迫る決断、遮断される結末 その10
「まず、魔物の生態について、未だ不確かで未知の部分は多い。その前提を知っておいてください」
「そうなんだ……。てっきり、何もかも知っているものかと……」
「いえ、あくまで観測と予想の結果、そうだろうと結論付けたものが多いだけで、覆るものは幾つもあると思っています。そして、先程見た巨大な魔物は、最初に逃げ出した魔物と酷似しているので、女王だと考えました」
だが、単に取り逃がしたというには、あの魔物は巨大過ぎた。
あれでは見失おうにも、見失い様がないだろう。
そして、バルコニーを軽々登ってきた事を考えると、城壁でさえあって無いようなものだ。
「でも、待って。あれが女王と思う根拠が、よく似た形だから、というだけ……?」
「本来はもっと小さく、人間の子供ほどの大きさしかありませんでした。そして、何より素早く機敏。爪と強靭な足腰で壁や天井へ張り付き、追い付くことが出来ずに取り逃がした……と、そう聞いています」
「そうさ、そのとおりだ」
エルサは悔恨の表情そのままに頷く。
彼女は召喚士だ。それは知っていた。
そして、その彼女がその様な態度を見せるからには、その召喚に関わっていた、という事なのだろう。
シュティーナが――偽のシュティーナが、エルサは王族側の人間だ、と言っていたのは、あながち間違いではなかったようだ。
そのような重要なポジションにいたとは、今まで知らなかった。
いや、あるいはと思っても、あえて確認しなかっただけだ。
召喚儀式について、やけに詳しいと思う事もあった。
しかし、それでも彼女は元凶とは違う。
国の指示を受け、命令されたとおり実行しただけに過ぎない。
立案や採用という、もっと根本的な部分とは無関係なのだ。
エルサは悔恨を表情に滲ませたまま続ける。
「そして、それが結晶剣の地下部分、魔力の中枢地点で巣を作ったと知ったのは、もう手遅れになってからだった。産んで増やしていたとしても、一個体が産んだ数としては、余りに多すぎる。ならば、女王となる個体だったのだろう、という推測からそう呼ぶ事になった」
「それが間違っていたとは思えません。けれど、それが全てではなかった。産み増やすのは生物として当然の行いで、生命の危機となれば、それが強まるとも言います」
「……危機を煽られたっていうのは良いさ」
そこでマコトが厳しい口調で、口を挟んだ。
「生存戦略として、産めや増やせやと戦力を増強していったのは、自然な事なのかもしれない。でも、巨大になっているのは? 他の魔物も巨大になったりするの?」
マコトが問うと、ケルス姫は曖昧に頷く。
「そう考えています。魔物の中には、同種であっても明らかな体格差を持つ個体がいます。それはやはり、魔力を多く含む物質を多く食べたからでしょう」
「確かに、一度やたら巨体なアルビドに襲われたな……」
まだ目覚めて間もない時だった。
東棟の一階で中継機を再起動し、二階に上がろうとして、それに遭遇した。
その直前に、中庭でも樹木を喰らう同種と遭遇したのに、城内にいた個体とは、それより明らかに巨体だった。
天井に頭が付く程で、外から侵入できた筈もない。
その違いは、人肉を多く食したからで、それ故にそれだけの巨体になったと考えれば、それにも説明がつく。
「あまり考えたくないけど、そうか……。食べた物の違いで体格差も生まれる……。それについては納得するけど……でも、女王が直接出て来る理由にはならないんじゃ?」
「そうですね……。本来なら、巣の奥に居座って、産卵に励むべきなんでしょう。でも、魔物の目を通して、それでは駄目だと悟った」
「どういう事だ?」
「――マコトの存在です」
その一言で、全員の視線が一斉に向く。
息を呑んで話を聞いていた民たちまで、期待と不安に塗れたものを向けてきた。
どうにも居た堪れず、落ち着かない気持ちにさせられたが、何を言いたいかは察せた。
「たった一人の存在が、魔物の脅威として映った……と? 三階での乱戦と、その戦い振りを見て、再び危機感を煽られたと……」
