チャプター2:箱の中には
自分の抱えている問題を解決するため、藁にも縋る思いで【よろずやひばり】を訪ねた少女。そこで彼女を出迎えたのは、同年代の少年であり責任者の雲雀紫宿と、幼く見えるが彼の姉である雲雀泉。
そして不安が頭をよぎる少女を前に、泉の正体が明かされ―――
「ほら」
「ありがとう・・・あ、美味しい」
紫宿に湯飲みを渡してもらい、ゆっくりとお茶をすする少女。少しは落ち着いたのか、布団から自分で起き上がり、意外にも美味しかったお茶の味に舌鼓を打っていた。
つまりは、彼女は泉を幽霊だと知って気絶してしまっていたのだ。
「ごめんねぇ、まさかそこまでびっくりするなんて思ってなかったから~」
本当に悪いと思っているのか否か迷う泉の相変わらずの軽い口調、確かに彼女だって幽霊になりたくてなったわけではないだろうから泉が悪いわけではない。
少女も分かっているからか、特に泉を責めたりする事も無く。
「び、びっくりしたけど、もう平気ですから・・・それにしても、幽霊って実在するんですね」
「ええ。特に泉は、生前は霊力だけならそれなりにありましたから、死んだ後もそのせいか霊力の無い人にも見せようとすれば見えるんです」
霊力―――科学最盛のこの時代にそんな前時代的で非科学的なことを言われても普通は笑ってしまうだけだろう、しかしここにこうして幽霊が実在して、しかも少女にもはっきり見えているのだから認めざるを得ないと、彼女は自分を納得させた。
すると、泉が得意げに言う。
「うふふ~、でも私次第で姿が見えなくすることも出来るから、依頼内容によってはどんとこいなのよ~」
「え、泉さんもお仕事するんですか?」
「手伝いですよ、手伝い」
「何よ~、よろずやの収入源の大部分の浮気調査なら、私にとっては朝飯前なのよ~」
それはそうだろう、姿を見えなく出来るならこれほどうってつけの仕事は無いかもしれない。
それにしても浮気調査とは、まさに少女の調べた通りまるで探偵のようだ。そしてそれは言うまでも無く泉の方が上手であろう。
「どうだ~、何か文句あるか弟?」
「・・・」
「ふふん、お姉ちゃんだぞ~、お姉ちゃんだぞ~♪」
そう言いながら肘で紫宿の頭をぐりぐりする泉。どうやら実体を持つことまでも自在に出来るようだ、しかし力はそれほどなく紫宿は全く痛そうにはしていない・・・ものすごく悔しそうに眉間にシワを寄せてはいるが。
そして泉は自分の姿が幽霊になってから変わっていないことを気にしているのか、しきりに自分が姉であることを強調する。だがそうすればするほど、その幼い容姿と相まって尚更子供っぽく見えるのではあるが。
「あ、あの・・・」
これは最後の最後でとんでもないところに来てしまったという顔をしてしまった少女、瞳にはついに諦めの色が浮かんでいた。
しかしそこは責任者である紫宿、せっかくの依頼主にそんな顔をされて黙ってられるはずも無い。そして彼もまだ思春期真っ盛り高校生の男の子なのだ、自分より年下の女の子にそんな風に思われてはプライドが傷付くというものだ。
「とにかく、依頼の内容を話してください。これはまだ憶測でしかないですが、きっと力になれると思います」
「はぁ・・・」
そう言ったものの、紫宿の瞳は“憶測”ではなく明らかに“確信”であると語っていた。
だからなのか、少女はその目を見ただけで先程までの諦めは何処へやら、それどころか彼等ならなんとかしてくれるのではないかという期待が生まれはじめていた。
―――それはとても不思議ではあったが。
「えと・・・まず、私の名前は月ノ宮 藍音。高校一年です」
そう藍音はにっこり微笑んで言った。先ほどまでの戸惑いにあふれていた姿とは打って変わって、社交に妙に慣れているかのような姿を目にし、紫宿は少し疑問に思う。
柔らかそうな手入れの行き届いた長い髪、肌理の細かい肌、そして穢れを知らない透き通った瞳はひょっとするとかなり名の知れた良家のお嬢様ではないかとうかがわせる。
「月ノ宮・・・?」
