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よろずやひばりの守部奇譚  作者: るびん
奇譚1:迷える子羊達へのレクイエム
4/39

チャプター4:君が望んだもの

一連の事件を起こしていた張本人は怨霊であった。紫宿は怨霊との戦いのさなかで傷つきながらも追い詰めたが、怨霊はビルの窓を破って逃げ出してしまう。紫宿は呼び出した神獣の背に乗って後を追うが、はたして―――。

「痛てて・・・」

「もう、無茶をしてぇ。これだけ怪我したら私の霊力じゃ治しきれないんだからね~?」

「分かってるよ、ガミガミうるさいな」

「なんだと~?心配してるんだぞ~」

「はいはい・・・」

「ちゃんと私の言うこと聞け~、お姉ちゃんだぞ~っ!」


 それほど時間も掛からずに戻ってきた紫宿。

 怨霊はあっさりやっつけたようではあったが、静穂に付けられた傷と怨霊との戦いで負った傷は相当のものだった。しかも困ったことに、霊力を使って傷を癒すことは自分自身には施せないという特性があるようで、いくら紫宿の霊力がずば抜けていようと出来ないという。


「・・・・・・」

「ん、どうした藍音?」

「え・・・ううん、なんでもない・・・」

「?」


 実は泉による霊力での治療後に続いて応急手当をしていたのは藍音だった、泉はかなり不器用らしい。

 その藍音は一通り手当てを終えると、紫宿と泉のやりとりをぽかんと眺めていたのだ。

 それは何か“違和感”を感じていたから。


 ―――泉に対して。


 彼女が“姉”の顔をしている時と、普段の“泉”の顔の時とのギャップ・・・いや二面性とでも言うべきか、それに戸惑っていた。


「あの・・・」

「ん、なんだおっさん?」


 そんな中、不意に妙にすっきりした表情の暁彦が話しかけてきた。


「さっき静穂の中から飛び出して戦っていたアレは何だったんだい?それに君たちは一体・・・」

「二つも同時に聞くなよ、まあいいけど。あれは怨霊の塊・・・都会の真ん中で思いを果たせず散っていった人たちの悔いの念、それが集まって出来た悪霊。元々が思念だけだからな、普通の悪霊より場合によってはタチが悪い。もう人の心は残ってなくて浄霊は不可能で、可哀そうだけど除霊するしかなかった」


 少しだけ、悲しそうに言った。だがそれに暁彦は気付かず、質問を続ける。


「そんなものが、どうして静穂から?」

「ちょっと違うな」

「?」


 首をかしげた暁彦、そして藍音も。それはそうだろう、その怨霊は静穂から飛び出してきたのだから彼女に取り付いていたというのが普通に考えられることだろう。

 しかし紫宿は、なんと暁彦を指差して言った。


「先にあんたが取り憑かれていたんだよ」

「なっ!?」


 酷く驚く暁彦。自分は常に平常でいたはずだ、なのにそんなことを言われては仕方ないだろう。

 その彼に紫宿は逆に尋ねる、答えは分かっているという表情で。


「初めて保険金の事が頭をよぎった時、悪魔の囁きのようなものが聞こえなかったか?」

「そ、そう言われてみると・・・しかし、結局は自分ではないのか?」

「普通はな。だけどおっさんのは違う、あの怨霊が導いたんだ。だから自分のものよりもはるかに強く、信じられないほど簡単にその選択肢を選んでしまったんだ」


 言葉を失った。そんな、そんな馬鹿な。怨霊に取り憑かれていたから、こんなに愚かなことを?


「そして、今度はその事で悲しいほどにあんたを恨んでしまった静穂さんに取り付き、その恨みの念を増幅させ自らに取り込もうとした」

「取り込む・・・?」

「ああ。そうやってほとんど自分は隠れたまま自らを成長させていくっていう、厄介なタイプなんだ。つまり、あんた達はこれまでの人たちのように怨霊の糧にされかけたって事」


 怨霊にとって最も操作しやすく、膨大な憎悪の念が手に入る。今回はそれが暁彦と静穂だった。強く愛し合っていて、かつ大きな問題を抱え脆い状態にあった。

 光と影が正反対であるように、愛情が大きければ大きいほどそれが反転すればその念は巨大なものになる。ただ、それだけ。そんな事だけで、二人はすれ違ったままになってしまうところだったのだ。

