職場の同僚とキャンプに来たのだが、方向性が違いすぎた件について
その男がキャンプ場に持って来たのは、シャベル一本だけだった。
長さ1メートルくらいの、丙の部分が木で、先が金属でとがっているのが付いている、あのシャベルだ。
男は、シャベルの取手部分を手で握り、シャベルを肩に乗せながら、颯爽と現れたのである。
男の肩で鈍い光を放つそのシャベルは、キャンプ道具というにはあまりにも荒々しく、あまりにも無骨過ぎた…。
その男とは吉沢さんという男で、下の名前は知らない。僕とは別の支店で営業をしており、顔を直接合わせるのも今日が初めてだ。平野主任から聞くところによると、確か入社5年目なので、僕の二つ先輩ということになる。
同じ課の上席である平野主任が予約してくれた、知る人ぞ知る穴場のキャンプ場に、シャベル一本だけを持って現れた吉沢さんを見て、僕は途方に暮れていた…。
「吉沢さん。もう一度確認しますけど、今日は本当にシャベル一本で一泊するつもりですか?」
「もちろんだよ伊藤くん。私はね、昨今のアウトドアというものに、もともと疑問を持っていたんだ。もちろん、外で遊んだり、美味しいものを食べたりして、自然と親しむというスタイルを否定するものではないよ。君は君で、楽しんでくれたらいい。しかしだね、私は自然とは、親しむものでは無く、挑むものだと思ってる。そもそも人類は…」
すごい…すごいしゃべってくるこの人…。今もしゃべってるけど、しゃべり方が気になって全然内容が頭に入って来ない…。
この人、会社でもこんな喋り方なのか?平野主任が面白そうなやつを見つけたから誘ってみたって言ってたけど…。クセ強すぎるだろ…。黒縁の眼鏡にガリガリの身体なのに、まるで自衛隊のような上下迷彩の服が全く似合っていない。
「念の為確認しますが、吉沢さんは、シャベル一本で何度もキャンプされてるんですよね?」
僕は語り続ける吉沢さんの言葉を遮るようにしてそう質問した。
「いや、今日が初めて。キャンプ自体初めて。」
「…」
「とはいえ、自然とは厳しいものだ。甘くみてはいけない。もちろん準備を周到にしてきているよ。ここにね。」
と言って吉沢さんはニヤリと笑みを浮かべ、自分の頭を指差した。
「あの…吉沢さん、さっき平野主任から連絡があって、急に熱が出てしまったので、今日はキャンプに来れないそうなんです…。なので、今日泊まるのは僕たち2人だけなんですよ…。僕もキャンプを始めてまだ2回目で…。あまり極端なことされてもフォロー出来ないっていうか…。」
「もちろんもちろん。私は今日、自然に挑みに来たんだ。人に助けを借りるわけにはいかないし、ましては後輩である君に迷惑をかける気は一切ないから安心してくれ。君は、私が自然に対して勇敢に戦っている姿を目に焼き付けてくれたらそれで良いんだ。」
「目に…そうですか…わかりました…。」
僕はすでに吉沢さんを目に焼き付けるどころか、視界にも入れたくないくらいの気持ちになっていたのだが、先輩なのでとりあえずうなづいておいた。
「とにかく…もう夕方なんで、テント立てちゃいますね…」
平野主任が時折り開催しているキャンプスタイルは、みんなが一つのテントに宿泊するのでは無く、それぞれが自分のテントを設営し、寝る時は別々に寝るキャンプスタイルだ。食事もそれぞれが自分の食事を作り、お互いシェアし合って、一緒に食べるという形で、いわゆるグループキャンプというやつである。ソロキャンパー同士のお泊まり会とでも言おうか。
僕自身、ずっと一緒というガッツリキャンプは疲れてしまう性質なので、このゆるいつながりのスタイルが気に入り、再び平野主任に誘われて、参加させてもらったのだ。
宿泊スタイルもそれぞれで、テントだけではない。平野主任など、前回のキャンプではハンモックで寝たりして、僕みたいなキャンプ初心者は驚愕したものである。
しかし、まさかシャベル1本で泊まる人間が現れるなんて思わなかったわけだけど…。というか、シャベル1本だけで、どうやって眠るんだろう…。
「よし、この辺でいいだろう。」
僕がソロ用のテントをリュックから取り出していると、吉沢さんは、僕たちのキャンプ区域の奥の方で、シャベルを使って地面を掘り始めたのだ。
