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南都の夜 青春ブタ野郎の恋愛ルート開幕か?」

 もう一冊の本が、静かにバスの中の木村陽翔の顔を覆っていた。


そして、遠い南方の夕暮れ時――


「あぁぁぁぁ……英語の授業終わったばっかだし、ちょうどいい睡眠導入タイムだな……」


 陽翔はバスの最後列の席を選んだ。

 ここなら誰にも邪魔されず、好きなだけ足を伸ばせる。前の座席は故障してて誰も座らない。つまり……最強のリラックスポジション!

 適当に座り、だらっとした姿勢で足を投げ出した――だが、その瞬間。


 世界が……変わった。


 まるでフィルターが切り替わったように、バスの入り口に彼女が現れたのだ。


 すらりとした細身のシルエット、柔らかな長い巻き髪、清楚な顔立ち。

 赤いブレザーが優雅な輪郭を際立たせ、スコットランド風のリボンが知的な雰囲気を醸し出す。


 しかし。

 そんな見た目よりも、圧倒的なインパクトを与えたのは――


 彼女の肩に乗っている「相棒」だった。


 ……虎斑とらぶ猫!?


 陽翔の目が飛び出しそうになる。


 な、なんだと!?

 後輩! 長髪! 知的な雰囲気! 赤い制服! 西洋風のリボン! そして虎斑猫!?

 これ……まるで恋愛ゲームの激レアヒロイン登場シチュエーションじゃないか!!!


 脳内で青春の鐘が鳴り響く!

 脳補シミュレーションがフル稼働する!!!


 ――『せ、先輩……あの……隣、座ってもいいですか?』

 ――『も、もちろん! 先輩人生最大の名誉だ!』陽翔は冷静を装いながらも、心の中でガッツポーズを決める。

 ――『先輩、「量子力学基礎入門」ってどうやって読めばいいんでしょうか……?』

 ――『あ、あぁ……それな……まあ、俺も量子力学はそこそこ理解してるし……』陽翔は顎に手を当て、学者のような顔を作る。実際の知識は「量子力学=猫」レベルだが。

 ――『先輩、すごいです!』


 完璧!!!

 この出会い、間違いなく青春の分岐点!!!


 ……いや待て。


 量子力学って……なんだっけ???


 ――しかし。


 バスが突然、急カーブを切った。

 車体が激しく揺れ、乗客たちがバランスを崩す。


 その瞬間――

 一人の中年男が、不自然に揺れと共に少女の方へと傾いた。

 顔には無精ヒゲ、だらしない服装。

 一見すると、ただの偶然のようにも見える。だが……


 その手の「狙い」が、あまりにも露骨すぎた。


 ――標的は、少女の胸元!!!


 陽翔の背筋がゾワリと凍る。

 少女も何かを察したのか、ぎゅっと本を抱え、わずかに身を引いた。


 だが、男は止まらない。

 むしろ、そのまま右手を伸ばし、車内の混雑に乗じてさらに距離を詰めようと――


 「ドゴォッ!!!」


 轟音。


 次の瞬間、男の顔面に炸裂したのは……分厚い、高校参考書!!!


 少女は一切の躊躇なく、本を全力で叩きつけたのだ。

 振り抜かれたその一撃は、まるで柔道部の奥義。

 陽翔は思わず目を見開く。


 (……嘘だろ!?学妹、めっちゃ戦闘力高くね!?)


 しかし――戦いは、まだ終わらなかった。


 「ニャァァァアアアア!!!」


 少女の肩にいた虎斑猫が、突如、毛を逆立てて飛び跳ねた!

 驚愕と恐怖に駆られたその小さな身体は、まるで弾丸のように――


 窓の外へ向かって跳んだ!!!


 「――!!!」


 夜風が吹き荒ぶ。

 窓の外は、漆黒の闇。

 今にも、小さな虎斑猫が、そこに吸い込まれてしまいそうな――


 「マ、ママァァァァ!!!」


 ……え?


 陽翔は固まった。

 今、学妹……なんて言った?


 ママ?


 え、待て待て待て、状況整理しよう。

 これは《恋する後輩と不思議な猫》のはずだよな!?

 なぜ突然、《変身猫ママの異世界大冒険》になってるんだ!?

 情報量が多すぎるって!!!


