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呼吸をするように

作者: 百賀ゆずは

2009年8月に書いてた話を、加筆訂正しました。

(元は原稿用紙15枚あったのを規定の10枚に収めたから、減筆修正なのか。)

用紙きっちきちに詰めたのはさすがに読みづらいので、適宜改行を入れました。

ので、投稿作品とはニュアンスは違っているかも。

 平日の夜十時過ぎ。

 地下鉄はまあまあ空いていた。七人掛けの席を五人で使っても白眼視されない程度に。

 ユミはその長い席の左端に座っている。右隣には相棒のアキラ。

 部活の帰りだった。正確に言うと、校外で「部活」をして、寮へ帰るところ。

 ユミたちが所属するのは〈ナニカ部〉という怪しい名前の部だった。所謂お助け部。学生が巻き込まれるトラブルの解決などを請け負う。今日もその類の「部活」だった。

 身体的にはさほど疲れていない。厄介な案件でもなかったし、荒事はいつも通り、アキラが全て引き受けてくれた。

 ただ、気疲れがする。むしろ今の状況に。

 そもそも公共の乗り物は苦手だった。密室の中に種々の思考が飛んでいて、呼吸を整えていないとすぐに流れ込んできてしまう。寮から学校が徒歩通学で本当に助かる。

 ユミはテレパスだ。他人の思考が読める。言語を介さずに他者に伝えられる。

 ただし、能力を使う間は呼吸を止めていなければならない。それが彼女の【枷】。ナニカ部員は皆例外なく、【枷】付の能力者だ。

 ユミの目の前に背広姿の男性が立っていて、息苦しい。座ろうと思えば他に席もあるのに、こちらを上から覗き込んでいる気がする。

 申し訳ないけれど、男性一般に対してあまり良い印象が無い。大人しそうな外見と、標準よりもかなり大きい胸のおかげで、色々と嫌な思いをしてきた。たとえ行動に出ずとも、言葉に出さずとも、ただちらと思うだけでユミを総毛立たせるくらい容易いことなのだ。

 もちろん無闇に心を読むことはしないが、時折膝が触れて、その度に息が詰まると、思考が流れ込んできそうになる。自然な呼吸、自然な呼吸、と力むほどに、普段の息の仕方すら忘れてしまう。

 こんなとき、いつもさりげなく話を振って気を紛らわせてくれるのがアキラなのだが、彼は先ほどから黙り込んでいる。

 もしかして眠っているのかも。そっと気配を探ると、寝息が聞こえた。無理もない。最近依頼が立て込んでいて、体も頭も能力もユミの倍ほどにフル回転なのだ。

 仕方なく一人でじっと耐える。三駅ばかり過ぎたところでやっと目の前の男性が降りた。

 ほっとする。開ける視界。

 と、斜め向かいに座る男の子に気がついた。小学校中学年くらい。塾の鞄を抱えている。

 受験、だろうか。大変だな、と見ていると、男の子の頭が垂れてきた。舟を漕ぎ始める。バランスが悪く、隣の人に大きく寄りかかり――そうになりながら寸前でびくっと持ち直す。その繰り返し。

 数度、本当に寄りかかってしまい……しかし隣の中年女性はいかにも迷惑そうに肩を揺すって、その子をはねのける。

 はねのけられて、それでも目は覚めきれず、今度は逆隣、ユミの向かいに座る男の方へ。

 派手な形の若い男は、携帯をいじっている。見た目で判断するのはよくないが、今電話がかかってきたら車内でもお構いなしに大声で話し始めるタイプの人間に思えた。そんなタイプでも優しい人はたくさんいる。でも。

 はらはらと見守る。

 席を立って、可哀想だけどあの子をちょっとだけ起こして、私の席を譲ってあげようか。この席なら、手すりにもたれられる。

 そう考えながら、できずにいる。行動したときの周りの目を想像すると体が竦んでしまうのだ。何と思われるだろう、と。

 偽善者だ、いい子ぶって、声にならない囁きが聞こえる気がする。例えばあの子の隣の女性。邪魔な者がどいてほっとして、けれどそんな自分を少し許せずに、矛先は行動した者へ向けられる。そういうことは、割と多い。

