7
「はっ! せいっ!」
シュッ、シュッ。鋭い風切り音と共に、銀色のレイピアが空を裂く。王城の裏手にある練兵場。リュミエールは、汗だくになりながら剣の稽古に励んでいた。
「……すご。人間離れしてるわね」
私は木陰のベンチに座り、冷たいレモネードを飲みながら見学していた。ポッコが私の膝の上で欠伸をする。
「そりゃあ光の心臓による身体強化がかかってますからね。常人なら筋肉断裂してますよ、あの動き」
「チートね。やっぱり奪って正解よ、あんな危ないアイテム」
口では悪態をつきながら、私は彼女から目が離せなかった。流れるような剣舞。真剣な眼差し。額に光る汗さえも、ダイヤモンドのように輝いて見える。
(……綺麗)
ふと、そんな単語が脳裏をよぎり、私は慌ててレモネードを飲み下した。いけない、いけない。最近、どうも調子が狂う。彼女と目が合うとドキッとするし、彼女が笑うとつられて笑いそうになる。これがスパイの情ってやつ? いや、単に吊り橋効果的なアレよ、きっと。
「ふぅ……。アリス、どうだった?」
一通り稽古を終えたリュミエールが、タオルで顔を拭きながら近づいてくる。
「まあまあね。でも、右側のガードが甘いわ。私ならそこから魔法を撃ち込む」
「手厳しいな。でも、参考になるよ」
彼女が爽やかに笑った、その時だった。
――ゾワリ。
私の肌が粟立った。気温が急激に下がった気がした。太陽は出ているのに、周りの景色が色褪せたように暗くなる。
「……え?」
「どうした、アリス?」
「……来る」
私が警告するより早く、異変は起きた。リュミエールの足元の影。それが、まるで生き物のように蠢き、彼女の足首に絡みついたのだ。
「なっ……!?」
「離れて! リュミエール!」
私の叫びと同時に、影の中からドロリとした黒い獣たちが這い出してきた。狼のような形をしているが、目も口もない。ただ殺意だけを具現化したような、「影の獣」。常闇の国の、処刑用魔獣だ。
(母様……! しびれを切らしたのね! )
「うわぁっ! なんだこいつら!」
リュミエールが剣を振るう。しかし、切っ先は影の体をすり抜け、手応えなく空を切った。
「物理攻撃無効!? 幽霊か!」
「影よ! 実体がないの!」
「影だと!?」
獣たちが一斉に飛びかかる。リュミエールは身軽に回避するが、足場が悪すぎる。地面の影そのものが彼女を捕らえようと変形し、動きを封じていく。このままじゃ、食われる。
奪えないのなら、殺して奪うまで
風に乗って、母様の冷酷な声が聞こえた気がした。
「……ふざけないでよ」
私は立ち上がった。レモネードのグラスを握り潰す。
あいつは私の獲物だ。私が騙して、私が隙を作って、私が奪うはずの獲物だ。それを、こんな薄汚い犬っころなんかに横取りされてたまるか。
「ポッコ、目隠し!」
「へ!? りょ、了解! 闇の霧!」
ポッコが翼を広げ、黒い霧を噴射する。練兵場が煙に包まれ、視界が遮られる。リュミエールが「アリス!?」と叫ぶ声が聞こえる。
私は霧の中に飛び込んだ。杖は出さない。指先だけで術式を組む。影には影を。闇には闇を。王家の純血たる私の魔力なら、こんな下級魔獣、指先一つでひねり潰せる!
「影縫い!」
私が指を弾くと、地面から鋭利な黒い杭が何本も飛び出した。それは正確に獣たちの影を貫き、地面に縫い付ける。
「ギャァァッ!」
声なき悲鳴を上げて、獣たちがのたうち回る。物理攻撃は効かなくても、同じ属性の上位魔法なら干渉できる。
「消えなさい。闇の浸食」
私が手をかざすと、杭から黒い炎が燃え広がり、獣たちを一瞬で飲み込んだ。断末魔も残さず、彼らは霧散した。
「……ふん。雑魚が」
私は冷たく吐き捨て、霧を晴らそうとした。しかし。
「……今のは、何だ?」
背後から、声がした。ドキリとして振り返る。霧が薄れた向こうに、リュミエールが立っていた。剣を構えたまま、私を見ている。その瞳には、感謝ではなく、強い警戒と疑念の色が浮かんでいた。
「アリス。今の黒い炎……そして、あの禍々しい気配」
「……」
「あれは闇の魔法だ。この光の国では禁忌とされる、常闇の国の術。……なぜ、君がそれを使える?」
しまった。見られた。ポッコの霧が薄すぎたのか、それともリュミエールの目が良すぎたのか。
空気が張り詰める。さっきまでの穏やかな時間は消し飛び、再び敵対するような緊張感。彼女の剣先が、わずかに私の方へ向く。
「君は……本当に亡命してきた留学生なのか? それとも、あの影の化け物たちの仲間なのか?」
絶体絶命。正体がバレれば、その場で斬られる。あるいは地下牢行きだ。言い訳しろ。嘘をつけ。私の得意分野でしょ? でも、喉が張り付いて声が出ない。だって、彼女の傷ついたような目を見てしまったから。信じていた「共犯者」に裏切られたかもしれないという、悲痛な目。
(ノワール様! 何か言って! とりあえず誤魔化して! )
ポッコの念話で、私はハッと我に返った。そうだ、ここで終わるわけにはいかない。私は腹を括った。
「……ひどい」
「え?」
「ひどいわ、リュミエール! 命がけで助けてあげたのに、仲間を疑うなんて!」
私はわざとらしく涙ぐみ、大げさに身振り手振りを加えた。
「これは東方の護身術よ! 私の故郷に伝わる、影を使った忍術みたいなもの!」
「ご、護身術? しかし、あんな禍々しい……」
「見た目で判断しないで! 毒には毒を、影には影を。そうやって生き延びてきたの、私の国は! 綺麗な魔法しか知らないあなたたちとは違うのよ!」
私は畳み掛けるように叫び、そしてうずくまった。
「ううっ……。怖かった……。必死だったのに……。まさか、あなたにまで剣を向けられるなんて……」
「あ、いや……すまない!」
リュミエールが慌てて剣を収め、駆け寄ってくる。チョロい。いや、彼女が優しすぎるのだ。
「すまなかった、アリス。君の言う通りだ。君はボクを助けてくれたのに、疑うなんて……ボクは最低だ」
「……分かってくれればいいの」
「東方の術か……。世界は広いな。ボクの知らない力がまだあるなんて」
彼女は私の肩に手を置き、真剣な眼差しで言った。
「ありがとう。君がいなければ、危なかった。……やはり君は、ボクの頼れるパートナーだ」
その真っ直ぐな信頼が、今は何よりも痛かった。私は目を逸らし、「……お互い様よ」と小さく呟くのが精一杯だった。
騒ぎを聞きつけた衛兵たちが駆けつけてくる。その喧騒の中、私は空を見上げた。太陽がまた顔を出している。
母様は見ていただろうか。私が魔法を使ったことを。そして、リュミエールを守ってしまったことを。
これは獲物を泳がせるためだ。そう自分に言い聞かせても、胸の奥のモヤモヤは消えてくれなかった。闇の誘惑は、敵からだけじゃない。私自身の心の中にも、甘い誘惑として広がり始めていた。このまま、彼女の本当の友達になれたらという、決して叶わない願いとなって。
読んでいただきありがとうございます♪
ブックマークの登録、ご評価、何卒よろしくお願いいたします!