 暁彦は、その事実を受け止めたのか、どこか遠くを見つめるような瞳で言う。


「そうだったのか・・・いや、だがそんな心の隙間があった俺のせいだということに違いは無い、もちろん罪が消えることにもならない」

「そりゃそうだ。とっとと自首しな」

「ちょ・・・紫宿、そんな言い方・・・」


 あまりにさらりとそんな風に言った紫宿をたしなめるように言った藍音だが、なんと暁彦がそれを遮った。


「いいんだよ、お嬢ちゃん。ありがとう」

「う・・・」


 そんな風に言われては何も返せなくなる。

 暁彦は紫宿に向き直り、再び尋ねた。


「それで、君たちは?」

「・・・別に名乗るほどのものじゃない、ただのおせっかいだよ」


 ぷい、とそっぽを向いて答えた紫宿。それが何を意味しているのかは泉にはバレバレなのだろう、必死で笑いを押し殺していた。その姿が紫宿の目に入ったのか、ムッとして、そしてごまかすように静穂の方を向いた。


「・・・やっぱり思ったとおりだ」

≪・・・≫


 酷く醜く歪んだ顔はまるで嘘だったかのようで―――静穂の今の姿は、彼女本来のもの。

 優しく穏やかな微笑みをたたえた、柔らかい美しさ。自分がまだ夫に愛されていたことを知った彼女の笑顔は、同じ女である泉と藍音さえも見とれてしまうほどだった。


≪ありがとう・・・≫

「お礼なんていいよ・・・むしろこっちこそ、笑顔を見せてくれてありがとう」


 紫宿も穏やかな笑顔だった。それは相手が美人だからとかではなく。紫宿がどうしてここまで傷付いたのかという理由を答えているかのような。儚いほどに切ない、そして温かいものだった。


「ほら、俺なんかよりももっと、それを言わなきゃいけない人がいるだろ?」


 紫宿が静穂にそう勧めると、彼女は強く頷いて暁彦の方を向いた。


≪暁彦さん・・・≫

「静穂・・・」


 紫宿、泉、藍音の三人はその続きに立ち会うこと無く元の静けさを取り戻したオフィスを出る。時間は限られているだろう、だから少しでも二人だけのためにその時間を。

 そういう想いだった。


「・・・100%ハッピーエンドって訳じゃなかったけど、これで良かったのよね?」

「さあな」

「え・・・?」

「ま、俺から言わせたら予定通りだけど」

「ど、どういうこと!?」


 壊れていない方のエレベーターで階下へ向かう静けさの中、小さく穏やかな藍音の問いかけに対し、紫宿の淡々と冷酷な口調での答えが響いた。


「ああいう理由で悪霊になりかけている霊ってのは単純なんだ。だからそこから解決に持っていくのは容易い」

「・・・・・・」

「そうだろ?だって俺がちょっと体を張っただけで人の心を取り戻した。そして俺には始めからこの一件の黒幕があの怨霊だってことは分かってたんだ、だったらおっさんだって簡単に反省して自分の命を差し出そうとすることなんて想像に容易い」

「ま、まさか・・・・・・」


 藍音は信じられないと目を見開く。

 対して紫宿は何を眺めているのか分からぬ冷たい瞳をしている。


「そういうこと。全て、俺の計算通りに事は運んだってこと。怨霊が二人を操作して自分の狙いを実行したように、俺も二人を操作して怨霊をあぶりだした。そいつを叩いて依頼を完遂するために、な・・・まあ、おまえがしゃしゃり出てきたのは多少予想外だったが」

「そんな・・・じゃあ紫宿がしたことは!?言った言葉は!?」

「決まってる、依頼人であるおまえが気に入るように趣向を凝らしただけさ、慣れない演技までしてな。ああそうそう、一応おまえがおっさんを説得したってことで依頼料は少し安くしておくよ。泉、俺は今から病院に行く。事後処理は任せた」

