チャプター3:壊れた心と友達と
生物室の怪を調査中、喫茶ひばりの常連客であり面白い先輩の雪月花速梨に遭遇した紫宿と藍音。三人が人体模型を調べると、誰かが動かした形跡を発見。その時、泉から電話がかかってきて、それにより紫宿はこの件の張本人が誰かの確信をもった模様。そして、病院に向かうと言う―――。
コンコン
「はい、どうぞ」
冴咲学園から少し離れたところにある病院、その308号室。そこに少女は入院していた。怪我ではなく、病気でもなく。しかし心身の衰弱その他が酷く、他からの干渉の無い完全に独立した個室だ。そのため特に治療も必要無く、見舞いも少ない彼女にとって夕方ともなると暇で暇で仕方が無い。
何かを考えるでもなく、自分が分からなくなりながら眩しいまでの夕暮れを眺めていた。そんな時に耳に届いたノック。
誰だろう、ひょっとするとクラスの誰かが見舞いに来てくれたのだろうか?それは彼女にとって大きな期待だった。しかし、顔を覗かせたのは見覚えの無い少年。
「こんにちは、影科 薙奈さん」
「・・・どなたですか?」
薙奈が尋ねて少年が答える前に、彼の後について入ってきた少女が挨拶をした。それは薙奈にはよく見知った顔。
「こんにちは、影科さん」
「え・・・月ノ宮さんっ!?」
藍音にとって薙奈は普通のクラスメイトだ。それほど親しいわけでもなく、よく話をするわけでもない。ましてや、まだお互いに学園に入学して三ヶ月程度なのだ、知り合ってからの時間もそれ以上ではない。
しかし、薙奈にとっては―――ただのクラスメイト、とは言い難い存在だった。
「この場合、私はどうしたらいいのやら・・・」
「速梨先輩は、たまに茶々入れてくれればいいよ」
「雲雀、この場でその冗談はさすがに怒りますわよ?」
「はは、ごめん」
先に入ってきた少年は紫宿、そして藍音の後に入ってきたのは速梨。
この二人のことは噂程度には知っていたのだろう、二人の会話を聞いていた薙奈は彼らが誰なのか分かったような顔をした。
「体調はどう?」
「す、すこぶる良好よ」
まさか藍音がお見舞いに来るとは露にも思っていなかったのだろう、どう対応したら良いのか分からない様子を見せる。もちろん普通のクラスメイトならそんな事にはならないはずなのだが。
その様子を見た紫宿は、藍音に言う。
「藍音、代わって」
「うん」
紫宿は最初に薙奈に話しかけた藍音と立ち位置を代わり、椅子を引いて薙奈が横になっているベッドのすぐ脇に腰を下ろした。そして、まずは簡単に自己紹介をする。
「俺は雲雀紫宿。こっちは雪月花速梨先輩。名前くらいは知ってる?」
「は、はい。色々有名ですから・・・」
「雲雀はともかく、私まで有名なのですか?」
「っていうか、速梨先輩の方が有名だと思うけど・・・?」
自分に対しての自覚が薄いのか、首をかしげた速梨。しかし紫宿に尋ねることなく黙って先を待つ。
「あ、あの・・・二人は、月ノ宮さんの友達なんですか?」
「まあ、そんなトコ。見舞いに同行したんだ」
「そうですか、ありがとうございます」
丁寧に礼を述べた薙奈、その様子は陰りなど無い真面目な少女に見える。どこも問題など抱えていない、普通に健やかに育ったそのままに。
だが紫宿には分かっている、彼女の”闇”が。
「ところで、聞きたい事があるんだけどいいかな?」
「なんです?」
「なんでこんなことをした?」
「えっ!?」
何のことか分からなかっただけでなく、更に紫宿が急に鋭い眼差しを見せた事に身がすくんでしまった薙奈。目を見開いたまま、言葉が出ない。
「雲雀、いきなりあなたが本気の目で尋ねたら、大抵の方はすくんでしまい何も言えなくなりますわ」
「あ、そうか。まずった」
さすがの紫宿も今回のようなケースは初めてだったからか、加減が分からなかったようだ。
速梨にたしなめられ、少しだけ表情を緩めて言い直す。
「えーっと、まず・・・俺たちは、生物室の怪について調査してたんだ。それはいい?」
「え・・・」
「俺さ、よろずやをやってるんだよ。探偵まがいのこともする」
「あ・・・う・・・・・・」
「もうこれだけで、ここに来た本当の理由・・・分かるよね?」
「っ!?」
今度は先程とは違う理由で目を見開き言葉を失う。そして微かにシーツを握りしめ、震えを見せた。ただそれだけのことで、紫宿は彼女が全てを理解したと判断した。
「もう一度尋ねるよ―――どうして生物室の怪なんてものを作り出した?」
「・・・・・・・・・」
うつむき、視線を自分の手元へと逸らす薙奈。
