気持ち悪い湿気と発熱オプション早く切れ。そんで密着するな!」
「フヒヒ、クフィ氏そんなに照れちゃって……ぽっ」
「ぽっ、じゃねーよ! FFでぬっころすぞ!」
クフィは割と本気でM4の銃口をブタことピッグマンの出っ張った腹に押し付けた。
「でも、申し訳ないけど俺にはシャーリーンって婚約者が居るんだフヒヒ」
そういってピッグマンは抱えたM14を手で優しく撫で、まるでM14と話しているかのように時より微笑を浮かべていた。
それにうすら寒い物を感じたクフィはピッグマンに突き付けた銃口を引っ込め、相手の特攻の阻止に集中した。
それから数分の間、撃たれては撃ち返すの、膠着状態が続いた。その間、影丸が何度か特攻を試みたが分厚い弾幕に阻まれ失敗、クフィ達も目覚ましい成果を上げることができなかった。
そんな膠着状態の戦場に動きがあったのは試合終了まで残り時間二分弱のことだった。ついに《ブルちゃんズ》が賭けに出たのだ、コマンダーを除く、全員の一斉特攻。
通常のルールならばここで手榴弾か仕掛け爆弾で一網打尽にできるのだが、この試合は爆発物の類が一切禁止となっている。理由は単純で、この狭く一本道なマップで爆発物を解禁すると銃撃戦ではなく、手榴弾やグレネードランチャーよるカオスな雪合戦が始まってしまうからだ。
RWWでの手榴弾等の爆発物のダメージ判定は半径1m以内で即死。半径2m以内で、ひん死、一時的な難聴、そして一時的なブラインド状態(視界が真っ白になり前が見えなくなる)とかなり強力なものだ。
このような爆風による難聴やブラインド状態に何度も陥るとプレイヤーへのリアルな精神ダメージとして蓄積される。最悪、気分が悪くなって途中でログアウトするプレイヤーもいるくらいなのだ。
よって爆発物が無い《ボルボックス》の右通路の戦線は《ブルちゃんズ》の猛攻によって崩れ、そこに居たコマンダーであるトヨイズミが殺されて四対四の同点に詰め寄られた。
「すまんみんな、やられた」
トヨイズミの謝罪にメンバー全員が「どんまい、気にするな」と励ましの言葉を掛け、おそらくこの試合最後となる攻防が始まった。
だが、開始早々またもや戦線はこう着状態に陥った。同点となった《ブルちゃんズ》が完全に守りに入ってしまったからだ、《ブルちゃんズ》のコマンダーと思われる人物は先ほどから壁にしがみつき、出てくる気配が一向に無い。
残り時間は一分を切っていた。
『みんな、聞いてくれ』
トヨイズミがウィスパーと呼ばれる、通信システムを使って《ボルボックス》メンバーに話し掛けていた。メンバーは通信に耳だけを傾け、銃を撃つのをやめなかった。
『手短に行くぞ、プランBだ、右側通路を捨てる。指示があるまで柱と壁から頭を出すなよ』
トヨイズミのその指示で、今まで右側通路に弾幕を張っていたメンバーが素早く左側通路へと移動し、クフィなどの初めから左側通路を守っていたメンバーは何事もなかったかのように撃ち合いを続けた。
プランB――それは一切の守りを捨て、コマンダーを除く全員で敵陣地に特攻する事だ。
何回殺されようが、ただひたすらに特攻するのみである。
そしてトヨイズミは戦力の分散を防ぐため右側通路を完全放棄し、左側通路へと全戦力を一極集中させた。
これでは《ボルボックス》本陣が右側通路に対して丸裸状態になってしまうが、それはトヨイズミの策略である。現在敵陣はプレイヤーで飽和状態。そこに突入しても返り討ちにされる可能性が高い。そこで、がら空きの右側通路という餌をたらしプレイヤーを誘い込み、すこしでも相手本陣の守りを減らそうというのだ。ただしこの策略は成功しなくてもいい、なぜならば最悪このプランBが失敗に終わろうとも残り時間三〇秒を切った今、負けることは無いのだ。
トヨイズミはがら空きになった右側通路をマップで伺いながら腕時計を幾度となく見た。残り時間は二〇秒切ったが、相手は警戒しているのか頭すら出さない。時間は刻々を過ぎていった。
一秒が何時間にも感じられるような状況下、トヨイズミは顔色一つ変えず、もくもくと待ち続けた。残り時間十二秒、ついに奇跡が起きた。なんと三人ものプレイヤーが右側通路から《ボルボックス》本陣へと進行してきた。
「GO! GO! GO!」
トヨイズミは間髪入れずに指示をだすと腰につけられたRWWオリジナルの小型バックから本来ならば味方に航空支援を要請するための発煙筒を取り出し、よどみない手つきで発煙させた。発煙筒から勢い良く噴出する濃密な煙が《ボルボックス》本陣に一瞬で充満し、トヨイズミの姿を完全に隠した。
(さすがトヨイズミさん、発煙筒にこんな使い方があったんだ……)
クフィはそう考えながらM4で眼前の銃口を黙らせた。
RWWで発煙筒は手榴弾類に分類されないため、爆発物禁止のルールが有ろうとも使用することができるのだ。だが発煙手榴弾のように投擲できないため、こんな密閉された空間で使えば煙によって視界が奪われ迷惑以外の何物でもない。
そもそも、スモーク系は使い勝手が非常に悪く、航空支援以外使い道のない、ネタアイテムという位置付けにある。発煙手榴弾は下手なプレイヤーが投げると、発煙する前に投げ返されることがある。(煙が出ている発煙手榴弾を持ってもダメージは無い)
なので、投擲による到達位置と発煙時間をしっかりと把握しなければならず、高度な技術が要求される。そんなわけで発煙手榴弾等のスモーク系武器は初心者に赤っ恥をかかせるアイテムとして知られ。ルーキー殺し(心)と呼ばれている。
コマンダートヨイズミを除く《ボルボックス》のメンバーは通路を突き進んだ。
向けられた銃口は片っ端から黙らせ、銃弾に倒れた仲間の体を踏みつけてひたすら特攻を続けた。
《ブルちゃんズ》のコマンダーも通路の奥で焚かれたスモークを見てすぐさま異変に気が付いたが、時すでに遅く、振り向いた時に眼前あったのは突き付けられたM4の無機質な銃口だった。
五対四、《ボルボックス》は試合終了まで約二秒。見事コマンダーを打ち取った。