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よろずやひばりの守部奇譚  作者: るびん
奇譚1:迷える子羊達へのレクイエム
3/39

チャプター3:守部

 月ノ宮藍音つきのみやあいねの依頼でとあるビルを訪れた紫宿と泉。

事故の現場を確認するにつれて、何かを確信したかのような紫宿だったが、急に藍音を抱き上げて13階へと駆け出した。その先に待つものは何なのか。

 すとっ


 紫宿たちが13階に到着した音が、静寂の中に恐ろしいほど響く。

 そして藍音を下ろした彼はおろか、あの泉までもが引き締まった表情で身構えたのと、全く同時だった。


「うわああああぁぁぁっ!」


 中年の男のものであろう叫び声が三人の耳に届く。


「ちっ!」

「ひ、悲鳴っ!?」


 弾かれたように走り出す紫宿、そして泉がすごい速さで先をゆく。

 悲鳴という聞きなれないものを耳にした藍音は凍りついたかのように一瞬身動きが取れなかったが、二人が飛び出したのを目にして正気に戻り、慌てて後を付いていく。


「こっちだ!」


 迷うことなく駆ける紫宿と泉、とあるオフィスの前で立ち止まる。


「中から鍵が掛かってる!泉!」

「おっけいぃ!」


 紫宿が呼びかけるより早く、いつもののんびりした様子はみじんもなく素早く泉は扉をすり抜けた。


 カチャリ


 するとすぐに鍵の開く音がした、きっと泉が内側から開けたのだろう。


 バンッ!


 そして勢いよく扉を開ける紫宿。

 中に飛び込み、大声を発した。


「やめろ!」

「!?」


 オフィスの中には、腰を抜かしながらも必死で逃げようと床を這う男。

 そして―――。


「お・・・女の人?」


 やっとの思いで追いついた藍音は目を丸くした。

 彼女の眼前には、逃げようとする男の前で彼を守るように立ちはだかる紫宿と、どこにでもいるような女性が対峙している光景があった。

 そう、本当にごく普通の女性・・・・ただ一つ、体が透けているということを除けば。


「あ、あの人・・・ひょっとして?」

「そうよ~、私と同じ幽霊・・・う~ん、”ちょっと違う”かな」

「え?」


 幽霊は幽霊ではないのか、と思った藍音だが、女性の顔を見て気付く。その表情は泉のものとは違い、怒りに満ちて酷く歪んでいた。それを見ただけで藍音にも、彼女がそこにいる男に余程の恨みがあるのだろう事が容易く予想出来てしまう。


 バチッ!


「きゃあっ!?」


 突然、稲妻のような閃光が辺りに飛び散り、藍音が悲鳴を上げる。それは男に向かって発せられたようだったが、紫宿が片手で簡単に弾き飛ばした。そして泉に向かって振り向かずに言う。


「泉、藍音とそこのおっさんを頼む」

「了解~」


 そう言うと、泉は何やら呪文のようなものを唱え、それと同時に不思議な光が彼女と藍音、そして恐怖でもう腰が抜けて動けなくなっていた男を包んだ。


「なんですか、この光?綺麗・・・」

「き、綺麗って・・・普通の人なら死にかねないこの状況でその余裕、大物だねぇ藍音ちゃん。これは一言で言えばバリアーよ、相手がとんでもなく強い奴だったら意味無いけど、このくらいなら私の能力でもなんとか防いで弾ききれるの~。紫宿なら素手で余裕ぅ」


 緊迫しているはずなのに、藍音は綺麗だなどと言い、泉の声は相変わらず間延びしたそれである。緊張感はどこへやら、だ。

 一方、女性は次から次へと稲妻を発してはいるものの、それらを全て紫宿は泉の言う通り素手で払いのけている。


「やめろって。こんなのいくらやっても無駄だよ」

≪邪魔をしないで≫


 女性の声はまるで地の底から湧き上がって来るかのように低く、そしてどこか悲しいものだった。


「あのおっさんを恨む気持ちは分かるが、だからって殺していいわけじゃない」

≪黙って≫

「黙らないよ。なんてことないすれ違いで、あなたがこんなに苦しむ必要はないんだから」


 紫宿の言葉に、藍音は首をかしげる。


「え・・・紫宿は何を言っているんですか?」

「紫宿はね、俗に言うツンデレなのよ」

「余計にわからなちゃんですけどっ!?」


 何故か腕を組んでうんうん頷きながらの泉の言葉に、藍音は首をかしげるどころではなく思わず突っ込んだ。


≪・・・すれ違い≫


 しかし驚いたことに、紫宿の言葉にどうしてか女性は稲妻を発するのを止める。

 それを確認した紫宿は、まだ立つことすら出来ず泉に守られているだけの男の方をゆっくりと向いて尋ねた。


「おっさん。ある程度は予測出来てるけど、事の詳細を話してくれないか?」

「な、なんのことだ!?」


 いきなり話を振られて戸惑う男。しかし、それの本当の驚きの意味は違うものだ。

 それを悟った紫宿、表情を厳しいものに変えて鋭く言った。


「ふざけるな。この人はあんたの奥さんだろう?そしてあんたは保険金目当てで彼女を殺害しようとした・・・違うか?」

「!?」


 男は酷く驚いた・・・それはつまり紫宿の言ったことは全く正しかったということだ。

 紫宿はさらに強い口調にして告げる。


「あんたは検出が難しいとされる、少量のヒ素を日々食事か何かで奥さんに接種させる、ということをしていた。怪我して入院している連中はその片棒を担いだってトコだろ?一人でいっぺんにヒ素を購入すると不審に思われやすいし足も付く。だから、あまり深い関係でもない考え方も似る同世代で仕事仲間程度の数人で代わる代わる少量のヒ素を入手し、それを順に用いた」