紫宿の位置からではその表情が見えているのかどうか、だが彼はそのまま話を続ける。
「君さ、生物室の掃除当番だよね」
「は・・・い・・・・・・」
「掃除が終わった時に鍵を掛けないでいて、放課後・・・夕方に入れるようにしておいた。学園の掃除時間は授業の終わった後、帰りのホームルームの前だからその日のうちに気付かれる可能性は低い」
何も言わない薙奈。紫宿は続ける。
「人体模型が動いているのが目撃されたどの日も、次の日に一時間目の授業が生物室だった人に聞いたら、鍵は掛かって無かったってさ。だけど今日の放課後は掛かっていた、今日はこうして君は入院していたからね」
「だ、だけど私は確かに人体模型に襲われて、こうして入院までしているんですよ!?」
「自作自演」
「うっ・・・」
その事に関しても当然、調査済み。
「誰もその瞬間は見ていない。“人体模型が動いて襲ってきた”、その事を証言出来るのは君だけだ。証言しているのも、もちろん君だけ」
「だ、だからって狂言だって疑うなんて失礼です!ちゃんとお医者さんにも診断してもらって、神経衰弱で入院してるんですよ!?」
「悪いね、カルテも調べてあるんだ。それによると、突発的なショックによる急性衰弱ではなく、積もり積もったものらしいぞ」
「・・・・・・なんで・・・」
「言ったろ、探偵まがいのこともするって」
それはおそらく、泉が電話で言っていたことだろう。病院に姿を消して潜入し、ちょちょいとカルテを探して内容を確認する。こういうことに関して彼女の右に出るものはいない。さすがにその事までここで薙奈に話すわけにはいかないのだろうけども。
「・・・まあ、君が話してくれなくても、ほとんど予想付いてるんだけどな」
「っ!?」
またしても酷く驚く薙奈。
ひょっとしたらこの僅かな時間で紫宿には全て見抜かれていると感じたのかもしれない、脱力したかのようにシーツを掴んでいた手を緩めた。
「藍音を始めとしたクラスメイト達に今の君、そして同じ中学校に通っていた子達に中学時代の君の事を尋ねた。それらと今回の一件とを照らし合わせて推測される事は、“君の心”だ」
「・・・もう、私の家の事まで調べてあるんでしょうね?」
「ああ、悪いとは思ったが」
紫宿のそれは嘘だった。やろうと思えば、泉に頼んであっさり出来ただろう。彼には予想出来ていたから、調べる事を必要としなかったわけではない。むしろ予想出来ていてもその裏打ちをする、それこそが彼のポリシーでもあるのだ。
だけどやらなかった。
それがプライバシー過ぎる事だからなのか、そこまでする程の事でもないからなのか、それとも彼女に同情したからなのか。紫宿は、そうしてはいけないと―――いや、したくはなかったのだ。
それはきっと、自分と少しだけど似ていたから。本当に少しで、彼にとってはそれでさえも羨ましいのかもしれないけれど。
「親御さんは、見舞いに来てくれた?」
「来るわけがありません・・・今の私には、価値が無いですから」
「・・・・・・・・・」
目を逸らして答えた。微かにではあるが、唇を噛んでいるようにも窺える。
「分からないんです」
「分からない?」
「何をどうしたらいいか・・・どうすれば私を見てくれるのか・・・」
「以前と同じようには出来ないから?」
「はい。所詮、私はこの程度だったんです」
そう寂しそうに呟くと、藍音を羨ましそうに見つめる。
「どんなに頑張っても、月ノ宮さんのようにはなれない」
「・・・影科さん」
中学時代は何をやっても上手くいっていた。
勉強は、いつも上位にいて。スポーツをやらせれば、男子にさえもそうそうは負けない。学級委員には立候補するまでも無く、推薦で自然と頼られる。求めなくても友達はたくさんいて、いつどんな時も周りには人がいた。
そんな自分を、親は誇りに思っていて。いつだって自慢していたらしい・・・父は会社で、母は買い物先で。近所の人達からも、爪の垢を煎じて自分の子供に飲ませたいとまで言われるほど。
いつしか自分は選ばれた者なのだ―――そんな風に。だがそれは、大きな“勘違い”だったと思い知らされる。
「冴咲学園にだって、推薦で入りました。その時は、まだ自分が一番だと夢を見ていたんです」
「ところが、上には上がいた」
「はい・・・それが、月ノ宮さんです」
はじめにその事を知った時、紫宿には普段はじゃじゃ馬な藍音がそんなに優秀だとはとても信じがたかった。だがよく考えてみれば当然なのである、天下の月ノ宮グループのお嬢様なのだから英才教育を受けていないはずが無い。
