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結菜は今日来なかった?

「よっしゃー! いつもの場所、行くぞぉぉ!!」

「おい、声デカすぎだっつーの!」

陽翔、遊人、慎之助の三人は、

慣れた足取りで四時江雨カフェの四階を抜け、

そのまま天台へと駆け上がった。


「さーて、いつもの流れで行くか」

陽翔がスルスルと厨房の天井へよじ登り、

ヒョイッと屋上へ続く木板を取り外す。


「コーヒータイム、始まりまーす♪」

遊人が軽く鼻歌を歌いながらポットを温める。

水と豆の絶妙なバランスを知り尽くした彼が、

手際よく淹れ始めると──

フワァッ……!

濃厚な香りが辺りに広がった。


「ケーキは俺に任せろ!」

慎之助が冷蔵庫をガチャッと開け、

事前に用意していたケーキを取り出す。そして、

慎重にオーブンにセットし、適温に調整した。


「よし、三ステップ完了! あとは待つだけだな」

「うむ、完璧だ」

陽翔が手をパンパンと叩き、見慣れた屋上を見上げる。

──そこは、彼らだけが知る秘密の基地だった。



***


「……なんかさ、今日、屋上めっちゃ汚くね?」

慎之助がポツリと呟いた。


「そりゃあ、結菜が掃除に来なかったからな」

陽翔が淡々と答える。


「え~~~!? 監兵宅男三人組(オタク男子三人組)って、

結菜がいないと何もできないの?」

遊人が苦笑する。


「コーヒーを淹れる人がいなくてもいい。でも──

掃除と片付けをする結菜は、絶対に必要なんだ。」


「現実的すぎる!!」

遊人がバシッとツッコミを入れる。


「……おかしいな。結菜、いつも時間ピッタリなのに」

陽翔が腕を組み、軽く眉をひそめる。


「考えろよ。遊人、

お前がまた何かやらかしたんじゃね?」

慎之助がジッと遊人を見据える。


「は!? してないって! つーか、

今日はまだ彼女と話してすらないんだぞ!?」

遊人がバッと手を広げ、必死に弁解する。

「だからこそ、怒ってるんじゃね?」

「……え、それでもダメなの!?」

遊人が頭を抱えた。


三人は、

コンクリートむき出しの三坪ほどの小さな天台に、

思い思いの格好で座っていた。

目の前には、校庭の隅で咲き誇る春の桜。


その向こうには、精密技術工業区の無機質な工場が立ち並び、

さらにその先には海が広がる。

そして湿地の中にそびえ立つ、

巨大な三枚羽根の風車──。


「……そういやさ、前はこの風が吹くと、

結菜が遊人の詩を読んでたよな?」

慎之助が、ふと呟く。


「おお、そうだったな」

陽翔が桜の花びらが舞う空を見上げる。


「まぁ……俺には何言ってるのか、

さっぱりだったが」

「おいおい、ひどくね?