その苗字・・・日本どころか世界有数の大財閥と同じだと紫宿は思った。ちょうど先ほどまで見ていたニュースで、管理下にあるとあるビルで立て続けに事故が起きていて責任を問われているとかやっていた。だがまさか、そこのお嬢様が護衛もろくにつけずにこんなところに来るはずもないだろう。
そしてそんな清楚な見た目とは裏腹に動きやすい服装をしていて、よく通る元気な声で裏表の無さそうな活発な少女であるとも思え、好感が持てた。
「それで、内容ですが」
そんな藍音は身振り手振りを含めながら自分の依頼内容を伝える。おそらく何度もそうやって他の興信所や探偵事務所で説明してきたのだろう・・・しかし悲しいかな、内容があまりにも非現実的すぎたためどこも相手にしてくれなかった、と語る。
だがそれもそのはずだろう、世界でもトップレベルの優秀さを誇る日本の警察でさえも“事故”として処理し終えてしまったものなのだから。警察がどれだけ調査しても、最新の技術を用いていくら現場を調べても出てきたものは全て“ただの事故”としか思えない結果だったのだ。
それをもう一度調査して事故ではない他の結果を出せ、などと言われてもどんなに優秀でも警察のはじき出した結果を覆すほどの成果などまず出せるわけが無い。
いや、それに挑むことすらしないだろう。それはもちろん結果は同じで、だったらやるだけ損だからである。
「だけど、それでも・・・」
しかし、行く先行く先で何度そのように説明されても、藍音は納得出来なかった。そしてここでもまた同じように必死になって依頼をする・・・その姿はまさに最後の希望、まるでパンドラの箱の底に残っていたというエスペランサにすがるように。
「なるほど・・・そのビルで立て続けに起こった事件を、事故以外で片付けてほしいということですね」
「一言で言えばそうです。やってくれますか?」
後者はとても小さな声だった。
意地でも引き受けてもらう・・・そういう意気込みの藍音ではあったが、やはりこれまでどれほど優秀で名前の轟いている興信所や探偵事務所でさえ、あたり前のように断ってきたのだ。
だからどう考えてもよろずやを始めてそれほど長くないだろう紫宿が引き受けることはしない・・・いや出来ないと思っていた。
ところが、意外にも紫宿は二つ返事で答えてみせる。
「承知しました。引き受けましょう」
「ああ、やっぱり・・・・・・・・・・・・・・えぇっ!?」
「わぁっ!藍音ちゃん、いきなり大きな声出さないでよ~」
「あ・・・ご、ごめんなさい。で、でもっ!本当ですか、紫宿さんっ!?」
諦めかかっていた藍音は、あまりにあっさり引き受けてくれたのが信じられなかったのだろう、はしたなく身を乗り出してしまっていた。
一方、紫宿は彼女のその反応を予想できていたのであろう、平然としている。
「男に二言はありません。やると言ったらやります・・・まあ、上手くいくかどうかは分かりませんが」
紫宿がそう言うと、急に藍音は乗り出した姿勢のまま彼の手を両手で強くしっかりと握った。紫宿はいきなりの彼女のその行動にぎょっとするも、嬉しそうな声にそれを振り払えるはずも無く。
「それでもいい・・・初めて引き受けてもらえて、それだけでもすごく嬉しい!」
「そ、そ、そうか・・・」
もうそれなりに大人の社会で生きてきているはずの紫宿も、自分とほとんど歳の変わらない女の子・・・それも相当に可愛い子に迫られて手を握られ、潤んだ瞳でこんな風に言われたら鼓動が高鳴る。しかも季節は真夏で、藍音だって当然薄着だ。
さらに身を乗り出している姿勢なものだから、紫宿の位置からは彼女の豊かな胸が覗き見えてしまう。彼とて思春期の男だ、見てはいけないと思いつつもどうしても視線がそこへ向かってしまうのは仕方のないことだろう。
当の藍音は感動しているからかその視線に気付かずにいて。
ただ一人、泉だけが面白く無さそうに仏頂面で口を開いた。
「い・つ・ま・でっ!手を握り合っているのかな、お二人さんっ!」