 虎斑猫は、バスの窓縁にしがみついていた。

 爪を立て、尾をピンと張り、毛を完全に逆立てている。

 その瞳には、単なる恐怖だけではなく――


 この世界の危険を理解しながらも、それでも逃げようとする「本能」が宿っていた。


「ママ……覚えてるよね?私のこと、まだ……覚えてるよね?」


 学妹の声が震えていた。

 だが、その瞳は虎斑猫をまっすぐに見つめ、決して逸らさなかった。


 ――『動物に変えられた人間は、記憶や習慣を保つことがある』。


 この言葉が、陽翔の脳内に鮮烈に浮かび上がる。

 背筋が、ゾワリと冷えた。


 この猫……ただの猫じゃない。


 この虎斑猫は――


 元々、人間だった!!!


 それも、この少女の……母親!!!


 (ヤバい……!)


 今のこの猫は、極限の恐怖に追い詰められている。

 ちょっとでも刺激を与えれば――窓の外に飛び出しかねない!!!


 「ママ……お願いだから、もう逃げないで……?」


 学妹もそれを理解しているのか、息を詰めるように、か細く囁いた。

 その声は、まるで今にも消え入りそうだった。


 しかし、周囲の乗客たちは――このドラマチックすぎる状況に、誰一人気づいていない!!!


 まるで、ここだけ異世界かのように。

 スマホを見つめる者、イヤホンで現実を遮断する者、目を閉じて居眠りする者――

 まさに「満員電車の現実」そのもの。


 いや、むしろ、今一番の問題は……


 横にいる、バスの変態おじさんだ!!!


 (どうする!?どうする俺!?)


 陽翔の脳内はフル回転。

 この状況を打開する方法は――!!!


 ……いや、待て。


 あるじゃないか。

 究極の必殺技が。


 「よし、決まりだ!」


 陽翔は即座に行動を開始。

 その動きはまるで、西部のガンマンが決闘に挑むかのごとく。

 颯爽とカバンを開き――


 「……あった!」


 取り出したのは、弁当箱。

 そして、その中に残っていた――


 焼きサバ!!!


 (来い……猫よ……!これは、人類史上、最も抗いがたい食べ物……!!!)


 陽翔は、弁当を前の座席の背もたれにそっと置いた。

 狙いはただ一つ。


 この香ばしい、たまらない匂いを……漂わせる!!!


 「さあ、どうだ……?嗅いでみろよ……?」


 一秒……二秒……


 「ニャァッ!!!」


 その瞬間!!!


 虎斑猫の耳がピクッと動いた!!!


 さっきまで恐怖で震えていた瞳が、一気にハンターの目に変わる。

 そして――


 「シュバッ!!!」


 瞬間移動レベルのスピードで、窓の縁から飛び降り、一直線に弁当に向かってダイブ!!!


 そのまま、無心に食らいつく!!!


 (よしっ!!!作戦、大成功!!!)


「やった……!」


 学妹の顔が、まるで千斤の荷を下ろしたかのように安堵に満ちる。

 一瞬の迷いもなく、人混みをかき分け、窓際へダッシュ――

 そのまま、虎斑猫をぎゅっと抱きしめると、くるりと振り返った。


 そして――


 「え、ちょっ……!? お、おいおいおい――!?」


 そのまま、何の迷いもなく、俺の隣にドスンと座った!!


 (な、なんで!?!?!?)


 少女の身体はまだ微かに震えていた。

 だが、席に座るとすぐさま猫を胸元に抱き寄せ、その手をぎゅっと握りしめ――


 ……そして、もう片方の手で、俺の腕をがっちりロック!!!


 「ええええええええええええ!?!?」


 ヤバい!!!

 さっきの「猫ジャンプ事件」より、こっちの方が衝撃デカい!!!

 俺は完全にフリーズしたまま、隣の少女を見下ろす。


 「あなた……江雨ジャンユーの先輩でしょ?」

 少女は息を切らしながら、周囲を警戒するように視線を巡らせた。

 そして、俺に向かって小声で囁く。


 「小学妹の頼み、聞いてくれない?」


 「……は?」


 脳が追いつかねぇ。


 「え、ちょっと待て、俺たち初対面じゃ――」


 「いいから、演じて。」


 少女がさらにぐいっと俺に寄りかかる。

 肩が触れるどころじゃない。

 むしろ、頭が軽く俺の肩にもたれかかっている!!!


 (なななななななななっ!?!?!?)


 思考回路が爆発した。

 顔が一気に茹でダコ級に真っ赤になる。


 ――落ち着け!!!

 これは冷静に考えれば、明らかに……


 (……あのバスの変態オヤジを避けるため、か!?)


