BOSS、出陣!
「……ひとり、か」
馴染んでるはずの学園を、ただ当てもなく彷徨っていた。
外の世界で何が起こってるのか、正直、俺には分からない。
けど――
「少なくとも、ティダは俺を害するようなことはしない。……よな?」
それだけは確信できる。
なのに。
歩けば歩くほど、胸がザワつく。
「……この焦燥感、なんだ?」
ティダを失うかもしれないという不安?
それとも――欠落感?
本能的に、何かを繋ぎ止めたくなった。
何かを埋めたくなった。
そして、安全を求めた。
気づけば――
俺の足は、四時江 雨の厨房の休憩室へと向かっていた。
バンッ!
勢いよく扉を開け、立式デスクと二段ベッドの間へと飛び込む。
そして、ベッドマットの下を探ると――
「あった……!」
何年もの間、くたびれた毛布に包まれたままの、柔らかな袋。
そして、その中には――
生まれた時から、ずっと俺のそばにあった遺物。
円形に巻かれた一本の長鞭。
これこそが――俺がティダを信じる決め手になったもの。
「この鞭を自在に操れる者がいるなら……
俺の出自と、何らかの関係があるはずだ」
そう、思えたから。
しかし――
俺の手にあるこの古びた長鞭は、
ティダがくれたあの最新鋭の電子鞭とはまるで別物だった。
見た目こそ似ている。
だけど……両者の存在感は、
まるで iPhoneとダイヤル式電話 ほどの差があった。
それでも――
俺は、この鞭を握りしめた。
「……家伝の、この鞭」
明らかに古代の遺物だった。
軽くもない。
電子駆動? んなもん当然、ない。
AI模倣チップ? そんなハイテク技術とも無縁。
あるのは、ただ――
無骨で、単調で、粗黒く、重い鞭身。
その材質さえ、何でできているのか分からない。
握っても、冷たいのか温かいのかさえ曖昧だった。
そして、唯一刻まれていたのは――
柄の部分に刻まれた、ひとつの金色の象形文字。
「……『禁』」
「なら、こう呼ぶしかねぇな」
――『禁鞭』。
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「ま、オレみたいな貧乏人にはさ、
このムチと結菜って猫以外、大事なモンなんて何もねぇしな。
……今夜はお前らと一緒に行くぜ」
遊人は、古びたムチと結菜をバックパックにしまい込んだ。
その瞬間――
まるで人生のエンドロールみたいな映像が、頭の中を駆け巡る。
何かに別れを告げる儀式みたいな気分。
「……っ、なんだよ、これ」
胸の奥がざわつく。
何かしなきゃいけない気がするのに、体は動かない。
襲い来るのは、どうしようもない無力感。
「そうだな……無理に言葉にするなら――」
『絶望』 と 『孤独』 ってやつか。
少なくとも、広い場所で空を見上げたり、
遠くの情報を掴んだりしたかった。
だから、部屋に一人でじっとしていられなかった。
結菜の入った猫用リュックを背負いながら、操場グラウンドをあてもなく何時間もさまよっていた。
それも――
「かつては、ティーダの願いだった」
田中家と木村家……海王星と猫たちも無事だろうか?
「ま、ティーダが保証してくれてるなら、オレが無駄に戦うよりよっぽど確実だよな」
ネットを繋げて、死んだ魚みたいな目でティーダとのチャット画面を眺めてても――
「オレには、彼女の姿は見えない」
でも、ティーダは学校の壁の向こうで、本当に兵を率いてオレと江雨を守ってるんだろ?
「……もう、彼女からメッセージが来ないかもしれない」
そんな感覚が、どうしようもなく怖い。
(……これから、オレは誰と出会うんだ?)
ティーダの話じゃ、前に"狩"は聖火部隊をまるごと壊滅させたっていうけど……
どれほどの化け物なんだ?
「やつらの正体は、一体何なんだよ……?」
もしかすると、ティーダ自身も、今は答えを持っていないのかもしれない。
遊人はただ、校内をあてもなく歩き続けた。
夜の闇に包まれ、歩き疲れた頃、ふと足を止め、陸上トラックの上に腰を下ろす。
見上げた空は、雲に覆われ、どこまでも陰鬱だった。
「……夏が近づいてんな」
南風が吹き始め、じわりと肌に纏わりつくような熱気。
胸の奥にまで蒸し暑さが染み込み、息苦しい夏の夜。
けれど、一つだけはっきりしている。
「明日の朝日が昇る頃、オレは――」
ティーダが語った『答え』に、きっと辿り着く。
――その時だった。
「抱歉喔。ここって江雨学園で合ってる?」
夜の陸上トラック。
ふいに、背後から声をかけられた。
フード付きジャケットを羽織った人物が、遊人に尋ねてきた。
「おぉ、そうそう。ここが江雨学園だよ。
……って、もしかして校外の人?」
週末の江雨には、観光客が景色を撮りに来るのは日常茶飯事。
ただ――
「……おかしいな」
違和感を覚えたのは、相手の**『足音の軽さ』** だった。
いつの間にか、すぐ背後に立っていたのに――
まるで、気配すら感じ取れなかった。
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夜空は雲に覆われ、月明かりすら遮られている。
頼りになるのは、江雨の伝統的な宮灯の淡い灯り。
しかし、その明かりでは、目の前の男の顔をはっきりと確認できない。
ただ、一つ分かるのは――
デカい。
身長は……180センチ超え。
長袖・長ズボン。
両手はポケットに突っ込まれたまま、
四肢の動きはまったく見えない。
だけど、シルエットは妙にくっきりしている。
倒三角形の引き締まった腰回り。
無駄のない筋肉のライン。
腕も脚もすらりと長く、どこかしなやかで洗練された印象を受ける。
比べるなら――
「陽翔が重装備のボクサーだとすれば、
こいつは鋭く研ぎ澄まされた短距離ランナーってとこか……」
そして、彼の両肩には**遊人の頭ほどの高さの『何か』**を背負っていた。
三脚みたいな形……? いや、正体はよく分からない。
そんな遊人の視線に気づいたのか――
「はは、まあそんなとこ! ただ、この辺の地理がよく分かんなくてさ」
軽い笑い声。
けど、その口調には……強い異国訛りが混じっていた。
どこの国の言葉か――いや、むしろ、どの言語にも聞こえないほどに、
微妙な違和感がある。
「佈局?……お前、カメラマンか? 今もう結構遅いぞ」
遊人は眉をひそめ、目の前の男をじっと見る。
こんな時間に、こんな場所で、
こんなデカい荷物を背負ってる……撮影か何かか?
