呪われてるから、捨てたんじゃ?
私──シェリルは〈呪いの子〉として生まれた。
『なんで、伯爵家に黒髪の子が生まれるのよ。あなたは私たちの恥だわ』
『お前は呪われているんだ。殺さずに育ててもらっているだけでも感謝しろ』
『お姉ちゃん、近寄らないで。私まで呪われちゃうじゃん』
散々、今まで家族から罵倒を浴びせられた。
だけど、それも仕方がないのだ。
この国において、黒髪は忌み嫌われた存在。
家族の他のみんなは黄金のような金髪なのに、何故か私だけが黒髪。
当初は、お母様の不貞も疑われたらしい。
しかし、魔法で検査してもらうと、私はお父様とお母様の間に生まれた子だと断定された。
せめて、血さえ繋がっていなければ、こんなに苦しまなかったのに──。
そう考えたのは、一度や二度じゃない。
〈呪いの子〉である私は家族と同じ屋敷に暮らしながらも、別の生活を強いられることとなった。
妹はなんでも買ってもらえるのに、私はドレス一つ買ってもらったことがない。
お母様は毎日贅沢な食事を取っているのに、私にはほとんど水とパンしか出されない。
お父様はよく旅行に出かけているのに、私は屋敷から出ることさえ出来ない。
お金がないわけではない。
私の家は元々、商売で一財産を築き、子爵位を授かった一族だ。
だから、妹に比べて私の対応が粗末なのは、嫌がらせ以外の理由は考えられない。
迫害を受けている私を不憫に思って、味方に回ってくれる人もいた。
私と仲がよかったメイドも、その内の一人だ。
だが、家族に隠れて私にネックレスを渡しているところを見つかって、彼女も解雇されてしまった。
このまま一生、〈呪いの子〉として家族から迫害を受けて、良いことなんてなに一つないまま、人生を終えるんだ。
そう思っていた、ある日──。
私はお父様から呼び出しを受けた。
「お前は明日から、セドリック公爵に嫁いでこい」
嫁いでこい──つまり結婚だ。
今まで外出さえ許されてこなかったのに結婚?
お父様が私のために、縁談を探してくれたってこと?
一瞬気持ちが上向きになるが、セドリック公爵の詳細を知り、すぐに落ち込んだ。
セドリック公爵は別名、『悪魔公爵』と呼ばれている。
この国において悪魔は禁忌だ。そんな悪魔を、セドリック公爵は日夜研究しているらしい。
セドリック公爵の屋敷に赴いた者の姿は、二度と外で見ることはない──とも聞いた。
きっと、悪魔に喰われたのだろう。そんな噂も出回っている。
そもそも、生まれてから一度も外に出た記憶がないのに、セドリック公爵が自分を気に入るはずがない。
私は〈呪いの子〉だ。
悪魔は(本当かどうか分からないけど)呪いを主成分とする種族。
私と結婚するのも、きっと悪魔に喰わせる供物にするためなんだろう。
そうとしか考えられなかった。
それでも──。
「少しはよくなるかもしれない」
今まで、死んでいたものだから。
この地獄みたいな屋敷から抜け出せると思ったら、そこまで悪い話じゃないかもしれない。
それに、悪魔に喰わせるため……というのは、あくまで私の想像だ。
もしかしたら、セドリック公爵は私を大切にしてくれるかも──。
自分に言い聞かせると、少しは気持ちが晴れた。
だけど、その期待は初めてセドリック公爵と初めて顔を合わせて、裏切られることになる。
〈呪いの子〉は決して幸せになれない。
セドリック公爵の元に嫁いでも、私の人生はなんら変わらないのだ──と。
「シェリル──君には僕の妻として、期待することはない」
セドリック公爵との初顔合わせ。
彼は私を見るなり、そう告げた。
「期待することはない……というのは?」
「そのままの意味だ。僕は僕の目的のために、君と結婚した。君には、妻としての働きを期待していない」
問い返すと、セドリック公爵は淡々と述べた。
セドリック公爵は、大変美しい男性だった。
切れ長の瞳に、長いまつ毛。整っている鼻筋に、頼もしそうな胸板。