しかも性格がひねくれているわけでもなく容姿だって文句無し、というスーパーお嬢様なのだ。
「学園に入学して少し経った後の実力テストで、衝撃を受けました。だって彼女が授業以外で勉強している姿なんて見た事が無い、いつもたくさんの友達と楽しそうに笑ってる姿ばかり。なのに全教科満点、そしてそれを鼻に掛けることもしない」
「・・・・・・」
「その時、選ばれていたのは私ではなくて月ノ宮さんなんだ、って気付きました」
それから薙奈は自信を無くした。
そうなれば当然勉強にも身が入らなくなり、スポーツだってどこかに影響が出る。性格も常に何かを怖れるようになり、それを周りも感じ取ったのだろう、友達はいなかった。
「何をやっても上手くいかなくなって・・・挙句の果てに、親にまで呆れられました」
薙奈には兄がいる。彼は元はそれほど優秀でもなく、両親は薙奈に期待を掛けていた。しかし彼女が落ち込むのとほとんど同時期に兄は大学でその才覚を発揮し始めたのだ。
すると両親は兄のことばかり意識するようになった。“お兄ちゃんを見習いなさい”だの、“どうしてこんな風になったのか”と冷たい目で見られる。
徐々に学園内だけではなく、家でさえも口数が減っていった。
「私を、見て欲しかった」
「なんでもいいから、以前のようになりたかったんだな」
「はい・・・もう、これ以外に思いつかなかったんです」
生物室の怪―――その噂が浸透してから自分が被害に遭えば、自然と人が自分の元に集まり、話題は自分のことになる。親だってさすがに心配してくれることだろう。
「・・・だけど、それは甘かった」
もともと今は友達がいない薙奈、見舞いに来てくれる人は一人もいなかった。
親も、電話で様子を少し聞いただけで直接やっては来なかった。
医者の診断では明らかにストレスが過剰に溜まっていて、入院を要するとまで言われた。
ああ、やっぱり。
自分でも“いつ壊れてしまうのか”、と思っていたんだ。
「結局、私はこうなのよ。所詮まがい物、何をどうしても本物には勝てない・・・そうやって苦しんで苦しんで絶望に泣いているしか出来ないのよっ!」
藍音を睨み付けて泣き叫んだ薙奈。
慰める言葉などあるだろうか。
彼女は、愉快犯などではない。
誰かに迷惑を掛けるつもりがあった訳ではない。
―――ただ苦しくて、寂しくて。
パン
「!?」
「紫宿っ!?」
「雲雀、いきなり何をっ!?」
藍音と速梨が声を上げたのも仕方が無いだろう、紫宿が薙奈の頬を平手で打ったのだ。それは静かな病室だったから音が聞こえたものの、本来ならば叩いたのが分からないくらい弱いものではあったが。
薙奈は叩かれた理由が分からず、目をパチクリとさせた。
「・・・おまえ、本当の馬鹿になる気か?」
「?」
彼の言葉が分からない。
自分はもう十分馬鹿なのだ。
なのに、これ以上何があると言うのか?
「おまえは影科薙奈。違うか?」
「あの・・・言ってる意味が分からないんですけど・・・」
「適材適所って言葉、知ってるだろ?」
「え?それはもちろん・・・」
「あれさ、俺はこんな風に捉えてる。“無理する必要はない”って」
「無理?」
「ああ」
未だ紫宿の言わんとしている事は的を射ていない。
だが誰も口を挟まずに言葉の次を待っていた。
「そりゃ、時として人は無理しなきゃいけないこともあるさ。だけどいつでもそうやって無理して気を張ってる必要はないだろ?向き不向きって事があるんだから、出来ない事は誰かに任せればいい」
「で、でも、それじゃ駄目なんです!」
「そうか?俺だってえらそうに言いながら、姉さんに任せている部分だってある。たぶんその分野じゃどうひっくり返ったって姉さんには勝てないよ」
「・・・?」
「だから俺たちは協力してる。互いに得意なところを生かし合ってるんだ」
「でも、それはそういうお仕事だからで・・・」
「そうかもな。だけど、無理をしてないのは分かるだろ?」
それには頷いた。
「勉強がどうした、スポーツがどうした。それだけで人間が決まるのか?そんな訳ない、なのに自分で勝手にそう決め付けてがんじがらめになってどうする?無理をして、常に苦しんで暗い顔をしていたら誰だって離れていくぞ」
「・・・・・・」
紫宿に言われ、考える。
中学の頃、どうだった?自分は人をどう見ていた?成績だけで、学校での活躍だけで友人を選んでいたか?友人は、自分が優秀だから仲良くしていたのか?
