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黄昏のノワール  作者: りっか


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3

「……お腹すいた」

「奇遇ですね、ノワール様。僕も背中とお腹がくっつきそうです」

「あんた猫でしょ? その辺のネズミでも捕まえて食べなさいよ」

「家猫(使い魔)育ちに野生を求めないでください! それにこの国のネズミ、やたらと動きが早くてキラキラしてるんですよ……捕食する気が失せます」


 リュミエール王子と別れてから数時間。私たちは、王都のさらに外れにある森林地帯を彷徨さまよっていた。理由は単純。街中の宿は高いし、食べ物を買うお金もないからだ。「野宿ならタダだし、森に行けば木の実くらいあるでしょ」という私の安易な提案により、私たちは今、見事に遭難しかけていた。


「あーあ……こんなことなら、あの王子様に『ご飯奢って! 』って言えばよかった」

「プライドが高いんだか低いんだか分かりませんね」

「だって、見てよこれ」


 私は道端の木を指差した。たわわに実る、真っ赤な果実。見た目はリンゴに似ているけれど、もっと艶やかで、甘い香りを放っている。『サン・フルーツ』。さっき市場で見たやつだ。


「これさえあれば、とりあえず空腹は満たせるわ。……見てなさい、私の魔術でちょちょいのちょいよ」

「ちょちょいのちょいって……。大丈夫ですか? ここは『光の国』ですよ? ノワール様の闇魔法、相性最悪ですけど」

「うるさいわね。果物を落とすくらい、造作もないわよ。『闇のダーク・ハンド』!」


 私は杖を振るった。影の中から、黒いモヤでできた巨大な「手」が現れる。ここまでは順調。私はその手を操作して、一番大きくて赤く熟れた実をもぎ取ろうとした。


 ――ジュッ。


 嫌な音がした。黒い手が果実に触れた瞬間、真っ赤な皮がドス黒く変色し、瞬く間に腐り落ちてしまったのだ。ボトッ、と地面に落ちたそれは、もはや食べ物ではなく、異臭を放つ黒い塊だった。


「……あ」

「あーあ。言わんこっちゃない。闇の属性は『腐敗』や『停止』を司りますからね。生命力あふれる光の果実とは、水と油ですよ」

「な、なんでよ! 母様の授業じゃ、ウサギの首だって一瞬でへし折れたのに!」

「狩りと収穫を一緒にしないでください……」


 私は悔し紛れに、もう一度杖を振った。今度はもっと優しく、ソフトタッチで……! 


 ブォン! 


 力の加減を間違えた。放たれた闇の衝撃波が、狙った枝ではなく、その隣にあった巨大な「蜂の巣」を直撃してしまった。


「……あ」

「……あ」


 私とポッコの声が重なる。ブンブンブンブン……! ! 地鳴りのような羽音と共に、黒と黄色の縞模様の集団が、怒り狂って飛び出してきた。『キラー・ビー』だ。しかも、常闇の国のやつより二回りくらいデカイ! 


「きゃあああああ! ごめんなさい! 悪気はなかったの! ただリンゴが食べたかっただけで!」

「走ってくださいノワール様! 言い訳は通用しませんよ!」

「なんで私がこんな目にぃぃぃ! !」


 私たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。でも、お腹は空いてるし、足はもつれるし、蜂は速いし! お尻にチクリとした痛みが走る。


