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黄昏のノワール  作者: りっか


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6/13

「……ねえ、ポッコ。正直に言いなさい」

「はい?」

「私、浮いてない?」


 私は全身鏡の前で、恐る恐るターンを決めた。ふわり、と裾が広がる。淡いラベンダー色のシフォンドレス。胸元には小さな真珠のあしらい。髪はアップにして、白い花の髪飾りをつけている。


 鏡の中にいるのは、「常闇の魔女」じゃない。どこからどう見ても、深窓の令嬢――あるいは、ちょっとはにかんだ普通の女の子だ。


「浮いてませんよ。むしろ、馴染みすぎてて怖いくらいです。さすがノワール様、素材だけはいいですから」

「だけはって何よ。……でも、これ」


 私はドレスの裾をギュッと握りしめた。


「夢みたい」


 ずっと憧れていた。真っ黒なローブじゃなくて、こんなフワフワした服を着て、光の中で踊ることを。でも、今の私は「東の国から亡命してきた可哀想な留学生、アリス」だ。このドレスも、リュミエールが「ボクの客人として恥ずかしくないように」と用意してくれた借り物。


「夢見てる場合じゃありませんよ。今夜の舞踏会は、城中の貴族が集まる絶好の社交場。リュミエール王子のガードが一番緩む瞬間を狙って、光の心臓の魔力波長を探るんです」


 ポッコは私の肩に乗っている――わけにはいかないので、魔法でぬいぐるみのフリをして、私のクラッチバッグの中に収まっている。


「分かってるわよ。仕事でしょ、仕事。……はぁ、現実は世知辛いわね」


 私は作り笑顔を貼り付けて、部屋を出た。


 大広間の扉が開いた瞬間、光の洪水に飲み込まれた。


「うわぁ……」


 巨大なシャンデリア。磨き抜かれた大理石の床。生演奏の優雅なワルツ。そして、色とりどりのドレスや正装に身を包んだ人々。これが「舞踏会」。私の国でたまに行われる宴とは大違いだ。あっちは松明の明かりで、オークたちが肉を食い散らかすだけだから。


「あら、あれが噂の留学生?」

「まあ、可愛らしい方ね。でも、どこの馬の骨か分からないわよ」

「王子が拾ってきたって噂よ。随分とお気に入りのようね」


 扇子で口元を隠した貴婦人たちの視線が刺さる。好奇心、嫉妬、値踏みするような目。……ふん、いい気味。私が本気を出せば、あんたたちの扇子をコウモリに変えてやることもできるんだからね。


「――アリス嬢」


 背後から声をかけられた。振り返ると、そこにはまた一段と眩しい存在が立っていた。


 リュミエール王子。今夜は純白の礼服に、青いサッシュを肩から掛けている。金髪は綺麗に整えられ、どこからどう見ても童話の王子様そのものだ。


「……リュミエール様」

「よく似合っているよ。まるで、最初からこの城の住人だったみたいだ」


 彼は優しく微笑み、手を差し出した。完璧な笑顔。でも、私だけは知っている。その首元まで詰まった礼服の下に、何重ものさらしが巻かれていることを。その笑顔の下で、彼女がどれだけの緊張と重圧に耐えているかを。