「あぃよ~」


 エレベーターが開くと、そう言って帰り道とは別の方向に歩き出す紫宿。

 答えた泉は今の二人の会話を全く気に掛けた様子も無く、いつもの調子で軽い返事。

 ただ一人、藍音だけがわなわなと震えながら涙をにじませ、怒りをにじませ叫んだ。


「この・・・悪魔っ!人の心をなんだと・・・あんたの方が悪霊なんかよりよっぽど酷いわよっ!」

「そうかもな。命ってものが分からなくなった俺は、まさしく悪魔かもな・・・」


 紫宿のそれは呟きのようで、藍音には聞こえていない。

 そして、彼はふと思い出したように振り返って泉に言った。


「泉、おっさんがビルから出てきたら伝言頼む」

「いいわよ~。なんて?」

「“面会にはとっておきのプレゼントを持っていく”」

「・・・・・・・・・んふふ♪」

「なんだよ、気持ち悪い」

「だってぇ~♪」


 その泉の顔は、またこれまでに藍音が見たことの無いものだった。それはまさに“弟が可愛くてたまらない”というもの。

 今の紫宿の言葉でどうしてそんな表情を見せたのかは、藍音には全くもって分からないのだが。


「・・・ま、いいや。頼んだよ、“姉さん”」

「!?」


 紫宿の去り際。確かに彼は泉を“姉さん”と呼んだ。

 そのことにまた藍音は驚いた。訳が分からず、彼女はなんとも嬉しそうに微笑んでいる泉に尋ねる。


「な、何がどうなってるんです?」

「んふふ♪あの子はね、こうやって気分がいい時は私を“姉さん”って呼んでくれるのよ~。無意識だけどねぇ」

「気分がいい・・・自分の思い通りに、面白いくらい操れたからですか?」


 怪訝な顔で尋ねた藍音。そんな風にしてはせっかく機嫌のいい泉に悪いかとも思ったが、せざるを得ない。

 しかし、泉はまったく気にもかけずクスクスと笑いながら答えた。


「あのね、藍音ちゃん。あの子、“依頼人であるおまえが気に入るように趣向を凝らしただけ”って言ったでしょ?」

「はい」

「でも、だとしたらそれを白状するって変じゃない~?」

「え・・・あっ・・・!」


 そうである。それを自分で白状しては、まったくその意味は失われる。お世辞であることを宣言してお世辞を言っているようなものだ。


「それにね、いくらある程度予想できていたとはいえ、絶対に上手くいく保障がどこにあったかしらぁ?なのにどうして紫宿は自身がボロボロになる、下手をすれば命さえも危険なことをしたの?」

「そ、それ・・・は・・・・・・」

「藍音ちゃん、自分で言ったでしょ~?“一気にやっつけちゃえばいい”・・・その通りなのよ、現に他の守部なら絶対にそうしている。だって何より依頼人を守ることと依頼の遂行が全てだもの、ほかの人間を救う云々なんて誰も気にしない」

「・・・・・・」


 藍音も気付いたのかもしれない、紫宿という少年の言動の裏に。

 そして更に泉はいたずらっぽく笑ったまま、藍音に教える。


「とどめに、“プレゼント”が何か教えてあげるわ~♪」

「?」

「えっとね――――――」



 数日後。

 喫茶ひばり兼よろずやひばり店長室・・・といっても、そんなたいそうなものではなく、一言で言えばリビングである。

 旧家であるはずの雲雀家ではあるが、やはりそういった洋風な部屋もあるのである。

 そして本来ならば店長室と言えば店長である紫宿の部屋のことを指すのであろうが、さすがの彼も仕事でプライベートの部屋を使うのは御免だったようだ。

 リビングなので当然ながら泉だっている、というか幽霊なのに普通にテレビを見ていた。なかなかシュールな光景である。

 対して紫宿はどうやら帳簿などの書類整理と一人でにらめっこをしているようだ。


「・・・泉~」

「ん~?どうしちゃったの弟よ、そんな甘えた声出して」

「疲れた」

「そう言われてもね~・・・さすがにすでに死んでるはずの私が学校に行くわけにはいかないもの、それで中学一年と変わらない学力だから書類整理とかを手伝うのはちょっとキツイよぉ~?」

「いや、これは俺がなんとかするからいい」

「じゃあ何?しかも、可愛い声で♪」


 そう、確かに紫宿の声は冒頭で泉の言った通り、姉に甘える弟のそれであった。特に周りに人がいない二人きりの時ならそうするといったことではない、むしろ人なんていようがいまいが、紫宿が泉を姉として扱うことなど恐ろしいほど稀だ。

 だがそんな彼がこんな風に甘えた声を出した理由は、とても単純な、人間としての本能だった。


「・・・腹減った」

「あ、お昼の時間ね。食べればいいじゃない~?」


 それはそうだ。お腹が空いたのなら食べればいい、至極もっともだ。

 雲雀家が大変貧乏で食費も満足ならないというのならばともかく、なんだかんだで一族の財産はそれなりにあるし、喫茶はともかく、よろずやはそこそこ上手くいっている。


「作るの面倒くさい」

「ひょっとして、私に作って欲しいの?」

「・・・うん」


 なんとつまりはそういうことだった。紫宿自身も料理を出来ないというわけではないが、片付けるべき書類はまだかなり残っているし、それ以前に面倒くさいと。

 かと言って、今からコンビニ等で買ってくるのもあれだ。

 とすれば、幽霊とはいえ実体を持てて女の子でもある泉。彼女の腕前に期待するのも頷けるだろう。

 だがしかし、彼女はそんな紫宿の期待とは裏腹にカラカラと笑って答える。


「あははっ!紫宿、知らなかったっけ~?」

「何を?」

「んふふ・・・生きてた頃の家庭科の最後の成績、2よ~」

「にっ・・・俺でも3なのに・・・・・・」


 どっちもどっち、である。まあそんなわけで普段の食事は朝はトーストだけ、昼は学校の学食や購買、夜はコンビニ弁当かインスタントラーメンなどだ。成長期にあるはずの紫宿にとって、まったくもって将来が不安になるメニューだった。