強くならなきゃと思うのに。自分が良いと信じることを迷わず出来る人になりたいのに、いつもためらってしまう。

 一歩だけ、たった一歩だけ踏み出せばいい。立ち上がって、ほら! 上着の裾を握り締める手が汗ばみ、こわばって、それでも体が動かない。男の子を見つめ続ける、その視界がにじむ。自分のもろい涙腺が憎らしい。

 ああ、見つめるだけであの子を支えてあげられたらいいのに。

 ――アキラさんみたいに。


 そう思った瞬間、男の子の体の揺れが、ふわりと止まった。


「……ごめん、落ちてた」

 小さく、ほとんど息だけのつぶやき。

 視線だけで右隣の様子を伺う。

 ユミがこの世で一番頼みにしている相棒ははっきりと目を開け、じっと向かいの男の子を見つめていた。真摯な瞳で。

 嬉しくてびっくりして瞬いた拍子に、目の縁の涙が弾ける。慌ててうつむき、こっそり指先で拭う。何とか体裁を取り繕い膝に戻した手に、熱さを感じた。

 重ねられた、温かい、アキラの手。

 一瞬だけ心臓がはねる。けれど、これは合図だ。「自分の心を読んでほしい」時の。  

 息を止める。すぐに〈声〉がする。

『あの子、どこで降りるかわかるかな』

 自分もさっきそれを考えていた、という答えは飲み込む。それを読んで、すぐに降りるのなら看過してしまおうとした理由は後ろ向きにすぎて、アキラには聞かせたくない。

 一般人相手に無闇矢鱈と能力を使うな、という部則もあった。ましてや依頼以外で。

 でも、アキラが知りたいのなら。

 一呼吸して、再度息を止めた。

 眠る子供の心はあまりにも無防備で、読みやすい。理屈で整理されていない為に必要な情報を拾うのに少し骨が折れたが、電車に乗る直前の、母親への電話の記憶が鮮明だった。駅名と到着時刻を告げている。

