第7章-EP09 桜井社長の葛藤
【桜井社長の葛藤】
陽光商事の社内には、不穏な空気がじわじわと広がっていた。社員たちはざわめき、役員フロアでは臨時会議が繰り返されている。だが——桜井社長の姿だけが、どこにも見当たらなかった。
かつて、涼子に“操られた”記憶。あの赤く光る瞳、支配される快感と屈辱がないまぜになったあの瞬間——。
それは彼の中に、深く、鋭く突き刺さったままだ。
「……だが、株主総会には……出なければならない。逃げられん……!」
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【桜井社長が恐れる”あの時”の記憶】
それは——
涼子が特命営業部の課長に就任し、翔太とともに某県知事の息子を犯罪組織から無事に奪還した直後のことだった(※第四章EP15参照)。
社長室。
涼子と翔太を前に、桜井が何気ない口調で切り出す。
「さっそくだが、次の案件では某国の政府高官の愛人と接触し、裏ルートの契約を取り付けてほしい……」
涼子が一瞬まばたきし、隣の翔太をチラリと見やる。
桜井はお構いなしに続けた。
「……その任務、佐々木くんに頼みたい。君は女性に好かれやすいようだからな。“ハニートラップ営業”だよ、適材適所だろう?」
——その時。
涼子「……社長」
桜井「ん? なんだね?」
涼子「翔太くんは私の大事な夫なのよ。私の翔太くんに、そんな仕事をさせるつもりなのかしら?」
桜井「君の夫が会社の為に働く、これのどこに問題がある?会社が儲かれば君だって嬉しい、そうだろう?君も課長なんだから会社の利益に対して責任があるんだ、そこのところは割り切ってもらわんと困る」
> その言葉で涼子の中で桜井のポジションが変わった。
>「会社の社長」→「翔太を奪う敵」
涼子は静かに笑う。そしてその瞳にうっすらと赤い光が灯る。
涼子「大丈夫よ、社長。少しだけ……あなたのお考えを”調整”して差し上げるわ♡」
桜井「なにを言っている——高橋、私は忙しいんだ。おい君、次の私の予定は——」
そう言って秘書に視線を送る。だが、涼子もそっと彼女へと視線を移した。
——その瞬間、秘書の女性の頬がほんのりと紅潮し、目がトロンと潤む。
涼子「ふふっ♡社長の次の予定は……私との面談よね♪」
——彼女の世界の音が消え、涼子の声だけが響き渡るような陶酔が訪れる
秘書「はぁっ♡……はい……社長……次は高橋課長との面談です♡……他の予定はキャンセルいたしました♡♡」
桜井「な、馬鹿なことを言うな!たしか金融庁の官僚と——っ」
——しかし、次の瞬間。
涼子が指をスッとひと振りすると、桜井の口と体がぴたりと止まった。
言葉も、反論も、すべて禁じられる。
涼子「では、社長室で静かにお話ししましょうね♡」
桜井の身体は、涼子のテレキネシスに操られるまま、ぎこちなく立ち上がり、
まるで操り人形のような歩き方でヒョコヒョコと社長室の奥へと消えていった。
涼子はひとつウィンクし、翔太の耳元で囁く。
「翔太くん、お家で待っててね♡」
そのまま社長室に入った涼子の背後で、扉が勝手に静かに閉まり、“カチャン”と鍵の音が響く。
——その先で何が起きたのか、
会社の誰も、知らない。
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【桜井社長と涼子の対決(特命営業部解体事件)】
ブラインド越しに西日が差し込む社長室。
桜井は知らぬ間に、社長の椅子に深く腰かけていた。ただし——自分の意思ではない。
(なっ……何が起こった?……体が勝手に……!?)