「……お上手ですね。どうせ、田舎娘にも馬子にも衣装だと思ってるくせに」

「そんなことは言っていない。さあ、ボクのパートナーとして紹介しよう」


 リュミエールは強引に私の手を取った。会場の視線が一斉に私たちに集まる。その時、音楽が変わった。ゆったりとしたワルツの調べ。


「踊れるか?」

「……田舎の踊りなら、少しは」

「十分だ。ボクに任せておけばいい」


 彼は私の腰に手を回し、フロアの中央へとリードした。近い。バラの香水の匂いがする。そして、胸の鼓動が聞こえそうなくらいに近い距離で、私は彼女の瞳を見つめた。


 ワン、ツー、スリー。ワン、ツー、スリー。


 意外だった。リュミエールのリードは、力強いのに、とても繊細だった。私がステップを間違えそうになると、さりげなく支えてくれる。まるで、壊れ物を扱うように。


「……あんた、演技派ね」


 私は小声で、彼――彼女に囁いた。


「この会場にいる全員を騙してる。みんな、あんたを男だと思ってる」

「君だってそうだろ? 可哀想な留学生さん」


 リュミエールも、笑顔のまま唇だけで返してくる。


「ボクたちは共犯者だ。この嘘の世界で踊る、二人の道化師さ」

「……自虐的ね。私は嘘をつくのは得意だけど、あんたは辛くないの?」


 私が問うと、リュミエールの瞳が一瞬だけ揺らいだ。彼女は視線を逸らし、シャンデリアの輝きを見上げた。


「辛い、か……。そんな感情は、とうに捨てたよ。ボクは生まれた時から王子として生きることを義務づけられた。それが、この国を守るための唯一の方法だから」

「……」

「でも、不思議だな。君といると、少しだけ気が楽だ。ボクの本当を知っている人間が、この広い会場に一人でもいる。それだけで、窒息しそうな空気が吸える気がする」


 彼女の手が、私の手を少し強く握った。


「ありがとう、アリス。君が来てくれてよかった」


 ドキン。心臓が跳ねた。やめてよ。そんな、本心からの言葉を投げかけないで。私はあんたの味方じゃない。私はスパイ。あんたの心臓を奪いに来た、悪い魔女の娘なのよ。


(魔力波長を探るんじゃなかったの!? 何トキめいてるんですか! )


 バッグの中で、ポッコがモゾモゾと動いてツッコミを入れてくる。分かってる。分かってるってば。


 私は意を決して、踊りながら彼女の胸元に耳を寄せた。抱きしめられるような体勢になる。


「おっと、積極的だな」

「……ふらついただけよ」


 嘘。本当は、魔力を感じ取るため。――ドクン。ドクン。


 聞こえる。服越しに、力強い鼓動と共に、温かくて強大な魔力の波動を感じる。これが「光の心臓」。太陽の欠片をそのまま埋め込んだような、圧倒的なエネルギー。これを奪えば、私は母様に褒めてもらえる。自由になれる。でも、これを奪ったら、この温かい鼓動は止まってしまう。


「……どうかしたか? 顔色が悪いぞ」

「……なんでもない」


 私はパッと身を離した。これ以上触れていたら、奪う決心が鈍ってしまう。


「ちょっと、酔ったみたい。外の空気を吸ってくる」

「付き合おうか?」

「一人でいい! ……お願い、一人にさせて」


 私は逃げるように背を向け、バルコニーへの扉を開けた。


 夜風が熱った頬に心地いい。バルコニーからは、ルミナスの夜景が一望できた。街の明かりが、地上の星空のように輝いている。


「……はぁ」


 私は手すりに寄りかかり、深いため息をついた。バッグからポッコが顔を出す。


「どうでした? 心臓の位置、特定できました?」

「……できたわよ。心臓の真上」

「やっぱり物理的に奪うしかなさそうですね。どうします? 今夜、寝室に忍び込んで一突き……」

「バカ言わないで。そんなことしたら警備兵に囲まれて終わりよ」


 私は嘘をついた。リスクの問題じゃない。さっきのダンスで、彼女の手の温もりを知ってしまったからだ。「君が来てくれてよかった」なんて言う、孤独な嘘つきの笑顔を見てしまったからだ。


「……もう少し、様子を見るわ」

「ノワール様、まさか情が移ったんじゃ……」

「違うわよ! 慎重なだけ! 私はクールで冷徹な次期女王なんだから!」


 私がポッコの頭をグリグリしていると、背後で足音がした。


「ここだったか」


 リュミエールだ。彼女はグラスを二つ持って、こちらに歩いてきた。


「ノンアルコールのカクテルだ。口直しにどうだい?」

「……気が利くのね」


 グラスを受け取る。ピンク色の炭酸水の中で、小さな泡が弾けていた。


「綺麗な月だ」


 リュミエールが夜空を見上げる。そこには、真ん丸な満月が浮かんでいた。私の国では決して見られない、白くて明るい月。


「ねえ、アリス。君の国はどんな所なんだ?」

「えっ? あ、えーっと……ここよりずっと暗くて、ジメジメしてて、変なキノコばっかり生えてる所よ」

「はは、それはひどいな。でも、君が育った場所なら、きっと素敵な秘密があるんだろうね」


 彼女は屈託なく笑う。私は胸が苦しくなった。嘘をついているのは私だけじゃない。彼女も、男のフリをして嘘をついている。私たちは「嘘つき同士」だ。この煌びやかな舞踏会の中で、本当の顔を隠して踊る、二人の道化師。でも、この月明かりの下で交わす言葉だけは、なぜか本物のような気がした。


「……ねえ、リュミエール」

「ん?」

「もし、いつか仮面を外せる日が来たら……その時は、また踊ってくれる?」


 私が尋ねると、彼女は少し驚いた顔をして、それから優しく微笑んだ。


「ああ、約束するよ。その時は、ボクも君も、本当の姿で」


 グラスを軽く合わせる。チン、と澄んだ音が夜空に響いた。


 それが「偽りの友情」の始まりの合図だった。私はグラスの中の甘い液体を飲み干し、心の中で母様に謝った。


(ごめんなさい、母様。もう少しだけ、この嘘を楽しませてください)


 満月が、まるで私たちの行く末を見透かすように、静かに輝いていた。


読んでいただきありがとうございます♪


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