 やはりそれもズバリその通りだったのか、男は口をパクパクさせるだけで何も言葉に発する事が出来ないでいる。

 一方、目を見開いている藍音。紫宿はしたり顔だ。


「そ、そんなこと、どうして分かったの・・・?」

「ふ・・・さて、解決編の始まりと行こうか」

「あっはは、また形から入った~!そういうの、今はいらないからねぇ?」

「・・・・・・悪かったな、やってみたかったんだよ」


 三文小説にありがちなのがいいんじゃないか・・・と、ぶつぶつ呟く紫宿。犯行にヒ素を用いている時点でもう十分だと思われるが、彼にとってはそうでないらしい。


「と、ともかく、一つ目の折り返し階段の踊場でのオブジェ落下の件からだ。なんてことはない、階の移動に運動を兼ねて階段を利用した。可能性としては誰でも考えられるが、特にダイエット中の人の可能性が少し高い。女性や中年男性なんかかな。ポイント10ってトコ」

「100点中ってこと?低い・・・のかな」

「そう、これだけじゃさっきの推測は全くなりたたない」


 首をかしげて尋ねる藍音に、軽く目を閉じて頷く紫宿。彼はその言葉を待ってましたと言わんばかりに言葉を続ける。泉はちょっとあきれた様子だ。


「次に、3階からのエレベータ落下の件。単純明快、顧客と打ち合わせをするような立場の二人は、最近は男女の機会均等が大きく謳われてきたといえど、やはり中年男性辺りが多いと推察される。ポイント20」

「合わせて30でしょ~、はいはい」

「・・・・・・」


 茶化すような物言いの泉に対し、少々むっとしたような紫宿。仲いいなぁと藍音は再び思うが、今は真相だ。


「そして三つ目、これは重要だ。13階の非常階段の踏み抜け、まずは何故そんなところにいたか?簡単だ、昔からのお約束のタバコ休憩。そしてもう一つの問題は、いくら霊が絡んでようが強力な力を持たない限り体重の軽い人に簡単に金属の階段を踏み抜かせるというのは難しい。つまり、それなりの体重をもつ人が被害者になるわけだ。以上より、中年男性の可能性が高い、40ポイントくらいかな」

「70ポイントか・・・あと二つは?」

「四つ目、14階の会議室の扉ごと倒れた件は、会議終了後の部屋から出る際、雑談に夢中とはいえとっさに対応できず倒れてしまった・・・そこから、若者とは考えにくい。ポイント20」

「じゃあ最後の、給湯室のコンロ爆発は?」

「お茶やコーヒー、あるいはカップ麺のためのお湯沸かしの時だろう。お小遣い制での無駄遣い回避・・・10ポイント」

「これで100ポイント・・・でも、これですべて断定できるとは思えないよ、紫宿?」

「100ポイントが満点とは言ってない」


 思わずずっこけそうになった藍音。それもそうだ、こういった得点付けをする場合は100ポイントが満点であると考えてしまうのが普通だろう。

 それでも紫宿は平然と続けた。


「だけど、中年男性達であるとかなり限定されたと思わないか?」

「言われてみれば確かに・・・」

「それから職場の階層もそうだ。13-14階の折り返し階段、3階までエレベーターで移動、13階の非常階段、会議室が14階。給湯室の件は別だが、これらから13ないし14階であると推察される。そしてタバコを吸いに非常階段に出たと考えると、13階だ」


 紫宿はにやりとした表情を見せる。対照的に、泉はやれやれといったところだ。


「一つ一つの可能性は小さくとも、いくつもの重なりを集約すれば、それは限りなく真実に近づく」

「ズルしてるのにぃ」

「ズル?」

「違う!]


 茶化すような泉の物言いに、紫宿は慌てて藍音に説明をする。それはまるで弁明のようにも聞こえなくはない。


「え、ええとな、現場には全て同じ霊力の残滓があり、それを俺と泉は感じ取った。つまり、事件は全て事故などではなく霊的な力が働いたということ。しかもそれは女性のものだ、一人の女性がそれだけいくつものことを引き起こす程の恨みを抱く理由をかんがえたら、いきつく先が・・・」

「それが保険金殺人・・・?」

「ああ、そうするとその主犯は一番信じていた最愛の旦那であることが考えられる。そして何人も関係しているということは、そいつらは共犯ってことだ。そこから逆算していくつかの事柄と紐づけてみると、繋がった。あまり気持ちのいい結果じゃないけどな」


 紫宿の話を聞いて、胸がきゅうっと締め付けられる思いがした藍音。まだ恋愛経験の乏しい彼女にとって、愛した人の命を奪ってお金を手にしたいという気持ちを持てる人が現実にいるなどということは、悲しくてしかたが無いことだったからだ。話に聞いたり、ドラマで見たりはしていたのだが、それが目の前で紛れもない真実として告げられるということは初めてのことで―――


 バチッ!