「ちょっ、吉沢さん!?このキャンプ場、地面掘っちゃって大丈夫なんですか?てゆうか、何してるんですか!?」
僕が初キャンプした場所でもあるこの、ぜぶらキャンプ場は、市街地から車で約30分程の距離にあり、少し道は細いがアクセスしやすいため、平野主任が愛用しているキャンプ場だ。
近くにお風呂がなく、簡易トイレと水道も一つしかないため、料金も安い。そして必要最低限の設備しかないためか、利用客も多くない、穴場的なキャンプ場なのである。
もともと杉林だった場所を造成しており、ぐるりと半円を描くかのようにカーブしている坂道から、ぽつぽつと枝を生やしたようにキャンプ区画が設置されている。
そのため高低差も付いているので他の利用客とも適度に距離が保たれており、ある程度のプライベート空間が保障されているのも魅力の一つである。
とはいえ、他の客から僕たちが全く見えないわけではないし、メインの坂道を登ったり降りたりする他のお客が全くないわけではないのだ。ここからみた感じでも、何組かの他のキャンパーのテントやタープがチラチラと見えている。
おそらく、このシャベルが地面を削るガキンガキンという耳障りな音が周りのキャンプ客たちにも聞こえているはずで、それぞれのキャンプ客たちは、これは何事かと、ザワついているはずであった。
「まあまあ伊藤君、ここは直火(地面の上で直接焚火をする事。禁止のキャンプ場が多い。)オーケーなんだろう?じゃあ、多少地面を削っても問題ないはずさ。ここに塹壕を掘り、枯葉を布団がわりにして、今日は眠る予定なんだ。なかなかワイルドだろう?なあに、明日帰る時にはまた土をかけて、元に戻しておくさ。しかしこの地面、硬いな…全然シャベルが…クソッ!」
このキャンプ場の地面は土というか、ほとんど砂利のような地面なので、吉沢さんのシャベルはほとんど地面を削れておらず、シャベルが土に弾き返される鈍い音が虚しく響いているだけだった…。
僕はソロ用テントを10分ほどで設営し終わったが、吉沢さんはハァハァと吐く息ばかりが増えていくだけで、穴は一向に出来ていなかった。
「吉沢さん…やっぱり穴は難しいんじゃ…」
「まあ、塹壕はこんなもんでいいだろう。全然これくらいでいいんだ。枯葉を使った布団がメインなわけだから。穴?むしろ、なくても良いくらいだ。そろそろ食材を集めなくては。それでは行ってくるよ!」
僕の言葉を遮るように、吉沢さんはそう言い残してシャベルを肩に引っ掛けると、杉林の中に突っ込んで行った。
後には、穴というよりも、地面を少し削ってみたという程度の擦過痕が残されているのみであった。
「…。」
僕はそれを見なかったことにして、次のキャンプ準備を始めることにした。キャンプの準備は陽のある内に済ませた方が良い。前回、平野主任から僕はそう教わった。日が暮れると、一気に真っ暗になるので、いちいち灯りで照らしながらでないと、準備ができなくなるからである。特に秋も深まり出した頃なので、暗くなるのも早いのだ。
僕はテントの中に寝袋用のシートを敷き、その上に寝袋をセットした。そして空気で膨らませる簡易式の枕をセットした。枕は忘れやすいが、意外と大事である。テントの外に出た僕は、チェアーと小さなテーブルを組み立てて置いた。その近くにシートを広げ、飲み物や今日使う食材などを置いていく。そして、最後にリュックの奥に入れていた、ソロ用のバーベキュー器具を取り出した。
キャンパーの中には食事にこだわらない人もいるが、僕には信じられない。食こそ、アウトドアの1番の醍醐味であると僕は思っている。特に今日行う予定である炭焼きのバーベキューは、家の中ではなかなか出来ない、アウトドアならではの食事なのである。
ところで吉沢さん、食材を集めると言ってたけど、大丈夫なのか?食材はお互いシェアするつもりだったので、肉も一人分しか用意していないし…。
「あァアアああぁあぁああ〜!」
なんか、表現しきれない感じの雄叫びが聞こえて来たと思うと、杉林からガサっと音がして、吉沢さんが飛び出して来た。
「よ、吉沢さん!?どうしたんですか?」
「…ハ、ハチにやられた…」
そう言ってこちらを向いた吉沢さんの顔は、いくつもハチに刺されて膨れ上がっていた。