俺、結構真面目に書いてるんだけど?」

遊人が頬を膨らませる。


「いや、真面目に書いてるのは分かるんだけど……意味がな」

慎之助が苦笑する。


「ちょっと待て! だったら、

お前らにも読ませてやるよ!」

遊人はポケットから、

少し使い込まれた ノート を取り出した。


「おいおい……」

陽翔が嫌な予感しかしない顔で、一歩後ずさる。


「さあ、聞け!!」

遊人はノートを開き、気合い を入れて読み上げる。


「──春風が舞い、桜は咲き誇る

 けれども、それは刹那の幻想

 風に舞う花弁のごとく

 我が想いも、流れゆく」


「……」


「……」


「な? どう?」

遊人が ドヤ顔 で二人を見た。


「……やっぱ、意味わかんねぇわ」

「うん、何言ってるのかさっぱり」

陽翔と慎之助、即答。


「お前ら詩のセンスなさすぎだろ!!」

遊人は がっくり と肩を落とした。


「薫先輩が製菓科を卒業しちまった今さ……

もし結菜までいなくなったら、

江雨唯一の詩社は消滅ってことになるよな」

慎之助が長い沈黙の後、ぼそっと呟いた。


「先輩なら、いつでも戻ってこれるでしょ。

結菜も、そのうちヒョコッと現れるって」

陽翔が肩をすくめる。


「つーかさ……

俺たちみたいなのがいるだけで“詩社”って名乗れるの、

普通にすごくね?」

「それな! 江雨みたいなとこで、

詩社なんて誰も作ってないのに、

監兵楼 だけは存在するっていう」

慎之助も肩をすくめる。


「執明とか孟彰楼の連中が聞いたら、

爆笑もんだろ」

「そもそも、中川薫先輩 みたいな人間が監兵楼にいた時点で、

すでに異常事態だからな」

今度は遊人が笑いながら肩をすくめた。



***



「……ん?」

遊人がふと顔を上げた。


「ニャッ」

屋上のさらに上──四時江雨の屋根から、

ふわり と影が舞い降りる。


「お、おい!? なんか降ってきたぞ!?」

慎之助が慌てて後ずさる。


「猫だな……しかも、変わった毛色の」

陽翔が冷静に観察する。


月明かりに照らされたその姿は──

水色のグラデーションがかった毛並み。


「うわっ、めっちゃ綺麗!

まるで宝石みたいな色じゃん!」

遊人が目を輝かせる。


「アメショ……っぽいけど、なんか違うな。

こんな猫、見たことねぇぞ?」

慎之助が眉をひそめる。


「野良か? それにしては妙に堂々としてるが……」

陽翔が腕を組んで考え込む。


猫はそんな彼らの視線を気にすることもなく、

ゆっくりと前足を揃えて座り、

じっとこちらを見つめてきた。

遊人は無意識にそっと手を伸ばし、

猫の柔らかな毛並みを撫でた。


「……だからさ」

ふいに、陽翔が静かに口を開いた。

「俺たち五人は、江雨の隠れたサークルなんだよ」

「隠れた……?」

慎之助が怪訝な顔をする。


「……暗部みたいな存在ってことか?」

「うん……まあ、そんな感じかもな。

でも、誰も知らないからこそ“暗部”なんだよ。ぷっ!」

陽翔がくすっと笑う。


遊人はそんな会話をよそに、

ただ屋上の手すりで降りてきたばかりの猫を撫で続けていた。

指先に感じる、ふわっふわの毛並み。

だけど──なんだろう、このざわつく感じ。


「……これから僕たちは、どうなるんだろう?」

慎之助の声が静かに響く。


「世界が、突然こんな風になって」

「どうにもならないよ」

陽翔が大きく伸びをしながら、つまらなそうに言った。

「世界がどうなろうが、結局関係あるのは、

もともとたくさん持ってる人間だけだ。

遊人みたいに親がいない奴とかさ。

あるいは……俺たちみたいに、

親がいたっていないのと変わらないような奴らには、関係ない」

「……だって、俺たちには、失うもんなんて何もないから」


その瞬間、ふわり と風が吹いた。

四時江雨の四階の基盤がわずかにギシッと軋み、


水仙の花壇が風の方向へと揺れる。

並んだ白い鉢植えが、さらさらと葉を鳴らした。


慎之助は、その光景をぼんやりと眺めながら、ポツリと呟く。

「……そうだな。そういう気持ち悪い大人たちなんて、

俺には必要ない。俺には、

この花畑と、お前たちがいれば十分だ」


「最初の頃の結菜ってさ、

なんかぼんやりしてて、

青白くて、弱々しかったよな」

陽翔がふっと昔を思い出すように言う。


「彼女の頬の深いそばかす、覚えてるよ。

どう見ても、大きくなったら広告のモデルになるようなタイプには見えなかった」

「そうそう。あの頃の彼女は、

英語の授業中に居眠りして、

よく運動場を走らされてたよな」

慎之助がクスッと笑う。

どこか懐かしさを感じながら、それぞれが、

結菜の姿を思い浮かべていた。



***



「……今思い返すとさ、ほんと面白いよな」

遊人が、ぼんやりとつぶやいた。

「俺たち三人が罰走させられるのはいつものことだけど、

女の子を運動場で走らせる教師なんて、普通いないよな?」


「確かに……」

慎之助が腕を組む。

「俺らはともかく、結菜みたいなのが罰走させられるのは、

かなりレアだったよな」


「でもさ、それがなかったら、

俺たち、結菜と知り合えてなかったんだぜ?」

遊人がふっと笑う。


「だってさ、陵光楼の女子が、

監兵楼のオタクどもと仲良くなろうなんて、

普通思わないだろ?」

「……それは言えてるな」

陽翔が苦笑する。


遊人の後ろで、水色の猫がするりと回り込み、

彼の腰にしなやかに絡みつく。


「おい、ちょっと待て!

