11
「……ゲホッ、ゲホッ! 埃っぽい! 掃除係は何をしてるのよ!」
「シーッ! 声がデカイですよノワール様! ここが敵陣のド真ん中だってこと、忘れてませんか!?」
私たちは今、常闇の城の裏口――厨房のダクトを通って、城内へ潜入していた。狭い。暗い。そしてカビ臭い。一国の王女が這いつくばって進む道じゃないけれど、今の私は指名手配犯みたいなものだ。正面玄関から「ただいまー」とはいかない。
「でも、懐かしいわね。昔、勉強をサボってここから抜け出したのを思い出すわ」
「あの時も僕が蜘蛛の巣まみれになって先導したんですよ……」
ポッコの愚痴を聞き流し、私は目的の場所――私の自室の通気口を蹴破った。
ガコンッ!
鉄格子が外れ、私たちは部屋の中に転がり込んだ。主を失った部屋は、ひんやりと静まり返っていた。散らかったままの魔道書。飲みかけのまま干からびた紅茶のカップ。何もかもが、私が家出したあの日のままだ。
「……さてと」
私はクローゼットを開け放った。そこには、母様が着せたがった漆黒の儀礼服に混じって、私がこっそり改造していた服たちが隠されている。
「ノワール様、急ぎましょう。母上に見つかったら……」
「分かってる。だからこそ、正装しなきゃいけないのよ」
私は一着のドレスを手に取った。黒を基調にしているけれど、スカートはフリルたっぷりのミニ丈。背中には大きなリボン。そして、動きやすいように編み上げブーツを合わせる。魔らしく、でも女の子らしく。これが私の戦闘服。
「……うん、悪くない」
鏡の前でポーズを決める。青白かった顔色も、今の決意に満ちた表情なら、不健康というよりミステリアスに見える。
「似合ってますよ。……まるで、物語の主人公みたいです」
「ふふん、やっと素直になったわね。さあ、行くわよポッコ」
私は部屋を出た。目指すは、城の最上階。飛竜の離着陸場だ。そこから一気に飛び立ち、戦場へ向かう。
しかし。廊下を曲がった瞬間、ズラリと並んだ黒い鎧の兵士たちが道を塞いでいた。
「――第1王女ノワール様ですね」
「女王陛下の命により、拘束させていただきます」
影の衛兵隊。母様の直属部隊だ。物理攻撃が効きにくく、集団で襲ってくる厄介な相手。
「……あーあ。やっぱりバレてたか」
「ど、どうします!? 逃げますか!?」
「逃げる? なんで?」
私は不敵に笑い、胸に手を当てた。ドクン、とクリスタルが脈打つ。以前のような痛みはない。私が返すと決めたからか、光の魔力は静かに、私の命令を待っている。
「邪魔するなら、通るだけよ。……光爆!」
私は指を鳴らした。パチンッ! 私の周囲に浮かんだ小さな光の球が、弾丸のように弾け飛んだ。
ドォォォォン! !
閃光が廊下を駆け抜ける。影の兵士たちは悲鳴を上げる間もなく、強い光に焼かれて消滅した。壁が吹き飛び、外の冷たい風が吹き込んでくる。
「す、すげえ……! 制御できてる!」
「完璧じゃないけどね。出力調整が難しいのよ」
私は黒煙を切り裂いて走った。騒ぎを聞きつけて、城中から兵士たちが集まってくる気配がする。いい気味だ。もっと慌てなさい。
最上階へ続く螺旋階段を駆け上がる。あと少し。出口が見えた、その時。
「――どこへ行くのです、ノワール」
空気が凍りついた。出口の前に、漆黒の闇が渦巻いている。そこから現れたのは、母。影分身ではない。本物だ。
「母様……」
「せっかく拾った命を、ドブに捨てに来たのですか? それとも、やはりその心臓の重みに耐えきれず、泣きついてきたのですか?」
母様が冷ややかな目で見下ろしてくる。以前なら、この視線だけで足がすくんでいただろう。でも、今は違う。
「泣き言なんてないわ。私は返しに来たの」
「何を?」
「あんたへの親不孝よ!」
私は杖を構えた。いや、杖はフェイクだ。私は左手に闇を、右手に光を集めた。
「私はもう、あんたの人形じゃない! 私は私が好きなように生きる! そのために、リュミエールを助けに行くの!」
「愚かな。その心臓は私のものです。お前ごときに所有権などありません」
母様が手を振るう。巨大な闇の触手が、四方八方から私を襲う。逃げ場はない。でも、私は逃げなかった。
「ポッコ! 私に掴まって!」
「はいっ!」
私は両手の光と闇を、目の前で強引にぶつけ合わせた。融合なんて高等技術じゃない。単なる爆発だ。
「これでも食らいなさい! 混沌の灯火!」
カッッッ!