「よ、吉沢さん、か、顔がえらい事になってますよ…。まぶたの上とかも刺されてるし…。まるで試合でボロ負けしたボクサーみたいに…。」
「うっかり肩に担いでいたシャベルがハチの巣に当たっちゃってね…。逃げずにシャベルで応戦しちゃったのがまずかったかな。」
「逃げないとダメでしょ!?どうしよう…、僕、応急セットとか持って来てなくて。平野主任頼みにしちゃってたから…。もうキャンプ場の運営の人は帰っちゃってて…。他のキャンプ客の人に何かもらって来ますんで…。」
「いや、必要ない。」
走り出そうとしていた僕は、吉沢さんに肩をつかまれ引き止められてしまった。
「吉沢さん?」
「いいんだ伊藤君。僕は今、自然に戦いを挑んでいる所なんだよ。他の人の助けを借りてしまったら、僕は自然に負けた事になってしまうんだ。なぁーに、こんなもん、ツバでもつけときゃ治るさ!」
そう言って親指を立てた吉沢さんの片方の目は、見えていないんじゃないかというくらいに大きく腫れ上がっていたのだが、本人もそう言ってるんだしと思い、僕は分かりましたと言ってチェアーに腰を下ろした。
「しかし、さすがにもう一度森に入って行く気力は残っていないな…。今日の晩ご飯はドングリ3つか…。」
そう言って、吉沢さんは手のひらに載せたドングリ3つを悲しそうに見つめていたのだった。
あたりは完全に暗くなり、時刻もそろそろ夕飯どきである。僕はコールマンのLED小型ランタンの明かりを付けてテーブルに置いた。そしてその明かりを頼りに、バーベキュー器具に着火剤を置き、その上に家で砕いて来た炭を置いて、バーナーで着火剤に火をつけた。ビニールに詰められたピンク色の着火剤はすぐに燃え上がり、その上の炭を焼いていく。焼かれた炭の匂いが僕の鼻腔を刺激する。
これこれ…。
僕のテンションは一気に上がっていった。もう少しいい感じに炭をいこらしてから、肉を焼いていこう。
まずはタン、それからカルビ、僕の好きなハラミもある。それぞれは少量ながらも、焼肉の王道コースを、今日は歩んで行くつもりだ。
ギュルギュルギュル…
吉沢さんのお腹の音がまた鳴り、僕は気まずい思いを再び味わった…。吉沢さんは僕と少し離れた場所で、必死に火起こしを行っていた。まるでランタンが放つささやかな光すら避けるかのように…。平たい木の板に乾いた葉っぱを置き、その上に棒状の枝を立て、手のひらで回転させ、摩擦で火を起こす古代からのやり方で、火を起こそうとしているのだ。
ハチに襲われて逃げ帰り、それから火起こしを懸命にやっている吉沢さんであったが、未だ火は付いていない…。
一応、こっちで一緒にお肉を食べませんかと声をかけてみたのだが、吉沢さんは悲しそうな笑顔で黙って首を横に振っただけだった。
たまたま近くを通りがかった他のキャンプ客は、キャンプ中に揉めて、そのまま修復できていない2人みたいになっている僕たちを眺め、居心地の悪そうな表情を浮かべながら通り過ぎて行った。
「なんで付かねえんだよ…なんでだよ…。」
いつまでも火が付かず、段々と病んだ表情になってきた吉沢さんに、僕はかける言葉も見つからない。
僕はいい感じになってきた炭の上に網を敷き、その上にタンを置いた。とたんに炭が肉を焼く、良い匂いが漂ってくる。
ギュルギュルギュル…
それに反応するかのように、吉沢さんのお腹が再び鳴った。
非常に食べづらい…。
こんな時、平野主任がいてくれたら…。平野主任は仕事ができるだけではなく、とにかく明るいオーラを持っている人なのだ。平野主任なら、こんな状況でも楽しくなるよう、なんとかしてくれていたはず。でも今、平野主任はいない…。平野主任なら、この状況、どうしていただろうか?平野主任なら…。
そうだ!
平野主任は、いつでもポジティブシンキングが大事だと言っていた。今のこの絶望的な状況を、一度ポジティブシンキングで捉え直してみようではないか!
ハッ、そうだ、こう考える事にしよう。
吉沢さんも吉沢さんなりに、今、キャンプを楽しんでいるのだ。僕とはずいぶん楽しみ方が違うが、それも一つのキャンプなのだ。アウトドアの方向性は、全く違うかもしれないが、お互いのキャンプスタイルを尊重し合い、お互いのキャンプスタイルを魅せ付け合う。それが、ソロキャンパー同士の、アウトドアの醍醐味ではないか?
