第1章-EP05 逃れられない翔太
【昼食を終えた後も、翔太の体はまだ火照っていた。】
(……なんだ、この感覚)
涼子と別れた後も、彼女のことが頭から離れない。さっきのシチューの味、指先をなぞられた感触、そして涼子の甘い囁き——。まるで、体の奥からじわじわと染み込んでいくようだった。
(……やばい、俺、このままじゃ完全に……)
このまま涼子に支配されてしまう。
そう思った翔太は、咄嗟にスマホを取り出し、涼子の連絡先を開いた。
「ごめん、今日の仕事終わったら少し一人になりたいんだ」
そう送ろうとしたが、指が震えてなかなか送信ボタンが押せない。
(……こんなの、おかしい)
深呼吸して、なんとかメッセージを送信する。
「……っ」
送った瞬間、心臓が嫌な音を立てたような気がした。
「翔太くん?」
——ゾクッ。
背後から、涼子の声が聞こえた。
「っ!?」
振り向くと、そこには微笑む涼子が立っていた。
「い、今の……?」
「ふふっ。もしかして私から逃げようとした?」
涼子はゆっくりと翔太のスマホを指でなぞる。すると、彼のスマホ画面がふっと暗くなり、メッセージの送信履歴が消えていた。
「な……!」
「ダメだよ?」
涼子の瞳が、深く、甘く翔太を見つめる。
「翔太くんが私から離れようとするなんて、許さないよ?」
(……まずい。これ、まずい……!)
翔太の体が、動かない。いや、動けない。
涼子の視線に囚われ、まるで身体の自由を奪われたかのように硬直していた。
「どうして……」
「ふふ、どうしてだと思う?」
涼子はゆっくりと翔太の肩に手を置く。そして、そのまま囁くように——。
「もっともっと、私のことだけ考えて……」
その瞬間、頭の奥がしびれるような感覚に襲われた。
(っ……!)
理性が溶けていく。逃げなきゃいけないと思っていたのに、今は——。
「ねえ、翔太くん?」
涼子が優しく微笑む。その笑顔を見た瞬間、翔太の心は再び支配される。
「……はい」
「いい子♡」
涼子がそっと翔太の頬を撫でた。
もう、彼は涼子から逃れられない。
——いや。
翔太自身が、もう逃げる理由を見つけられなかった。
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【逃げられない夜】
「翔太くん、今日は私の家に来ない?」
昼休みの終わり際、涼子が甘い声で囁いた。
「えっ……」
翔太は一瞬、言葉に詰まる。
(ヤバい……涼子先輩の家なんて、行ったらもう……)
彼女の支配は日増しに強くなっている。
会社でも涼子のことが頭から離れず、彼女の声を聞くだけで心が揺らぐ。
けれど、このまま彼女の家に行けば、もう完全に抗えなくなる気がして——。
「ダメ、かな?」
涼子が寂しそうに唇を尖らせる。その仕草がたまらなく可愛くて、翔太の理性が揺らぐ。
(……少しだけなら、大丈夫か……?)
そんな甘い考えが頭をよぎった瞬間には、すでに彼は頷いていた。
「……わかった、行くよ」
「うふふ、嬉しい♡」
【——そして、夜。】
涼子の家は、彼女のイメージ通りの洗練された空間だった。
白とベージュを基調にしたインテリアで、どこを見ても清潔感がある。
「翔太くん、おいで?」
涼子はソファに腰掛け、自分の隣をぽんぽんと叩く。
「……」
躊躇する翔太。けれど、自然と足が動いてしまう。
まるで見えない糸で引っ張られているように——。
「ふふ、かわいい」
涼子はそんな翔太を抱き寄せ、柔らかく微笑んだ。そして、彼の髪を優しく撫でる。
(……っ)
心地よいはずなのに、どこか怖い。
涼子の支配は、もはや言葉や仕草だけではない。
彼女の能力に晒されるたび、翔太の心は少しずつ侵食されていく。
(……ダメだ、これ以上ここにいたら……)
恐怖を感じた翔太は、意を決して立ち上がる。
「涼子先輩、俺、もう帰るよ」
「えっ?」
「今日はありがとう。でも、そろそろ……」
そう言いかけた瞬間——。
——バタンッ!
「……え?」
翔太が出口に向かおうとしたその瞬間、ドアが勝手に閉じた。
(……まさか)
「翔太くん」
ゾクリ。
振り返ると、涼子がじっと翔太を見つめていた。
「逃げようとしたの?」
「い、いや……」
「嘘。だって、翔太くんの動き、すごく焦ってたもん」
彼女の視線が絡みつくように翔太を捉える。
「私から逃げられるわけ、ないよね?」
その瞬間——翔太の体が、ふわりと宙に浮いた。
「えっ……!?」
足が床から離れ、動かそうにも動かせない。
「ダメだよ、翔太くん。勝手に帰っちゃうなんて」
涼子は立ち上がり、ゆっくりと翔太の目の前まで歩いてくる。
「……っ」
「怖いの?」
「……」
翔太は答えられなかった。
「大丈夫だよ」
涼子は優しく囁く。そして——翔太の顔にそっと指を滑らせた。
「ほら、力を抜いて?」
その言葉とともに、翔太の中で何かが弾けた。
(……俺は、もう逃げる必要なんてないんだ)
翔太は、涼子の腕の中に静かに落ちていった——。