女性を虜にするような、と言うべきなのだろうか。魔性の魅力を醸し出していた。
こんなキレイな方に見そめられるとは、なんて光栄なことなんだろう。
普通ならそう思うところだが……私を見るセドリック公爵の目つきは厳しく、この結婚には『愛』はないと否応がなしに分からされた。
「では、私はこの家でなにをすれば……」
「君は基本的になにもしなくていい」
即答するセドリック公爵。
『余計なことをするな』という意味だろう。彼の言葉からは、物言いすることが出来ない圧を感じてしまった。
──ここでも、なにも変わらないんだ。
もしかしたら、セドリック公爵は私に魅力を感じてくれているのかもしれない。
彼なら家族と違って、私を大切にしてくれるかもしれない。
だけど、それは全部、私の勘違いだったのだ。
『悪魔に喰わせるため』
その噂はやっぱり、本当だったのかもしれない。
実家を出て、なにかが変わるかも──と思っていた私の期待が、一瞬で砕けてしまった。
「……分かりました」
だから、絞り出すように返事をする。
ここで、なにを言っても分からない。
せめて、セドリック公爵の機嫌を損ねないようにしなければ。
そう考えていると、自然と俯いてしまった。
「…………」
セドリック公爵は探るような視線を、私に向けている。
「……君の部屋は、メイドたちに案内させよう。分かったら、行ってくれ。また、なにかあれば呼び出す」
ああ──そうだ。
……と、私が部屋から出ていこうとする間際、セドリック公爵はこう告げる。
「しばらくの間、君の外出を禁ずる。悪いが、理由は話せない。分かってくれるか?」
「……はい」
「あとは、細々としたものも受けてもらう予定だが……まあ、それはあとでまとめて、メイドに説明させよう。僕からの説明は以上だ」
それだけを言って、セドリック公爵は手元の書類に視線を落とした。
話はこれで終わり、ということなのだろう。
『早く出ていってくれ』、そう言いたいのかもしれない。
私は一礼して、部屋から出る。
実家とは比べものにならないくらい、広いお屋敷。
だけど、全体的にどこか陰湿な空気が漂っている。
実家は豪奢なものが、たくさん置かれていた。公爵家なんだから、子爵家の私より資産はあるのだろうが……ここには、目立った高級品は置かれていないように見えた。
それとも、あそこにかけられている絵画も高いのだろうか? よく分からない。
ただ代わりに、視線の端々に魔導具や薬のようなものが置かれている。
見ているだけで、不安が増してくる奇妙さだ。
それらが、このお屋敷の世俗離れした不気味さを増長させている。
「悪魔公爵の……お屋敷……」
ぽつりと呟く。
しかし、すぐに口を閉じる。
こんな言葉、セドリック公爵に聞かれたら、なにをされるか分かったものじゃないからだ。
そう……ここでもなにも変わらない。
なんなら、会っていきなりぶたれなかっただけでも、よかったのかもしれない。
実家でのトラウマが、脳裏によぎった。
「奥様」
メイドの一人が私に声をかける。
「わたくしが、奥様の部屋まで案内いたします。付いてきてください」
「はい」
頷き、私は彼女の後に続く。
これから、なにが起こるんだろう。
先が見えない暗雲の中を彷徨い歩くような、不安な心境は晴れない。
◆ ◆
翌朝。
起床し、背伸びをして朝陽を浴びていると、徐々に今の状況を思い出してきた。
「そうだ……私、セドリック公爵様と結婚したんだった」
今までと違いすぎて、理解が遅れてしまった。
私は生まれてから、〈呪いの子〉として、家族から迫害を受けてきた。
朝起床すると、使用人のようにすぐにお屋敷中の掃除をさせられるのが当然の行いだった。
だけど、今はそれもない。
幸せを噛み締めるが──すぐに、私は悪魔の供物にさせられるべく結婚させられただけで、なにも変わらないことを思い出して、暗い気持ちになる。