なんでコイツ、遊人にしか懐かねぇんだ?」

慎之助が猫に手を伸ばす。


「よし、俺が抱いてやる!」

陽翔も続く。

──が。

「……逃げた」

「……また逃げた」

何度も手を伸ばしても、猫はしなやかにかわし、

ひらり と遊人のそばへ戻る。

どうやら、こいつには遊人以外 眼中にない らしい。


「……くそっ、もういい。諦めた」

慎之助がぼやく。


「はぁ、もう五時半か……」

慎之助は沈んだ声で呟く。

「結菜、まだ来ないな。本当に、来ないのか?」


「おやおや、もしかして 会いたくなっちゃった?」

陽翔がニヤリとする。


「さっきまで “来なくていい” とか言ってたの、誰だっけ?」

遊人は何も言わず、ただ猫を抱きながら、



ゆらゆらと風に揺れる菜の花を見つめていた。


まるで、雪のようにふわふわと漂う、儚い花びら。


そして、その小さな存在に、そっと囁きかける。



「……いや」

慎之助が口を開く。

「誰かが何かを隠そうとしてるだけだよ」

「それより遊人、お前、

最近結菜に冷たくなったよな?」

慎之助がじっと遊人を見つめる。


「実は、ここ二週間くらいの話だろ?」


「……」


「いやぁ、ほんと、変わるのって早いなぁ。

ちょっと前までは、結菜とバスに乗るたび、

遊人が頭を下げると、

結菜の額がぴったりくっつくくらい距離が近くてさ……」

「すっげぇ ラブラブ だったのに」

慎之助は、遠く屋上の先、

ピンク色の牡丹の花へと視線を向けながら、

感慨深げに言った。


「遊人と結菜の身長差がいい感じでさぁ、

見てるこっちが照れるくらい甘かったよな……」


「……慎之助」

陽翔が苦笑いしながら、肩をすくめる。


「なぁ、お前、聞いたことない?

カップルはケンカした後、もっと仲良くなるって」

「だから大丈夫だって、結菜はそのうち戻ってくるさ」

慎之助は、そんな陽翔の言葉を静かに聞きながら、

小さく息を吐いた。


「……俺は、

江雨詩社が何かのせいで解散することがないように願ってる。

解散なんて、したくないし……」

「きっと、そんなことにはならないよな」

「……」


「ねぇ、慎之助」

遊人がふいに、何気ない口調で言う。

「そんなに結菜が好きなら、お前にあげるよ」


「……は?」

慎之助が目を丸くする。


だが、遊人は背を向けたまま、

猫を抱えながら、

ただ無言で地面に座り込んでいた。


まるで、彼の中には結菜も慎之助も入る隙間がないかのように。


慎之助は、じっとそんな遊人を見つめる。


「……なぁ、遊人」

慎之助は、ゆっくりと歩み寄りながら、何気なく問いかけた。

「昨日さ、結菜がお前に最後に送ったメッセージって……

何時何分だった?」


「……夜11時59分だよ?」

遊人が顔を上げる。


「どうしたの? ふふっ、そんなに結菜のことが気になるの?」

遊人は立ち上がりかけたが、


なぜか最後まで顔を上げられず、

慎之助に背を向けたままだった。


水色の猫は、そんな遊人をじっと見つめている。

「……いや」

慎之助は、目を細めながら言った。

「俺が気にしてるのは、お前のほうだよ」


その瞬間──

慎之助は、遊人の背後に回り込み、

不意を突いてその頭を押さえつけ──青い猫がいる地面へと、

ぐっと押し倒した。


「……っ!? おい、慎之助!」

遊人が驚いて抵抗しようとした、


普通の猫なら、

こんな突然の接触に驚いて逃げるはず。

……だが、青い猫は逃げなかった。

むしろ、まるで待っていたかのように、

そっと頭を遊人の額に寄せた。


まるで時間が止まったかのように、

三人はただ、牡丹の花の香りの中で、

その沈黙を感じていた。


「……」

陽翔と慎之助は、視線を交わし、

そして猫へと向き直る。

そして、揃って、静かに、

けれど確信を持って言った。

「結菜……君は、もう来ていたんだね」




──その感触に、遊人の脳裏にふっとよみがえる。

結菜の額に、そっと触れていたあの瞬間が。

バスの中で、並んで座ったとき。


小さく寝息を立てながら、

彼の肩にもたれていた彼女。


ふと目を覚ました彼女が、

寝ぼけながら顔を上げた瞬間、

遊人が驚いて動いたせいで、

ふわりと──額と額が、そっと重なった。


「……っ」

遊人の指先がピクリと震える。

──その瞬間。

世界は、静寂に包まれた。

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