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第一章 暗号化された記憶


 春の陽射しが差し込む六畳間で、森川結衣は祖母の遺品と格闘していた。昨年亡くなった祖母・澄子が残した膨大な書籍と資料は、まるで小さな図書館のようだった。図書館情報学を専攻する結衣にとって、これほど魅力的な宝物はない。


 結衣は慎重に古い箱を開けた。中から現れたのは、手書きの目録カードが数百枚束ねられたものだった。一見すると戦前の図書館で使われていた貸出カードのようだが、よく見ると奇妙な点があった。


「これって……暗号?」


 カードには書名と著者名が記載されているが、その配列に規則性がない。『資本論』の隣に『源氏物語』があり、マルクスの著作とアダム・スミスの経済学書が混在している。しかも、一部の文字が意図的に別の文字に置き換えられているようだった。


 結衣のスマートフォンが鳴った。指導教授の田原敬二からの連絡だった。


「森川さん、例の戦時中の検閲に関する論文の進捗はいかがですか?」


「実は先生、面白いものを見つけたんです。祖母の遺品に暗号化された図書目録があって……」


「それは興味深いですね。お祖母様は図書館員でしたよね? 一度拝見させていただけませんか?」


 田原は都内の私立大学で図書館情報学を教える准教授で、戦時中の検閲制度を専門としている。結衣の修士論文「デジタル時代における情報統制の歴史的考察」の指導教官でもあった。


 翌日、結衣は大学の田原研究室を訪れた。壁一面に並ぶ戦前の禁書コレクションは、田原の研究の証でもある。


「これは……」田原は目録カードを手に取り、眉をひそめた。「明らかに暗号化されていますね。戦時中の図書館では、重要な蔵書を憲兵の目から隠すため、こうした手法が使われることがありました」


「解読できるでしょうか?」


「シーザー暗号の応用のようですが、キーが分からないと難しいですね。お祖母様は他に何か残されていませんか?」


 結衣は思い出した。祖母の日記帳があったはずだ。


 その夜、結衣は祖母の日記を詳しく調べた。昭和十五年から二十年までの記録が、几帳面な文字で綴られている。


『昭和十八年九月十二日 中村先輩より特別任務を託された。禁書目録の暗号化である。ヴィジュネル方式を改良し、書名の頭文字を鍵として使用することとした。真理を守るため、我々にできることをしなければならない』


 結衣の心が躍った。ヴィジュネル暗号——十六世紀に開発された多表式暗号で、鍵となる文字列を用いて暗号化する方式だ。現代の暗号学の基礎でもある。


 しかし、鍵となる「書名の頭文字」が何を指すのかが分からない。結衣は夜遅くまで様々なパターンを試したが、解読には至らなかった。


 翌朝、結衣はふと気づいた。祖母の本棚に並ぶ本の配列が不自然だったのだ。五十音順でも出版年順でもない。もしかして、これが鍵なのではないか?


 本棚の上段から順に書名の頭文字を拾い上げると、「アイウエオカキクケコサシスセソ……」という文字列が現れた。これを鍵として暗号化された目録カードを解読すると、隠された真実が姿を現した。


 解読された目録には、戦時中に発禁処分を受けた書籍のリストが記載されていた。しかし、それだけではない。カードの裏面には、これらの本が実際に隠された場所が記号で示されていたのだ。


「地下室……第七書架……」


 結衣は震え声でつぶやいた。祖母たちは本当に禁書を隠していたのだ。そして、その在り処を後世に伝えるため、巧妙な暗号を仕掛けていたのである。


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