「にゃ……」
ひょこっ
遊人の背中のリュックから、結菜が顔を出した。
グルル……
喉の奥で低く唸る。
この反応、見たところ、かなり気に入らない相手らしい。
「いや、違う。ただちょっと歩いてるだけ。問題ないだろ?」
男は淡々と答える。
「ここが江雨学園だって分かったから、それでいい」
「……お前、どこから来た? ここの人間には見えねぇけど」
「オレは……寒いところから来た」
「寒いところ?」
遊人は怪訝そうに聞き返す。
「住んでたのは、研究所。そこから逃げて、隣町に行った」
「……研究所?」
「でも、町の人たちは、オレのことを“厄介者”って言った」
悲しそうな声――じゃない。
何の感情もない、ただの事実を述べているだけ。
「悲しかった……でも、その後、主人がオレを拾ってくれた」
「……主人?」
「仲間が言ってた。オレの欲しいものは、全部ここにあるって。だから来た。……確かめるために」
「……へぇ、お前も孤児か?」
「孤児?」
男は首をかしげた。
「親も兄弟もいないやつのことだよ」
「……たぶん、そうだな」
静かに言った。
まるで機械のように、感情のない声で。
「町の人は……あとでみんな死んだから」
「……そっか。そりゃ、気の毒に」
「いや、別に悲しくない」
「お、おぉ……そ、そうか……」
会話が、噛み合わない。
遊人は思わず苦笑いを浮かべ、肩をすくめた。
「ま、探してるやつを見つけたら教えてくれや」
――世の中、やっぱり変なやつが多すぎる。
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「ふっ……まあ、そうかもな」
少年は気にする様子もなく、適当に返事をしただけのようだった。
「ところでさ、お前……さっき校外から入ってきたのか?」
遊人は何気ないふりを装いながら、探るように尋ねる。
「ってのもさ、今夜、誰かに外出禁止くらっちゃってんだよ。
外の様子が気になってさ」
「外の様子?」
少年は首を傾げた。
「そう。例えば、すげぇ戦闘が起きてるとか、
街がめちゃくちゃになってるとか、
警察や軍が走り回ってるとか……」
「……そういうヤバい状況になってないか、ってこと」
少年はしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開く。
「終わりが近いからこそ、この混乱を利用して入り込めたのさ。」
「……っ、そうか」
遊人は、胸の奥につかえていた不安が少しずつ溶けていくのを感じた。
まるで、心に乗っていた大きな石が、
ようやく取り払われたような――そんな感覚だった。
「もし主人だったら、こう言うだろうな」
「『地球にとって、混乱なんて一瞬で終わる。だから、すべて平和さ』 ……ってね」
「……よく分かんねぇけどさ。つーか、お前、そのパーカー、暑くね?」
遊人は、ジトッとした夜の空気を感じながら、目の前の少年を見た。
こんな蒸し暑い日に、フード付きのジャケットなんて、汗だくだろうに。
「暑いよ。でも、友達が言ってた。できるだけ着てろって。バレると面倒だから、ってな」
そう言いながら、少年はフードをぐいっと引き下ろす。
まるで肩の荷が降りたような仕草。
――その瞬間、ピンッと立った狐耳が、月光の下にくっきりと現れた。
「……は? お前、コスプレか?」
遊人は思わず目を瞬かせる。
「メイク崩れるのが嫌で迷子になったとか?
ちょっと待てよ……まさか、その格好って――」
「妖狐蔵馬か!?」
「狐?」
少年は首をかしげると、ポケットに突っ込んでいた手をゆっくりと引き抜いた。
「……かもな。だって、オレにはこれもあるから」
長袖の袖口から、ゴツくて鋭い爪を持つ狼の手が姿を現した。
「おぉーっ!お前、めっちゃ気合入ったコスプレイヤーじゃん!」
遊人は感心しながら、少年の手をじっと見つめる。
「デカいし、クオリティ高ぇな! すっげーリアル! てか、かわいくね?」
その瞬間――
「にゃっ……!」
遊人の背後で、結菜がそわそわと動き始めた。
……まるで、何かに警戒しているかのように。
「でもな……前にいた町の連中は、そうは思わなかったみたいだ」
少年はぽつりと呟いた。
「だから、オレは――」
「そいつらを全員殺した。」
「……は?」
遊人の表情が、一瞬で凍りつく。
「お、お前……何者だ? 名前は?」
少年はしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「名前、か……?」
彼は少し考えるように首を傾げ、
どこか楽しそうに微笑む。
「それは、人による」
「主人はオレを 『小喚』 と呼ぶ。でも――」
少年は、夜の闇に溶けるような低い声で告げた。
「外の連中は、オレを」
「『喚狩』 と呼ぶ」




