第7章-EP10 臨時株主総会
【涼子、会場に入れず】
8月29日午前10時。
会場となった陽光商事本社最上階の大ホールには、陽光商事の株主たちが次々と集まり、臨時株主総会の開始を待っていた。
その建物の前で、涼子は立ち止まっていた。
サングラスにワンピースという目立たぬ格好だが、緊張と焦りがその表情に滲んでいる。
受付に向かおうとすると、警備員に呼び止められた。
「申し訳ありません。高橋涼子様ですね? 本日のご入場は、ご遠慮いただいております」
「……は?」
涼子は一瞬、何を言われたのか理解できず、警備員を見つめた。
その手元には、「陽光商事臨時株主総会・入館制限者リスト」と書かれた紙があった。
そこには、たった一名の名前。
“高橋涼子”
「高橋涼子は、総会に参加する資格のある株主の代表代理です。理由を説明してください」
同行していた翔太が食い下がるが、警備員は苦い顔で首を横に振った。
「……運営上の安全確保のためです。以前、社内で“特殊な手段”を行使したという記録があるとか」
「それって……!」
翔太が声を荒げる前に、涼子がそっと彼の腕を掴んだ。
「いいの、翔太くん……これは桜井社長の仕掛けた防御策よ。桜井は私が会場にいたらすべて私に支配されると思ったのね。……想定内だわ」
その声は静かで、しかし確かな怒りを孕んでいた。
「でも、私が入れないなら……翔太くん、あなたがこの戦場に立つのよ」
涼子は手を伸ばし、翔太の胸元をそっと撫でる。
「あなたのココには、私がいるんだから♡」
翔太は小さく頷いた。そして、涼子を振り返ることなく、会場の中へと歩き出した。
涼子は、強く拳を握りしめた。
(……桜井……こんな手を使うなんて。でも、見てなさい。翔太くんは、あなたが思っているよりずっと、強いんだから)
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【株主総会、翔太が社長に】
臨時株主総会当日。会場となった陽光商事本社最上階の大ホールは、異様な緊張感に包まれていた。陽光商事の社員、株主、そして多くの報道陣が詰めかけている。壇上には、憔悴しきった現取締役たちが座っていた。
午前11時、陽光商事の臨時株主総会は、静かな緊張感の中で始まった。
登壇したのは、現社長・桜井。
黒いスーツに身を包み、険しい表情で株主たちを見渡す。
議長が粛々と議事を進行していく。そして、いよいよライン・ヴェルト・アセットが提案する新たな取締役候補の選任議案が審議される時が来た。
「それでは、株主提案でございます、取締役候補、佐々木翔太氏の選任について採決を行います。」
議長の言葉が終わると、会場のあちこちからざわめきが起こった。桜井社長は、険しい表情で議長を見つめている。
賛成、反対の挙手が求められる。事前にライン・ヴェルト・アセットは、委任状争奪を通じて多くの株主の賛同を得ていた。そして会場を見渡すと、涼子と翔太が説得した大株主を含め、明らかに賛成の意思を示す株主が多い。
桜井社長にとって不都合な結果が、ほぼ確定していた。
(なぜだ……なぜこんなにも株が動いている……これではもうあの女を排除したところで……)
桜井の視線が宙を泳ぐ。
開票の結果、翔太は賛成多数で取締役に選任された。
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続いて、新たな代表取締役の選任議案が審議される。ライン・ヴェルト・アセットは、翔太を次期社長として推薦していた。
再び採決が行われる。そして、結果が告げられた。
その時、会場後方の大スクリーンに、株主投票の速報が表示された。
議案:新任代表取締役として佐々木翔太氏を選任する件
・賛成:71.3%
・反対:27.8%
・棄権:0.9%
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数字が表示された瞬間、静まり返っていた会場から小さなどよめきが漏れる。
「えっ、佐々木って……あの若い子か?」
「まさか……2,3年目社員だった彼が?」
「社内じゃ噂になってたけど、本当に……」
誰かが言った。「まるでドラマみたいだな」
壇上の桜井は、その数字を見て、スッと顔色を変えた。
そして、目の前に座る翔太を睨みつけた。
翔太は緊張した面持ちで立ち上がった。
「それでは、これより新任代表取締役・佐々木翔太氏の承認挨拶に移ります」
司会者のアナウンスが響く。
ライトが翔太に当たり、壇上へと誘う。
彼は一歩、また一歩と足を運ぶ。
(俺が……本当に社長に? いや、違う。これは……涼子先輩と一緒に掴んだ場所だ)
その胸に、不思議なほど澄んだ感情が湧いていた。
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【挨拶直前、翔太の大テンパイと桜井の嘲笑】
壇上——
翔太はマイクの前で完全に固まっていた。
「……あ、あの……」
第一声を発したつもりが、口から漏れたのは空気のような声。
手元の原稿は震える指でくしゃくしゃになり、読み上げるどころではない。
スポットライトの熱がやけに強く感じる。
耳の奥で自分の心臓の音だけが鳴り響いていた。
(え、なんでこんなに足が震えてるの……?)