 ユミたちが降りる駅より、七つ向こうだ。

 息を吐く。目的が達せられたこと以上に、迎えが来てくれることに安堵する。

『梅島駅か。あと二十分。……先に帰る?』  

 心の声でアキラが尋ねる。先に帰る、の主語はユミひとり限定だ。

 アキラさんは? なんて、聞かなくてもわかる。この子を目的地までその能力――念動力で支えるつもりだ。文字通り目を離さず。

 心を読むまでもない。それが彼という人。

『いいえ』

 ユミは答えた。

『だって起こしてあげる係も必要でしょう』

『……じゃあお願いする』

 手を重ねたまま、同じ方向を見つめたままで、二人は黙って話をする。

 男の子はすっかり安定した姿勢で、ぐっすり眠っているようだ。

『問題は……北千住で沢山乗ってきたらどうしようってことだな』

 視線を遮られると、アキラの力は届かない。

『――あの隣の、女の人、次で降ります』

「よっしゃ」

 小さく勢いをつけて、アキラはユミの手を取り、立ち上がった。停車を告げるアナウンスが流れる中、通路を越えて向かいの席へ。

 女性が立った。そのあとに首尾よくユミを座らせて、アキラはその前に立つ。視線は男の子に落としたまま。

 ちょっとうらやましい。こんな優しい目を注いでもらえるなんて。

 自分の思考に、ユミは一人顔を赤くした。  手が離れていてよかった。

「――ほんとは俺たちもここで降りるはずなのにな」

 いたずらっぽく、アキラは笑った。


 男の子は目的の駅手前でしっかり自分から目を覚ました。よく眠れたのか、冴えた風情で電車を降りる。二人も降りて、階段へ進む後ろ姿を見送った。

「門限ぎりぎりだなあ」  

 ホームで上り電車を待ちながら、アキラが目をこする。瞬きを極力押さえていたので、慣れているとはいえやはり乾いたらしい。

「――ああ!」

 思い至って、つい声を上げてしまう。

「ん?」

「せ、席を移ったんだから、私が肩を貸して枕になっていればよかったんじゃ……」

 己の愚かさを呪う。アキラに見とれて本質を見失った。やっぱり自分は優しくない。

「――無いな」

 アキラがぼそりとつぶやいた。

「それは無い」

       だって小っこくったって男だし。

「え?」

「ああ、ほら、いくら子供でも人の頭は重いからさ。痺れるよ、腕」

 微妙な力加減のトレーニングにもなるから云々と、アキラはこめかみを掻いて、照れたように笑った。胸が切なくなる笑顔。

「……ごめんなさい」

「謝る事はないって」

「では、あの、ありがとうございます」

 うん、とうなずいて、自販機で買った温かいミルクティーをくれる。自分はコーヒーを開けて、ふと苦い顔をした。

「報告書要るかな。部則破ったし」

「で、ではそちらの謝罪は任せてください」

 謝るのは得意です、と力んだら笑われた。

 本当ニ得意ナンデス。コノママ門限ヲ破ッテモ不問ニ出来ルクライニハ。ダカラ――。

 ふと沈黙が落ちて、慌てる。今自分はちゃんと息をしてただろうか。ちらりとアキラを伺うと、何食わぬ顔でコーヒーを飲み干していた。とりあえずセーフ、と息を吐く。

 

 強くなりたい。優しくなりたい。アキラさんみたいに。自然に呼吸をするように。

 吐く息は白いが、心はじんわり温かかった。

お読みいただきましてありがとうございます。


ユミたちを主人公にした長編を、同じ2009年に書いて、スクウェア・エニックスのガンガンジョーカーの賞に応募しました。

ものの見事に落ちました。

この短編は、その長編を書いてたときに、模索しながら、っていうか、萌えに任せて書いたもの。

筆慣らしの短編のつもり。

ユミの性格が、ちょっとだいぶ本編と違っている気がしないでもない。


もともと、ユミたちは社会人の設定で、所属するのも警察組織だったのですが、学生設定に変更して、もう一度投稿作を書き直そうかなと思っています。

で、それに合わせて先にこちらも書き直しました。


そのうち、その投稿作もアップしてみようかと思います。

完成度はアレなんですが、学生バージョンにしたら、絶対違う話になるから・・・せっかく書いたものが誰の目にも触れていないままなのは悲しい気もしてきたのです。

(貧乏性とも言う。)


そのうち投稿するかと思いますので、そのときにはどうぞよしなに。


2012/03/07 後書き追加

昔、中学生の頃だったか、国語の教科書に載っていた詩がひどく印象的で、それがこの話の、ひいてはユミというキャラクターそのものの基になっています。

(ということを思い出しました。この初稿を書いてたときには覚えていたのに。)


吉野弘さんの「夕焼け」という詩です。


電車の中で、おとしよりに席を譲る「娘」と、それを見ていた「ぼく」。

二度譲って、三度目は譲ることなく座り続ける娘を気に掛けながら、ぼくは電車を降りる。


「やさしい心に責められながら/娘はどこまでゆけるだろう。」


という部分がひどく印象的で、ずっと心に残っていたのです。

国語の時間に答えきれなかった答えが、多分ユミで、そしてアキラ。


上で言っていた社会人バージョンは結局「きみの手をとる物語」のタイトルで、加筆修正の上連載中です。

よろしければそちらもご覧くださいませ。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  サイコキネシスという超能力が登場する作品は数あれど、これほど優しい使われ方は初めて見たように思います。  誰もが見たことのあるような電車内の情景が緻密に描かれていて、目に浮かぶようです。…
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