「彼の手には、まだ戦う理由がない──それでも戰鬥は彼を選んだ」
「衫山藍の乗った飛行機が、ついに到着した。」
決戦が終わったその夜、
江雨高校に最も近い市郊外の空港では――
「ゴウン……」
深夜便の飛行機がゆっくりと滑走路の端へ滑り込んでいく。
「ガチャッ」
機体の扉が開き、厚い黒のダウンジャケットを羽織った少年が、長い眠りから目覚めたように降り立った。
「……ふわぁ……眠ィ……」
半開きの瞼で足取りはフラフラ、まるで夢遊病のよう。
――だが、その背中には飛行機が着陸した瞬間からずっと張りついて離れない、鋭い視線がある。
◆◆◆ ◆◆◆
同じ頃。
上空の半月は高層ビルの角に齧られたように欠けている。
その影に紛れて――屋上に立つ、黒コートと黒帽子の女がいた。
「……間違いないね、ヤツが来た。」
静かに呟きながら、ゆっくりとしゃがみ込む。
コートが風に煽られて翻る。
◆◆◆ ◆◆◆
一方――空港のフェンス外では、喪屍のゾンビが音もなく這っていた。
四肢を獣のように地面に伏せ、腐った猟犬のごとく少年の匂いを辿る。
「グルル……」
喉の奥から唸りが漏れた。
◆◆◆ ◆◆◆
さらに離れた郊外の丘の上。
「巨木門」の斥候・天鷹が荒れ地に身を伏せている。
その視線は、鷹のように鋭く、彼の背を狙っていた。
「……目標、江雨に接近中。」
◆◆◆ ◆◆◆
三者三様の立場。
けれど今この瞬間――
彼らの視線は一人の少年へと集中していた。
空港を出たばかりの、あの少年に。
――税関口。
「……」
藍はぴたりと足を止めた。
首をコキッと鳴らし、だるそうにため息ひとつ。
「飛行機降りた瞬間から……ずーっと、靈狩がつけてきてたよね?」
ニヤッと笑い、吐息混じりの声が、まるであくびする猛獣みたいだった。
「ホントに腕があるならさ、
『主狩サマ』でも追えば?」
「そんな言い方、ないだろう? 藍くん。」
ギィィ……ッ。
空港のフェンスの影から、耳障りな低音が響く。
その直後――
ズル……ズリ……
バラバラに崩れたゾンビが、腐った身体を引きずって現れた。
その声は、そいつ自身のものじゃない。
遥か彼方の誰かによる「伝声」だ。
「君の友達――小喚だったか、
うまくいかなかったとはいえ、手は貸したつもりだよ?」
「――でも、最後までは付き合ってくれなかったよね?」
藍は目を細め、冷めきった笑みを浮かべる。
「まさか、それで恩でも売りに来たつもり?」
「いやいや、違うよ。
ただ――敵対する気はないってことを、伝えに来ただけさ。」
ゾンビが首を垂れたとき、
腐肉の隙間から、頭蓋骨がニョキッと顔を出す。
その笑みは、乾いた革が裂けるような、不気味な音を立てていた。
「でもさ、時間……もう、あんまり残ってないんじゃない?
そろそろ――決断のときだろう?」
「主狩のことは、好きじゃないけど……
君よりはマシだよ。」
藍は肩をすくめ、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込む。
「じゃあ……今回の件、彼の命令かい?」
「命令だったらさ、
もうとっくに君を“連行”してるって。」
「……じゃあ君、
いったい――どっち側の人間なんだ?」
「どっち側にも、立たないよ。」
藍の声が、ひやりと冷えた。
「だって――
誰も、俺の“味方”なんかじゃないから。」
「……あれ? どっかで聞いたセリフだな。フフッ……」
ゾンビの肩がピクリと揺れた。
笑ってるのか、嘲ってるのか――微妙な声だった。
「俺が立つのは――
“世の中全部”の、反対側さ。」
藍の目が、ギラリと光る。
「人間って、自分の目でしか世界を見れないんだ。
だから……
最後はその目、全部……“潰れる”までね。」
「やれやれ、また出たよ……」
ゾンビは肩をすくめて、手をパッと広げた。
「“俺だけの陣営”とかさ。厨二病、発症か?」
「君も――似たようなもんだろ?」
藍は即座に切り返す。
「俺は違うさ。
いずれ――君たちの中から“こちら側”に来る者が現れる。」
ゾンビの口元がニチャア……と裂ける。
その目には、
世界の終わりをカウントダウンするような――静かな狂気が宿っていた。
「はいはい……そういうことね。」
藍の声が急に低くなる。
冷笑の中に、怒りがじわりとにじむ。
「俺たち“九人”が全員死んだら、
その死体使ってゾンビの王様にでもなる気か?」
顎をグイッと上げ、忌々しそうに吐き捨てた。
「そんなキモい計画ばっか立ててる奴に、
誰が味方するかっての。」
「そんなキツイこと言わなくてもいいじゃん。
楽な方、選べばよかったのにさ?