焦燥と混乱が顔を曇らせる中、足音もなく扉が勝手に開き、いつものスーツ姿の涼子が現れる。
彼女はまるで幽霊のようにすうっと床を滑るように桜井に近づくと、ふわりと社長机に腰を掛け、脚を組んだ。そして、妖艶な笑みを浮かべながら囁く。
涼子「社長、あなた……何かを勘違いしているようね。翔太くんは“私のもの”なのよ? だから、あなたが命令できる立場にはないの♡」
桜井「高橋課長、俺はこの会社のトップだぞ? 佐々木翔太が“ハニトラ営業”に向いてるのは明らかだ。普通の営業じゃたかがしれてるし、他に取り柄があるわけでもないだろう。彼には俺の命令で動いてもらう。それが会社ってもんだろう」
> 涼子の心の中に、会社のために一所懸命に努力して営業に励んでいる翔太の姿が浮かんだ。
> 「涼子先輩、僕は早く仕事を覚えて先輩に認めてもらいたいんです!」
> そしてそれは彼女の本気スイッチが入った瞬間であった。
涼子「……わかってないのね、社長。翔太くんはあなたなんかよりずっと凄いの。そして——」
彼女はゆっくりとテレキネシスで縛られてピクリとも動けない桜井に歩み寄り、その顎にそっと指先を添える。その瞳が——赤く、深く、妖しく輝いた。
涼子「翔太くんの支配者は、私だけ。それを無視して命令しようだなんて……ヒグマの巣に入って、子熊を盗もうとするようなものよ♡」
——その言葉が、鋭く、そして甘く、桜井の脳内に直接、響き渡る。心臓が激しく脈打ち、体が熱く燃え上がるような感覚に支配される
桜井「あ、あれっ……なんだこれ……なんで……ク、クマがここにいる……????」
涼子「もう一度言うわ。翔太くんは、私のものよ♡」
——もはや涼子の声は絶対に抗えない圧力を伴っていた。そして桜井には眼前の涼子が巨大な母ヒグマへと変貌しいまにも襲い掛かろうと両手を広げている姿が見える
——桜井は恐怖のあまりボロボロと泣き出した
桜井「う、うぅ……わかった……佐々木翔太は……高橋涼子のもの……すまない、助けてくれ……俺を食べないで……」
涼子「だから、“特命営業部”は、今日でおしまいね?♡」
桜井「……はい……特命営業部は……本日をもって解散します……」
涼子「私と翔太くんは、普通の営業部に戻るわ。それと……私は引き続き課長でいいの。翔太くんの上司のまま♡」
桜井「……わかりました……高橋涼子は営業課長……佐々木翔太も……通常の営業部に復帰……」
——涼子はスッと人差し指を立てて櫻井に向ける。櫻井の視線は強制的にその指先に吸い寄せられてしまう。そして彼女は指をゆっくりと廻し始めた。
涼子「それとね……この社長室でのやりとりは、あなたの記憶から綺麗に消えちゃうの。でもね……記憶がなくなっても、“涼子の命令”って情報だけは、脳の深層に焼き付いちゃうから♡ 覆せないのよ〜?」
桜井の左右の眼球は涼子の目に見えない力に引っ張られ、勝手にカメレオンのようにグルグルと別々に廻りだす。
桜井「……手配が終われば……記憶は消える……命令は覆せない……あ、あ……目が……目が回る……き、気持ちいい……」
涼子「ふふっ、いい子ね♪ じゃあ——10分間、お眠りなさい♡」
彼女がパチンと指を鳴らすと、桜井はスッと椅子にもたれて眠りに落ちた。
まるで何事もなかったかのように、涼子はスカートの裾を整えながら、静かに社長室を後にする——
その背筋には、冷たい光をはらんだ“絶対支配者の気配”が揺れていた。
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【10分後——桜井は目を覚ました。】
「……はっ、俺は……一体、なにを……?」
まだどこか夢うつつの頭に、鮮やかな赤い光がちらつく。
涼子の瞳だ。
そして——
> 「特命営業部は今日で終わりよ♡」
その甘く冷たい声が、脳の奥に響いた。
(……くだらん……そんな命令、受けるはずが……)
そう思った瞬間——
桜井の全身を、得体の知れない恐怖が襲う。
理由もわからぬまま、心臓がバクバクと暴れ出し、手のひらがじっとりと濡れる。
(……まさか……これは……)
抗うこともできず、桜井は震える手で受話器を取った。
「あ……総務部か……す、すまない……特命営業部は今日かぎりで解散だ……頼む……すぐに……」
——その瞬間、
脳内から全身に向かって、びりびりとした痺れにも似た快感が広がった。内臓が撫でられるような、全身の骨の髄まで甘い痺れが走るような、まさに至福の快感——
(……っ……なんだこれは……き、気持ち……いい……?)
その幸福感に酔いしれる間もなく、今度は別の声が頭の中でささやく。
> 「私と翔太くんは元の営業部に戻るのよ♡」
>
(くっ……なぜだ……俺が社長なのに……!)
反発する思考の一方で、
甘く、濡れたような焦燥感が内側から滲み出す。
涼子の命令に背くことが、怖い。
涼子の命令に背くことが、つらい。
しかし涼子の命令に従えば……気持ちいい……!