泉らしくないその歯切れのよく、かつ、怒りのこもった声にハッとして手を離す二人。互いに視線は宙を泳がせる。
そして泉はそのままぶつぶつと。
「まったく・・・これだから悩んだのよ・・・保護者として紫宿を守らなきゃいけないんだから・・・」
「何が“守る”だ。自分がブラコンなだけだろ」
「なんだよ、口答えするな。私の方が偉いんだぞ、お姉ちゃんだぞ~」
なんだかんだで仲のいい姉弟なんだな、と藍音は思う。それは一人っ子である彼女にとってちょっとだけ羨ましくもあった。
「すぐ支度します。道案内と、その途中でビルで起きたという各事件の詳細を話してもらいます」
「あ、はい」
「それと、依頼料は終了後に費用を計算してからになります」
「大丈夫です。お金なら十分あります」
「十分・・・?では、あとは・・・う、ううんと・・・」
「?」
急に少しだけ言いづらそうな様子を見せた紫宿。僅かに泉をうかがってから。
「・・・言葉遣いをなんとかしてくれ。同年代に丁寧に話されると背筋がぞわぞわする」
「は?」
さきほどまでの丁寧な物腰はどこへやら、紫宿の言葉遣いは急にまるで友人にするそれのようにくだけたものになった。そしてため息交じりに言う。
「駄目なんだよ、俺。年齢にかなりの差があるならともかく、近い奴に敬語使われるとさ。頼む、タメ口にしてくれ」
「・・・・・・はぁ」
「藍音がもともとそういう言葉遣いだってなら構わないけど、そうじゃないなら頼むよ」
藍音が泉の方を振り向くと、彼女は大笑いしていた。
「さっきまでは恰好つけてたの。割と形から入るのよ~この子は」
「え」
「・・・・・・」
思わず藍音は笑ってしまった。
「了解、紫宿さ・・・紫宿。こんな感じでいいのかな?」
「泉め、余計なことを。サンキュ、藍音。それじゃすぐに戻るから、めんどくさいだろうが少し泉の相手をしててくれ」
「あ~っ、また呼び捨てにした~!ってか誰がめんどくさいんだぁ~っ!?」
紫宿はそんな泉の怒りの声にも慣れているのだろう、平然と客間から出て行った。
泉は明らかに不満顔を見せている。そんな彼女に、くすくす笑いながら話しかける藍音。
「仲がいいんだね」
「むっ、私はお姉ちゃんだぞ。敬語を使えっ」
「あはは・・・はい、泉さん」
やはりその辺りはこだわりたいのか、泉はそう命令した。
しかし藍音はそんな彼女のわがままも可愛らしく思えて余計に微笑む。
「それにしても、どうしてお二人はよろずやなんてやっているんです?」
「ん?本当はね~、よろずやというのとはちょっと違う職業なんだよ。だけどね、このご時勢そっちだけじゃ仕事が少なくてやっていけないから、よろずやっていうことにして浮気調査だとかペット探しとか、仕事の幅を広げたんだよ~。つまり、私が家計を支えてるって訳!カフェってのは紫宿が勝手に言い出してやってるだ~け、閑古鳥が鳴きっぱなしぃ」
よろずやとは違う職業、という言葉が藍音の興味を非常に引いたが、あまりに泉が自慢げにそして楽しそうに言ったがためにそれを尋ねては機嫌を損ねると彼女はとっさに判断した。
どうやら藍音は機知に富んでいるのか、泉との会話の合わせ方、相槌の打ち方が非常に上手い。そのため、紫宿の準備が整うのを待っている間、泉は終始ご機嫌だったのだ。
「・・・?なんか妙に仲良くなってないか、二人とも・・・」
「この子、本当にいい子なのよ~。気に入っちゃった♪」
「あはっ♪泉さんのお話、楽しいから」
その藍音の言葉の後に、ぼそっと“乗せやすくて”と聞こえた気がして背筋に悪寒が走った紫宿だった。そんな彼はというと着替えたのか、赤と黒を基調とした民族衣装をカジュアル化したような服に着替えていた。そのルックスと相まって、どこかビジュアル系バンドのボーカルのように見えなくもない。そして腰に巾着でもぶら下げているかと思いきや、小さめのサコッシュを肩から掛けていた。
「ね、形から入る」
「ホントですね・・・」
「悪かったな」
紫宿は少しふてくされたようなそぶりを見せた。この辺りはまだ年相応のようだ。
