藍、夜、むおん
「……なんだ、この教室、まるでネカフェじゃないかよ」
扉を押し開けるなり、鈴木思科は瞬時に苦笑した。
チカチカ点滅するLEDが、まったく目に優しくない。
壁には懐かしい写真が貼られていた。
あの日の三人組。ホログラムの光が微かに揺らめく。
「諸君、これがあの伝説の秘密基地──
宅宅の楽園ってやつだ。ククク……興味深い」
指を操作盤に滑らせると、画面が点灯。
シスコは口角を怪しく持ち上げる。
「さあ来い!青春中二魂、起動ォ──!」
指を交差させて、
高笑いを漏らす様は完全に狂ったマッドサイエンティスト。
「ついに完成したぞ……
これぞプログラマーのロマンというものだ、まったく!」
実行ボタンを押すと、ARグラスが立ち上がった。
「プロジェクト《もしもの未来》、起動!」 「
光のスクリーンが展開され、次々と記録が映し出される。
「三人のチャット、写真、
スタンプ、タイピングの癖……
ぜぇーんぶモデルに食わせてやったのだよ、ククク!」
そして画面には、過去の記録が滑らかに流れ出した。
「……ん? 誰だ、このキモオタ君は?……ああ、俺か」
画面の中にはニキビ面、髪ボサボサ、
エビみたいな姿勢の少年がいた。
「コードの量が友達の数より多すぎて、
Wi-Fiまで切断できる有様とはな……
そりゃ当時『夜』なんて暗号名を名乗るわけだよ、
自虐的にも程がある」
画面が変わる。杉山藍が映った途端、
空気がキラキラと輝きだす。
「こいつは昔から主人公属性だな……
いや、これはもはや天然タラシか!」
続いて、むおんが現れた。
画面の端で静かに微笑む少女──まるで微風のよう。
「むおん、お前は今も昔も可愛すぎるだろ」
シスコは一瞬黙り込む。
「しかしこのシミュレーション、
何回走らせてもお前ら二人がくっつくのは何故なんだよ?」
「ちょっ待て待て待て、俺はむおんのリアル旦那だぞ現在進行形で!」
しかし画面の結果は揺るがない。
「……いや、マジで聞くけどさ」
シスコは椅子にもたれかかり、
眼鏡越しの画面に映る桜の下で手を繋ぐ二人を見つめた。
「なんでシミュレーションだと、
お前らがこんなに当たり前に見えるわけ?」
画面の藍は春の日差しのように優しく微笑んでいた。
「AIにまで愛されるとはな……まったく!」
彼は口元で冷笑を浮かべるが、それは自嘲に近かった。
無意識にポケットを探ると、一枚の古いカードが指に触れる。
「……お前、俺にいつまでこんな物を持たせるつもりだよ」
それは高校の卒業式で藍からこっそり渡されたシールだった。
『鈴木夜 専用デバッグ精霊★』
藍の軽薄なアイドル口調が耳に蘇る。
『夜くん~バグったらすぐ駆けつけちゃうよん★』
「クソ……あの時の俺、なんで顔赤くなったんだよ!」
カードを握った瞬間、画面が切り替わる。
。
図書館の隅──。
藍がむおんを背中に乗せて寝かせながら、
文句を言いつつシスコのWi-Fiを直していた。
『まったく技術宅のお前は、Wi-Fiまで絡ませる天才か?
ほら、頭下げろ』
そして藍が優しく前髪を押さえたあの感触──。
「……なんだよ、それ……」
シスコの心臓が止まりかける。
世界が、あの瞬間だけ二人きりだったような気がした。
「俺ってホント馬鹿だ……」
苦い呟きが口をつく。
その事実に気付いていながら、
ずっと見て見ぬふりをしていたのだ。
むおんが自分を選んだのは、藍が彼女を断ったから。
あの日の彼女の声が耳に蘇る。
『私、夜の気持ちは知ってた。でもあの頃、
一番好きだったのは藍だったの』
それは嘘より遥かに残酷だった。
「大丈夫だAI……
俺は大丈夫だよ。ただちょっと目にゴミが入っただけだ、まったく!」
彼は感情パラメーターを最大に上げ、再び実行。
──結果は変わらず。
「つまり、俺の唯一の勝ち筋ってのは……
藍がホモってことか?」
唇が震える。嘴唇在顫抖。
「どんな裏切りだよこれ、自分のコードに刺されるとは……!」
その瞬間、AIが追撃。
【関係性診断:鈴木思科×杉山藍=恋人級】
「はぁぁぁ!?!?」
一気に蘇る記憶。
肩に置かれた藍の手。
背後から整えてくれたイヤホンコード。
『またずれてるぞ。じっとしてろ』
「違う違う違う、俺の記憶じゃ友情カテゴリーだろこれ!」
顔が熱くなる。コーヒーを一気飲みすると、
その苦さが心情そのものだった。
「もしかしたら、高校の頃の俺は、
本気で『藍』を好きだったのかもしれないな……」とシスコは呟く。
あるいは──
「俺、藍に『お前のこと拒まない』って勘違いさせてたのか?