「っと・・・まだ解決編の途中だから、大人しくしていて欲しいんだけどな」

≪無駄よ≫


 再び稲妻を放った女性だが、後ろを向いて話をしていても紫宿はたやすく払いのけた。おそらく紫宿は中年の男に自首か何かを勧めようとしていると思えたのだろう、だからこその女性の言葉。


≪その人は私よりお金を選んだ腐った男。今更自首などするわけが無い≫


 そもそも証拠が無い、紫宿の推論だ。男が犯行を心から認めない限り、自首ですら成立することは難しいだろう。

 すると紫宿は男の方に向き直り、少しだけ穏やかな声で尋ねる。


「・・・そうなのか?」

「・・・・・・」


 男は肯定も否定もせず、ただうな垂れるのみだった。

 それを答えと受け取ったのだろう、女性は怖いほどの形相を・・・いや、何故か悲しいと思えてしまう色を見せる。

 紫宿はそんな彼女に、どうしてか優しく微笑んだ。


「―――いいよ。いくらでも来な、全部受け止めるから」

≪・・・・・・っ!≫


 バチバチバチッッ!


≪ああああああああああぁぁぁぁぁっっっ!≫


 バチッ!

 バチバチッ!

 バチバチバチッッ!


 女性はありったけの、藍音が思わずそのまぶしさに目をつぶってしまうほどたくさんの稲妻を紫宿に向かって放った。ヒステリーとでも取れるほど激しく、がむしゃらに、そして・・・助けを求めるかのように。


「・・・・・・・・・っ」


 バチバチッ!

 バチィッ!


 紫宿はその全てを、本当に一つ残らずその身で受け止めている。先ほどまでのように手で払ったりすることもなく、ただ己の体一つで。それはまるで仁王立ちする弁慶のように、しかしその表情は信じられないほど優しいものだった。


「・・・・・・・・・・・・ぐっ」


 バチバチバチバチバチッッッッ!


 もちろん痛くも熱くもないわけではないだろう、先ほどまでの余裕にあふれた表情からは一転して時折顔をしかめてさえもいる。

 しかし、それでもひたすらに受け続ける。少しずつ彼の服は破れ、露出した肌が火傷していっているのが分かる。誰が見てもただの自殺行為にしか見えないそれに、藍音は思わず悲鳴にも似た声をあげた。


「紫宿!何やってるのよ!?」

「駄目、藍音ちゃん。今ここから出たら大変なことになるわ」


 部屋中を稲妻がひしめく中、もう見ていられなくてバリアーから飛び出しそうになる藍音を制したのは真面目な顔をした泉。続いて溜め息混じりに言う。しかしその口調は、何故かいつものように間延びしたものではなかった。


「・・・紫宿ね、前にもあんな風にやったことがあるのよ」

「え?」

「その時はもっと力の強い悪霊で、紫宿は一ヶ月間も入院する羽目になった」

「な・・・なんで紫宿はそんなことをするんですか!?一気にやっつけちゃえばいいじゃないですか!」


 藍音の言葉は最もだろう、ここまでの経緯を見るに明らかに紫宿の方が力が上なのだろうから、除霊は容易いだろう。

 だが紫宿はそうしない。


「・・・あの子ね、あれで“馬鹿”が付く程に優しいの」

「やさ・・・しい?」


 穏やかにまるで見守るかのような瞳で、未だ稲妻を歯を食いしばりながら受け続ける紫宿を見つめる泉。

 今の彼女は間違いなく、姉であった。


「浄霊って、知ってる?」

「え・・・除霊じゃなくて、ですか?」

「うん。除霊は力ずくで昇天させちゃうこと。対照的に浄霊は納得ずくで成仏させること・・・もちろん、こちらの方がはるかに難しいわ」

「それを紫宿はやろうと?」

「そうよ。当然毎回上手くいくわけじゃなくて仕方なく除霊になっちゃうこともあるけど、それでも浄霊に成功した時の相手は、いつも最後に満面の笑顔を見せてくれるの。それを見た時の紫宿は、すごく嬉しそうな顔をしてるわ」

「・・・・・・」


 何故そこまでするのか。確かに誰だって、相手が納得の上で成仏してくれたほうがいいだろう。しかし、自分が必要以上に傷付いてまでしようだなどと思うだろうか?

 泉はそんな紫宿のことを優しいと形容したが、藍音にはそれだけとは思えない。事実、泉の表情がそう物語っていた。だがそれ以上は何も言わない。藍音もまた、追求しようとはせず紫宿を見守った。


「・・・スッキリしたか?」

≪はぁはぁ・・・≫


 しばらくして、稲妻の奔流がやんだ。紫宿は火傷だらけの全身が痛いだろうに、微笑んだまま女性に尋ねた。

 すると、女性は顔を上げ・・・歪んだ顔は幾分穏やかになったように見える。だが、とてもではないがまだまだその怒りは収まりきってはいないのは明らかだった。

 しかし・・・何故か、それ以上紫宿に向かって稲妻を放つことを躊躇している様に見える。


「まだ、人の心が残っているのよ」

「人の心・・・?」

「うん。あんな姿になってもまだ人間としての心が残ってる・・・だから、抵抗もせずにああやって微笑んで全てを受け止めている紫宿を、これ以上傷つけることに躊躇いを覚えだした」

「・・・」


 バチッ!