 5年も前に家族を一度に失ってしまった紫宿は、ずっとそういった食生活だったのだ。時々親戚などが心配して食事の面倒を見てくれていたこともあったが、それも毎日というわけにはいかない。

 今まではがむしゃらにここまで来たから食事のことを考えたりすることはあまり無かった紫宿だが、最近は多少余裕が生まれてきたのか時折外で食べることもあった。

 そしてもちろん泉は幽霊なのだから食事を取る必要など無い、だから彼女も自分が作るということを意識したことは無かったのだろう。


「いつもいつも自分が姉だってえばってるくせに、肝心なところで・・・」

「なんだよ、悪かったな」


 おそらく泉は料理が出来ると踏んでいたのだろう、だからこそ甘えた声を出して作ってもらおうと考えた紫宿。当てが思いっきり外れて、心からガックリした声だ。

 仕方なく、再び書類に向き合う。


「あれ、何も食べないの?体に悪いよ~」

「そう言われても・・・まあ、とにかく何か食べた方がいいか」

「そうそう。ラーメンくらいなら出来るよ、作ろうか?」

「っても、インスタントだろ?」

「う“」


 図星である。しかし今はそれしかない、仕方なく紫宿は泉に頼んだ。

 そしてそれが出来るのを待つ間、一人黙々と書類整理に集中していた。


「・・・・・・」


 書類整理と侮る無かれ、とても重要な仕事だ。喫茶では材料費をはじめとした経費、よろずやでは依頼料の細かい計算から事後報告や個人情報の整理整頓。守部についても統括する部署のようなものがあり、そこに出来る限り詳細を報告する義務がある。

 これらは一つ一つが相当の労力を必要とするものであり、難しいものでもある。だから紫宿も本気で集中し、全神経を注いでいた。


「はい、お茶」

「ああ、サンキュ」


 右手は書類にペンを走らせ、左手で手元に置かれた湯飲みを手にしてお茶をすする。


「ん?なんかいつもより美味しいな」

「そう?良かった」


 そのまま顔を上げることなく作業を続ける紫宿。

 時折考えて顔をしかめたりしながらではあるが、滞りなく。


「ね~、お湯沸いたよ~」

「あ、はーい!」


 パタパタパタパタ・・・


 台所へと駆ける足音。何やらそれはとても久しぶりに耳にする音だ。


「う~ん・・・俺、数学は得意だけど、こういう単純計算は嫌いなんだよなぁ・・・」


 ひたすら数字の並んだ足し算や掛け算の繰り返し。もちろん電卓を使ってやっているのだが、あまりに数字が細かすぎてどこまで計算したか分からなくなったり本当に合っているのか不安になったり、その気持ちはお分かりだろう。

 しかも先ほどからそればかりやっているものだから、さすがの紫宿も集中力が切れてくるというものだ。


「そこ、一つ飛ばしたよ」

「え・・・あ、ホントだ。ありがとう」

「どういたしまして」


 後ろから覗き込むように声で教えると共に指を差して示された場所は、確かに一つ飛ばしてしまっていた。これに気付かないままだったら、後でかなりの手間になっていただろう。


「泉、おまえ実は事務仕事向いてるんじゃないか?」

「え~?何か言った~?」


 何故か遠くから聞こえた気がした泉の声。


「すぐに残りのを持ってくから待っててね~」

「?」


 そこで気付く。

 まずは、いつの間にか目の前に料理が並べられている。しかもそれはインスタントラーメンなどではなく、とても美味しそうな家庭料理の数々。鼻をかすめる匂いも文句なしで、自然とお腹が鳴る。


「おぉ・・・」


 これこそ最初に紫宿が泉に期待していたものだった、いやそれ以上か。

 だがしかし、泉は家庭科の成績が悪いと言い、さらにインスタントラーメンを作ると言っていたはずだ。それに、たった今の彼女の返事は遠くから聞こえた気がした。

 そこで考える。

 先ほど台所へ駆ける足音が聞こえなかったか?泉は幽霊だ、足音など聞こえるはずが無い。それに、お茶の味まで泉がいつも淹れてくれるものと違った。

 何より・・・泉が台所にいるとしたら、後ろからミスを指摘してくれたのは誰なのだろう?


 バッ!