「そう思います。元々、巣穴の奥で指示だけ飛ばすつもりだったのではないでしょうか。しかし、数をぶつけても倒せないと、マコトは証明してしまった」
「それで親玉の出現か……。マコトを倒さない限り、自分たちに安寧は訪れないと思ったんだろうな」
エルサはケルス姫の説明から、至極納得がいった様で、何度も頷く。
そして、ケルス姫の推察どおり、魔物の目を通して女王がマコトの戦い振りを見ていたなら、その仮説にも一定の納得は出来た。
だが、疑問もある。
「魔物の中で女王が一番強いのだとしても、だからってそれで姿を見せるものかな? やられたら元も子もないと、考えたりしないんだろうか」
「魔物の知能は高く、計算高い生き物です。女王についても、やはり同様に賢いと考えるべきでしょう。だから、保険は残していると思います」
「自ら倒されても問題ないように?」
「……はい。例えば、女王となる次代の卵を産んでおいた、などがそれに当たります」
マコトは思わず短く呻いた。
確かにそれは、考えられそうな話だった。
女王も全滅を避けるために動き出した筈なのだ。
それなのに、リスクを全て投げ捨て、一か八かの抗争を仕掛けたと短絡的に考えられない。
次期女王の卵があるなら――それも豊富な魔力の根本に産み落としたのなら、起死回生の機会は残される。
全滅までは至らない、再起の道は残される、と考えるかもしれない。
そして、卵の存在は、積極的に動き出す動機にもなる。
「じゃあ、女王を相手にしつつ、巣の中へ向かい、卵まで破壊しないといけない訳か……」
「そうですね。なので、片方が女王を相手している隙に、別の誰かが巣へ侵入……同時攻略が好ましいとも思うのですが……」
今となっては地下の様子も、どこまで様変わりしているか分からない。
アリの巣の様に入り組み、三階など目ではない迷路になっている可能性もある。
通路は相応に広く、女王の巨体が移動できる程度に幅は持たせていると予想できるが、同時にそれだけの大きさの巣に、膨大な数の魔物が潜んでいるとも想像できるのだ。
ケルス姫はマコトの意見に頷きつつも、苦い顔を横に振る。
「女性は魔物に、とても見つかり易いでしょう? 巣は魔物の温床で、隠れて進むのは困難を極めます。男性であれば、まだ可能性は高いと見ているのですが……」
「そうだな……。例えば、魔物の血を塗り付けて誤魔化す、そんなものでも有効だろう。男であれば、ある程度誤魔化し切れると思う」
エルサはケルス姫の意見に追従して頷き、それから尚も続ける。
「だが、女性だと何故かすぐに見つかってしまう。何か奴らの鼻に引っ掛かるものが、あるのかもしれない。魔物から遠ざかっていれば見失ったりもするがな……、巣の中だろう? 全てを薙ぎ倒して進むのは現実的に不可能だし、隠密で進むしか成功の公算はない。だが、どちらにしろ、適任者がいないって話にもなってしまう」
「そうですね、戦闘は……まず回避しなければならない。最悪、卵まで到達できれば目標は完遂できるとしても、その到達こそが簡単ではないのですから」
それじゃあ、とマコトが小さく挙手して発言する。
「まず僕が、隠密魔法で透明化とか、そういう方法で潜伏して、卵を破壊して来るのは?」
「魔法を入れ替える手間がある、という問題はさておいても、話したとおり……同じ事です。姿を透明にしてやり過ごす方法は、既に私が試しています。でもやはり、どの魔物であっても、接近した時点で気付かれました」
「ましてや、狭い地下通路だものな……。やり過ごすのは無理か」
「……ええ。まず、間違いなく」
ケルス姫が断言すると、周囲に重い空気が纏う。
それと同時に、けたたましい破壊音と衝撃が部屋を揺らして悲鳴が上がった。
「な、なんだぁ……!?」
『ギィゴァォォォォ!!!』
またも咆哮が響き、今度は更に大きな衝撃が、ごく近くで起こる。
地を踏みしめる様な衝撃は、階下からやって来た女王のものだ。