幼い頃は?父や母、兄はそんなことだけで私を愛していたのか?
「違う・・・」
「ん?」
「そうじゃ、なかった・・・」
「そうか」
呟きにも似た薙奈の言葉。誰かに伝えようとしたものではない。あえて言うのなら・・・自分に。
紫宿には彼女が何を呟いたのか聞こえていない、だがそうやって答えた。
そして、ふと何かを思い出したかのように言う。
「そうそう、ああ見えて藍音な、裁縫とかやらせたら酷いんだぞ。前にほつれた服の修繕を頼んだらな・・・・・・」
「わーっ、わーっ!?何を吹き込もうとしてるのよ、馬鹿紫宿っ!」
「なにぃっ!?」
いきなりとんでもない事で会話に名前を出された藍音は大慌てだ。
紫宿も馬鹿呼ばわりされて立ち上がり、彼女と睨み合う。
「なんでいきなり人の恥を言おうとするのよっ!?」
「散々誉められたんだからいいだろうがっ!ちょっとくらい恥をかけっ!」
「だからって、友達の前で言わなくてもいいでしょっ!?」
二人の言い合いの中で飛び出した藍音の言葉に、心臓を打ち抜かれたような衝撃を受けたのは薙奈。本当にそのまま心臓が止まってしまったのではないかと思えてしまうほど身じろぎ一つしない彼女に、速梨が話しかけた。
「いるじゃありませんか、お友達」
「・・・なん・・・で・・・・・・」
「理由なんて無いと思われますわよ。友達とはそういうものです」
「・・・・・・」
未だ言い合っている紫宿と藍音の二人にやれやれと溜め息をついて、薙奈のベッドにゆっくり腰を掛けた。そして優しい微笑みを見せる、それは社交モードなどではなく。
「影科薙奈さん。あなたは、あなた。世界でただ一人しかいないのですわ」
「私は、私・・・」
そこで速梨は腕を組んだ。
「まったく、雲雀が適材適所などという分かりにくい言い方をするからいけないのです」
「え?」
「要は、無理などせず自分らしくしろ、と言いたかったのでしょう。あの方はそれくらいのことが恥ずかしかったのか不器用なのか・・・困った方です」
「自分、らしく・・・」
「ええ。とはいえ、それは最も簡単で同時に最も難しい事なのでしょうけれど・・・しかし、あなたならば出来ると私は思いますわ」
「・・・・・・・・・」
ぽろぽろ、と。涙が零れるのは自然だった。
久しぶりだったのだ。
自分のために怒ってくれた。
自分のために微笑んでくれた。
そして・・・自分を友達だと言ってくれた。
こんな気持ちは、本当に久しぶりだった。
「あ、あら?泣いてしまわれました・・・ど、どうしましょう?」
「あーっ!?何を泣かせているんですか、雪月花先輩っ!?」
紫宿と言い合いをしながら、薙奈の様子が変わった事に気づいた藍音は慌てて彼女の元に駆け寄り、そして薙奈の手を握りしめて言う。
「薙奈、大丈夫?先輩に何かされたの?」
「な・・・どうして私が何かしたと申されるのですか!?」
「だって・・・いくら先輩でも、私の友達に何かしたら許しませんよ?」
「・・・私は友達ではありませんの?」
「・・・・・・・・・・」
「何故黙るのですっ!?」
がーん、と効果音が聞こえそうなほどショックを受ける速梨。
もちろん藍音のそれは冗談なのだが、速梨は割と本気だと受け止めてしまっているようだ。涙目で紫宿の方を振り向く。
「雲雀~~・・・」
「ホント、速梨先輩っていじりがいあるよなぁ・・・」
ポンポンと頭を撫でて慰める。その構図は身長差もありどちらが年上なのか分からないだろう。
「月ノ宮さん、勝手に嫉妬しててごめんね・・・」
「藍音でいいわよ、薙奈。私こそごめんね、友達が悩んでいるのに全然気付かなくて・・・」
「つ・・・藍音・・・」
そのまま薙奈は藍音の胸元に抱きつき、涙が枯れるまで泣いた。