「奥様」
そうしているとドアがノックされ、部屋に一人のメイドが入ってくる。
「お目覚めでしたか。起きて早々に申し訳ないのですが、定期検診の時間です。行きましょう」
「は、はい」
早急に身支度を終わらせて、私は彼女と一緒に部屋を出る。
彼女はアンナさん。
ここ──セドリック公爵家で、メイド長をしているらしい。
歳は私の少し上くらいのはずだけど、そうとは思えなくらい、自信と威厳に満ちていた。
アンナさんに付いていくとやがて、とある一室に通される。
その部屋には見慣れない書物やモニュメントが置かれており、床には魔法陣が描かれていた。
魔法陣の中央には椅子があり、アンナさんはそれを指し示す。
「では、朝の定期検診を始めます。そこにお座りになってください」
「分かりました」
そう頷いて、椅子に腰を下ろす。
──私がこのお屋敷でやること。
セドリック公爵は『なにもしなくていい』と言ったが、唯一、義務が課されられたのがこの定期検診だ。
理由については明かされていない。
しかし、私は〈呪いの子〉。呪いを主成分とする悪魔の供物(仮定)なんだし、そうなる前に体を壊されては困るからだろう。
問題は、検診に魔法陣が必要なのかどうかということだけど……生まれてから、一度も医者にかかったことがないので、これもよく分からなかった。
「奥様、目をお瞑りください。少し気持ち悪さを感じるかもしれませんが……体に害はないので、どうかご安心を」
アンナさんの言う通りに、目を閉じる。
すると、額に温かさを感じた。
なにをしているんだろう?
そう思うが、目を開けたら叱られるかもしれない。
なので目を開けたい衝動に駆られながらも、アンナさんの言葉に従った。
「……終わりです」
五分くらい経った後だろうか。
アンナさんにそう告げられ、ゆっくりと目を開けた。
「お疲れ様でした。お気分は悪くありませんか?」
「は、はい。特に問題なく」
なにせ、私は目を閉じていただけだ。気分が悪くなるはずがない。
だけど、アンナさんは目を丸くし。
「問題なく……本当にそうですか?」
「……? 本当です。ほら」
すっと立ち上がり、健常さをアピールする。
「元気です。私、なにか変なことを言っていますか?」
「いえ、そうではありません。やはり、シェリル様は──」
アンナさんは顎に手を当て、一頻り考え込んでしまった。
「アンナさん?」
「な、なんでもありません」
慌てたように首を横に振るアンナさん。
「お気分が悪くなられていないようでしたら、よかったです。このことは、セドリック公爵様にもご報告させていただきますね」
アンナさんの態度は不自然だ。
気にはなる。
だけど、問い詰めるような真似をするのも抵抗がある。
なにか変なことを呟いて、アンナさんを不快にさせるのが怖かったからだ。
「そろそろ朝食の時間が近づいてまいりました。次は食堂にご案内いたします」
「朝食……? そんなものが用意されているんですか?」
「? なにをおっしゃっていますか。当然です。朝食を食べずして、一日をどう乗り越えるとでも言うのですか」
本気で分からないのか、アンナさんは無表情のまま首を傾げた。
だって、実家では朝食なんて用意されたことなかったし……。
その言葉が喉元まで出かかっていたが、寸前で引っ込める。
そんなことを言っても、アンナさんを困らせてしまうだけだろうからだ。
検診をした部屋を出て食堂に向かうと、既に料理人の方々が慌ただしく動き回っていた。
居心地の悪さを感じつつ、テーブルの前に腰を下ろすと、程なくして朝食が運ばれてくる。
「こ、こんなにたくさん……本当ににいいんですか……?」
「ああ──少し、量が多すぎましたかね? 公爵様には奥様によく食べてもらうようにと言いつけられていましたが……多い分は、どうか遠慮せずに残してくださいませ」
「そ、そうじゃないんです」
慌てて否定する。
