複数の真実に明瞭はなく その8
『まだ姫様の書斎に居るのですか? 決定を急がせるつもりはありませんが、足踏みした分だけ、危機は外へ拡がろうとしています。その事をお忘れなく』
「……よくも、ぬけぬけと……」
マコトの口から、それまでからは考えられない低い声が漏れた。
『何の事でしょうか?』
「……騙していたのか」
『何を持って……いえ、何を思ってその様な発想に? 私は誠心誠意、あなたに仕えていました。そして、その為に被る危険を厭いませんでした。それを分かっていて、協力する決意を固めたのは、一重にあなたの決意を知っているからです。騙されたというのなら、私の方なのでは?』
途中で梯子を外された。シュティーナとしては、そう主張したいのかもしれない。
だが、そもそも記憶の映像が編集されていたという前提において、彼女はむしろ、けしかけた側だ。
あたかもマコトの発案の様に見せ掛けた、彼女の意志を遂行させる駒として、動かされている可能性が高い。
献身的に見える行動とメイド服の着用は、それを上手く覆い隠す為のヴェールなのではないか。
「シュティーナ……その名前は、本当に君のものなのか? 西棟で殺めた召喚士、あれこそが本物のシュティーナだった。目的達成の為、そして名前を奪った相手を始末する為、彼女を殺めたんじゃないのか」
『とんでもない誤解です。むしろ、どうしてその様な発想になるのか、疑問でなりません。殺めた理由は、既に説明したではありませんか。姫様の悪質な罠――』
「その姫様、という呼び方からも、すっかりそういうつもりになっていた。――君は本当にメイドなのか? 大事な何かを隠してるんじゃないのか?」
マコトはシュティーナの返答に怯まず、更なる追求を続ける。
だが、返って来たのは呆れを感じさせる溜め息だけだった。
そして実際、これは正しい詰問の方法とは言えないだろう。
もしも嘘で塗り固めている相手なら、こんな疑念をぶつけたぐらいで白状したりしない。
ここまでの動きから、その場の偶然や思い付きで行動していると考えられず、そして確固たる意志で行動しているのなら、用意周到な準備もある筈だ。
それは単に作戦の概要という意味だけではなく、マコトが疑念を持つ事まで考慮されているだろう。
その場合においても、もっともらしい嘘で回避しようとするに違いなかった。
『……何も。何も、隠し事などしておりません。心の内を全て晒し、そして協力するという誓いこそが全てです。これまで変わらず、その献身を捧げて来ました。それなのに、何故その様な謂れのない詰問をされなければならないのでしょう』
「記憶の魔石があったからだ! 隠されていた物を見つけた! そこには自分の……、間違いなく自分に向けたメッセージが隠されていた! 疑うには十分だ!」
『あぁ……』
今度は呆れではなく憂いの溜め息を吐き、それから慮る声音で、寄り添うように言ってくる。
『隠された魔石……。姫様の書斎にも関わらず、姫様から隠されていた物だった……。だから、そういう発想になったのですね?』
「そうだ。何もかもが疑わしくなる。全てを捨てて逃げろと、そのドーガは言っていた。君から見せられたドーガとは真逆で、むしろするなと言っていたんだ!」
『それで私を突然、裏切り者の様に扱ってきたのですか……。では、それが姫様の残した罠ではない、と考える理由は何なのでしょう?』
「罠……?」
そんな事は有り得ない。……その筈だ。
あのドーガはそう思えて当然の内容で、そして頭から信じて良い内容に思えた。
何より他の誰かではなく、自分の身だけを案じて宛てられたメッセージだったのだ。
他に誤解しようがない。
『姫様の書斎にあった物なのでしょう? 誰が一番、その場に隠し易いとお思いですか? それを考えれば当然と思いますが』
「だけど……! 隠した場所は、僕が初めて借りた本の裏だった。他の誰かには気付かれない」