恥ずかしそうにこほんと1つ軽く咳をすると、仕切り直す。
「じゃあ行くか。泉、ちゃんと姿を消すんだぞ」
「分かってるわよ~。でも、紫宿と藍音ちゃんには見えるように調整しておくからね~」
「へ~、そんなことまで出来るんですか?」
「もちろん!だってお姉ちゃんだも~ん」
全くもってその返事は答えになっていないのだが、あまりに得意げに言ったのでそういうことにしておいた藍音、世渡りが上手だなと紫宿は感心した。
それから藍音に案内してもらいながら事のあらましを更に詳しく話してもらう。
どうやら、彼女の家が管理しているビルで次々に事故が起こり怪我人が出ているという。
「最初はね、ビルの内階段の途中にある数字のオブジェが落ちたの」
「あれか、今が何階かを示す数字のやつか」
「そうそれ。落ちてくるのに気が付いたから咄嗟に頭に直撃するのは避けれたんだけど、完全にはよけきれずに脚に当たって骨折したんだって」
その瞬間を想像しただけで紫宿たちは背筋がぞわっとする、痛いなんていう生易しいレベルではないだろう。最悪の場合、ショック死したとしてもおかしくないくらいだ。
「次はね、エレベーターが落ちたの」
「うげ、輪をかけてハードだな」
「ふぇ・・・乗ってた人は大丈夫だったの~?」
「3階だったから、なんとか無事だったみたい」
「3階だからという基準が分からんが・・・無事だったのなら、まあ良かった」
「ほかにもね、まだまだあるのよ。たとえば、非常階段が抜けたとか」
「非常階段?」
「そう、ビルによくある螺旋状の金属で出来た外階段よ」
「ああ・・・それを踏み抜いてしまった、と・・・う、ぞわぞわしてきた」
「わ、私も~・・・」
想像しただけでも怖い、三人とも思わず身震いしてしまう。だがそれでも軽症で済んだらしい。
これら以外にも”お湯を沸かそうとしただけなのにコンロが小爆発””ドアを開けるときに急に留め金が外れてドアごと倒れてしまった”など、一歩間違えれば大事故になりかねないことが短期間に次から次へと発生したという。
「なるほど、聞いた限りでは確かに事故っぽいな」
「そうだけど・・・こう立て続けに起こるのはおかしいでしょ?」
「原因をはっきりさせない限り、変な噂でも立ちそうだ。ビルの老朽化や管理ミス、ってな」
「実際にその噂が広まりつつあって、すごく困っているからお願いしてるのよ」
幸い、怪我をして入院した者などは出ているものの、死者は出ていない。
だがいつ死者が出てもおかしくは無い、とまで言われ始めており、酷い老朽化だの欠陥だらけではないのか、やはり管理不足だ、などと騒がれているという。
「ちなみに、警察はなんて?」
「人がこれら全部をやるのはまず不可能だし、仮に可能だと想定してもその形跡は無かったって。だから事故と判断・・・はぁ」
「だろうなぁ」
自分で口にしながら再び大きくため息をついた藍音。紫宿も回答が分かっていたのだろう、憐みの目で彼女を見た。
泉はというと偶然なのかわざとなのか、お腹が空いたととぼけたことを口にしたり紫宿に向けて【透明パンチ】たる必殺技(すり抜けるだけのパンチ)を繰り出すなど、場を和ませていた。
そんなやりとりをしながら歩くこと10分程度、目的の場所にたどり着く。
「・・・ここか?」
「うん」
「で、でっか~~い・・・・・・」
案内された先のビルは、ざっと60階は越えている。
個人が所有しているなどと言うのだから、それほどのものではないだろうと思っていた紫宿と泉は面を食らった。
一瞬だけ上まで飛んで行ってみようとする仕草を見せた泉が、すぐに諦めたように藍音の元まで戻り、首をかしげて尋ねた。
「・・・ひょっとして藍音ちゃん、すごいお金持ちのお嬢様だったりする?」
「え、えっと・・・」
藍音は先ほどまでとは異なり、顔に答えにくそうな色を浮かべる。
助け舟を出したのは意外にも紫宿。
「まあ、今はそれよりも現場の確認だ。藍音、案内頼む」
「あ、うん」