 しかし、少ししてまた稲妻が飛び散る。紫宿がもっとやれと勧めたからだ。


「俺は頑丈だから、気の済むまでやっていいよ。それであなたの気が晴れるなら、それでいい」

≪う・・・あああぁっ!≫


 バチバチッ!


 おそらく、女性自身もすでに自分が何をしているのか分からなくなっているのではなかろうか?その稲妻はすでに、泣き喚く子供が親に助けを求めるまさにそれだった。


 それほど悲しいのだろう

 愛し合っていたはずの者に裏切られた

 その怒りのやり場も無く

 思いを誰にも理解してもらえず

 復讐という形で晴らすしかない


 それを紫宿は分かってくれ―――本当の意味で分かることなどあり得ないのだろうが―――こうして自分の叫びにも似た行為を、何も言わず微笑んで受け止めてくれている。行為そのものは全く違えども、その持つ意味は“甘え”にも似ていた。おそらくその感覚は、女性と紫宿にしか分からないだろうけれど。

 そんな中、不意に藍音が口を開いた。


「・・・・・・何も、感じないんですか?」

「え?」

「あなたは、あれを見て何も感じないんですかっ!?」


 藍音が瞳を涙で滲ませながら、叫ぶように言った。

 相手は未だ腰が抜けたまま座り込んでいる男。


「何の関係も無い紫宿がああやって傷だらけになってまであの人を救おうとしているのに、あなたは何も感じないんですか!?あの人はあなたの奥さんでしょう!?」

「藍音ちゃん」


 男に詰め寄る藍音を止めようとする泉。

 だが藍音は続ける。


「本当にお金のために結婚したんですか!?違うでしょ!?あの人との日々は楽しくて大切で、毎日が幸せだったんじゃないの!?」

「・・・・・・」


 ほとんど泣き叫ぶかのような藍音。

 しかし男はやはり何も言わず、口を一文字に閉ざしている。

 もう藍音にその男の姿がはっきり見えているのかどうかは分からない、それでも藍音は。


「違うんですか・・・?人を好きになるってそういうもので・・・ずっと一緒に生きてゆきたい、一緒に幸せになりたい、愛し合っていきたい・・・だから結婚するんじゃないの・・・・・・?」


 それは何も知らない子供の幻想、そうとしか思えない藍音の叫びだろう。まだまだ恋愛に夢を抱いている思春期の子供の―――汚れの無い、真っ直ぐな彼女の。いや、それはきっと彼女自身にも分かっているだろう、仮にも大人の世界に向き合う事は多々あった身なのだ。

 だけど、それでも信じたい人の心。

 人を好きになる、愛するということ。

 お金になんて変えられない、変えたくない。


「答えてよっ!」


 今にも掴みかからんばかりの叫びに、泉は彼女を優しく抱きとめる。

 だが、咎めるでもなく。


「答えて・・・よ・・・・・・」


 藍音は力無くうな垂れた。これだけ言っても男が何一つ言葉を口にしなかったからだ。

 しかし、泉の反応は藍音とは違った。


「・・・はい」

「?」

「これで、立てるでしょ?」

「え?」


 男に向かって手を掲げると、呪文のようなものを唱えてその手が淡く光った。すると驚いたことに、腰が抜けていたはずの男がすっくと立ち上がったのだ。


「酷い怪我とかは治せないけど、ある程度ならこうやって治せるのよ。だから、この人のなっさけない腰も治してあげたの」

「なんで、ですか?」

「ん~~・・・分かんない」

「は?」

「なんとなくよぅ、なんとなく~」


 先程までの“姉”らしく落ち着いた物腰は何処へやら、またいつも通りの間延びした口調に戻った泉。さすがにこの緊迫した状況でそれを聞かされては藍音もまた、ぽかんとするしかない。

 だがそんな二人とは裏腹に、男は無言で立ち上がるとバリアーの外へ向かった。


「ちょ・・・」

「いいのよ~」

「え?」


 止めようとした藍音を制した泉。

 その意図は分からない。

 そして、まだ少しふらつきながらも女性と紫宿のもとへと歩いてゆく男。


≪っ!≫


 バチッ!