『でも、姫様とは懇意にされていて……大変、仲の良い関係だった訳でしょう? ならば姫様も、それについてご存知だった筈。……なればこそ、罠として機能するのではないですか』
その様に指摘されて、一理あると思ってしまった。
それまであった、怒りにも似た感情が一気に鎮静する。
冷や水をぶっ掛けられるとは、まさに今の状態を言うのかもしれない。
『メッセージの冒頭にでも、よく見つけてくれた、とでも付け加えれば、更に印象は強まりますよね。そして、全て疑心暗鬼になったあなたを、ある一点へ誘導する訳です。そこが罠の最終地点だとも知らず』
「そんな……筈は……!」
『ない、と……? 本当にそうでしょうか。姫様は聡明な御方。話していて、その一端を感じ取れませんでしたか? そして賢い者ほど、失敗した時の保険を複数用意しておくものです』
シュティーナとしては、日本帰還という飴こそ、マコトに良く効く罠である、と言いたいのだろう。
そして、それは事実だ。
罠かもしれないと感じつつ、その誘惑を跳ね除けるのは困難だった。
ケルス姫は目的達成の為、再びマコトから記憶を奪い、東棟で目覚めたその時からやり直す――。
それがシュティーナの主張でもあった。
もしも、逃げろというドーガが罠として置かれたものなら、確かにそれは有効だったろう。
頭から信じた上で、自ら罠へと踏み入る事に躊躇しなかった。
だが、それを実行できる筈の人物は、既に謀殺されているのだ。
シュティーナの手によって消されているので、用意された罠は口を開けたまま閉じられない、という状態だ。
それをケルス姫が知らないとは思えない。
ここに魔石を残しておくのは、百害あって一利もない。
単に回収する隙が無かっただけ、と考える事も出来るが――。
結局のところ、送還する魔法使いが居ない今、逃げ帰るのは無理になっている。
そして、見ようによっては先手を取って封じたのが、このシュティーナだ。
記憶を奪われないよう先んじて始末した、という言い分を信じるなら、味方と考えても良い。
だが、それについて確信もなく、不透明な部分が多すぎる所為で信じ抜くなど無理だった。
逃げ出せ、と言った勇者マコトの忠告、あれすらも作り出された映像だとは思えない。
ドーガは編集できる、ともマコトは言った。
都合の良い、作られた真実を見せられていたと考えるのが妥当で、そこにマコトの本音はなかったと思うべきだった。
では、ドーガに嘘しかなかったとして、見て来た全ても嘘だったのだろうか。
――分からない。何もかも。
どこからが記憶で、どこからが捏造なのか。
そして、二人のどちらが騙そうとしているのか。
――あるいは両方が?
二つの異なる目的の為に、マコトを取り合おうとしている。
――駒でしかなかった。
マコトは確かにそう言った。
かつて召喚されたマコトの待遇は、決して良いものでは無かったらしい。
持ち得る才能を有効に活用されていたが、それ以上の便利使いもまた、されていたのだろう。
ドーガに映るマコトは常に疲れ、くたびれた様子をしていたのは、そこにも原因があるのかもしれない。
ならば、これは最初から、マコトを自分の都合に合わせて使う為の、争奪戦でしかなかったのだろうか。
――分からない。
継ぎ接ぎだらけの作られた真実から、その本音を見つけ出す事は困難を極める。
だったら、かつてのマコトがどう思ったかより、今もマコトがどうしたいかで決めるしかない。
偶然なのか、それとも狙った事なのか……。
シュティーナが言ったあの台詞こそが、ここで背中を押している。
――忘れているなら、心の内から湧き出る想いで行動するしかない。
その時、まるで心の内を察しているかの様に、シュティーナから言葉を投げかけられた。
