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黄昏のノワール  作者: りっか


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「……ゲホッ、ゲホッ! 埃っぽい! 掃除係は何をしてるのよ!」

「シーッ! 声がデカイですよノワール様! ここが敵陣のド真ん中だってこと、忘れてませんか!?」


 私たちは今、常闇の城の裏口――厨房のダクトを通って、城内へ潜入していた。狭い。暗い。そしてカビ臭い。一国の王女が這いつくばって進む道じゃないけれど、今の私は指名手配犯みたいなものだ。正面玄関から「ただいまー」とはいかない。


「でも、懐かしいわね。昔、勉強をサボってここから抜け出したのを思い出すわ」

「あの時も僕が蜘蛛の巣まみれになって先導したんですよ……」


 ポッコの愚痴を聞き流し、私は目的の場所――私の自室の通気口を蹴破った。


 ガコンッ! 


 鉄格子が外れ、私たちは部屋の中に転がり込んだ。主を失った部屋は、ひんやりと静まり返っていた。散らかったままの魔道書。飲みかけのまま干からびた紅茶のカップ。何もかもが、私が家出したあの日のままだ。


「……さてと」


 私はクローゼットを開け放った。そこには、母様が着せたがった漆黒の儀礼服に混じって、私がこっそり改造していた服たちが隠されている。


「ノワール様、急ぎましょう。母上に見つかったら……」

「分かってる。だからこそ、正装しなきゃいけないのよ」


 私は一着のドレスを手に取った。黒を基調にしているけれど、スカートはフリルたっぷりのミニ丈。背中には大きなリボン。そして、動きやすいように編み上げブーツを合わせる。魔らしく、でも女の子らしく。これが私の戦闘服。


「……うん、悪くない」


 鏡の前でポーズを決める。青白かった顔色も、今の決意に満ちた表情なら、不健康というよりミステリアスに見える。


「似合ってますよ。……まるで、物語の主人公みたいです」

「ふふん、やっと素直になったわね。さあ、行くわよポッコ」


 私は部屋を出た。目指すは、城の最上階。飛竜の離着陸場だ。そこから一気に飛び立ち、戦場へ向かう。


 しかし。廊下を曲がった瞬間、ズラリと並んだ黒い鎧の兵士たちが道を塞いでいた。


「――第1王女ノワール様ですね」

「女王陛下の命により、拘束させていただきます」


 影の衛兵隊。母様の直属部隊だ。物理攻撃が効きにくく、集団で襲ってくる厄介な相手。


「……あーあ。やっぱりバレてたか」

「ど、どうします!? 逃げますか!?」

「逃げる? なんで?」


 私は不敵に笑い、胸に手を当てた。ドクン、とクリスタルが脈打つ。以前のような痛みはない。私が返すと決めたからか、光の魔力は静かに、私の命令を待っている。


「邪魔するなら、通るだけよ。……光爆!」


 私は指を鳴らした。パチンッ! 私の周囲に浮かんだ小さな光の球が、弾丸のように弾け飛んだ。


 ドォォォォン! ! 


 閃光が廊下を駆け抜ける。影の兵士たちは悲鳴を上げる間もなく、強い光に焼かれて消滅した。壁が吹き飛び、外の冷たい風が吹き込んでくる。


「す、すげえ……! 制御できてる!」

「完璧じゃないけどね。出力調整が難しいのよ」


 私は黒煙を切り裂いて走った。騒ぎを聞きつけて、城中から兵士たちが集まってくる気配がする。いい気味だ。もっと慌てなさい。


 最上階へ続く螺旋階段を駆け上がる。あと少し。出口が見えた、その時。


「――どこへ行くのです、ノワール」


 空気が凍りついた。出口の前に、漆黒の闇が渦巻いている。そこから現れたのは、母。影分身ではない。本物だ。


「母様……」

「せっかく拾った命を、ドブに捨てに来たのですか? それとも、やはりその心臓の重みに耐えきれず、泣きついてきたのですか?」


 母様が冷ややかな目で見下ろしてくる。以前なら、この視線だけで足がすくんでいただろう。でも、今は違う。


「泣き言なんてないわ。私は返しに来たの」

「何を?」

「あんたへの親不孝よ!」


 私は杖を構えた。いや、杖はフェイクだ。私は左手に闇を、右手に光を集めた。


「私はもう、あんたの人形じゃない! 私は私が好きなように生きる! そのために、リュミエールを助けに行くの!」

「愚かな。その心臓は私のものです。お前ごときに所有権などありません」


 母様が手を振るう。巨大な闇の触手が、四方八方から私を襲う。逃げ場はない。でも、私は逃げなかった。


「ポッコ! 私に掴まって!」

「はいっ!」


 私は両手の光と闇を、目の前で強引にぶつけ合わせた。融合なんて高等技術じゃない。単なる爆発だ。


「これでも食らいなさい! 混沌の灯火!」


 カッッッ!