やはりまだ高校生とはいえプロとして自信を持っているだけある、藍音の家庭事情云々よりも調査を優先させる紫宿、その横顔はとても頼もしくてかっこよく、藍音は少しだけ顔がほてったことに気づいた。
同時に、泉が少しにんまりしたことにも気づいた。
「ま、まず、ここよ」
立ち入り禁止になっているビルの裏口から鍵を開けて入ると、最初に怪我人が出た場所、内階段へ向かった。
いくら高層ビルとはいえ、必ずエレベーターを使うというわけではない。一つ上や下の階に行く時などは、階段を使うのが普通だろう。
ちなみに今三人がいるのは13階から14階へ向かう折り返し階段の踊り場である。
「ふむ、あの階数を示すオブジェが突然外れて直撃したのか」
「そうなのよ。ああ見えて結構重いらしいの」
「うわ、トゲトゲしてるし痛そ~っ!ホント、ケガで済んでよかったね~」
それほどの大きさでもなく、一見プラスチックにも見える。しかし、長く使うものだから丈夫にするためにその素材は実は鉄。打ち所が頭だったとしたら、命の保証はなかったかもしれない。実際、足は骨折だけではなく出血もそれなりのものだったらしい。
「だが、こんな落ちたら危険なものが、余ほどでない限り簡単に外れるわけは無いな」
「でしょ!?なのに、警察がどれだけ調べても自然に外れたって・・・」
「そうするとビルの所有者の管理責任になる、ってことだ」
「う・・・うん」
やはりそう言われてもいるのか、藍音はしゅんとする。
だが紫宿はそんな彼女を気遣ったのかそうでないのか、さらりと口にした。
「まあ安心しろ。いや安心って言い方は違うか・・・ともかく、これは事故じゃない」
「えっ!?」
「そうだね~、警察じゃ分かんないだろうけど~」
「ど、どういうことですか!?」
藍音の驚きようも最もだ。何故なら、紫宿も泉も現場を少し眺めただけでそう言ったからだ。
探偵のように虫眼鏡を取り出して細部まで調べることもしなければ、現場証拠として落ちたそのままになっているオブジェに触れてみたわけでもない。これで本当に警察ですら事故だと断定したことをこうもあっさり否定することが出来るものなのか。
紫宿は確かにどことなくそういう名探偵のような雰囲気が無くも無いが、泉にはお世辞にもあるとは言えない。
しかし、二人とも間違いなく自信がある表情だ。
「じゃ、次に行こう。えっと、エレベーターかな?」
「う、うん、そう」
手際が悪いと思われるかもしれないが、紫宿は事件の起きた順番に見たいと言ったのだ。
だからまずはこの階段へやってきて、次にまた一階に降りて未だ使用不可となっているエレベーターの元へと向かう。
「・・・よく生きてたな」
「さ、3階だったからじゃないかしら・・・」
「でも、ぐちゃぐちゃよ~?」
「う、う~ん・・・」
見事なほどに激しく壊れているエレベーター、それが3階から急に落ちたということでその惨状は大変なことになっている。それは乗っていた人物が生きていたというのが信じられないほどである、怪我の具合は脚の骨折と打撲。
「なるほど、これも事故じゃないな」
「やっぱり分かるの?」
「もちろんよ~。それに紫宿なら、この残り香で相手の見当もついてるんじゃない~?」
「相手・・・ですか?それに残り香って?」
しかし、その藍音の問いかけには紫宿も泉も答えなかった。藍音はくんくんと辺りの匂いを嗅いでみるものの、何の香りもしない。首をかしげていると、紫宿たちに次の現場へと急かされた。だが、やはりそこでも紫宿と泉はロクに調べもせずにそれが事故ではないと断定した。それは、その次の現場でも。
そして全部の場所を回り終え、20階のロビーで少し休んでいると、不意に紫宿が藍音に尋ねた。
「藍音、被害者同士の関係は分かるか?」
「関係?」
「ああ。仕事仲間とか、友人だとか・・・なんでもいい、共通点が知りたい」
ここまで何も教えてくれていないにもかかわらず急に尋ねられたことに少々不満はあれど、仕事上そういうものなのだろうと割り切り、顎に手をやり少々考える仕草をした藍音。警察から聞いたことや、自分なりに調べた事柄を整理し、紫宿への答えに該当するものを探しているのだろう。