気づけば桜井は、再び受話器を取り上げていた。
「人事部か……配置換えだ……高橋と佐々木は、営業部に戻せ……高橋は営業部の課長だ……すぐに対応しろ……」
——そして受話器を置いた時、
快感が怒涛のように押し寄せた。それは世界の色彩が何倍にも鮮やかに輝き、耳には天上の音楽が聞こえるような陶酔。
(あぁ……気持ちいい……従った……従ってしまった……それでも……構わない……高橋涼子の言うことに……間違いなんて、あるはずが……ない……♡)
頭がじんじんと熱い。呼吸が乱れ、椅子の背にもたれて天井を仰いだ。涙が出るほどの悦びが、皮膚の一枚一枚から滲み出てくる。そしてその度に櫻井の全身は小刻みに痙攣し、止まらない。いや止めないでくれ、もっともっと続いて欲しい……
ふと、またしても赤い光が視界の隅を走る。
> 「あなたは……みんな忘れちゃうのよ♡」
> 「でもね、命令は——覆せないの♡」
再び囁きが落ちてくると、快感は嘘のように消え去り、桜井は全身から力が抜けて椅子の上で天井を見つめたままピクリとも動けなくなってしまう。
(うぅっ……終わってしまった……命令に従って……みんな忘れたい……もっともっと気持ちよくなりたい……)
——すると彼の左右の眼球がグルグルと勝手に動き出す……
(あぁ、目がまわる……涼子……高橋涼子……あの赤い瞳の女……)
グルグルグルグル……
(あぁぁぁぁ♡、気持ちいい……もう社長なんて……会社なんて、どうでもいい……俺はただ……あの女に支配されたい……)
ぐるぐるぐるぐる……
視界が赤い火花で染まり、思考はかき乱され、形を失い、彼の意識は、甘美な深淵へと沈んでいく。そして脳が泡になって弾けるような快感が永遠に続いた。それは、ただ気持ちいいという言葉では到底表せない、これまでの人生で感じてきた快感の全てが束になり、一点に凝縮されて爆発したような感覚、それの連続だった。圧倒的な奔流に抗う術はなく、桜井はただ、その波に身を任せるしかなかった。
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【翌朝桜井が目覚めると……桜井の頭髪は真っ白になっていた。】
それは、彼が経験した、人間の理解を超えた極限の快楽が、肉体に刻みつけた、唯一無二の証であった。
しかし鏡をみながら、夕べ何があったのか、どうして社長室の椅子の上で寝ていたのかを思い出そうとしても、全く思い出せない。まるで記憶の中にぽっかりと黒い穴が開いているよう……
突然、社長机の上の電話が鳴る。人事部長の岩澤からだった。(※このとき岩澤はまだ涼子に”調整”されていない)
岩澤「社長、ご命令通り、高橋涼子と佐々木翔太の配置換えは完了しました。今日から二人は通常の営業部に勤務しています……でもどうして急にこんな配置換えを?……社長、何があったんですか?」
——桜井の脳内の奥深くで涼子の甘く冷たい声が響く
(命令は覆せないのよ♡)
桜井「聞くな……頼むから……聞かないでくれ……」
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【……しかし桜井はすべてを忘れたわけではなかった。】
陽光商事創業家の血を引き、帝王学のもと育った彼は、
他者を“支配する”ことこそ自らの本能だった。
——だからこそ、
“支配される快楽”と“抗えなかった屈辱”は、
忘却の彼方に押し込めたつもりでも、涼子の赤い瞳のイメージと共にじわじわと脳裏に滲み出てきていた。
「あの女に……関わってはいけない……」
しばらくは涼子への本能的な畏怖がすべてを支配していたが、
やがて彼は気づく。
——あの女の“弱点”は、佐々木翔太。
その男を調べるうちに、桜井は佐々木家とソノカタシロの秘密に辿りついた。
そして、彼は密かに命じた。
陽光商事の裏部門に——
「ソノカタシロの工業的栽培と成分研究を進めろ。すべては……あの女を逆に支配するために。」
——しかし、計画が完成する前に、涼子の方が先に“気配”を察知した。
彼女は、翔太を社長にするために本格的に動き始めたのだ。
桜井は……もう“逃れる”しかなかった。
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【そして臨時株主総会の前日】
——桜井は、陽光商事臨時株主総会・入館制限者リストに“高橋涼子”の名を入れるように指示した。
あの女だけは、
絶対に会場に入れてはならない。