 勢いよく後ろを振り向いた紫宿。目を見開いて驚く。


「あ、やっと気付いた?」

「な、なな・・・・・・・・」


 言葉が出ない紫宿、それほど驚いたのだ。

 そして、やっとの思いで彼女の名前を口にした。


「あ・・・藍音!?」

「やっほー♪」


 そう、そこにいたのは月ノ宮藍音その人だった。


「紫宿、すごい集中力ね。私がいることに全然気が付かないんだもん」

「え・・・ぇあ、おぉ?」

「あはは!それ、何語?」


 紫宿の口から漏れるのは解読不能な言葉にならない言葉。それだけさすがの彼でも現状が把握出来ないで混乱しているということだ。だが仕方無い、普通なら呼び鈴を押すだろう。

 いくら書類に集中していたとはいえ、呼び鈴には即座に反応する紫宿だ。しかしその音の欠片すら無かったものだから。


「ふふふ、びっくりしたぁ~?」


 台所から泉が両手に料理の盛られた皿を持ってふよふよと向かってくる。


「これで全部だね、美味しそう~♪」

「泉さん、食べられるんですか?」

「う~~~ん・・・挑戦してみるわね~」


 確かにお供え物をするなどの習慣はあるのだが、果たして幽霊が食べ物を口にすることが出来るのかどうかは誰も知らないだろう、きっと泉が世界初挑戦だ。

 それほど目の前に並べられた料理は魅力的で食欲をそそるものだった。


「こ、これ・・・一体どうしたんだ?」

「私が作ったのよ」

「藍音が!?嘘だろ?」

「どういう意味かしら?」


 紫宿の言葉に彼をギロッと睨みつける藍音。しかし藍音はお金持ちのお嬢様であろう上に、活発な性格から料理を始めとした家事は苦手なのではないかと思ってしまっても無理は無い。


「台所でラーメンのためにお湯を沸かそうとしたところで、窓から藍音ちゃんの姿が見えたのよ~」


 泉がそう言う。

 つまり、それで藍音が呼び鈴を鳴らすより先に玄関の戸を泉が開けて向かい入れたということだ。


「それで泉さんがラーメンを作るなんて言うから、だったら私がちゃんとしたものを作りますって言ったの」

「へ・・・材料は?」

「もちろん買いに行ったわよ」

「・・・・・・いつの間に」


 買い物に行く時間も入れてそれなりの時間が経過していたにもかかわらず、そのことに全く気付いていなかった紫宿。

 時計に目をやると、すでに14時を回っていた。


「げ、もうこんな時間か・・・腹がうるさいわけだ」

「あはは。遠慮しないで、どうぞ」

「あ、ああ・・・いただきます」


 リビングのテーブルを三人で囲んで座り、手を合わせて食べ始める。

 どうやら藍音も昼はまだだったらしい。


「・・・・・・」

「どう?」

「・・・お世辞抜きで美味い」

「ふふ、良かった」


 未だ見た目は良くても味はアレではないのかと少々警戒していた紫宿ではあったが、一口料理を口に運ぶとそこから零れたのは感嘆の言葉だった。


「料理だけはね、自信あるのよ。裁縫や洗濯は苦手だけど」


 紫宿の想像は完全に的外れではなかったようで、やはり藍音は家庭科全般が得意という訳ではないらしい。だが彼女の話によると、料理だけは母からしっかりと教えられていたとのこと。