『今のあなたは、正しく疑心暗鬼の塊で、自分を見失っている状態でしょう。でも、何が正しいか、何を信ずるべきなのか……迷ってしまうのは、記憶があっても同様です。そして、何を信じるかは、いつだって自分自身で決めるものでしょう』
「そう……、それは確かに……。そうに違いない」
『強制される覚悟も脆いものです。どの様な決断も、あなたにしか出来ない。言われるままに進んでも、最後の最後で腰が引けてしまう。それでは意味もありません』
それもまた、間違いない事だった。
仮にこのまま必要とする魔法が手に入ったとしても、果たして自爆覚悟の攻撃など出来るだろうか。
魔物を相手にする必要がなく、結晶剣に対して放てば良いという点だけを見れば、まだ簡単に思える。
だが、その爆発は城内全てを破壊し、灰燼に帰すのだと分かっているのだ。
それで気軽に放てる筈もない。
『どうか決断を……。そして願わくば、初志貫徹してくれる事を願います。この世すべての命の為に。その為の助力は、決して惜しみません』
「勝手を……、言うな……」
何か気の利いた言葉の一つでも、返せれば良かった。
だが、マコトの口からはそれ以上の言葉はなく、呻きに似た声しか出ていない。
シュティーナは常に、マコトを支援する行動を崩さなかった。
それこそ初志貫徹の行動、と言えるのかもしれない。
だが、彼女はあくまで利用する側の人間だ。
どこまでも献身的に見えるのは、あくまで目的を達する為に必要な割り切りでしかない。
何か一言、マコトが言葉を返そうとしたその時、唐突に視界が白く染まる。
フラッシュバックだ。
何度もシャッターを切った様に光が面前で弾け、その度に声が聞こえて来る。
――不要です、この部分を見せる必要は――。
――だが、記憶の継ぎ接ぎにも限界はある。元より手元に残された物は少な――。
――下手に手を入れすぎると――。
――破綻が大きい。彼が受け入れ切れな――。
閃光の度に声の主が代わり、女性の声がぶつ切りに聞こえて来る。
何かを言い合っているとは分かるが、その内容までは理解不能だった。
そう思った時には、既にフラッシュバックは終わっていて、先程までの書斎が眼の前に広がっている。
話していた声に聞き覚えはあった。
だが、まるで水中から外の声を聞いているようで、明瞭に捉えられない。
「今のは一体、何が……?」
そう呟いた時には、既に誰の声も聞こえない。
シュティーナとの念話もいつの間にか切れていて、室内は怖い程の沈黙に包まれていた。
元より暗い室内だが、今では寒々しい程の雰囲気を発している。
何をすべきか――。
そう心の内に気持ちを向けても、不思議と全く感慨は湧いて来ない。
シュティーナが言うような覚悟を、かつて本当に宿していたなら、もう少し何か湧き上がるものがあっても良いと思う。
だが、そんなものは全く無い。
マコトは椅子に座ったまま、力なく四肢を投げ出している。
最早、ケルス姫が持ち去ったかもしれない研究日誌など、探す気力も無くしてしまっていた。
そして、見つけたからといって、どうする事も出来ない。
魔物に立ち向かう、それは正しい行いに思える。
今はあくまで一時の猶予でしかなく、城壁に隔てられているから、魔物は留まっているだけだ。
魔物は別に世界を崩壊させてやろうとか、支配してやろうという意志を持っていないだろう。
単に生物としての基準から繁殖を繰り返し、数を増やしているだけだ。
だが、それ故に世へ解き放たれてしまったら、この惨劇は拡大する。
それは許したくない。
城内の無惨な光景を、世界に拡げるべきではない。
それもまた、頭では良く理解している。しているのだが――。
使命や決意、大層な覚悟、それら何一つ持たないマコトに、立ち向かえる気概は生まれない。
疲れた様な溜め息が漏れた時、またも脳を揺らす念話が届く。
いい加減してくれ、という後悔にも似た気持ちが沸き上がった。
今度の相手はケルス姫で、焦った様子の伝わる一声が脳内に響いた。