朝食のメニューは焼き立てのバゲットに、自家製のバターと木苺ジャム。
白い陶器の皿には、ふわふわのオムレツとベーコン、それに甘く焼かれたグラッセ人参。傍らには、銀のスープ皿に注がれたポタージュもあった。
ご、豪華すぎる……。
まるで、いつも実家のお父様たちが口にしている食事みたいだ。
私には基本的に朝食なんて贅沢なものは、与えられなかった。
たまにお父様たちの機嫌がいい時も、私に出されるのは水やパン、残飯などだった。
なのに、ここではたくさんの料理を並べてもらって、嬉しさよりも戸惑いの方が大きかった。
「では、有り難くいただかせてもらいます。テーブルマナーが分からないので、お見苦しいところがあったら、すみません」
「そんなこと、気にしなくていいんですよ。それにしても、子爵令嬢なのにテーブルマナーも分からないというのは──」
「いただきます!」
余計なことを口走ってしまったことを焦り、慌てて料理に口を付ける。
料理はどれも絶品だった。
舌がとろけてしまいそうになるくらい。
だけど、私にしてはやっぱり量が多かったみたいで、最後には強引に口に流し込むといった形になってしまった。
それでも、決して辛くはない。
体中に栄養が染み渡っていくようで、頭の中が幸せで満たされた。
「…………」
そんな私を、アンナさんは複雑そうな面持ちで眺めていた。
あれから数日が経った。
朝には定期検診を受け、相変わらず外出は禁止されてはいるものの、屋敷内では自由を許されている。
そこで、私はあらためて疑問を抱いた。
──セドリック公爵は、どうして私なんかと結婚したんだろう。
悪魔への供物にされると思っていたが、今のところ、そんな様子は一切ない。
それどころか、こちらが恐縮するほど、丁寧に対応されている。
朝の定期検診は欠かされなかったが、他は比較的に自由を許されている。
一日中考えているが、答えは出ない。
だから……私は今日も、セドリック公爵の目的を考えながら、私は屋敷内を散歩することにした。
なにせ、他にやることがないのだ。
幸いにも、お屋敷はとても広かったので、毎日歩いても飽きなかった。
そして、とある書庫──。
なにげなくそこに立ち寄ると、そこには意外な人物がいた。
「あ」
思わず、声を漏らしてしまう。
すると──書庫のテーブルの前でなにかを読んでいる彼、セドリック公爵の顔がゆっくりとこちらを向いた。
「シェリルか」
セドリック公爵は持っていたものをテーブルに置き、そう言葉を返す。
「す、すみません……時間を持て余していたもので。屋敷内で散歩しておりました」
「謝る必要はない。そんなところに立っていないで、君も座るといい」
そう言って、セドリック公爵は対面の席を視線で指す。
本当に座っていいのだろうか……と少し抵抗はあったものの、彼の提案を無碍にするのも失礼だと思った。
恐る恐る彼の対面に腰を下ろす。
「あ、あのー……なにを読んでらっしゃったのでしょうか。それは……手紙? セドリック公爵様宛のものですか」
「ああ──」
疑問を投げかけると、セドリック公爵は手紙をそそくさと、私の見えない位置にしまう。
「大したものじゃない。言ってしまってもいいが……今の君には、不快に感じるかもしれない。時期がくれば、僕から話そう」
「……? 分かりました」
なんだろう……。
不思議に思ったが、セドリック公爵は「この話は終わり」と言わんばかりに、手元の本を取る。
そしてページを開き、読書を始めてしまった。
無言の時間が流れる。
き、気まずい……。
決して不快な気持ちにはならなかったけど、せっかくセドリック公爵と話す機会が出来たのだ。
話すことによって、彼の目的も分かるかもしれない。
「セドリック公爵様の読んでいる本……それって、『紫薔薇の嘘に口付けを』ですよね?」
意を決して、私は口を開いた。
「ほお? 分かるのか。あまり、有名な本でもないはずだが」