「と、危ないぞおっさん。死にたくなければ下がってろ」


 男に気付いた女性はすぐさまそちらへと稲妻を放ったが、それは紫宿によって弾かれる。そして先のように注意を促したのだが、男は首を振って言った。


「いい。殺してくれ、静穂」

≪!?≫

「おっさん・・・」


 静穂と呼ばれた女性は酷く驚いた。

 それはそうだろう、まさか彼が自分から殺してくれなどと言うとは夢にも思っていなかっただろうから。

 そもそも理由は知らねども、保険金なんかを目当てに自分を殺そうとしたほどなのだ、何よりも彼は自身のみが愛しいのだろうと思っていたから。


「そうか、分かった」

≪!?≫


 この紫宿の言葉もまた彼女にとって驚きだった。つい今しがたまでこの男を守り、体を張ってまで自分を浄霊させようとしていたはずなのに。もしも今ここでそうして男を殺したならば、彼のやっていたことは全く意味が無かったことになる。

 この二人の行動は、静穂には理解しかねた。


「おっさん、一つ言っておく」

「ん?」


 男が前に進み、紫宿は後ろに下がる。

 そのすれ違いざま、紫宿はその耳元に囁いた。


「・・・もしあの人を泣かせるような事をしたら、代わりに俺が殺してやるからな」

「ああ、そうしてくれ」


 やりとりは藍音にも聞こえていたのか、彼女は目を丸くした。それも当然だろう、そんな命のやり取りのような言葉をさらりと交わしたのだから。

 しかし泉は聞こえていたのかいないのか、表情を少しも変えずにいる。


「・・・静穂」

≪・・・・・・≫

「俺は・・・いや、今更何も言わない。ひと思いにやってくれ」

≪・・・っ!≫


 バチバチバチッ!


 思わず、目をつぶった。これまでで最も激しく、まぶしい稲妻だった。いや、それだけではない・・・人の命が奪われる瞬間を見れなかったからだろう。


「藍音、大丈夫だ」

「え?」

「目を開けても平気だって」

「・・・?」


 目を強くつぶっている藍音に、すぐ近くから届いた紫宿の声。

 その穏やかな声に促されるままに、彼女は恐る恐る目を開ける。


「あれ・・・?」


 バチバチッ!


 静穂が何度、何度と稲妻を放とうと、それは一向に男を捉えない。

 やけになって静穂は放つのだが、本当にかすりもしないでいた。


「どうして・・・さっきまでは狙いを外すなんて無かったのに・・・」

「仕方ないさ」

「なんで?」

「・・・それは秘密」

「はぁっ!?またそんなの!?」


 いきなりそんな場にそぐわないことを言われ、思わず大きな声が出てしまった藍音。

 だが紫宿は別に藍音に対して意地悪をしているわけではないようで、何故かそっぽを向いている。

 一向に応えようとしない彼の代わりに、泉がくすくす笑いながら説明する。


「紫宿ったらホント子供なんだから・・・つまりねぇ、やっぱり静穂さんはまだあの人を愛しているのよ~。最初は憎悪で何が何でも殺してやるって気持ちだったんだろうけど、紫宿のおかげで少し正気を取り戻したのね。しかもあの人が自分から殺してくれだなんて言ったものだから、一層殺せなくなってしまったの。愛している人を手に掛けることへの抵抗が出てきたのよぅ」

「じゃ、じゃあ、紫宿はそこまで考えて・・・?」


 びっくりしたように横にいる紫宿を覗き見る藍音。だが、相変わらず紫宿は明後日の方向を向いたままだった。その頬は少し赤く見える。

 まるで青春の一ページであるかのような彼らの様子とは対照的に、未だ憎悪の表情で男を睨み付けてはいるものの焦りの色を浮かべている静穂と、何かを悟ったような表情で静穂を見つめる男。


「どうしたんだ、早くしてくれ静穂」

≪う、ううぅ・・・≫


 まっすぐに言葉を紡ぐ彼に対し、静穂は明らかに困惑していた。ひょっとすると、彼女自身も気付いているのかもしれない―――まだこの男を愛している、ということに。

 男は、煌くものを頬に伝わらせながら続ける。


「今更許してくれなどとは言わない。俺は確かに金のためにおまえを殺そうとした、それは紛れもない事実だ」

≪・・・・・・≫

「いくら会社が危なくて、社員を養っていくためとはいえ・・・どうして俺はおまえを殺そうとしたのか・・・自分で馬鹿としか思えない」


 バブル後の不況が一段落したとはいえ、まだまだ苦しいところは苦しく、国全体が元気をなくしているこの時代だ。ましてや、それほど大きな会社ではないだろう男の会社の社員は皆、それなりの年齢だった。なのに会社が倒産しては、彼等とその家族が路頭に迷うことは想像に難くない。

 彼は苦しんだ。この状況を打破する方法は皆無と言ってもよい。

 その時に”悪魔の声が聞こえた”のだろう、自分の愛する妻と天秤にかけろと。


 結果―――。


「どうして・・・どうしておまえの命を奪うくらいなら、自分の命を金に換えなかったんだろう・・・?」


 後悔の涙。それが嘘偽らざるものであることは、その場にいた誰の目にも明らかだった。


「俺は自分が許せない・・・だから、頼む。おまえに殺してほしい」

≪暁彦・・・さん・・・・・・≫


 一歩、また一歩と静穂に近づいてゆく暁彦。

 静穂は手を彼に掲げて稲妻を放とうとするも、震えているそこからは何一つ現れない。

 そのまま、暁彦はついに静穂の目の前までやってきた。


「すまなかった・・・本当に・・・・・・」

≪・・・・・・・・・≫


 そして、抱きしめた―――


「これなら、外すことは無いだろ?やってくれ」

≪あ・・・ああ・・・ぁ・・・≫


 まるで時が止まったか・・・そう思えてしまうほど、静寂が場を支配していた。

 その一瞬だけども永遠にも感じられる時間で、伝わったのだろうか?