光と闇が衝突し、強烈な爆風が発生した。それは攻撃魔法というより、目くらまし付きの衝撃波。闇の触手が吹き飛ばされ、母様が一瞬だけ顔を覆う。
その隙だ。私は爆風に乗って、天井――ガラス張りのドーム屋根に向かって飛び出した。
ガシャァァァァン! !
ガラスが粉々に砕け散る。私は夜空へと躍り出た。冷たい風が、熱った頬を叩く。
「逃がしませんよ!」
下から母様の怒声と、追尾する闇の矢が飛んでくる。でも、もう遅い。私は重力制御の魔法を全開にし、流星のように加速した。
「あばよ、クソババア! 二度と帰ってこないからねー!」
私はありったけの声で叫び、中指を立ててやった。
眼下には、炎上する常闇の城。私の放った爆発が、夜空に狼煙のように立ち上っている。それは反逆の合図。そして、私が「私」として生きるための、最初の一歩だった。
「行くわよ、ポッコ! 目指すは戦場! リュミエールの元へ!」
私は東の空、白み始めた地平線へ向かって、一直線に飛んでいった。胸のクリスタルが、まるで早く行こうと急かすように、熱く、力強く脈打っていた。
眼下には、地獄が広がっていた。
黄昏の平原と呼ばれるその場所は、今はただの焦土だった。黒煙が空を覆い、あちこちで爆発の閃光が走る。逃げ惑う白光の兵士たち。彼らを蹂躙するのは、母様の軍勢でも、魔物でもない。
たった一人の騎士だ。
「ガァァァァッ!」
獣のような咆哮。銀色の鎧は返り血で赤黒く染まり、背中の魔導装置からは過負荷を知らせる黒煙が上がっている。リュミエール。私の大切な、壊れてしまった友達。
「……待ってて。今、終わらせてあげる」
私は高度を下げた。重力制御の魔法を解き、流星のように戦場のど真ん中へ突っ込む。
ドォォォォン! !
私が着地した衝撃で、周囲の地面がクレーターのように陥没した。土煙が舞い上がる。その向こうで、暴走していたリュミエールがピタリと動きを止めた。
「……ア……ウ……」
彼女がゆっくりとこちらを向く。兜の隙間から見える瞳は、やはり白濁したまま。でも、その虚ろな目が私を捉えた瞬間、殺意の炎が揺らめいた気がした。
「リュミエール!」
私は叫んだ。
「私よ! ノワールよ! ……ううん、アリスよ! 迎えに来たわよ!」
彼女は答えなかった。代わりに、手にした大剣を振り上げ、恐ろしい速度で突進してきた。言葉は通じない。彼女にとって今の私は、排除すべき標的でしかない。
「ッ!」
大剣が振り下ろされる。私は障壁を展開せず、ギリギリで身をかわした。風圧だけで肌が切れる。以前よりさらに出力が上がっている。このままじゃ、彼女の体そのものが自壊してしまう。
「目を覚ましなさいよ! こんな泥だらけになって、あんたの美学はどうしたの!」
私は叫びながら、彼女の猛攻を避け続けた。反撃はしない。傷つけたくないから。でも、近づけない。彼女の周りには、制御不能になった雷の魔力がバチバチと渦巻いていて、触れるだけで黒焦げになりそうだ。
「ノワール様! 無理です! あんな嵐の中に飛び込んだら!」
「行くしかないのよ! ゼロ距離まで!」
私は覚悟を決めた。胸に手を当てる。クリスタルが熱い。私の心臓じゃない、彼女の心臓が帰りたいと叫んでいる。
「……ポッコ、離れてて」
「え?」
「これは、私とあの子だけの問題だから」
私はポッコを空中に放り投げ、退避させた。そして、リュミエールに向き直る。
「ガアアアアッ!」
リュミエールが飛びかかってくる。私は逃げなかった。魔力防御を一点に集中させ、彼女の懐へと飛び込んだ。
ズドッ!