「は、はい。実家にいる時は、よく本を読んでいたので」
というより、家事をやらされていたこと以外、することがなかったとも言える。
実家で一人だった私は、本の中の世界によく救いを求めていた。
「登場人物の関係性が複雑で、恋模様の裏に隠された駆け引きが見事でした。当時の歴史的背景と感情の機微を学べるのも、とてもタメになります」
「知っているだけではなく、よく読み込んでいるな。大したものだ」
少し驚いた様子で、セドリック公爵の声が高くなった。
もっとも、人の顔色ばかりを窺っていた私じゃなかったら、気付かないくらいの微細な変化だったけど。
「そんなことありません。私は……無知ですから。せめて、本を読んで知識を付ける必要があったまでです」
「自分を卑下するな。無知だなんて、とんでもない。結婚して日も浅いが、君からは知性を感じる」
表情を変えずに答えるセドリック公爵。
知性を感じる……なんて初めて言われたから、なんと言葉を返していいか分からず、口を閉じてしまった。
再び、場に静寂が流れる。
…………。
「……もう一つ、質問いいですか?」
ようやくそう口を開くと、セドリック公爵はページを開いたまま、顔を上げる。
「どうして、私と結婚したんでしょうか? 私が〈呪いの子〉だということも知っているでしょう。それなのに何故……」
言ってしまってから後悔した。
セドリック公爵は喋ってくれないだろうし、仮に口を開いたとしても、『お前を悪魔に食べさせるためだ!』と言われても、現実をぶつけられるようで怖いから。
しかし、セドリック公爵は私から真剣さを感じ取ったのか、本をテーブルに置いた。
「そうだな……」
一頻り、考えた後。
「僕の目的のため。今はそうとしか言えない」
「そう……ですか」
セドリック公爵と初めて顔合わせした時にも言われたことだ。
だけど、それが分からないから、こんなに頭を悩ませている。
「ですが、公爵様なら、他にもっといい人がいたはずです」
「確かに、今まで数々の令嬢が、僕に結婚を申し出てくれた。皆、美しい女性だった。だが、その中でも君は一段と美しい。特に──その黒髪」
じっと、私の髪を見つめるセドリック公爵。
「まるで宝石のようだ。夜の輝きという名の宝石があれば、まさに君を指す言葉なのだろうな」
「あ、ありがとうございます。ですが……」
「そんなことを言われたのは初めてか?」
「はい」
「まあ、この国では黒髪は忌み嫌われているからな。君が戸惑うのも仕方がない。だが、目的のために結婚という手段を取ったとはいえ、君が魅力的な女性であることは嘘ではない。だから──」
真っ直ぐと、真摯のこもった眼差しをセドリック公爵は向け、こう告げた。
「自分を〈呪いの子〉だと言うのはやめろ。君は、なにも悪くない」
「──っ」
彼からそう言われ、私は感極まって声を発せられずにいた。
今まで、〈呪いの子〉だと散々虐げられてきた。
自分には生きる価値がないんだと、何度も思った。
だけど、セドリック公爵はそんなことを言わない。
もちろん、裏の目的があるのかもしれない。
だけど口数の少ない彼から語られる言葉は、不思議と信じることが出来た。
「ありがとう……ございます」
「うむ」
頷いて、セドリック公爵は再び本に視線を落とす。
何度目になるのだろうか、また無言の時間が始まる。
だけど、今度は気まずさは感じなかった。
◆ ◆
さらに数日が経過した。
私の生活はなにも変わりはしなかったけど、ある日、たまたまメイドたちが話している内容を聞いてしまった。
どうやら、私の実家が騒がしいらしいのだ。
不運なことが続き、やっている事業が傾いてきている。
お父様も資金繰りに忙しく、セドリック公爵にもお金の無心をし始めた……と。
初耳だった。
実家を出る前は、事業が傾く素振りは一切なかったのに。
どうして、そんなことになっているんだろう?
