帽と記憶の会話(中川薰視点)
江雨学園の外壁──その、さらに向こう。
ビルの屋上で、
私は風に煽られながら立っていた。
片手でフードを押さえて、
もう片方の手で、後ろを振り返る。
そこにいたのは──
五本の尖ったツノが交差した、
大きな黒い帽子。
その人は、
まるで影から通知が出てくるみたいに、ぬるっと現れた。
顔の上半分は隠れてるのに、
口元と──目尻のホクロだけ、はっきり見えた。
「お姉様……」
口に出した瞬間、喉が詰まった。
緊張しすぎて、声がガサつくなんて、聞いてない。
「今回の試合……なんか、緊張感エグくない?」
私は、あっちの校庭を指差す。
遊人たちのグループが、
今にもぶつかりそうな空気で睨み合ってた。
「……うん、これ、ガチで乱闘始まるやつ」
「八割方、本当に始まるだろうね」
彼女は、風に紛れるような声でそう言った。
「でも、そんなに心配はいらないよ」
「いやいやいや」
「その言い方、全然“心配してる人”じゃないんだけど!?」
「お姉様……このまま放っといたら、
五行旗、全員そろって【自爆モード】突入だよ……?」
私はもう一度、正義サイドのグループを見やる。
空気、完全にバトロワ寸前。
でも彼女は、こっちを見ようともしないで──
ただコートのポケットに手を突っ込んだまま、風に任せていた。
「大丈夫」
「出ようと思えば、顔見せるだけで終わるから」
……いや、その言い方よ。
あまりにも軽すぎて、
本当に事態を把握してるのか疑いたくなる。
「そんなに自信あるんだ……?」
「戦うのも心。
止めるのも──もちろん、心」
名言っぽい何か、出た。
「一発も撃たずに止戦って……
姉さん、いつから哲学ヒロインになったの?」
「共通の敵がいれば、皆、手を組めるものだよ」
ふーん……ってことは、
「姉さん、“狩”の味方じゃないってこと?」
「人間の世界も、そこまで腐ってないでしょ?」
彼女はそう言って、ふっと息をついた。
「“狩者”の人たちもね、
結局は……対話が足りてないだけだと思うんだ」
まるで、聞き飽きたプレゼンのスライドを読み上げるみたいに。
その声は、どこか遠く、冷たく響いた。
「私、五行旗の味方だなんて言ってないよ」
「八卦使いが、その程度の力もないなら──」
「どれだけ理念が正しくても、肩は並べたくないかな」
「うわ、姉さん……その言い方、ちょっと冷酷すぎじゃない?」
「残酷?」
彼女は笑った。
いつもの、
あの澄んでて、遠くを見てるみたいな目で。
「私は、ただの現実主義」
「友情を最優先にするのなんて──中二病だけでしょ」
「立場は見る。けど、力も見る」
「はっきり言えば──
人生なんて、所詮“取引”」
「私と組みたいなら、
それなりのレベルじゃないとね」
「……ま、内輪揉めなんて見てて面白くないし」
「クオリティ低すぎ。正直、ダサい」
私は黙って、風の中に座っていた。
ビルの端っこ、大風が頭を撫ですぎて、
脳がちょっとマヒってくる。
でも、心の中じゃずっと、こう思ってた。
(……誰か、気づいてくれ)
(この“正義系クラスター(仮)”の中に、
私の存在に気づく人──いないの?)
(別に出番ほしいわけじゃないけど……
戦局の看板役くらいにはなれるって、思ってるんだけどなぁ)
「ねえ、姉さん。仮にさ──」
言いかけて、私は一瞬、言葉を止めた。
ちらっと彼女の横顔を見る。
「仮に、姉さんに敵なんかいないなら……
最初からまとめて蹴散らせばよくない?」
その瞬間、彼女の目の色が、
ほんの少しだけ変わった。
さっきまでのからかうような光が引っ込み、
そこに浮かんだのは──静かな“思考”だった。
「……まだ、待ってるんだよ」
「え? 何を?」
「“私の対手”が、現れるのを」
「……は?」
「ちょっと何言ってんの?
意味わかんないんだけど」
彼女が、こっちを振り返った。
その目は、大人が子どもを見るときのやつ。
期待してたのに、外れて、
でも別に怒りはしない、あの感じ。
「時が来れば──わかるよ」
「誰が、本当に“私の敵”なのか」
そして。
彼女は風に乗るように、
フッと虚空へ跳ね上がった。
音も、痕も残さず。
残された私は、ただ一人。
薄暗くなってきた空に向かって、
盛大に──目をぐるっと回した。
「……もうさ、行くなら行くでいいけど。
せめてもうちょっと説明してってよね」
(……てかさ)
(さっきまで、あんなに戦局を俯瞰してたくせに)
(“対手”の話になった瞬間、
なんで急に声、落ちたの?)
(……あれって、まさか)
(言いたくない記憶でも、思い出したってこと?)




