Epilogue
カラ・・・
「ただいまー」
「おっかえりぃ~」
「お帰り、紫宿」
家の中から二つの声が聴こえたことに少しだけ驚いた紫宿。そうだ、藍音もいるんだっけとすぐに思い出したものの、慣れないその感覚は少々くすぐったかった。
「夕飯、もうすぐ出来るから待っててね」
「へ、夕飯も作ってくれるのか?」
「だってそうしないと、二人共まともなもの食べないでしょ?」
「ま、まあそうだな・・・」
図星だった紫宿、確かに今晩は昼に食べなかったインスタントラーメンにしようと思っていた。これではまるで藍音は、家事手伝いか家政婦ではないかと錯覚してしまいそうだ。そして一応は彼女の手伝いをしている泉、何やらやけに楽しそうに見える。
「それじゃ、いっただきま~っすっ♪」
元気いっぱいの泉の音頭で手を合わせる。
そして料理を口に運ぶと、それはやはりとても美味しかった。
「ホント、大したものだな」
「お母さんのはもっと美味しいのよ、あんなでも」
紫宿は正直、お金持ちの家の女性が料理を出来るとは思ってなかった。しかも、電話で話しただけではあるが藍音の母親の性格では尚更そう思う。
すると、泉が目を輝かせて尋ねた。
「ねぇねぇ、今度藍音ちゃんの家に遊びに行ってもいい?」
「こら泉、おまえ幽霊って自覚あるか?」
紫宿がそう言うのも仕方が無い、普通は幽霊が訪ねて行ったら大変なことになるだろう。
「平気よ、ちゃんと泉さんのことも話してあるから」
それはつまり泉が幽霊であるということだろうか。たとえ話してあるとはいえ、それをあっさり信じて受け入れているところが月ノ宮家のすごいところかもしれない。
さすがの紫宿もこれには少々頭痛がした気がしたのだが。
「ところでさ、紫宿」
「うん?」
「あの人、どうだった?」
「ああ・・・・・・言葉にならないほど泣いていたよ」
「そっか。良かった・・・」
今晩のデザートはリンゴ。
それをシャリシャリと頬張りながら歓談する三人。
「でも~、紫宿ったら意地悪よねぇ~」
「そうか?」
「だって、始めっから全部教えてあげればいいのにさ~」
「言ったろ、依頼人が気に入るように趣向を凝らしたんだ」
「またまた~。紫宿ったら素直じゃないんだから~♪」
「ふん」
素直じゃない子供に対しているような泉の物言いに、悔しいのかリンゴを先ほどよりシャクシャクと音を大きく立ててかじり続ける紫宿。
「だけど、泉さんの言う通りじゃない?ちゃんと教えてあげておけば、この数日のおじさんの苦しみは無かったでしょ?」
「そ、そうなんだけどな・・・」
今度は藍音にずばり言われてたじろぐ。
「大丈夫よ~、紫宿。藍音ちゃんだって分かってる」
「何?」
「えへへ、実はそう」
ペロッと舌を出す藍音。
どうやら泉と二人して紫宿をからかっていたようだ。
「自分が教えるよりも、直接元気な声を聞かせてあげた方が喜ぶと思ったんでしょ?」
「・・・分かってるなら聞くなよ」
「あ、照れてる~」
「うるさい、泉」
「なんだと~?なんて口の聞きようだ、お姉ちゃんだぞ~っ!」
なんと賑やかな食卓だろう。今までだって泉がいるだけでうるさいくらいだったのだが、たった一人増えただけでこんなにも。
だがもちろん嫌なわけではなく、むしろ心地良い。それは紫宿が忘れかけていた感覚だった。
「ねえ・・・静穂さん、退院はいつ頃になるのかな?」
「さあな。いくら俺の霊力である程度は回復出来たとはいえ、元は面会謝絶でいつ亡くなってもおかしくない状態だったんだ。リハビリとかして退院出来るまでには結構時間が掛かるんじゃないか?」
「でもさすが紫宿よね~、三日で電話出来るまで回復させちゃうんだから~」
「ほとんど毎日俺自身がぶっ倒れそうになるまで回復させ続けたから、3kg痩せたがな」
「うわ、いいなー」
藍音はなんとも羨ましそうに声を上げた。彼女が太っているということは全く無く、むしろ細身なくらいなのだが、やはり女の子は少しでも細くなりたいものなのだろうか。
そしてもうお分かりだろうが、静穂は生きていたのだ。ヒ素中毒で倒れ、いつ命の灯が消えてもおかしくない状態だった。だが、面会謝絶であっても、間違いなくまだ生きていた。
「泉さんが自分とはちょっと違うって言ったのは、静穂さんは“生霊”だったってことだったのね」
「ああ。だけどそんなの素人に見分けが付くはずも無いからな、あの時おっさんは静穂さんがついに亡くなってしまったものだとばかり思ったんだな」