……そういうことか
「……まったく、俺の男としての自尊心ってどこ行ったんだよ」
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その時──。
「おい、いつまで黄昏てんだよ! 足引きずって来てやったぞ」
懐かしい声。
ティダが松葉杖をつき、医療報告を抱えて入ってきた。
「さて、リアル戦争の話をしようぜ……シスコ」 「
──ここからは、逃れられない戦いの現実だ。
「お前が病室に変な缶置くから、
ウイスキーだと思って飲んだら激マズコーヒーだったぞ、おい!」
ティダは空き缶をガシャガシャ振って怒鳴った。
「なんだこのクソ苦い液体は!
俺に酒もタバコもやめろってか!?」
「それはな、目が覚める究極の魔薬だ。
ククク……ありがたく飲め」
”
シスコは得意気に眼鏡を押し上げた。
「酔い潰れた方がマシだぜ……」
ティダはため息を吐きつつ椅子に座り、
缶を乱暴に投げ捨て、代わりに煙草を一本取り出した。
「で、本題だ。銳金旗の残存部隊は?」
「医官が君のレントゲン写真を俺とフランキーに見せた結果……
今週は絶対安静。三日以内にもう一度折ったら、俺は知らんぞ?」
「……だろうな。寝てるだけでも肺が内出血しそうだ」
ティダは低く呟く。 提達低聲喃喃。
「だがもっと重要な報告がある──
この戦区に増援が到着する。ブレイだ」
「もう連絡は来てるぜ……」
ティダの顔色が一瞬で三段階暗くなった。
「江雨学園、ついにあいつらにバレちまったんだな……」
「……すまない。それは俺のミスが原因だろう」
シスコは珍しく重い口調で言った。
「だが引っかかるんだよな……」
ティダは煙草をふかして呟く。
「奴ら、『十狩』を一気に突入させてくると思ったのに、なぜ来ない?」
「俺にも分からんよ……まったく不可解だな」
シスコは自分も最後の煙草を口に咥えて火をつけた。
「一本よこせ」
ティダが手を伸ばす。
「タバコは健康に悪いぞ?」
「吸わないと人を殺したくなる」
「……じゃ、好きに吸え」
ティダは素早く煙草を奪い、
猫が魚を取ったような笑みを浮かべる。
「男なら女を泣かせるなよ?」
「男なら女に煙草は吸わせない」
「お前いつからそんなパパキャラになった?」
「そりゃ……本当にパパになったからな」
ティダが意地悪そうに笑うと、
服の内ポケットからサッと写真を取り出した。
「むおんちゃん、やっぱ超美人だよなー!」
スクリーンの光を受け、写真がキラリと光る。
「お前の手癖は相変わらず犯罪レベルだな、まったく……」
シスコが胸ポケットを探ると、写真は既に消えていた。
「それより本題。どうして奴らが江雨の場所を特定できた?」
シスコはしばらく黙った後、慎重に口を開く。
「正確な答えは出せないが……
俺の直感が告げている。奴らは単純な追跡をしてるわけじゃない」
「その言葉を待ってたんだよ。
戦場では理屈より直感のほうが信用できる」
「最近俺が仕掛けた江雨学園へのハッキング防壁が突破されたんだ……
しかもその技術、昔俺と『藍夜無音』で組んでいたパートナーのスタイルに酷似している」
「杉山藍、か……」
「その通りだ。俺と藍はFBIに目をつけられて捕まった後、
藍だけ消息不明になった。
聞いた話では謎の勢力が連れ去ったと。
俺はハッキングの才能を買われて教皇庁に特別保釈された」
ティダは息を呑む。
「じゃあ、その『謎の勢力』ってのが『主狩』で、
藍が今そこにいるってことか?」
「確証はない……だが、
それが一番恐れている可能性だ」
「もし本当に藍だとしたら、
なぜ直接江雨の情報を渡さなかった?」
シスコは沈黙し、低く呟いた。
「もしかしたら……
あいつ自身が渡したくないのかもしれない」
「……お前ら、仲悪かったっけ?」
「悪くなんてないさ。むしろ良すぎるぐらいだ。
だからって、俺は絶対に会いたくねぇけどな。」
「なんでだ?」
シスコは苦く笑い、語り出した
「……知ってしまったからだよ。
むおんが本当に選びたかったのは、
俺じゃなくて藍だったってな」




