13
世界が、黒く塗りつぶされていく。母様が呼び出した虚無の影は、もはや魔法なんて生易しいものではなかった。それは現象。あらゆる希望、色彩、生命を飲み込む、ブラックホールそのものだ。
「無駄です。光など、闇の中では瞬きするほどの価値もありません」
母様の虚ろな瞳が、私たちを見据える。迫りくる漆黒の波。私たちが張った黄昏の盾も、ミシミシと音を立ててヒビが入っていく。
「くっ……! ダメだ、押し切られる!」
「諦めないで、リュミエール!」
私は彼女の手を強く握りしめた。絶体絶命。でも、不思議と頭の中は冷静だった。私は見た。母様の背後に、地平線から微かな「光」が差し込んでいるのを。
夜明けだ。太陽が昇ろうとしている。
「……ねえ、リュミエール。覚えてる?」
「え?」
「テオが言ってたわ。光が強ければ強いほど、影もまた濃くなるって」
私はニヤリと笑った。母様は純粋な闇だ。だからこそ、強烈な光を浴びれば、そこには最強の影が生まれる。
「リュミエール。私の全魔力を、あんたの剣に託すわ」
「えっ!? でも、そんなことをしたら君は……!」
「平気よ。私にはまだ、とっておきの闇が残ってるから」
私は彼女の耳元で、作戦を囁いた。一か八かの賭け。でも、リュミエールは迷わず頷いた。
「分かった。信じるよ、ボクのパートナー」
リュミエールが剣を構える。私は彼女の背中に手を当て、胸のクリスタルを極限まで共鳴させた。
「行くわよ! 母様!」
「無駄な足掻きを……消えなさい!」
母様が手を振り下ろす。虚無の波が、私たちを飲み込もうと襲いかかる。
その瞬間。
「今よ! 極光!」
私は全魔力を放出した。攻撃のためじゃない。目くらましだ。強烈な閃光が戦場を包み込む。
「ぐっ……!?」
さすがの母様も、網膜を焼くほどの光に一瞬ひるみ、顔を覆った。そして、生まれた。強烈な光を受けた母様の背後に、長く、濃く、巨大な影が。
「リュミエール! 潜れッ!」
「おおおおおッ! !」
リュミエールが光の中へ消えた――のではない。彼女は、母様の足元に伸びた影の中へとダイブしたのだ。通常なら影に入るなんて不可能だ。でも、彼女の中には今、私の闇の魔力も流れている。影渡りの術はお手の物だ!
「影の中に……!? しまった!」
母様が気づいた時には、もう遅い。彼女自身の影が、裏切り者のように蠢き、その内側から銀色の刃が突き出した。
ズバァァァァンッ!
リュミエールが、母様の影の中から飛び出し、その無防備な背中を斬り上げた。黄昏色の魔力を纏った大剣の一撃。
「が、あぁぁぁぁッ!?」
母様の絶対防御(障壁)は、正面からの攻撃にしか対応していない。まさか自分の影という懐から攻撃されるとは夢にも思わなかっただろう。背中を斬り裂かれた母様が、体勢を崩して墜落していく。
「まだよ! トドメ!」
私は重力制御で急降下し、母様の胸ぐらを掴んで地面に叩きつけた。
ドゴォォォォン! !
クレーターの中心で、母様が苦悶の表情を浮かべて倒れている。あの不気味だった虚無の瞳は消え、いつもの母様の瞳に戻っていた。ダメージで魔力維持ができなくなったのだ。
「バカな……。私が……純粋なる闇が、敗れるなど……」
「純粋だから負けたのよ」
私は杖を突きつけた。リュミエールも私の隣に並び、剣を向ける。
「光だけじゃ眩しくて目が潰れる。闇だけじゃ何も見えなくて凍える。……どっちも必要なのよ」
私は、空を指差した。ちょうど、太陽が地平線から顔を出し始めていた。空は青とオレンジ、そして夜の残りの藍色が混ざり合っている。
「見なさい、母様。世界はこんなに曖昧で、綺麗じゃない」
「……」
「私は闇も光も愛する。清廉潔白な王子様も、ドロドロした魔女も、どっちも私の一部よ。……だから、あんたの支配はもういらない!」
私は宣言した。母様は、呆然と私を見上げていた。そして、空のグラデーションを見て、ふっと自嘲気味に笑った。
「……黄昏、ですか。……中途半端な色だこと」
母様の体が、砂のように崩れ始めた。死ぬのではない。彼女を構成していた強大すぎる闇の魔力が、私の支配拒絶の宣言と、リュミエールの斬撃によって核を砕かれ、霧散していくのだ。
「母様!」
「……勘違いしないでください。私は負けを認めたわけではありませんよ」
母様の体は、小さな影の塊へと縮んでいく。
「ただ、少し疲れました。……あの眩しい太陽の下で、お前たちがどんなグレーな世界を作るのか。影の中から高みの見物といきましょう」
最後に、母様は私を見て、微かに――本当に微かに、母親らしい顔をした気がした。
「……せいぜい、長生きしなさい。私の最高傑作」
フッ。母様の姿は完全に消滅し、あとにはただの小さな黒い宝石――黒曜石だけが残された。
「……勝った……の?」
リュミエールが肩で息をしながら呟く。空を覆っていた黒い雲が晴れていく。朝日が、戦場を照らし出した。
「ええ。私たちの勝ちよ」
私は地面に落ちた黒曜石を拾い上げ、ポケットに入れた。重かった。でも、以前のような冷たさは感じなかった。
「やったー! ! 勝ったぞー!」
「ノワール様! リュミエール様! 万歳!」
遠くから、ポッコや生き残った兵士たちの歓声が聞こえてくる。私は全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。
「……あー、疲れた。ドレスもボロボロ。最悪」
「はは、ひどい顔だぞ、ノワール」
