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「はふ、はふ……うんまーっ!」
「ノワール様、行儀悪いですよ。スープが飛び散ってます」
「うるさいわね、生き返った心地なのよ! このキノコスープ、絶品!」
テオの研究所兼自宅は、森の中にひっそりと佇むガラス張りの温室だった。そこで振る舞われた温かいスープとパンは、私の家出人生における最初の「まともな食事」となった。毒々しい色のキノコじゃなくて、ちゃんと茶色くていい匂いがするキノコ。最高だ。
「お口に合ったならよかった。おかわりもあるからね」
「テオ、あんたイイ男ね! 将来有望よ!」
「はは、光栄だね。……さて、お腹が満たされたところで仕事だ。僕はこれから城へ薬草を届けに行くんだけど、君たちはどうする? ここで留守番かい?」
テオが鞄に薬瓶を詰めながら尋ねてくる。私はスプーンを咥えたまま、ピクリと反応した。
「城? ……あのキザ王子のいる?」
「うん。リュミエール様は僕の顧客なんだ。剣の稽古でよく怪我をされるからね」
私はニヤリと笑った。チャンス到来。あの王子には、まだ市場での借りを返していない。「可憐な花」呼ばわりされた屈辱を晴らし、ついでに彼の化けの皮を剥いでやるのだ。
「行くわ! 助手として連れてって!」
「えぇ……絶対ろくなことになりませんよ……」
「ポッコは黙ってなさい。テオ、いいでしょ? 荷物持ちくらいするわよ」
「まあ、構わないけど……城の警備は厳しいよ? 君みたいな魔法使いは怪しまれるかもしれない」
「大丈夫、変装するから!」
私はマントを裏返し、ポッコをリュックに押し込んだ。完璧な「田舎から来た薬師見習い」の完成だ。たぶん。
白光の城クリスタル・パレス。名前の通り、水晶みたいにキラキラした白亜の巨城だった。どこもかしこも掃除が行き届いていて、埃一つない。私の実家の「埃こそが歴史の重み」というスローガンとは大違いだ。
「すごい……床が鏡みたい。スカートの中が見えそう」
「ノワール様、発想がおじさんくさいです」
テオの後ろをついて歩きながら、私はキョロキョロと辺りを見回した。衛兵たちはテオの顔パスであっさり通してくれたけれど、城内の空気は張り詰めている。すれ違う貴族たちも、どこかピリピリしているような気がする。
「テオ、私はここで待ってる。トイレに行きたいから」
「え? ああ、分かった。迷子にならないようにね」
中庭の回廊で、私は嘘をついてテオと別れた。さあ、探索開始だ。ポッコがリュックから顔を出す。
「どうするんですか? 王子を探すって言っても、こんな広い城で」
「鼻を利かせなさいよ、ポッコ。あのキザ男、バラの匂いがしたでしょ?」
「そんな犬みたいな……あ、でも確かに。風上から微かに、あの香水のような匂いがします」
私たちは匂いを頼りに、人気の少ない城の奥へと進んでいった。やがてたどり着いたのは、城壁の隅にある、鬱蒼とした木々に囲まれた古い庭園だった。表の華やかな庭とは違い、ここは手入れが最低限しかされていないようで、少し寂れた雰囲気がある。
「……いた」
私は生垣の陰に身を隠した。庭園の中央にある噴水の縁に、あの白い背中が見えた。リュミエール王子だ。
でも、様子がおかしい。取り巻きの女の子たちもいないし、あの自信満々なオーラも消えている。彼はレイピアを地面に放り出し、肩を震わせていた。
「……くそっ……」
低い、押し殺したような声。市場で聞いた鈴のような声とは違う、苦悶に満ちた響き。
「どうしたんでしょう? お腹でも痛いんですかね?」
「しっ、静かに」
私は息を潜めて見守った。王子が、ゆっくりと立ち上がる。そして、誰もいないことを確認するように周囲を見回してから、おもむろに騎士服のボタンを外し始めた。
「えっ、ちょ、脱ぐの!? ここで!?」
「サービスシーンですか!?」
「バカ! 見ちゃダメ!」