破壊音も断絶的に聞こえており、汎ゆるものを押し退けて前進しているようだ。
何が何でも脅威を排除しようという、その強い意志まで感じ取れるかのようだった。
「ここが見つかるのも、時間の問題ですね……」
「……あぁ、仕方ない。僕が行くよ」
「ちょっと待て、お前だって怪我してるんだろう!? 治療を先にしておくべきだ!」
エルサが破損し血塗れになったガントレットを指さして、咄嗟に呼び止める。
しかし、マコトはそれに首を横に振った。
「時間が惜しい。傷を癒やすなら魔法がある。今はそれで十分だ」
「そうじゃないだろう。姫の傷口と同じなら、お前だって毒を受けてる! 手持ちの解毒薬が合うか分からんが、それなら傷口から毒を採取して新たに薬を用意できる! ここに生き延びた錬金術師がいるんだ!」
「だとしても、それは今直ぐ用意できるものじゃない……、でしょ? 一時間足らずで用意できるものでもない筈だ。女王はバリケードや部屋を薙ぎ倒して接近してる。隠れてやり過ごせるとは思えない」
それは今も伝わる衝撃音からも確かな筈だ。
突撃音や破裂音、そして数多の引き連れた魔物の足踏み、それが部屋全体を揺らしている。
「だったら、行くしかないでしょ」
マコトは兜をバイザーを勢いよく下げながら言う。
そこに諦観の様な声音はない。
ただ、やらねばならない、という決意に満ちていた。
「心の奥から湧き出る想い。それこそ僕が、本当にやりたい事だ。そして、その覚悟があるから立ち向かっていける」
「いえ、いいえ! でも……、あなた一人に任せる訳には!」
「いいんだ、やるよ。今ここにいる人を生き延びさせようと思ったら、……どうも他に手がない」
「でも、あなたを喪ってしまったら、これからどうすれば……! 単なる一戦力という意味じゃない! あなたは心の拠り所なのです……!」
ケルス姫は必死に手を伸ばし、手甲の割れたガントレットを握って来た。
彼女の気持ちが本物だろうと、ここで隠れ続けるのは、どちらにしても無理だ。
「まぁ……、無事に済みそうにないかな。けど、時間は稼いでみせるし、その間に逃げて欲しいとも思う。ただ、奴らに喰われるのは御免だ。それだけは絶対死守するよ。だからもし、静かになったあと余裕があったら、様子を見てくれたら嬉しい」
「馬鹿を言うな、不吉なことを……!」
エルサも顔面に悲壮感を浮かべつつ、必死に振り払おうと顔を振る。
ケルス姫はそれ以上に力強く否定し、ガントレットを握る力を強めた。
「えぇ、えぇ……! 精根尽き果て、動けないだけかもしれませんもの! 絶対に、あなたを見捨てたり致しません! 女王の次は卵ですよ、一緒に作戦を考えましょう。共にこの地獄を終わらせるのです……っ!」
途中から感情が溢れ、涙ながらの言葉になった。
その内容も、言いたいこと、つっこみ所だらけだ。
この上まだ働かせるつもりか、卵は別件で、そっちでどうにかしてくれ。
そうも思うのだが、それも生きて帰って来てこそだ。
生きて帰ってこい、とは誰も言わない。
それは薄情からではなく、口にするのが憚られるからだ。
生死を直接感じてしまう言葉は、その死を引き寄せるようで怖いのだろう。
――だから、に違いない。
マコトは陽気に聞こえる声音で、容易に感じさせる気構えで応じて見せた。
「仰せのままに、ケルス姫」
一礼すると、ケルス姫が握っていたガントレットからも、やんわりと手を剥がす。
それでも尚も追いすがろうとするケルス姫の肩を、やんわりと押して踵を返した。
その背にエルサの声が掛かる。
「ありがとう。何度と無く助けて貰って、こんな囮のような真似までさせてしまって……。一体、何と言ったらいいのか……」
「無駄死にするつもりはないからね。大変というなら、怪我人も多いなか、皆を逃がす君だって大変だ。……お互い、責任は重大だ」
「あぁ、大変だ。そうだな……! お前よりも大変かもしれない。だから、終わったら手伝いに来いよ……!」
「どこまでいっても、人使いが荒いんだよなぁ……」