「あんたこそ。泥だらけの王子様なんて、絵本にも載らないわよ」
私たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。泥と汗と涙にまみれて。でも、今までで一番、晴れやかな笑顔で。
こうして、長い長い夜が明けた。世界に、新しい朝が訪れたのだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
あれから、世界は変わった。
まず、空の色が変わった。白光の国の白すぎる空も、常闇の国の黒すぎる空も消え失せた。今は、朝には太陽が昇り、夜には星が輝く。晴れの日もあれば、雨の日もあり、曇りの日もある。当たり前の、でも私たちにとっては新しい、鮮やかな空が広がっている。
「……ふあぁ。いい天気」
私は王都ルミナスの城壁の上で、大きく伸びをした。風が心地いい。眼下の広場には、溢れんばかりの人だかりができている。今日は、新しい王の戴冠式だ。
「始まりますよ、ノワール様。特等席で見なくていいんですか?」
「ここでいいのよ。あんまり近づくと、また公務を手伝えって捕まるから」
肩に乗ったポッコが呆れた顔をする。広場から、大歓声が上がった。バルコニーに姿を現したのは、リュミエールだ。
今日の彼女は、いつもの男装の騎士服ではない。純白のドレスに、青いマントを羽織っている。髪には、あの日、庭園で隠し持っていたピンク色のリボンが結ばれていた。
「……綺麗」
彼女は堂々と胸を張り、民衆に向かって宣言した。
私は、リュミエール。光の国の王子ではなく……女王として、この国を導くことを誓います!
ざわめきが広がる。でも、それはすぐに割れんばかりの拍手と歓声にかき消された。
「女王万歳!」「我らの英雄!」誰も、彼女の性別なんて気にしていない。
彼女が命がけで国を守ったことを、みんな知っているからだ。
「やれやれ。人気者は辛いわね」
「少しは寂しいですか?」
「まさか。清々したわよ」
私は強がりを言って、リュックを背負い直した。私の格好は、ヒラヒラのドレスでも、魔女のローブでもない。動きやすいチュニックに、ショートパンツ、そして丈夫なブーツ。旅人の格好だ。
「行くわよ、ポッコ」
「挨拶しなくていいんですか?」
「昨日の夜、たっぷりしたから十分よ」
私は踵を返そうとした。その時。
「――待ちたまえ、逃亡者くん」
背後から声をかけられた。振り返ると、バルコニーにいるはずのリュミエールが、息を切らして立っていた。ドレスの裾をまくり上げて走ってきたらしい。お転婆だなぁ。
「……戴冠式の主役が、抜け出してきていいわけ?」
「君こそ、ボクに黙って発つ気だったのかい?」
リュミエールがふくれっ面をする。そして、私の手を取った。
「ノワール。やっぱり、城に残らないか? ボクには君が必要だ。君がいれば、光と闇の外交もうまくいくし、何より……ボクが寂しい」
「……バカね」
私は彼女の手を、優しくほどいた。
「私は政治なんて柄じゃないわ。それに、私はもう王女も辞めたの」
「え?」
「母様――あの黒曜石は、私のポケットの中で大人しくしてるし、常闇の国も民主化が進んでる。私が玉座に座る必要なんてないのよ」
私は空を見上げた。
「私は見てみたいの。この新しいグレーな世界を。光と闇が混ざり合って、どんな花が咲いて、どんな文化が生まれるのか。……それを自分の目で確かめたい」
リュミエールはしばらく私を見つめ、それから観念したように笑った。
「……そうか。君はいつだって自由だな」
「あんたが不自由すぎるだけよ、女王陛下」
城門の前まで、彼女は見送りに来てくれた。門の外には、荷馬車が一台待っている。御者台に座っているのは、丸眼鏡の植物学者だ。
「やあ。待たせてごめんね」
「遅いわよ、テオ。準備万端?」
「ああ。新種の黄昏植物のサンプル採取キットも積んだし、おやつも完璧だ」
テオがニコニコと手を振る。そう、私の旅の道連れは彼だ。私が世界を見ると言ったら、彼は研究対象として興味深いという理由でついてくることになったのだ。
「テオ! ノワールを泣かせたら、軍を率いて追いかけるからな!」
「はは、肝に銘じておくよ、女王陛下」
リュミエールが、私に向き直る。彼女は右手を差し出した。
握手? ううん、違う。私たちは拳を突き出し、コツンと合わせた。
「またね、光の王子様」
「ああ、元気でな、影の魔女」
最高の笑顔で別れを告げる。涙はなかった。だって、空はつながっているから。
荷馬車がガタゴトと揺れる。遠ざかる王都ルミナス。隣ではテオが地図を広げ、ポッコが「また野宿ですかー!?」と騒いでいる。
「ねえ、ノワール」
「ん?」
「これからどこへ行こうか? 東の森? それとも南の海?」
テオが尋ねてくる。私はポケットの中の黒曜石を撫でながら、前方に広がる地平線を指差した。
「どこへでも! 風の吹くまま、気の向くままよ!」
世界は広い。光だけでも、闇だけでもない。無数の色が混ざり合う、この美しいグレーな世界が、私たちを待っている。
「さあ、出発進行!」
私が指を鳴らすと、道端の草花が一斉に咲き乱れ、色とりどりの紙吹雪のように舞い上がった。それは、元・魔女の娘がかけた、ささやかな祝福の魔法。
私たちの旅は、まだ始まったばかりだ。
おしまい。
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