 ようやく、事態を理解した俺は、そっと視線を横に向ける。


 ――いた。


 さっきの不審者オヤジが、明らかに苛立った顔をしてこっちを見ていた。

 明らかに「獲物に手を出せなくなった」って顔だ。


 (そういうことね……)


 俺は、そっと息を整え――


 肩の力を抜いた。


 「安心して。」


 小声でそう囁きながら、自然な動作で、少女の寄りかかりを受け入れる。

 俺が協力することで、この子が少しでも安心できるなら、それでいい。


 少女は少し驚いたように俺を見上げたが――

 すぐに、小さく頷いた。


 そして、ぎゅっと抱きしめたままの虎斑猫を撫でながら、ほっと息をつく。


 ――だが、ここで終わりじゃない。


 俺の目が、代わりに学妹の目となる。


 俺は、そのバスの変態オヤジを――**睨みつけた。**


 その視線は、まるで鋭利な刃物のように空気を裂く。

 あまりの威圧感に、オヤジはピクリと肩を揺らし――そして、目をそらした。


 こうして、バスの片隅では、


 学妹、俺、そして変態オヤジ。


 この三者による、奇妙すぎる静寂が訪れたのだった――。



 彼女は、そっとブレザーを脱いだ。

 その瞬間――


 雪のように白い肌、細い肩紐がちらりと覗く。


 **……ゴクリ。**


 ふわりと、柚子の香りが漂う。

 それと同時に、少女の体温が、触れ合う部分からじんわりと伝わってきた。


 **ま、待て待て待て!!!この展開……刺激強すぎんか!?**


 少女の胸は、荒い息遣いに合わせて微かに上下し、

 鉛筆のように細くすらりとした脚が、バスの振動に揺れている。


 (あかん……これ……完全に**守りたくなるやつ**やん……!!)


 いや、違う違う、落ち着け俺!!!

 これは、ただの偶然だ。そう、きっと偶然なんだ!!


 **――って、これ何!?恋愛シミュレーションゲームのオープニング!?!?**


 脳内に突如、選択肢が浮かび上がる。


 **▶ 選択肢 1:優しく頭をポンポンし、「大丈夫だよ」と安心させる。**

 **▶ 選択肢 2:クールに低音ボイスで「心配するな、俺が守る」と囁く。**

 **▶ 選択肢 3:まるで少女漫画のイケメン主人公のように、抱き寄せて「今からお前は俺のものだ」と言い放つ。**


 **……うん、3番は消しとこう。**


 いや、違う違う!!!

 これはそういうイベントじゃない!!!

 今は真面目な場面だろ!!!


 **なのに!!俺の脳内ピンク劇場はどんどん暴走し――**


 「――江雨聯合医科大樓前、到着しました。」


 ……助かったァァァァァ!!!!


 バスのアナウンスが、まるで神の啓示のように響く。

 この微妙すぎる空気から解放されるタイミングがついに訪れた!!!


 だが――そのとき。


 「……すみません。」


 小さな声が隣から聞こえた。


 陽翔が視線を向けると、学妹がそっと顔を上げる。

 その瞳は、警戒心に満ちていた。


 彼女の視線の先には――


 下車口を塞ぐように立ちはだかる、あの男がいた。



「心配すんな。もうすぐ、降りるんだろ?」

「それに、アイツの降りる場所も……な。」


 陽翔が一歩前に出る。

 下車口を塞いでいた男は、後退ろうとするが、逃げ場がないことに気づく。


 そして――


 すれ違う瞬間。


 **パシッ――!**


 ただの小さな動作だった。

 力はほとんど込めていない。だが、その手は確実に、男の指を捉えた。

 陽翔がほんの少し手首をひねる。


 「ぐぅ……っ!!!」


 男の口から、抑えきれないうめき声が漏れる。


 「気をつけてな、大叔オッサン。」

 「次、また見かけたら……どうなるかわかるよな?」


 ビクッ――!