 ちなみに藍音の母親は健在だそうだ。


「おぉしいぃ~~~♪」

「幽霊って、食べ物を食べられるんだ・・・」

「俺も初めて知った・・・」


 ガツガツと次から次へ食べ続けている泉は誰がどう見ても幽霊には見えない、なんとも幸せそうな表情だ。

 そしてなんだかんだで紫宿も久しぶりの手料理という味に、何かこみ上げるものがあった―――それは当然、悟られないようにしていたのだけど。


「ふう、ごちそうさま」

「ごちそうさまでした~♪」

「お粗末さまでした」


 藍音は少々驚いた、何故なら相当大量に作り、残った分は夕飯にでもしてもらおうと思っていたのに、目の前には料理のひと欠片さえ残っていない綺麗な皿の数々。

 紫宿と泉は余程お腹が空いていたのか、それとも。

 もちろん藍音とて、ここまで見事に食べてくれたのは嬉しかった。

 そして食後のお茶を飲み、一休みしたところで紫宿が藍音に尋ねる。


「本当に助かった、ありがとう・・・ところで、藍音。いきなり訪ねてきてどうしたんだ?また何か依頼でもあるのか?」

「え?」


 真面目な顔で尋ねたのもかかわらず、藍音は彼とは打って変わってきょとんとしていた。

 そして泉の方を向いて言う。


「・・・泉さん、伝えてなかったんですか?」

「あ“」

「は?何を?」

「ご、ごめんっ!」


 両手を合わせて謝る泉と、何か納得したという表情の藍音。

 紫宿にはもちろん二人のそんな反応の意味は分からない。

 すると、藍音はクスクス笑いながら紫宿に向かって告げた。


「今日からよろしくお願いしますね、店長♪」

「・・・・・・?」


 まだ彼女が何を言っているのかよく分からない紫宿。

 思わず泉に目で説明を訴える。


「ごめん、言うのすっかり忘れていたわ~。あのね、今日から藍音ちゃんには喫茶でもよろずやでも働いてもらうのよ。まあ、アルバイトってことねぇ~」

「・・・・・・は?」


 一体、今の紫宿はどれだけ間の抜けた表情をしていることだろう。


「泉さんがね、二人だけじゃ大変だって言っていたから。もちろん守部としての手伝いまでは無理だけど、よろずやの事務仕事や喫茶ならね」

「な・・・た、確かに大変ではあるが・・・おい泉、何を勝手に決めている、店長は俺だぞ」

「なんだよ弟、文句あるか。家で一番偉いのは私だ、お姉ちゃんだぞ~っ」


 泉の論理は無茶苦茶である。だが、どうしてかいつもより迫力を感じたのか、紫宿は言い返せないでいた。

 すると更に追い討ちをかけるかのように電話がけたたましく鳴りひびき、それに何故か嫌な予感が頭をよぎりながらも無視するわけにもいかず受話器を取った紫宿。


「はい、お電話ありがとうございます。喫茶ひばりです」

『あら、話に聞いていた通り本当に若い店長さんなのね』

「・・・は?」


 相手は女性、それも紫宿の母が生きていた場合と同じくらいの年齢と思われる声。尚且つ気品があり澄んだ声で、相当の身分の人だとうかがえる。

 だがしかし、どこかで聴いたことのあるような声だったのがやけに気に掛かった。


「あの、失礼ですがどちら様でしょうか?」

『私?えぇと・・・そうだわ、よろずやってなんでもするんでしょ?当ててみせてよ』

「はあ?」


 よく分からない、しかもよろずやと言ってきた。

 彼女はとても楽しそうではあるが、いくらなんでもただ声を聞いただけで分かるわけが無い。日本人の人口は今現在1億3千万人、その内の約半分が女性だ。その条件に当てはまるうえに年齢で絞り、自分を知りうる可能性のある人物は・・・


「って、情報が少なすぎて分かりませんって」

『えー、つまんなーい』


 子供が拗ねたようにそう言う女性、お茶目なのか子供っぽいのか判断に迷う。


『でもそうよね、ドラマの名探偵たちだって始めの一時間は何も分からないものね』

「いや、彼等と一緒にされても困りますが」


 なんともマイペースで話を続ける。紫宿も流されてはいるのだが、少々楽しそうにも見えた。これが普通の相手ならば腹の一つでも立てるところだろうが、不思議とこの女性相手にはそんな感情はこれっぽっちも湧かない。

 そして彼女は何か思いついたかのように更に笑いながら。


『しょうがないわね、決定的なヒントをプレゼントしちゃうわ♪』

「決定的?」

『ええ。とある女の子の物真似してあげる』

「物真似ですか?」

『いくわよ』

「どうぞ」


 紫宿の電話の対応にニヤニヤ笑っていた泉と藍音。

 だがそんな彼女たちの様子には気付かず、紫宿は女性の物真似・・・おそらく声真似を聞き逃さぬように集中する。


『この・・・悪魔っ!あんたの方が悪霊なんかよりよっぽど酷いわよっ!』

「はぁっ!?」


 受話器から飛び込んできたその罵声に、思わず藍音の方を勢いよく振り向いた紫宿。

 そう、この声の主はそういうことなのだ。


「あ、藍音の・・・お母さんですか!?」

『あったりー♪』


 ひょっとするとあらかじめ電話してくる予定だったのか、当の藍音と泉は大笑いしていた。聴いた事のあるような声なのは当たり前なのだ、彼女の声は藍音の声にそっくりだったのだから。


『どう、似てた?』

「似てたも何も・・・そのまんまですよ」

『やった、私もまだまだ若いってことね♪』


 それはいいのだが何故そこを真似するのかと突っ込みたかった紫宿だが、それは控えておいた。だがそうすると、藍音は先日の一件の詳細を話していたことになる。しかしそれは変だ、だとしたら藍音がどうしてそんな言葉を吐いたか知っているはず。なのに、彼女の声はとてもそれを知っていて糾弾するようなものではない。