鈍い音がした。大剣の柄が、私の腹部に深々とめり込んでいた。骨が軋む音。内臓が潰されるような激痛。
「ぐっ……ぅ……!」
口から血が溢れる。でも、捕まえた。私はリュミエールの首に腕を回し、その体を抱きしめた。
「……やっと、捕まえた」
冷たい鎧の感触。汗と血と、硝煙の匂い。彼女は暴れようとする。私の背中を殴り、引き剥がそうとする。
「離……セ……! コロ……ス……!」
「殺させないわよ。……あんたの手を、これ以上汚させない」
私は自分の胸を、爪で強く引き裂いた――イメージをした。物理的に裂く必要はない。今の私は、この心臓とつながっている。私の意志一つで、この命の灯火を取り出すことができる。
「う、あぁぁぁぁっ! !」
絶叫。私の胸から、眩い虹色の光が溢れ出す。痛い。痛いなんてものじゃない。魂を無理やり引き剥がされるような喪失感。でも、私はその光を逃がさなかった。
「リュミエール……」
私は彼女の兜を無理やり剥ぎ取った。現れたのは、ボロボロになった素顔。虚ろな瞳が、光を見て怯えたように細められる。
「返すわ。……あんたの光、全部」
私は彼女の顔を引き寄せ、その唇に自分の唇を重ねた。
――チュッ。
柔らかい感触。その瞬間、世界が白く染まった。
私の体内から溢れ出した虹色の奔流が、唇を通して彼女の体へと流れ込んでいく。熱い。私の命が、魔力が、想いが、溶けて彼女の中へ注がれていく。
ごめんね痛かったでしょ寂しかったでしょ大好きだよ
言葉にできない感情が、光の粒子となって伝わっていく。リュミエールの体がビクンと跳ねた。彼女の背中の魔導装置が爆散し、拘束具が弾け飛ぶ。
ドクン……ドクン……。
彼女の空っぽだった胸に、再び力強い鼓動が戻っていくのが分かった。代わりに、私の体からは急速に力が失われていく。寒気がする。手足の感覚がなくなる。でも、心地よかった。これでいい。これが、あるべき場所なんだ。
唇を離した時、そこには奇跡が起きていた。
リュミエールの白濁していた瞳に、色が戻っていた。深海のような、澄んだサファイアブルー。その瞳が、瞬きをして、目の前の私を映した。
「……ア……リス……?」
彼女の声だった。獣の唸り声じゃない、あの懐かしい、鈴のような声。
「……おはよう、お寝坊さん」
私は精一杯の笑顔を作ろうとした。でも、うまくいかなかった。膝から力が抜け、私は彼女の腕の中に崩れ落ちた。
「ノワール!?」
リュミエールが私を支える。彼女は自分の胸に手を当て、そこにある温かい鼓動と、私の胸の静寂に気づき、愕然とした顔をした。
「まさか……君、ボクに心臓を……!?」
「……ふふ」
私は震える手で、彼女の頬に触れた。温かい。血が通っている。ああ、綺麗だ。やっぱりあんたには、その輝きが似合う。
「なんで……! どうしてこんなことを!」
「言ったでしょ……。私は、あんたの共犯者だって」
視界が霞む。寒くて、たまらない。光の心臓を失った反動。そして、本来の私の魔力さえも、あのキスで使い果たしてしまった。
「……死ぬな! アリス! ノワール! ボクはまだ、君に何も……!」
「……ねえ、リュミエール」
私は消え入りそうな声で囁いた。
「約束……覚えてる?」
「約束……?」
「仮面を外したら……また、踊ってくれるって」
リュミエールの瞳から、大粒の涙が溢れ出した。それは私の頬に落ちて、冷たい肌を少しだけ温めてくれた。
「踊るよ……! 何度だって! だから、目を開けてくれ!」
「……楽しみにしてる……」
私の手は、彼女の頬から力なく滑り落ちた。意識の糸が切れる。深い、深い闇の底へ。
でも、怖くはなかった。だって、最後に見た景色は、私の大好きな光の王子様の泣き顔だったから。まったく、最後まで泣き虫なんだから。
読んでいただきありがとうございます♪
ブックマークの登録、ご評価、何卒よろしくお願いいたします!




