お互いを守る、“念”という絆
夕陽が差し込む大礼堂。遊人とティダの病床は南北に向かい合っていた。
──むにゃ……。
夢の中、遊人は不意に濃厚な髪の香りに包まれた。
「……ん?」
こんな香りを嗅ぐのは久しぶりだ。
結菜と別れてから、女の髪の香りとは無縁だったが……この匂いは違う。甘い果実のような結菜の匂いとは正反対、まるで焼きたてのパンが弾けるような奔放さ。濃厚なバター……いや、もっと強烈なヨーグルト系の香りだ。
「……目ぇ覚めた? でもさぁ、昨夜の傷、遊人のほうが軽かったよね? なんで私より先に起きないの?」
ティダが向かい側のベッドで、にっこりと微笑んでいた。
しかも、やたらと顔が近い。
──近い、近い、近いっ!
寝起きのぼんやりした視界に、彼女の大きな瞳がドンッと飛び込んできた。
「うわっ!? なんでそんな至近距離でこっち見てんだよ!? ビックリするわ! まるで進撃の巨人じゃねーか!!」
「ははっ、いいリアクション♪ でも遊人さぁ、私より長く寝てたでしょ? なんで?」
「高校生は成長期だからだよ! 睡眠は大事なの! そもそもオレはまだ成長する可能性があるけど、ティダは……」
「ティダは?」
「……いや、なんでもないっす」
「今、何か言いかけたよね?」
「言ってないっす!」
「ま、いっか♪ でも遊人ももうすぐ大学生じゃない?」
「いや、この世界で大学に行くヤツなんているの? こんな世界じゃ、進学も就職もくそもないっしょ?」
「それ、ただの言い訳じゃない?」
「言い訳じゃねぇし! つーか、『成長』ってなに? 食えるの? ニーチェも言ってたぜ。『幻滅は成長の始まり』ってな」
」
「はぁ……つまり、成長しなければ幻滅もしないから、ずっとハッピーってこと?」
「そうそう! だからオレは成長しません! 以上!」
「でもね、遊人が成長しなくても、周りの人は成長するんだよ?」
「……そっか、じゃあオレは彼らの成長と世界の幻滅を悲しむ役に徹するよ」
「なにそれ、ポエマー?」
ティダがくすくす笑う。その笑顔は、いつものおちょくるような笑いではなく、どこか満足そうだった。
「でもさ、昨夜はみんなを救ったんでしょ?」
「いやいや、オレと世界救済なんて無縁っす。
だってさ? 誰だって地球くらい救ったことあるでしょ? 例えば、ゴミをちゃんと分別するとか? バスの痴漢の腕を折るとか?」
「いや、それ普通はしないからね?」
「でもオレは英雄じゃねーから、そういうのは勘弁。
つーわけで、次回の救世主役は別の人に回してくれ!」
遊人は隣にいた結菜をひょいっと抱え上げた。
「……なるほど。昨夜の英雄は、そちらのお猫様でしたか」
「ああ、そーそー。オレなんてチョイ役。 」
本当の主役は『戦闘猫』さ。オレはただの……そう、『猫専用タクシー』だ」
「タクシー?」
「戦士様を戦場に送り届けるだけの存在。
スタジオで打刻して、カメラ回して、次の瞬間には消える前世の男……わかる?」
「すっごい他人事みたいに言うね? それ、思春期の反抗期的なアレ?」
「はいはい、危険なことには二度と関わりません!
オレ、卒業後は『危険代行業』とかやらねぇし!
平穏に、何事もなく、負け犬として生きていく。それがオレの……『道義』。一日負け犬、終生負け犬!」
遊人は妙に納得したようにメモ帳を取り出し、その言葉を書き留めた。
「ま、そんなこと言ってても、遊人はもう抜けられないよ?
思科が低軌道衛星の映像を見せてくれたんだけど……昨夜のあれ、なんであんなに強かったか、わかる?」
「……は? もしかして結菜がオレを抹殺しようとして、そのつもりが通りすがりの『狼少年』を誤爆したとか?」
「いやいや、違うでしょ!
前にも言ったよね? 卦づかいと従獣が、強い『念』を持てば、戦闘力が爆発的に上がるって」
「あー、なるほど。つまり、結菜の『別れたい』って念がめちゃくちゃ強すぎて、無自覚にボスをワンパンKOしちゃった……ってことか?」
「ぶふっ! 違うから!」
ティダが肩を震わせながら、ニヤリと笑った。
「ねぇねぇ、遊人さ? 訓練のときに書いた『念』の紙……覚えてる?」「嘿嘿,遊人? 訓練時寫的『念』的紙……你記得嗎?」
「……あっ! まさか……」
遊人の脳裏に、当時の記憶が蘇る。
──まさか、あれが今さらネタにされるなんて!?
「そう!『守りたいもの』を書かせたアレだよ!」
ティダはにやにやしながら、ポケットから二枚の紙を取り出した。
「結菜も書いたんだよ?」
ティダの手にある紙には、それぞれ……
遊人の紙には『結菜』。
結菜の紙には、猫爪で書かれた『遊人』。
「……はい、偽造文書で訴えます」
「にゃあぁぁぁん♡」
結菜は嬉しそうに遊人の胸に飛び込み、満足げにゴロゴロと喉を鳴らした。
「この話、パソコンにはもう書いてあるんだ。ただ、ラノベっぽく書き直すのにちょっと時間かかりそうでさ。だから、もうちょい待ってて!」