「あの・・・ところでどうして?」

『なんで電話したか、ね。そこにもう藍音ちゃんいるでしょ?』

「ええ。なんか俺の知らないところで話が進んでいたみたいで・・・」

『まあ、そうなの?』


 普通なら店長の紫宿は知っていると思うだろう、しかしそうではなかったことに少々びっくりしたような声になったが、すぐに声の調子は元の明るいものに戻る。


『それじゃあ改めてお願いするわね。藍音ちゃんをよろしく』

「・・・そんなあっさり」

『だって、藍音ちゃんがそこで働きたいって言うんだもの。もう高校生だからバイトしたいのは当たり前だけど、やっぱり母親としては心配なのよ。でも藍音ちゃんの話からあなたたちは信用できるみたいだし、いざとなったらグループ総出でサポートするから』

「藍音の話で?はて、俺はそんな信用されるようなことは・・・・・・いやいや、それより、グループ?」

『あら、知らない?月ノ宮グループって言うのだけど』

「・・・へ?」


 酷く間の抜けた顔の紫宿。知らないはずが無い。確かに藍音に自己紹介をしてもらった時にそのグループと同じ名字だとは思った。しかし、月ノ宮グループは生半可ではない。公開されている財力だけでも世界で五本の指に入り、内閣クラスの政治家でさえもこのグループに逆らったらアウトだ。もちろん非公開のものも合わせたら天文学的な数字が並ぶ。

 だがまさか、自分のところに依頼に来た少女がそこの令嬢だとは、さすがの紫宿でさえも夢にも思っていなかった。


「そ、そういえば・・・」


 それらしきことは垣間見えていた。まずは、まるで長らく大人の社会で生きてきたかのように人の心を読むことに優れていて、相手の機嫌を損ねない世渡りの上手さ。これはきっと社交界などで鍛えられたのだろう。

 そして60階もの階層を持つ高層ビルを所有している家だということ。それだけで余程の資産家の令嬢だと予測できたかもしれない。

 こちらとしては命にかかわるので、ものすごい勢いで彼女の方を振り向く。


「てへ」


 こっちの必死さとは裏腹に、とんでもなくかるーく、少し舌を出して可愛らしくしてくださった藍音。


「う、嘘だろ・・・あの月ノ宮グループのお嬢様だったのかよ・・・」


 唖然として藍音を眺める紫宿。冷たい言葉を吐いたことを思い出し、背筋を冷たい汗が伝う。いくら紫宿といえども人間社会で生きる身である以上、月ノ宮家を敵に回したら間違いなく終わりである。

 今の紫宿の顔は、面白いくらい引きつっていた。


『まあそんなわけ。じゃじゃ馬な娘だけど、よろしくね・・・うふふ、そのうち“お母さん”って呼んでくれる日を楽しみにしてるわ♪』

「は、はぁ・・・って、今なんと?」

『それじゃあ、またねー☆』

「ちょ、ちょっと!?」


 ガチャンッ!


 言いたいことだけ言って一方的に電話を切ってしまった藍音の母。

 紫宿は頭の整理がつかず、呆然としたまま受話器を握りしめて立ち尽くしていた。

 その彼の肩をぽんと叩いて笑いながら藍音が言う。


「お母さん、若いでしょ。たまに姉妹と間違えられるのよ」


 テンションだけなら藍音をはるかに上回るだろう。


「でもあれで能力はものすごいのよ、分野によってはお父さんを裏で操っているくらい」


 紫宿にとって、それはどうでもいい。

 何より、藍音が自分を怒っているのかどうかだ。


「・・・藍音」

「うん?」

「おまえ、どうしてうちでバイトをするなんて言い出したんだ?」

「変?」

「ああ。だっておまえ、俺のこと嫌いじゃ?」

「・・・え?」

「“この・・・悪魔っ!”って」

「ああ、あれね」


 この台詞は誰がどう聞いても藍音が紫宿を嫌った、もしくは憎んだとしか思えない。だったら顔も見たくないことだろう。なのにもかかわらず、彼女はわざわざ自分から助手のバイトをすると言い出したという。

 そんな常識と正反対の行動を取ってみせた藍音の心情が紫宿には理解できないのだ。

 すると藍音は少々照れながら答える。


「ごめんね、酷いこと言って。あれは私の早とちりだったわ」

「・・・意味が分からん」

「まあまあ、なんでもいいじゃない~。とにかく藍音ちゃんは紫宿を嫌ってなんかいないし、アルバイトは藍音ちゃんのお母さんにも許可もらったわけだしぃ~」

「まあ、そうだが」


 ニコニコ顔の泉、これはこれからも美味しい料理にありつけることを期待しているのかもしれない。おそらく、自分が料理の練習をしようなどということは頭の片隅にも無いだろう。