「それで自首した後もずっとそう思っていたから、電話から静穂さんの声が聴こえた時はあまりの喜びで泣いちゃったのね~、男泣きぃ」
結局、誰も死ぬことは無かった。暁彦に共犯の人たちも、もちろん静穂も。共犯の人たちの怪我はなんだかんだでやはり事故という結果のままだ、紫宿たちにはそれが事故でないことは一目瞭然だったけれど、霊のせいだなどとほかに誰が信じようか。
そうすると藍音の依頼は果たせていないことになるのだが、本人が満足しているわけだしもうこれ以上事件は起きないことがはっきりしたうえに人の噂も七十五日だ、良いと言えば良いのかもしれない。
そして肝心の保険金殺人未遂だが、こちらもはっきりした証拠は無く、あくまで暁彦の自首という形だけだ。静穂ならきっと回復次第すぐに警察に彼の釈放を求め、警察も応じることだろう。
暁彦の会社ももう心配無いし、自分たちのために何もかもを投げ打とうとした社長を皆笑顔で迎えてくれるに違いない。
何もかもが優しい結末となったのだ。それは信じられないような奇跡だったのかもしれないけれど。
「ホント、良かった。何もかも怖いくらい上手くいったわね」
「ああ、俺もびっくりだ」
「そうなのよね~。紫宿ったら、いつも途中まではちゃんと計算してるのに、知らず知らず感情の赴くままに動いちゃうんだから。それで怪我ば~っかりしてさ~」
「な、なんだよ。悪いかよ」
ニヤニヤ笑いながらそう言った泉に頬を膨らませる紫宿、この辺りは妙に子供っぽい。やはりなんだかんだで彼は泉を姉だとちゃんと思っているのか、時折彼女に対してこうやってまさに生意気な弟そのままの振る舞いをする。
そんなやりとりは、一人っ子である藍音には羨ましいことこの上無い。
二人を眺めながら、紫宿に言った。
「紫宿のおかげで、あの二人から笑顔が失われなかったのよね」
目を細めた彼女の微笑みに、紫宿はどう対応していいのか分からない。
正直言うと、彼は自分があの二人を救ったなどこれっぽっちも思っていない。あるべき姿に戻しただけだ、と。何より、自分のわがままを通しただけ。照れながらも彼は自分の思っていることを告げる。
「別に・・・世の中には誰がどんなに頑張ったってどうしようもない、何も悪くないのに運悪く酷い目に会う人だっているんだ。だったら、ただのすれ違いで悲しい目に会いかけている人たちが救われるくらいのことがあってもいいじゃないか」
紫宿らしくない言葉だった。言いたい事がはっきりとまとまっていない、まるで子供が思いついたことをそのまま口にしただけのような。しかしそう告げた紫宿の横顔は、やけに必死で、やけに悲しそうで、やけに寂しそうで。微かに目を逸らせ、同時に伏せた。
紫宿が泣いたわけではない、はっきりと悲しいことを口にしたわけでもない。だが、どうしてか藍音は涙が出そうになるほど胸が締め付けられた気がしていた。
「・・・・・・・・・・・・」
ところが、そんな空気はいきなり破られる。
「しっすく~~~♪」
「う、うわっ!?泉、いきなり何をするっ!?」
背後からそろりそろりと近づいた泉が紫宿に抱きついたのだ。
「もう、誉められたらすぐそうやってとぼけちゃってぇ。可愛いんだから~~っ♪」
「こ、こら・・・離れ・・・」
「お姉ちゃんは、紫宿がいい子に育ってくれて嬉しいぞ~」
ついにはそのまま頬ずりまで始める。
いきなり、しかも人前でそんなことをされて紫宿は大変迷惑そうだったが、嫌がっているようには見えない。現に、泉を無理に払いのけたりしない。それどころか、眉間にシワを寄せてはいるものの、その表情は何故か笑顔に見えた。
なんて素敵な姉弟なのだろう・・・それが藍音の感想。微笑ましい光景を眺めながら、自分も自然と笑顔になっている。
少し、いやかなり普通ではない職場。こんなところでアルバイトに勤しむ日々が始まる。
帰り道、バイクで送ると言った紫宿の背中に掴まっている藍音は、バイクと同じスピードで気持ち良さそうに飛んでいる泉に目を丸くしながら、そんなことを考えていた。
「ん、どうした?」
急に背中でクスクス笑い始めた藍音に、前を向いてバイクを運転しながら尋ねる紫宿。
藍音は笑いながら答えた。
「なんでもないよ、店長♪」
「?」
よろずやひばり。
部屋の片づけや迷子のペット探しに浮気調査から、心霊現象の調査に悪霊退治までなんでもござれ。
若干17歳のひねくれ店長、その姉であり元気すぎる幽霊、そして活発な新人アルバイトのお嬢様。
毎日が大騒ぎのよろずや(喫茶も)は、また明日も賑やかなことだろう。
―――たとえ、それが幻より儚くとも。