 暁彦が本当にまだ静穂を愛していた、ということ。

 それは起こった事実からは、とても信じられないこと。

 醜いとしか思えない行為をした暁彦。

 悲しいほどに復讐をしようとした静穂。


「愛している、静穂・・・だから、俺もおまえの所へ行きたい」

≪あぁ・・・暁彦さん・・・・・・≫


 暁彦の言葉は嘘に聞こえはしなかった、頬を伝うものもまた同様に。

 涙を流しながら抱き合う二人は、確かに愛し合っているのだ。

 それはきっと今も尚。

 紫宿に泉、そして藍音にもそれは分かった。


 ―――だが、何かが。


≪・・・っ!?≫

「静穂っ!?」


 急に静穂が苦痛に顔を歪ませた。

 すると、すかさず紫宿が飛び出す。


「おっさんっ!離れてろっ!」

「!?」


 暁彦が自分で離れようとする前に、静穂が彼を突き飛ばした。

 そしてうずくまり、苦しみだす。


「はあっ!」


 パンッ!


 紫宿が手を伸ばし声を発すると、激しい光のしぶきと共に静穂から“何か”が弾かれたように飛び出す。それは煙のように空を舞い、徐々に形を成してゆく。おぞましいほどに不気味なそれは、声ではない響きをどこからか搾り出す。


≪ヲ”あぁ”あ”ァあ・・・≫


 まるで世の中の悪意を全て凝縮したような、見るだけで吐き気がするほどに気持ちの悪いそれを見た藍音は、驚きを隠せない。


「な、何よあれ・・・?」

「あれが今回の一件の張本人だ。怨霊の塊とでも言えばいいかな?」

「お、怨霊?」


 それには顔がいくつもあり、そのすべてが世界の全てに憎しみを持っているように醜い顔をしており、その体は特定の形にとどまることは無く、人らしき姿になったりスライム状になったりを繰り返し、その度に醜く膨れ上がっていき今にも破裂しそうなほどになる。

 そして複数の――表情がすべて異なるが明らかに何かを恨んでいるかのような――顔たちが紫宿を睨み付ける。


≪グエ”ェぇェ・・・≫


 しかして紫宿には動揺した様子などかけらも見られない、それどころか軽く伸びをして笑みまで浮かべていた。


「さーてと、本番いきますか!」

「本番?」


 また形から入ったかのような物言いに、そろそろ藍音も慣れてきたのかタイミングよく合いの手をいれた。泉はもちろん笑っている。


「おののけ!スピリット・フェイズトランジション!」


 キィン・・・と、天に手をかざした紫宿の言葉と共に、一瞬ではあるがまるで時が止まったかのような、それだけではなく、地震の揺れが片方向にだけ発生したかのような錯覚を起こした気がした藍音。


「な、なにこれ・・・なんか変な感じがしたけど、何も起こってないですよね?」


 彼女は、あたり前といった表情のままの泉に尋ねる。泉は、どう説明しようか少しだけ悩んだが、いつも通りのトーンで話し始める。


「これは霊子の相転移よ。紫宿の高い霊力と言霊による超高等術式で、対象の空間をある位相にシフトさせ、そのシフトした空間では何が起ころうと位相が戻り元の空間情報に触れると、空間が元の状態に回復するようにしたの~」

「・・・は?」


 藍音は鳩が豆鉄砲をくらったように目をパチパチさせる。それもそうだろう、突然のトンデモ科学の登場だ。その藍音の表情が思った通りだったのか、からからと笑う泉。してやったりだ。


「要は辺り一帯を形状記憶合金みたいに、戦いで滅茶苦茶のズタズタになっても元に戻せるようにしたってことよぅ」

「あ、それなら分かります・・・じゃなくっ」

「あはは~、そういう反応するよねぇ」

「さっきの静穂さんからアレを追い出した時もそうだし、ここに来るときの異常な運動能力も・・・うぅ、思い出しちゃったぁ、恥ずかしいっ」

「お姫様抱っこされてたねぇ、いいな~」

「ああああぁぁぁ・・・」


 真っ赤になる藍音。しっかりからかう泉。


「どうにも締まらないなぁ・・・」


 そんな二人を背にため息交じりの紫宿だったが、頬を軽くパンと叩いて気合を入れた。


「ま、ともかく始めるぞ、ボス戦だ!!」


 その刹那、怨霊の体にある一つの顔から不気味な光のかたまりが紫宿に向かって放たれる。が、紫宿はものともせずに飛び込みその手で光をかき消す。逆にぼんやりとした光で包まれている自身の右足で怨霊を蹴り上げた。怨霊は避けようとしたが完全には避けきれずその体の一部が吹き飛んだ。


≪がギゃあ”ああっ!≫


 怨霊は苦しそうな叫びをあげるも、すぐに体勢を立て直し再度別の顔から光を紫宿に放ち、さらに腕のようなものを伸ばして襲い掛かる。


「つぁっ!」


 紫宿は光を避けようともせず気合のような掛け声だけでかき消してしまい、続いて向かってきた腕のようなものに自らの拳をぶつけ合わせる。すると、怨霊の腕のようなものは砕け散り、またしても怨霊が苦悶の声を上げた。