「ねえ紫宿、ところでさ」

「ん、なんだ?」


 唐突に切り出した藍音。


「・・・あの人に、プレゼント渡したの?」

「いや、今日の夕方のつもりだ。さすがにすぐは面会の許可が下りなくてな、やっとだ」

「そっか」


 意外にも自分も付いて行きたいとは言わなかった藍音、それはちゃんとプレゼントが何かを知っていたからだ。

 その事を紫宿はなんとなく感じ取っていたのか、どうして知っていたか尋ねはしない。


「それじゃあ私たちは事務所でボーっとしてるわね~」

「あのな・・・」

「あはは。そうね、客間とリビング以外がちょっと汚れてたから、掃除でもしてるわ」

「ああ、頼むな。来客と電話の対応も」


 夕方になり、紫宿は出掛ける支度をした。

 今までなら泉一人に留守番を任せていたから出掛けるのは不安で仕方が無かったが、藍音はその辺りがしっかりしているようなので安心した紫宿。

 少しだけ賑やかになった我が家に、心なしか足が軽かった。


「よ、おっさん。調子はどうだ?」

「健康なことこの上ないよ。まあ、寂しくはあるが」


 健康ということは嘘だろう、少々やつれた様な暁彦の顔。

 刑務所で彼と面会している紫宿。

 暁彦の寂しそうな表情を見て、溜め息一つ。


「おっさん、心配事なんて何一つ無いんだぜ?」

「どうして?」

「藍音がな、親父さんに掛け合ってあのビルの賃貸料を下げてもらったんだと」

「え・・・?」

「それだけじゃない。後はおっさんのサイン一つで会社は月ノ宮グループの傘下になれる」

「な、なんだって!?あの月ノ宮グループの!?」


 目を見開いて驚く暁彦。だがそれも仕方ないだろう、社長である自分が逮捕されたのだ。ただでさえ経営が苦しかった会社がそれで潰れない訳が無いのに、そうならなかったどころか天下の月ノ宮グループの傘下になれるというのだから。


「ど、どうなって・・・?」

「あんたらのプロジェクトに予算不足でお流れになってるやつがあったんだってな、それが実行できれば相当のものになるってことで月ノ宮の社長の目に留まったんだ。さらに社員は皆それなりの年齢とはいえ能力が高く、そこも気に入ったんだそうだ」

「・・・・・・」

「まあ、かなり親馬鹿らしくてな。始めは藍音がそうお願いしたからだったらしいんだが、実際に会社のことを調べてみたらぜひ傘下に加えたくなったんだと」

「なんと・・・いうこと、だ・・・」


 涙をこぼした暁彦。

 自分の愛する妻を殺害してまで守ろうとした会社と社員。自分が自首して、彼等がどうなったのかが気がかりだった。どう考えても路頭に迷っている・・・そうとしか結論出来ず、申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだ。

 しかし、彼等は救われていた。しかも予想も付かないほど最高の形で。

 何もかも、最悪の事態ではなかったのだ。

 少なくとも―――取り返しの付かないことをした後悔は、どうしようもなくとも。


「・・・おっさん、感激して泣いてるトコ悪いが」

「?」

「もっと泣いてもらうことになると思う」

「何?」


 彼の言葉の意味が判らずに首をかしげた暁彦と、少々言い辛いのかポリポリと頬を掻いた紫宿。とはいえ、彼が動かなくては何も始まらないのでポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。


「泉から伝言があったと思うが、とっておきのプレゼントがある」

「ああ、それは聞いたが・・・」


 だがそんなことを言われても、今の自分がこれ以上に喜べるようなプレゼントなど思い当たらない。いや、たった一つだけあるにはあるのだが、あまりに非現実的な夢のようで、それはまさに神の奇跡だろう。

 ―――ところが、紫宿のプレゼントとはまさにそれであった。


「ほら、予定ではそろそろだ」

「これは、携帯電話?」


 なんてことはない何処にでもある普通の携帯電話、それが紫宿の差し出したものだった。許可をもらってそれを暁彦に渡すと、ほとんど同時にその携帯電話が鳴り出した。


「早く出なって」

「あ、ああ・・・」


 ディスプレイには相手の名前が記されていない。

 一体誰からの電話だろう・・・しかも紫宿は自分に出ろと言ってきた。困惑気味ではあったが、何故か手は自然にボタンを押し、電話を耳に当てる。


 聴こえた声に涙がとどまる事を知らぬと言わんばかりに。

 ひたすらに、零れ落ちた。

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