疑問に思っていたが、さらにある日──セドリック公爵に渡す前に、一通の手紙を見つけてしまった。
見てはいけない。そう思ったけど、何故だか胸騒ぎがして……封を開けた。
そして、そこに書かれている内容に驚き、私はセドリック公爵がいる執務室へと向かった。
「公爵様」
執務室。
私が声をかけると、セドリック公爵が顔を上げた。
「どうした? なにか不便なことでもあったのか。だったら、気兼ねせずに言って……ん?」
そこで、彼は私が持っている手紙に気が付いた。
「それは……読んでしまったか」
「はい」
頷き、私はセドリック公爵の前に立つ。
「先日、公爵様が読んでいた手紙は、私の実家からのものだったんですね」
「そうだ」
あっさりと答えるセドリック公爵。
手紙には、私に対するありとあらゆる罵詈雑言が書かれていた。
それは慣れていたから、特に驚かなかったけど……問題は手紙の締めの文。気になることが書かれていた。
『シェリルがいなくなってから、我が家は災難続きだ。呪いを払うために、今すぐシェリルを我が家に帰還させろ』
──というような内容。
「実家にとって、私は〈呪いの子〉であり、災いをもたらす存在でした。それなのに、今すぐ帰らせろと言っている。これはどういうことですか?」
尋ねる。
すると、セドリック公爵は「ふーっ」と大きく息を吐き、こう続けた。
「もう少し、あとになってから説明しようと思っていた。だが、読んでしまっては仕方がない」
「なら……」
「手紙の内容通りだ。シェリルの実家は呪いを払うために、君の力を必要としている」
「私の力……?」
「君は自分のことを〈呪いの子〉だと思っているな。だが、実際は違うんだ」
淡々とセドリック公爵は説明する。
「君の力──それは自分の体に呪いを集め、浄化してしまうものだ」
「私に……そんな力が? ですが、今まで一度たりとも、そのような力は使ったことがないのですが……?」
「君が意識しようとしていなくとも、自動で発動する力だ。だから、君は自分の力に気が付かなかった」
今まで、そんなことを考えたこともなかったので、セドリック公爵の話はピンとこなかった。
戸惑っている間にも、セドリック公爵は話を続ける。
「君は呪われてなんかいない。事実は逆だ。呪われているのは、君の実家の方だったんだ」
「私の──実家」
「商売というのは良くも悪くも、人々からの嫉妬を集めやすい。だからだろう。長年蓄積した嫉妬が呪いとなり、あの家を蝕んでいた」
実家に蔓延していた呪い。
それは今まで私に集められ、知らない間に浄化されていった。
だけど、もう私はあの家にいない。呪いは溜まっていく一方で、浄化されない。
今、実家で起こっている不運も、それが原因だったのだ。
「僕は──」
私の考えを裏付けるかのように、セドリック公爵は言う。
「君の力に気が付いていた。君が、あの家でどのような仕打ちを受けていたのか……についてもな。いつか、助け出したいと思っていた。だが、ヤツらは君をなかなか手離そうとしない」
「だから……結婚という手段を取ったわけですか」
「その通りだ。あちらとしても、公爵家と繋がりが出来ることは、好ましいことだったのだろう。多額の準備金をちらつかせれば、すぐにシェリルを手離したよ」
「いくら公爵家との繋がりが出来るとはいえ、呪いを浄化させる力を持つ私を、お父様たちは手離したのでしょうか?」
「さあな。差し詰め、呪いはない。だから君がいなくとも、なんとかなると思っていたのかもしれないな」
「ですが、そうはならなかった……と」
「ああ」
首肯するセドリック公爵。
「君は〈呪いの子〉ではない。この世に蔓延する呪いを浄化する、言うなれば〈祝福の子〉だったのだ。君はもう、苦しむ必要がない」
「──っ」