 光と闇が衝突し、強烈な爆風が発生した。それは攻撃魔法というより、目くらまし付きの衝撃波。闇の触手が吹き飛ばされ、母様が一瞬だけ顔を覆う。


 その隙だ。私は爆風に乗って、天井――ガラス張りのドーム屋根に向かって飛び出した。


 ガシャァァァァン! ! 


 ガラスが粉々に砕け散る。私は夜空へと躍り出た。冷たい風が、熱った頬を叩く。


「逃がしませんよ!」


 下から母様の怒声と、追尾する闇の矢が飛んでくる。でも、もう遅い。私は重力制御の魔法を全開にし、流星のように加速した。


「あばよ、クソババア! 二度と帰ってこないからねー!」


 私はありったけの声で叫び、中指を立ててやった。


 眼下には、炎上する常闇の城。私の放った爆発が、夜空に狼煙のように立ち上っている。それは反逆の合図。そして、私が「私」として生きるための、最初の一歩だった。


「行くわよ、ポッコ! 目指すは戦場! リュミエールの元へ!」


 私は東の空、白み始めた地平線へ向かって、一直線に飛んでいった。胸のクリスタルが、まるで早く行こうと急かすように、熱く、力強く脈打っていた。




 眼下には、地獄が広がっていた。


 黄昏の平原と呼ばれるその場所は、今はただの焦土だった。黒煙が空を覆い、あちこちで爆発の閃光が走る。逃げ惑う白光の兵士たち。彼らを蹂躙するのは、母様の軍勢でも、魔物でもない。


 たった一人の騎士だ。


「ガァァァァッ!」


 獣のような咆哮。銀色の鎧は返り血で赤黒く染まり、背中の魔導装置からは過負荷を知らせる黒煙が上がっている。リュミエール。私の大切な、壊れてしまった友達。


「……待ってて。今、終わらせてあげる」


 私は高度を下げた。重力制御の魔法を解き、流星のように戦場のど真ん中へ突っ込む。


 ドォォォォン! ! 


 私が着地した衝撃で、周囲の地面がクレーターのように陥没した。土煙が舞い上がる。その向こうで、暴走していたリュミエールがピタリと動きを止めた。


「……ア……ウ……」


 彼女がゆっくりとこちらを向く。兜の隙間から見える瞳は、やはり白濁したまま。でも、その虚ろな目が私を捉えた瞬間、殺意の炎が揺らめいた気がした。


「リュミエール!」


 私は叫んだ。


「私よ! ノワールよ! ……ううん、アリスよ! 迎えに来たわよ!」


 彼女は答えなかった。代わりに、手にした大剣を振り上げ、恐ろしい速度で突進してきた。言葉は通じない。彼女にとって今の私は、排除すべき標的でしかない。


「ッ!」


 大剣が振り下ろされる。私は障壁を展開せず、ギリギリで身をかわした。風圧だけで肌が切れる。以前よりさらに出力が上がっている。このままじゃ、彼女の体そのものが自壊してしまう。


「目を覚ましなさいよ! こんな泥だらけになって、あんたの美学はどうしたの!」


 私は叫びながら、彼女の猛攻を避け続けた。反撃はしない。傷つけたくないから。でも、近づけない。彼女の周りには、制御不能になった雷の魔力がバチバチと渦巻いていて、触れるだけで黒焦げになりそうだ。


「ノワール様! 無理です! あんな嵐の中に飛び込んだら!」

「行くしかないのよ! ゼロ距離まで!」


 私は覚悟を決めた。胸に手を当てる。クリスタルが熱い。私の心臓じゃない、彼女の心臓が帰りたいと叫んでいる。


「……ポッコ、離れてて」

「え?」

「これは、私とあの子だけの問題だから」


 私はポッコを空中に放り投げ、退避させた。そして、リュミエールに向き直る。


「ガアアアアッ!」


 リュミエールが飛びかかってくる。私は逃げなかった。魔力防御を一点に集中させ、彼女の懐へと飛び込んだ。


 ズドッ! 