「痛っ! 刺された!」

「ノワール様! 闇のダーク・ミストで目くらましを!」

「やってるわよ! でも太陽が眩しすぎて霧がすぐ消えちゃうの!」


 絶体絶命。ああ、私の家出人生、ここで終了? 「常闇の姫、光の国の蜂に刺されて死亡」。なんて間抜けなニュース。私が涙目でへたり込みそうになった、その時。


 ヒュッ、と何かが風を切って飛んできた。


 ボフッ! 私たちの頭上で、小さな布袋が弾けた。中から広がったのは、緑色の煙。爽やかな、ハッカのような香りが辺りに充満する。


 すると、どうだろう。あんなに怒り狂っていた蜂たちが、急に動きを鈍らせ、ヨロヨロと森の奥へ帰っていくではないか。


「……え?」

「動かないで。蜂を刺激しないように」


 穏やかな声が降ってきた。見上げると、木の枝の上に一人の青年が座っていた。ボサボサの茶色い髪に、丸い眼鏡。土で汚れた作業着を着て、首からは虫眼鏡をぶら下げている。王子様みたいなキラキラ感はゼロ。でも、その瞳は深い森の湖のように静かで、理知的だった。


 青年は身軽に飛び降りると、私のそばに膝をついた。


「怪我は? ……ああ、腕を刺されたね」

「う、うん……。でも、なんで助けてくれたの? 私、不審者に見えない?」

「不審者だろうが何だろうが、植物園で怪我人が出たら僕の管理責任になるからね」


 彼は淡々と言いながら、鞄から小さな瓶を取り出した。中に入っていた緑色の軟膏を、私の腫れた腕に塗る。ひんやりとして、痛みがスーッと引いていく。


「すごい……痛くない。これ、魔法?」

「いいや。ただの薬草だよ。スネークリーフと月光草をすり潰したものだ。炎症を抑える効果がある」

「薬草? そんな草ごときで、魔法より効くわけないじゃん」

「草ごとき、か」


 青年は眼鏡の位置を直しながら、ふっと笑った。馬鹿にされたわけじゃない。でも、どこか見透かされたような笑み。


「君は魔法使いみたいだけど……さっきの蜂、魔法で追い払おうとして失敗しただろう?」

「うッ……。それは、ここの太陽が眩しすぎて調子が……!」

「違うよ。君が自然の摂理を無視したからだ」


 彼は立ち上がり、蜂の巣があった木を見上げた。


「魔法は強力な力だ。でも、それは自分の意志を世界に押し付ける力だろ? 『燃えろ』とか『凍れ』とか。自然界には、そういう一方的な命令を嫌う生き物もいるんだ」

「……」

「僕が使ったのは、蜂が嫌がる香りのハーブだ。彼らの習性を利用して、『ここにはいない方がいいよ』と提案しただけ。戦わずに、退いてもらったんだよ」


 彼は摘み取ったばかりの葉っぱを私に差し出した。


「力でねじ伏せるより、相手を知って調和する方が強いこともある。……植物は、そういうことを教えてくれるんだ」


 私は呆然と、その葉っぱを受け取った。魔法が全てだと思っていた。力こそが正義だと、母様に教えられてきた。でも、この人は杖も振らず、呪文も唱えず、あの恐ろしい蜂を追い払った。


「……あんた、名前は?」

「テオ。しがない植物学者だよ。君は?」

「……ノワール」

「そうか、ノワール。とりあえず、うちに来るかい? 毒消しのハーブティーがある。それに、お腹も空いてるんだろう? 盛大にお腹の音が聞こえたからね」

「うっ、うるさいわね! 聞こえてないわよ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴る私を見て、テオは初めて声を上げて笑った。


「はは。元気ならよかった。おいで、猫さんも」

「ポッコです! ありがとうございます、命の恩人様!」


 ポッコが尻尾を振ってテオの後をついていく。私は、手の中の葉っぱをもう一度見た。魔法より強いもの。知識? 調和? よく分からないけど。――なんか、この人の周りの空気、悪くない。


 リュミエール王子のような眩しさはない。でも、木漏れ日のような、じんわりとした温かさがある。


「……行ってやるわよ。タダ飯なら歓迎だし」


 私は悪態をつきながら、テオの背中を追いかけた。これが、私の「初恋」……になるには、まだ少し時間がかかるけれど。少なくとも、この家出の旅で初めての味方を見つけた瞬間だった。


読んでいただきありがとうございます♪


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