しかし、首を横に振った。
「ううん。同じ会社とかもだけど、そういった身近な関係は無いはずよ。ビル内で顔を合わせるくらいはあったろうけど・・・」
「でも、全員男なんじゃないか?」
「え・・・どうして分かったの?」
これが一昔前なら別に驚くことではないだろう、しかし現代では女性の社会進出は当たり前になってきているのだから、被害者が全員男だと断定できるかどうかと尋ねられれば答えは否だろう。
しかし紫宿はあっさりと当ててみせたのだ。
「それから、たぶん全員同じ階に仕事場を持つ会社の人だな」
「そ、そうらしいけど、偶然って片付けられてて・・・なんでそこまで分かるの!?」
今時、ビルにオフィスを持つことは珍しくない。
したがって、一つのビルの一つの階にいくつもの会社がひしめき合っているのは普通のことだ。しかし紫宿は、被害者が全員同じ階の人間だと言い当てたのだ。
「そこまで断定してるって事は、やっぱり紫宿にはもうほとんど分かってるのね~?」
「大体は。だけど、ヤバイな」
「な、何が?」
いきなりなんとも不惑な言葉を口にした紫宿。
彼の次の言葉は、非常に切羽詰ったものだった。
「次に何か起きるとしたら、死者が出るかもしれない」
「なっ!?」
そんな大変な鬼気迫ることを聞かされて、驚きを通り越してしまった藍音。
だが彼女がその理由を問いただすより先に、紫宿が口を開く。
「藍音、何階だ?」
「え、何が?」
「被害者たちの仕事場の階だ。急がないとまずい!」
「じゅ、13階よ!」
「・・・なんとまぁ、不吉な数字ね~」
鬼気迫る紫宿と藍音のやりとりとは逆に、相変わらず間延びした泉の声で一瞬和む場の空気。しかし、それはすぐに彼らの表情と共に切り変わった。
「泉!」
「あいよ~~!」
紫宿と泉がお互いに呼び合うと、急に紫宿が藍音を横向きに抱き上げた。彼は藍音の背中側から左腕を回し彼女の体を支え、膝の下に右腕を差し入れて足を支えている。それはもう俗に言う、お姫様抱っこそのものだ。二人の体は密着しており、顔はすぐ目の前。当然ながら、藍音が顔を真っ赤にしてパニックになるのは言うまでもない。
「ちょっ!?ちょわわわぁぁっっ!!?」
「舌嚙むぞ、黙ってろ」
「え、え?」
「エレベーターじゃ間に合わない!このまま行くぞ!」
言うが否や、紫宿は藍音を抱きかかえたまま階段に向かって走り出した。すでに泉は、さきほどまでのふよふよ浮いていた姿はどこへやら、先導するかのように彼らの前をすごい速さで飛んでいる。
「か、かいだ、んっ!」
「問題無しっ!!」
信じられないことにいくら藍音が軽いとはいえ一人の人間を抱きかかえたままものすごい速さで走っていた紫宿にしがみついていた彼女は、すぐ前に階段が迫っていたことに気付く。まさか・・・と血の気が引いたが、お構いなしに紫宿は藍音を抱きかかえたままなんと階段から飛び降りた。
「きゃああぁぁぁーーーーーっっ!!なんか私!叫んでばっかりぃーーーっ!」
藍音は渾身の叫びをあげる、あたり前だろう。お姫様抱っこの状態で階段から飛び降りたらどうなるのかなどと考えるまでもない、二人揃って大けがで済めば関の山だ。
だが、しかし―――
トンっ
「へ?」
「あんまり耳元で大声出さないでくれるか?さすがに耳がキンキンする」
思っていたような衝撃が無かったどころか、紫宿はまるで階段が1段しかなかったかのように片足で静かに踊り場に着地した。彼はしれっとしている。
「う、うん・・・」
再度、腕に抱かれたままでかつ至近距離で目が合いドキッとした藍音だが、紫宿は真剣な表情を崩していなかったため、余計なことを口にすることを避ける。そんな彼女の様子を見ると、紫宿はニッと微かに笑ったようだった。
「よし、しっかりつかまってろ。急ぐぞ!」
そのまま、トントントーンと踊り場から下の踊り場へと跳ねるように飛び降りていく。
だがその軽快な歩調とは裏腹に、以降は一同の間には少しの会話も無かった。