 男は顔をひきつらせると、バスから飛び降りるように下車し、そのまま闇の中へと逃げ去った。


 夜は静かだ。

 街灯の光が届かない小道は、どこか不気味な暗闇に包まれている。


 「……おい、またかよ。」


 バスの運転席から、タバコをくわえたぽっちゃり系の運転手がボヤく。

 まるで、こういう出来事に慣れっこであるかのように。


 「先に言っとけや。」


 陽翔は肩をすくめ、両手をポケットに突っ込みながら、気だるげに答える。


 「車内のカメラ、いつも役立たずだろ?」


 ――この時になって、学妹がようやくバスの後方からゆっくりと降りてきた。


 バス停の前に立ち、顔を上げる。


 目の前に広がるのは、暗闇。

 街灯ひとつない細い路地。


 **……ここを歩いて行かなきゃいけないのか?**


 陽翔は伸びをしながら、なんとなく学妹と目が合った。


 「送ってくぞ。」


 さらっと言ったが、学妹は一瞬、驚いたように彼を見つめ――それから、小さく頷いた。


###


 病院の前まで来ると、ようやく光が戻ってくる。

 入口の灯り、巡回する警備員。

 さっきの真っ暗な路地とは、まるで別世界のように安心できる場所。


 「……ありがとう、先輩。」

 学妹はついに、意を決したように口を開いた。


 「先輩も、お見舞い……ですか?こんな偶然、助かりました……」


 「いや。」


 陽翔はあっさりと首を横に振る。


 「俺の降りるバス停、あと三つ先なんだよな。」


 「えっ……?」


 学妹の目がまんまるに見開かれる。


 「……えっ、じゃあ、またバスに乗るんですか?」


 「いや、歩いて帰る。もう金ねぇし。」


 サラッとした口調で、ものすごく普通のことを言う。


 学妹は思わず、慎重な声で尋ねる。


 「えっと……先輩の、お名前は?」


 「監兵の……いや、まぁ、どうでもいいか。」


 適当に答えながら、後頭部をぼりぼりと掻く陽翔。

 だが、その視線は無意識に、学妹のシルエットを追ってしまっていた。


 病院の制服は、ウエストラインがすらりと細く、スコットランドチェックの長い靴下が脚をより綺麗に見せている。

 つぶらな瞳に、知的な顔立ち。

 **……こりゃ、どこにいても目立つタイプだな。**


 こんな優等生っぽい雰囲気なのに、もしこの子が**陵光樓**の中にいたとしても――間違いなく、人気者になっていただろう。


 と、その時。


 学妹が、カバンをごそごそと探る。


 「はい、これ!」


 差し出されたのは……


 **ホカホカの肉まん。**


 陽翔は即座に手を振った。


 「甘いの無理。」


 **――いや、違うだろ!!俺、肉食えねぇんだよ!!!**


 学妹は「え?」と意外そうな顔をするが、すぐにカバンをさらにゴソゴソ。

 次に出てきたのは……


 **コンビニのチーズパン。**


 「……こ、これなら、大丈夫?」


 だが、学妹の手はプルプルと震えていた。

 そのせいで、パンはあっけなく――


 **ポトッ。**


 地面に落下。


 「ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」


 土下座でもしそうな勢いで、謝罪を連発する学妹。


 (**……いやいやいやいや、緊張しすぎじゃね?**)


 陽翔の脳裏に、いろんな思考が走る。


 「いや、これもう……何かの病気?」

 「いやいや、精神病だとしても関係ない。**可愛いならOKだ!!**」

 「――って、何考えてんだ俺ぇぇぇぇ!!!」


 バシッ!!!


 陽翔は自分の頭をぶん殴った。


 **「俺は!絶対に!差別はしない!!!」**


 学妹:「???」


 困惑する彼女をよそに、陽翔は冷静に一言。


 「チーズ、アレルギー。」


 「…………」


 学妹の顔が、まるで宇宙語を聞いたかのようにフリーズする。


 (**いや、この先輩、めっちゃ面倒くさくね???**)


 ちらっと陽翔を見つめながら、学妹の脳内でも思考が飛び交う。


 「この人……見た目はワイルド系なのに、中身めっちゃ細かい。」

 「もしかして、私、嫌われてる?」

 「いや、でもこの人、さっき助けてくれたし……」

 「ってか、私、なんでこんなことで悩んでんの!?この人、ママの命の恩人だよ!?!?」


 その瞬間。


 学妹は、バチィン!!と自分の頬を叩いた。


 「…………」


 陽翔:**(は?????)**


 意味不明の自己ビンタをキメた彼女は、勢いよくカバンから何かを取り出すと――


 「これ、あげる!!」


 勢いのまま、小さな**猫の鈴のネックレス**を陽翔の手に押し付けた。


 そして、次の瞬間――


 **ダッシュ。**


 そのまま、一言も発さず、病院の自動ドアを駆け抜けていった。


 「……は?」


 陽翔はしばらくの間、鈴を見つめ――次に、彼女が消えた病院の入口を見つめた。


 そして、ぼそっとつぶやく。


 **「……いや、これ、どういう展開?」**


 その時、ふと目に入る自分のリュック。


 黒マジックで適当に書かれた名前――


 **「木村陽翔」**


 **――ってことは、もしかして……あの子、俺の名前、もう知ってた?**


 そして、手のひらの鈴には、小さなシールが貼られていた。


 **「一年三組 姫野黎花」**


 これって――


 **青春ブタ野郎の恋愛ルート開幕か?????**


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