 ちなみに、先ほどから怨霊の飛び散った欠片がデスクなどに直撃し、それらは壊れたり溶けたりしている。


「すごい・・・あの、泉さん。紫宿って一体何者なんです?」

「・・・あれ、言ってなかったっけ~?」

「何をです?」


 泉は教えたつもりだったのだろう、首をかしげた。

 しかし教えてはいない、確かに“よろずやというのとはちょっと違う職業”と言ってはいたが。


「私たちはね、守部っていう職業(?)なの~」

「守部・・・?」

「うん。今回のような霊に関わることや、精霊、はては悪魔といった、まあとにかく世間で言うオカルト部門全部から人々を守る者たちだから守部ね~。自分でオカルトなんて言ってたら世話がないけどね、あはは~」

「人々を守る、守部・・・」

「特に私たち雲雀一族は最も古くからやってるらしくってね、この業界では有名なのよ~。それで紫宿はその・・・えっと、確か66代当主、だったかな?」

「ろっ・・・い、一体、いつから続いている家なんですか!?」


 驚きの連続の藍音がまたも驚くのは当然だろう、それだけ続いているのなら、その初代がいつになるのか見当も付かないからだ。

 しかしそれには泉もしっかり答えることは出来ないようだった。


「さ、さあ・・・そうそう、確か平安時代の縁戚に安倍晴明とかいう人もいたらしいわよ~」

「・・・それは陰陽道では?」

「細かいことは気にしない、気にしないぃ~」


 この泉だって一族の人間なのだ、つまりほかにも彼女のような性格の人がいてもおかしくは無い。だから、家系図がしっかり残っているということはまず考えられない。

 場合によっては紫宿でさえ、実はこの性格が隠れているだけで、本当はそうなのかもしれない。

 などと、戦いは紫宿が優勢で余裕にまで思えていたその時だった。


≪カアアァァァァッ!≫

「やばいっ!」


 急に怨霊が目標を紫宿から泉と藍音に切り替え、ものすごいスピードで二人に迫る。


「ふぇっ!?」

「えっ!?」

「ま・・・」


 ズキっ!


 慌てて追いかけようとした紫宿だが、火傷の痛みに一歩遅れてしまった。だがそれでもなんとか、すがるようにして追いかけるが―――


≪ぎゅルおおぅっッ!!≫


 ドオオオンンッッ!!!


 ―――怨霊が激しい閃光と共に、爆発した。


「んにゃあああっっっ!!!」

「きゃあああっっっ!!!」


 ゴロゴロゴロゴロ、ガシャーーンっっ!!

 藍音は爆発で吹っ飛ばされ、転がったままデスクへと突っ込んだ。


「あいたたた・・・い、生きてる・・・」


 目をパチクリさせているもののすぐに起き上がることが出来たことから、大きな怪我を負ってはいないだろう。そして泉はというと、藍音のすぐ後ろで逆さになって浮いていた・・・が。


「ふぃ~、びっくりしたねぇ」

「良かった、泉さんも無事・・・じゃ無いいいいっっっ!!!」

「ん?あ、ホントだぁ」


 なんと泉はその片足を失っていた。当然藍音は真っ青になって叫ぶように言う。


「そんな軽く言っている場合じゃないですよっ!あ、足がっ!」

「あはは、平気平気よぅ~~、はい」


 まるでポンと音がしたかのように、ちょっとした煙と共に足が元通りになった泉。


「私は幽霊だもん、多少霊力が減ったけどこんなのなんともないのよ~」

「そ、そうなんですか・・・」


 ホッと胸をなでおろした藍音、けれど心配して損したような気もして複雑だった。一息つくと、ぐちゃぐちゃになった周囲に驚くも状況を確認する。


「一体、どうなったんですか?」

「ん、アレが自爆したのよ。でもおかしいな~、あの怨霊くらいの強さで自爆なんてされたら、私の霊力のバリアじゃ簡単に破られちゃってこれくらいのダメージじゃすまないはずだけど・・・」

「え、じゃあどうして?」


 二人そろって、怨霊が自爆した先を見る。爆発で巻き起こった煙が落ち着いてきて視界が広がった時、その光景に二人は青ざめた。


「いっ・・・ててて・・・大丈夫か、二人とも」


 ポタ、ポタ、と。

 二人をかばうかのように立っていた紫宿。その体の火傷はさらに増えており、そこかしこにある傷からは、血がこぼれ落ちていた。

 それは、軽症とは呼び難く。


「し、紫宿っっ!!私たちをかばってっ!?」

「だ、大丈夫だ。それより、まだ終わってないっ!」

「えっ!?」

「あいつ、半分だけ自爆しやがった。しかも、俺が二人をかばうことまで計算して、だ」


 彼の言う通り、視線の先にいた怨霊は体の大きさが元の半分以下になっていたが、まだ確かに存在していた。だが紫宿がまだ健在であることに驚き、慌てているようだった。


≪ぐフォ、ぶひャああァ・・・ばあァあっ!!≫


 ガッシャーーンッ!