天井を見上げ、肩を揺らして笑う。
そうして一歩踏み出せば、周囲で伺う様にして見ていた男女が、手に拳を握って応援してきた。
「頑張って、頑張ってください……!」
「応援してます! 必ず、必ず……!」
それらへ鷹揚に手を挙げて前進すると、更に近い箇所から女王の咆哮が聞こえてきた。
単に探している最中なのか、それとも目標を見定めているのか……。
憶測が不安を呼ぶ。
そして、大きな衝撃音と破壊音は、継続して聞こえて来ていた。
その衝撃は部屋を大きく揺らし、否が応でも女王の接近を感じずにはいられない。
途中途中に堅固なバリケードが築かれていた筈だが、物ともせず突き進んでいるようだ。
まだバリケードが健全な内に――壁としての機能が残っている内に、別方向へ誘導してやらねばならない。
風通しの良すぎる通路ばかりでは、逃げる彼らにとって大いに不利だ。
敵は女王だけでなく、他の魔物まで含まれている。
マコトから逸れた集団でもいれば、彼らは絶好の獲物になってしまう。
更に強く、マコトは決意を巡らせる。
更に一歩進んだ時、背後より魂から振り絞るようなケルス姫の声が掛かる。
「せっかく分かり合えたのに、ようやく……分かり合えたのに……!」
「そう言うって事は、やっぱり前の僕とは決裂したのか……」
それもまた、予想できていた事ではあった。
国に奉仕を求められ、そして求めるままに与えた結果、国の上層部は更に求めて来るようになった。
際限なく求められ、マコトへの負担が増大するにつれ、国への関心を薄れさせていった。
それはドーガの中で見せるマコトの姿からも、想像がつく。
常に疲れていて、くたびれていた。
国に対して尽くす気力を失くしたマコトは、だからきっと、逃げる決意をした。
この国を犠牲に魔物を殲滅させる。
この国を思って、別の手段で魔物を駆逐する――。
そのどちらも選ばず、逃げ帰る道を選んだ。
ケルス姫も説得したのだろうが、決裂した。
全ては国に対する悪感情、その土台があっての決裂だろう。
しかし、今のマコトに、そうした悪感情は持ち合わせていない。
まっさらな状態で始まったからこそ、今の覚悟が生まれた。
「あなたは……かつてのマコトは、私を……私だけは助けると、共に日本へ帰ろうと仰って下さいました。けれど、受け入れられなかった。認めたくなかった……。この国、最後の王族として、身の安全よりも、国の救済を選んだのです」
「うん……、正しい選択だったと思う」
全てを投げ出して逃げるには、背負ったものが重すぎる。
その重荷は、異世界へ逃げたとしても、絶対に無くなったりはしない。
ケルス姫は己の責務を正しく認識していて、王族の義務を果たそうとしたのだ。
「でも、私は諦めませんから! きっと、やり遂げますから! その時は、あなたも共にいないといけないんですからね!」
「うん、今度は……きっと傍にいる」
マコトは振り返らず、後ろ姿のまま言葉を返した。
ただ、顔の横で手を振ると、扉を薄く開いて音を立てずに外へ出る。
たった扉一枚の違いだというのに、聞こえる咆哮や魔物の騒乱は段違いに大きい。
マコトは呼吸を整え、右手に剣を呼び出すと――。
唐突に、視界を覆う大きなノイズが走った。
まるで古いVHSを再生するかのような、不愉快なノイズだった。
遠くから……まるで水の中から聞くような、曖昧な女性の声が響いてくる。
――記憶領域に重大な負荷が掛かっている。これ以上は無理だ。
――そうですか。でも、十分です。今までの誰より、良い反応ですしね……。
変化は唐突に起こった。
その声を最後に、目の前が真っ暗に染まり、そして音まで聞こえなくなる。
女王が放つ身体を震わせる咆哮も、魔物の騒乱と脅威も、何もかも。
まるで最初から存在しないかのように、全てがこつ然と消え失せ、何一つ感じられなくなった。
それは一つの世界が消失するようで、足元の接地感まで消えてしまう。
余りに唐突な変化に訳が分からず、ただ恐怖のみが残された。