「……あの……その……わ、わたくし……」
あろうことか、突然の敬語迷子。
「わたくし」と「僕」と「自分」が頭の中で三すくみしている。
客席のざわめきが再び広がりはじめた。
「……大丈夫か?」
「緊張してるなぁ」
「いくら若くても、社長は無理だったんじゃ……」
そんな囁きが、ひそひそと舞い始める中——
前列に座る桜井が、フッと笑った。
「……ほら見たことか。子供に社長が務まるはずもない」
かつては社長として、誰よりも堂々と壇上に立っていた男の目に、いまの翔太の姿はあまりに滑稽だった。
「フン、佐々木翔太、所詮あの女のおもちゃだな。公式に自分の無能を露呈するがいい。ここで恥をさらせば奴は社会的に烙印を押され、俺も次の手が打ちやすくなる……」
しかし、その目にはもう一つ、恐怖も混じっていた。
(あの女さえ、ここに来なければ……)
桜井の目が、会場の入口や非常口、そして窓の外へと向かう。
(来るなよ……高橋涼子。来たらまた……あの悪夢が……!)
—
壇上では、翔太の頭が完全に真っ白になっていた。
(やばい……なんにも出てこない……!)
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【路地へ、翔太の元へ——涼子、動く】
その瞬間、涼子の背筋にぞくりとした震えが走った。
——翔太くん……?
陽光商事本社近くのカフェ。スマートフォンのネット配信にて総会の様子を見守っていた涼子の手が、わずかに震えた。
遠隔で感じる翔太のホルモン情報からテンパり具合、それに混じる不安、緊張、自己否定——全部が涼子の中に流れ込んできていた。
「だめ……翔太くん、潰れちゃう……!」
涼子はすっと立ち上がり、深呼吸を一つ。
「……ごめんね、政子ママ。株主総会には入らないって約束だったけど……これは、翔太くんの妻としての緊急事態だから」
涼子はカフェから飛び出してた。
【涼子と美紀——“さようなら”のハグ】
涼子は人通りの多い本社の正面入り口を避け、人気のない路地に飛び込んだ。陽光本社ビルの屋上にテレキネシスで飛ぶ為だった。
そのとき——
「涼子課長っ!!」
振り向くと、そこには全力疾走で駆けつけた美紀の姿があった。髪は乱れ、目には涙。
「……いままで、どこにおったんや……! 社内、大変なことになっとるで……!」
肩で息をしながら、懸命に言葉をつなぐ美紀。
「知らないドイツの会社が陽光商事にTOBかけてきたり、桜井社長は消えるし、みんなテンパってて……誰も涼子課長のこと知らんって言うし……わたし、もうどうしたらええかわからへん!!」
涼子は静かに微笑み、すっと美紀に歩み寄ると、そっとその肩を抱きしめた。
「……ごめんなさい、美紀ちゃん。黙ってて、本当にごめんなさいね」
その声は、心に染み入るように優しかった。
ふわりと、柔らかい空気が美紀を包む。
それは、涼子が静かに放った「リラックスホルモン」の抱擁。
戸惑いの中、緊張がふっと抜けた美紀は、子供のようにすすり泣きながら涼子の胸元に顔をうずめた。
涼子はそっと囁く。
「翔太くんが私を呼んでるの。そう……私と翔太くんは……“異世界”に帰らなきゃ♡」
「……え?」
「さようなら、美紀ちゃん。あなたと過ごした陽光商事の日々、楽しかったわ♡」
その言葉を最後に、涼子はふわりと美紀の腕の中から抜け出すように浮かび上がる。
「涼子課長……?」
呆然と見上げる美紀の前で、涼子は青空に溶けるように上昇していき、静かにビルの影へと消えていった。しばらくその場に立ち尽くした美紀は、ぽつりと呟く。
「……超能力者は……涼子課長……やったんか……」
彼女の目からこぼれた涙は、もう怒りや混乱ではなく、ただただ驚きと寂しさに包まれていた。
⇒ 続く