感極まって、涙が込み上げてくる。
ずっと、自分が悪いんだと思い込んできた。
呪われてるから、家族に捨てられたんだと思った。
でも……違ったのだ。
それが分かると、今までの暗い気持ちが一気に晴れていった。
「だが──君の力は不安定なものだ」
セドリック公爵は顎の前で手を組み、さらに続ける。
「恐怖や不安。悩みが力を曇らせる。最悪の場合は暴走し、君の体を蝕む」
「だから、今まで私の力や実家からの手紙については、話してくれなかったんですね」
「そうだ。だから、僕たちが君の力を完全に把握するまで、隠すつもりだった。君が受けてもらった定期検診も、その一環だった。だが……それは杞憂だったようだな。君の表情を見ていると、とてもじゃないが、気に病んでいる様子ではないのだから」
ふんわりと優しい笑みを浮かべるセドリック公爵。
「私の実家はこれから、どうなるのでしょうか?」
「呪いを溜めて、破滅するだろうな。とはいえ、あの家を包んでいた呪いもほとんどがなくなっている。だから、あとはヤツらが君に行った迫害を反省し、悔い改めることによって呪いも晴れるが……手紙の内容を読むに、難しそうだ」
呆れたような表情で、セドリック公爵は言う。
「シェリル、こっちに」
続けて、私に彼の隣に来るように促す。
私はゆっくりと、彼の隣に立った。
「先日、シェリルは言っていたな。僕が君を娶った目的はなんなのだ……と」
「はい」
「ならば今、話そう。ここまで聞いたら分かると思うが──僕の目的とは、君を救うためだ」
「どうして、公爵様はそこまで私を気にかけてくれるのでしょうか?」
「我が公爵家は代々、悪魔について研究している一族なのだ。大昔、悪魔を打倒し、その功績を求められて公爵位を授かったらしい」
もっとも──人々はいつしかそのことも忘れ、僕のことを『悪魔公爵』と呼び、恐れている者もいるがな。
と、セドリック公爵は自嘲気味に言った。
「悪魔は呪いの主成分にする。だから、君の力……〈祝福の子〉はまさに奇跡だ。それなのに、あの家で迫害されているのは、どうしても許せなかった」
「あ、ありがとうございます。私、食べらるわけじゃなくて──」
「食べられる? どういう意味だ」
セドリック公爵が首を傾げる。
……悪魔に食べさせるために私と結婚した──と勘違いしていたことは、言えるはずがない。
「それを踏まえて、シェリルに聞きたい。君はどうしたい?」
真っ直ぐと、私の瞳を見つめるセドリック公爵。
「僕は僕の目的のために、君と結婚した。だから君に負担をかけたくなくって、妻としての働きを求めなかった」
「…………」
「これはいわば、僕の我儘でもある。そこに君の意思は介在していない。だから、あらためて聞く。君はこの家にいたいか? それとも、実家に帰りたいか?」
そんなの──私の考えは決まっている。
セドリック公爵の真摯さに答えるように、私は彼の顔を真っ直ぐと見つめ返した。
「私……この家にいたいです」
私がこの家にい続ければ、実家はもっと大変なことになるかもしれない。
だけど、元はといえば捨てたのはあちらだ。
今までは自分の考えを押し殺してきたが……私、幸せになってもいいよね?
「あなたは妻として、私を求めていないかもしれませんが……時間がかかっても、夫婦らしい関係を築いていきたい。だから公爵様。お願いです。私をあなたの隣にいさせてください」
「もちろんだ」
セドリック公爵が私の頭を撫でてくれる。
彼の右手は大きく、頼もしく感じた。
──後日。
私の実家は呪いを溜め込んだまま、没落することになるのだが……それはまた別の話。
お読みいただき、ありがとうございました。
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