どうせ、もうすぐ“お迎え”だし。
少しは気楽に行こうよ~?」
「俺が楽するタイプだったら――
空狩にでも頼んで、飛行機なんか乗らねーよ。」
藍は大きく目をぐるりと回し、心底ウザそうに吐き捨てる。
「それにさ、もうすぐ死ぬとしても……
俺の死体、お前のオモチャにする気?
ナメんなよ、クソ白目ゾンビが。」
「空狩にも主狩にも、助けを求めなかった。
だからこそ……君なら、俺の側に来るかもって、思ったのに。」
――ピタッ。
藍は再び足を止めた。
視線は、人気のない滑走路の彼方へと向けられる。
「俺が立つのは……自分の側だけだ。」
「清算したいのは、ただの人間。
だから――人間のやり方でケリをつける。」
小さな声で、まるで自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「俺はまだ……
“死霊傀儡”で遊ぶ化け物には、なってないからな。」
「まあまあ、そう言わずに。
ね? もうちょっと話し合おうよ?」
「うっぜーんだよ。
さっさと……消えな。」
藍が息を吸い込み、目を見開いた。
「今だ。」
ドォォ――ンッ!!!
空港のフェンス内側が爆発!!
バチバチッ!! ドクン……ビリリリッ!
蛇みたいにうねる配線が一斉に飛び出し、
ゾンビをグルグル巻きに拘束!
直後――
ゴォォオッ!!
高圧電流が落ちてきて、
ゾンビの頭が空中で白煙と共にハジけ飛んだ!
ゴロン……!
首と胴が別れ、煙の中へと消えていった。
藍は手を払って、口元にニヤリと不敵な笑み。
「俺の答えは、コードみたいにシンプル。
オチも早けりゃ、バグもねぇ。」
「なのに……
なにダラダラ、布教活動してんだよ……」
ゲホッ、ゲホゲホッ!!
咳き込みが止まらず、胸が張り裂けそうな音を立てる。
「……貴重な命と、時間のムダ遣いだっての……」
そのまま踵を返し――
斜め上から、青白い水銀灯の光が差し込む。
ゴホッ、ゴホ……ッ。
咳き込みながら、ふらつく体を前に進める。
そして――
藍の影は、深い藍色の霧の中へと、ゆっくり溶けていった。
――深夜。中川薰視角
江雨区の、人氣のない小町の入口。
廃バスが、街角でぽつんと住む。
カタッ――ン。
ドアが開く音。
パッ……と、車内灯が点いた。
そこから静かに姿を現したのは――
中川蘇。
彼は、霧が揺れる夜の途りをじっと見つめた。
「…今夜の“客人”、やっとお見えか。」
衺山藍は、再び霧の中から現れた。
その姿を見た蘇は、ふとバスの車窗に目をやる。
車外の藍を見つめながら、ゆっくりとバスのドアに手を伸ばす。
シュン……
と、油の切れかけたような音とともにドアが開く。
そのステップの奥から――
一体の少女型の人形が、機械仕掛けの足音を鳴らして降りてきた。
白い素類の衣に、晴れやかな表情と静かな声。
但し、目は見ていない。眼後の記憶のガラスのような寒さだった。
「――歓迎します、藍さん。」
それは、シヅ香(Shizuka)。
蘇の「情勢の固定」を受け持つ、守り手のような人形である。