私はポッコの目を手で覆いつつ、指の隙間からこっそり覗いた(私は見る権利がある。研究熱心だから)。
上着が脱ぎ捨てられる。その下にあったのは、裸の肌……ではなかった。白い布だ。胸の周りに、幾重にもきつく巻き付けられた、さらしのような布。
「……うっ、ぐ……」
王子は苦しげに、その布を緩めた。白い肌に、赤い締め付け跡がくっきりと残っている。布が緩むと同時に、解放された胸元が、わずかに膨らみを取り戻した。筋肉じゃない。あれは、柔らかい、女性の曲線だ。
「……え?」
思考が停止した。男装? いや、さらし? 王子様が? リュミエールは、噴水の水を手ですくい、顔を洗った。濡れた前髪をかき上げる仕草は、どう見ても男性的ではない。そして、懐から何かを取り出した。それは、小さな、ピンク色のリボンだった。
彼は――いや、彼女は。そのリボンを愛おしそうに指で撫で、自分の髪に当てようとして……止めた。鏡代わりの水面に映る自分を見て、力なく笑う。
「……似合わないな。ボクは、男なんだから」
ポタリ。水面に波紋が広がった。リボンを握りしめたまま、彼女の瞳から涙がこぼれ落ちていた。
「もっと強くならなきゃ。もっと、完璧に演じなきゃ。……国民のために。死んだお父様のために」
独り言は、嗚咽に変わっていった。誰もいない廃庭で、完璧な王子様は、ただの泣き虫な女の子に戻っていた。痛々しいほどにきつく胸を縛り、本当の自分を押し殺して。
「……嘘でしょ」
私は呆然と呟いた。化けの皮を剥ぐどころの話じゃない。中身が、根本から違っていた。
あの眩しい「光の王子」。誰からも愛され、自信に満ち溢れた英雄。それが、こんなにも脆くて、痛々しい嘘の上に成り立っていたなんて。
「ノワール様……これ、見ちゃいけないやつです。国家機密レベルの秘密ですよ」
「……分かってるわよ」
私は胸の奥が、ズキリと痛むのを感じた。なんでだろう。あんなにムカついていたはずなのに。ざまあみろって思うはずなのに。
今の彼女の姿が、鏡の中の自分と重なって見えた。
『お前は次期女王だ』『闇の魔女として、冷酷に振る舞え』『可愛いものなど必要ない』
母様に言われ続け、黒いドレスを強制され、好きなものを燃やされた私。国の掟に縛られ、男の服を強制され、リボンを隠し持っている彼女。
私たちは、同じだったんだ。光と闇、正反対の世界にいても。役割という名の檻に閉じ込められた、囚人同士。
「……行こう、ポッコ」
「え? 脅しのネタにしないんですか?」
「……今は、しない」
私は踵を返した。これ以上見ていたら、なんだか泣きたくなってしまいそうだったから。
でも。神様は私たちが静かに立ち去ることを許してくれなかった。
パキッ。
私の足元で、乾燥した小枝が盛大な音を立てて折れた。
「……っ!?」
「誰だ!」
リュミエールの反応は速かった。涙を拭う間もなく、反射的にレイピアを拾い上げ、こちらを睨みつける。その目は、さっきまでの泣き虫の目ではない。獲物を狙う、鋭い戦士の目だ。
「しまった……!」
「そこか! 曲者!」
シュッ! 風を切る音と共に、銀色の切っ先が私の鼻先数センチに突きつけられた。生垣から転がり出た私は、尻餅をついたまま硬直する。
目の前には、胸元のはだけたリュミエール。涙の跡が残る頬。でも、その切っ先は微動だにしない。
「……君は、市場での」
リュミエールが目を見開く。私も、彼女を見上げる。最悪の再会だ。
「……見たのか?」
低く、冷たい声。彼女の瞳の奥で、青い炎が揺らめいていた。それは殺気。秘密を知られた者は、生かしておけないという覚悟。
「見たのかと聞いている!」
切っ先が、私の喉元に押し当てられる。私はゴクリと唾を飲み込んだ。魔法? 間に合わない。言い訳? 通用しない。
私は、彼女の秘密という爆弾を抱えたまま、絶体絶命のピンチに陥っていた。
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