 鈍い音がした。大剣の柄が、私の腹部に深々とめり込んでいた。骨が軋む音。内臓が潰されるような激痛。


「ぐっ……ぅ……!」


 口から血が溢れる。でも、捕まえた。私はリュミエールの首に腕を回し、その体を抱きしめた。


「……やっと、捕まえた」


 冷たい鎧の感触。汗と血と、硝煙の匂い。彼女は暴れようとする。私の背中を殴り、引き剥がそうとする。


「離……セ……! コロ……ス……!」

「殺させないわよ。……あんたの手を、これ以上汚させない」


 私は自分の胸を、爪で強く引き裂いた――イメージをした。物理的に裂く必要はない。今の私は、この心臓とつながっている。私の意志一つで、この命の灯火を取り出すことができる。


「う、あぁぁぁぁっ! !」


 絶叫。私の胸から、眩い虹色の光が溢れ出す。痛い。痛いなんてものじゃない。魂を無理やり引き剥がされるような喪失感。でも、私はその光を逃がさなかった。


「リュミエール……」


 私は彼女の兜を無理やり剥ぎ取った。現れたのは、ボロボロになった素顔。虚ろな瞳が、光を見て怯えたように細められる。


「返すわ。……あんたの光、全部」


 私は彼女の顔を引き寄せ、その唇に自分の唇を重ねた。


 ――チュッ。


 柔らかい感触。その瞬間、世界が白く染まった。


 私の体内から溢れ出した虹色の奔流が、唇を通して彼女の体へと流れ込んでいく。熱い。私の命が、魔力が、想いが、溶けて彼女の中へ注がれていく。


 ごめんね痛かったでしょ寂しかったでしょ大好きだよ


 言葉にできない感情が、光の粒子となって伝わっていく。リュミエールの体がビクンと跳ねた。彼女の背中の魔導装置が爆散し、拘束具が弾け飛ぶ。


 ドクン……ドクン……。


 彼女の空っぽだった胸に、再び力強い鼓動が戻っていくのが分かった。代わりに、私の体からは急速に力が失われていく。寒気がする。手足の感覚がなくなる。でも、心地よかった。これでいい。これが、あるべき場所なんだ。


 唇を離した時、そこには奇跡が起きていた。


 リュミエールの白濁していた瞳に、色が戻っていた。深海のような、澄んだサファイアブルー。その瞳が、瞬きをして、目の前の私を映した。


「……ア……リス……?」


 彼女の声だった。獣の唸り声じゃない、あの懐かしい、鈴のような声。


「……おはよう、お寝坊さん」


 私は精一杯の笑顔を作ろうとした。でも、うまくいかなかった。膝から力が抜け、私は彼女の腕の中に崩れ落ちた。


「ノワール!?」


 リュミエールが私を支える。彼女は自分の胸に手を当て、そこにある温かい鼓動と、私の胸の静寂に気づき、愕然とした顔をした。


「まさか……君、ボクに心臓を……!?」

「……ふふ」


 私は震える手で、彼女の頬に触れた。温かい。血が通っている。ああ、綺麗だ。やっぱりあんたには、その輝きが似合う。


「なんで……! どうしてこんなことを!」

「言ったでしょ……。私は、あんたの共犯者だって」


 視界が霞む。寒くて、たまらない。光の心臓を失った反動。そして、本来の私の魔力さえも、あのキスで使い果たしてしまった。


「……死ぬな! アリス! ノワール! ボクはまだ、君に何も……!」

「……ねえ、リュミエール」


 私は消え入りそうな声で囁いた。


「約束……覚えてる?」

「約束……?」

「仮面を外したら……また、踊ってくれるって」


 リュミエールの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。それは私の頬に落ちて、冷たい肌を少しだけ温めてくれた。


「踊るよ……! 何度だって! だから、目を開けてくれ!」

「……楽しみにしてる……」


 私の手は、彼女の頬から力なく滑り落ちた。意識の糸が切れる。深い、深い闇の底へ。


 でも、怖くはなかった。だって、最後に見た景色は、私の大好きな光の王子様の泣き顔だったから。まったく、最後まで泣き虫なんだから。


読んでいただきありがとうございます♪


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