「逃がすかっ!」


 突如、窓を体当たりで破り外に逃げだした怨霊。

 紫宿もまたそれを追って窓の外へ飛び出す。


「ちょっ・・・ここ13階よっ!?」


 自殺以外の何ものでもない、いくら紫宿といっても人間だ。そんな彼がこの階から飛び降りては、それはそのまま死を意味するだろう。

 思わず藍音は顔を覆った。


「大丈夫、大丈夫~。ほら、よく見て藍音ちゃん」

「・・・・・・?」


 泉の能天気な声でそう言われ、外の方を見てみる。


「え・・・何、あれ!?」


 そこにあったのは驚きの光景、紫宿が何か大きな獣の背に乗っていたのだ。それは巨大で白いペガサスのような翼を四枚持ち、トラやライオンといった猛獣のような体躯、まるで神話に描かれている獣のような高貴で知的な顔。大きさは大体5メートル、といったところだろうか。

 そんな獣が宙に浮き、その背中に紫宿は乗っているのだ。


「あ、あんなの見たこと無い・・・」

「そりゃそうよ。あの子はグリフィス」

「グリフィス?」

「うん。神話とかでグリフォンっているでしょ?あれのモデルとなったのがあの子の種族」

「えぇっ!?」


 グリフォン、それはまさに神話の中に出てくる神獣である。確かにグリフィスの姿はそれによく似ている。とはいえ、そんなとんでもない存在を呼び出しその背中に乗っている紫宿の姿は、藍音にとって目をパチクリさせてしまうものであることは仕方の無いことだろう。


「追え、グリフィス!」

『了解しました、紫宿様』


 もちろんこれにも藍音は驚く。

 あっという間に姿の見えなくなった怨霊と紫宿たちを唖然として見送ったまま、泉に尋ねた。


「しゃ、しゃべっ・・・・・・」

「そりゃ~、神話になるくらいだものぅ~♪」


 あっさりと答えてくれた泉。すごいのかすごくないのか悩む口調である。


「・・・しかも、そんなすごい獣が紫宿のことを“様”って」

「だって、紫宿はあの子のマスターだもの~」

「・・・・・・・・・・・・・・」


 もう藍音は女の子として情けないことこの上ない様な表情をしている。それは、とても言葉にするのをはばかられるほどだ。


「あの、それはもういいとして・・・紫宿、大丈夫なんですか?」

「何が?」

「だって、あんなに傷だらけで勝てるんですか?」

「・・・・・・」


 その藍音の問いかけに青くなって明後日の方向を向いた泉。

 当然その彼女の行動に焦りの表情になった藍音。


「ちょ、ちょっと!?」

「・・・な~んてね、冗談よ~♪」

「・・・は?」


 舌をペロッと出した泉、その後は大笑いだ。

 対照的に唖然として言葉を紡げない藍音、その可憐な容姿は先ほどから可哀相なほどまともな表情をさせてもらえない。

 そして泉はその見た目どおり、幼い少女がケラケラと笑うままだ。


「あっはは!あの程度の相手に、いくら傷付いてても紫宿が負けるはずが無いわよ~♪」

「こ、この人・・・疲れる・・・・・・」


 怒るとかそういった感覚を通り越して疲れてしまっている藍音、泉は上手く騙すことができたものだから大喜びである。


「紫宿はね、記録がはっきりと残っている中では、守部として歴代最高の天才と呼ばれているのよ」

「てん・・・紫宿って、そんなにすごい人なんですか?」

「そうよ~。そもそも普通なら跡目を継ぐための試験は、大体30年くらい修行し続けて初めて合格できるくらい難しいものなんだから」

「そ、そんなに・・・」


 だがそこで何故か少しだけ物憂げに泉は続けた。


「・・・65代当主だったお父さんが事故で死んじゃって、本当なら雲雀一族は守部として終わりを迎えるはずだったの。でも、紫宿が“自分がやる”って言い出して聞かなくて・・・修行を始めてたった3年で合格してしまった」

「すごい・・・本当に天才なんだ」

「私は、継いで欲しくなかったけどね」

「え?」


 泉の表情はまた“姉”の顔だった。非常に複雑な、紫宿が選んだ道を喜んでいるのか悲しんでいるのか分からない。それは寂しい、とも受け取れそうなもの。

 藍音にとって泉がそんな表情をするのはとても意外であった。

 それはそうだろう、実際にこうやって彼女は紫宿のサポートをしているわけだし、可愛い弟がすごい能力を持っていて家業を見事にこなして見せたら嬉しいだろう事は誰にだって予想が付くからだ。

 泉は、紫宿たちが飛び出していった先を眺めてつぶやく。


「あの子には、守部として決定的に欠けているものがある」

「欠けているもの?」


 その問いかけには答えない。

 代わりに、その幼い顔からはとてつもなく乖離のある、哲学のような言葉を吐いた。


「守部として天才でありながら、守部としての才能を持ち合わせていない。あの子にとってこの職業は苦痛以外の何物でもない筈なのよ・・・紫宿は守部には向いていない」

「あ、あの・・・意味が分からないんですけど・・・」


 泉は“姉”のまま、空を見つめる。


「紫宿・・・あなたは、いつになったら“自分”を救えるの・・・?」

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