僕は自らのキャンプをしっかり楽しみ、それを吉沢さんに披露することこそ、本当のキャンプ道であると考えた。
そして僕は、食べごろに焼けたタンに塩をまぶし、レモンを絞って、口に放り込んだ。
ウマい…。
やっぱり山で食べる焼肉は最高だ…。
ヤバイ…。なんか、涙が出るほどウマいよ…。
吉沢さんの方を見ると、吉沢さんは開きっぱなしの口からよだれを垂らしながら、肉をほおばる僕をじっと凝視していたのだった。
「お肉、食べます?」
「いや、いい。」
そう言って吉沢さんは、近くに置いていた生のドングリを口に含むと、にがっと小さくつぶやいた。
しっかりと肉を食べ、お酒もたっぷり飲んだ僕は、少し早いが眠る事にした。
吉沢さんはというと、火おこしも結局失敗し、その後自分が削った地面の上に周辺から落ち葉を大量に集め、その中に入り横になっていた。落ち葉を掛け布団がわりにしているのである。周りに落ち葉はたくさんあり、シャベルに載せる要領で吉沢さんは集めて来た落ち葉の量は、ちょっとしたものになっていた。夜のキャンプ場はかなり寒くなっていたが、あれだけの落ち葉があれば、以外と暖かいのかもしれない。
「吉沢さん、落ち葉の寝心地はどうですか?」
「うん、なかなか悪くない。上に見えている星空もいい感じだよ。この、自然と一体化している感じが良いね…。そもそも人類は…。」
ギュルギュルギュル…
吉沢さんの言葉は、本人のお腹の音によって遮られた。
吉沢さんは悲しそうに首を振り、片手を枕にして、目をつぶってしまった。
せっかくの休日に、自分で自分を追い込んで、この人は何をしているんだ!?
ずっと吉沢さんの事をそう思い続けていた僕だったが、僕の中で、少し心境の変化が起きつつあった。
いつの間にか、この人を応援したいという気持ちが、僕の中に芽生えて来ているのだ。いや、認めたくはなかったが、少し憧れすら感じ始めている自分がいる…!
僕と同じ飲料メーカーの営業という、体力や精神力を削られる日々を吉沢さんが過ごしていることは間違いない。そんな中で、吉沢さんは休日すらこうやって自然に挑戦しているのだ。自分自身の成長のために、これほど過酷な事が僕にできるだろうか?いや、僕にはとても真似できない。吉沢さんは、今回のキャンプでは、楽しい時間は少しもなかったのかもしれない、しかし、このキャンプをやり切った時には、将来きっと役に立つであろう精神的な成長みたいなものを手に入れることができるに違いない。
吉沢さんは、日々をそんな風にしてずっと過ごしているのではなかろうか?もしそうだとしたら、本当にすごい人だ…。
そうだ、明日朝を迎えたら、僕は吉沢さんに握手を求めよう。僕は今日、吉沢さんを助けることは何一つできなかったけど、むしろ肉の匂いとかで逆に苦しめてしまったけど、この過酷なキャンプを乗り切った吉沢さんを、讃える事はできるはずだ。
そして、僕も吉沢さんを見習って、自分の成長のために、何かチャレンジしてみよう!勇気を出して、吉沢さんと一緒にシャベル一本で僕もキャンプをしてみようか?
そんな事を考えながら寝袋に入った僕は、すぐに深い眠りへと落ちていった。
「イタ!」
…
「クソッ アリめこのやろう…。」
…
どうしよう。吉沢さんの声がうるさくて全然眠れない…。
… …
… …
… …
チュンチュン
鳥の鳴き声と共に、テントの中にも朝の光が差し込み始めていた。どうやら夜も明けたようだ。
寝ている間、吉沢さんの声で何度も眠りを中断されたのだが、途中から急に静かになり、そのあとはぐっすり眠ることが出来た。吉沢さんも、やっと眠ることができたに違いない。
テントの外で物音がしないため、吉沢さんはまだ眠っているのだろう。
一度外に出て、朝食の準備でもしよう。そして吉沢さんが起きて来たら、お疲れ様でしたと声をかけ、固い握手を交わすのだ。
厳しい自然への挑戦をやり切った吉沢さんを、しっかりとねぎらわなければ!
そっとテントの外に出た僕は、吉沢さんが寝ているはずの枯葉の山を確認した。
あれ?吉沢さんがいない…。
吉沢さんが眠っているはずの場所には、枯葉の山だけが残され、吉沢さんの姿は影も形も見当たらなかった。
「ん?」
枯葉の山の近くに、木の棒か何かで地面に文字が書いてある。なんて書いてあるのだろう?僕は文字らしきものの近くに行き、それを読んだ。
心が折れたので帰ります
吉沢…。