複数の真実に明瞭はなく その6
『マコト様、どうか騙されたりしないで下さい』
「いきなり、何を……! いや、それよりどうやって……! 話を聞いていたのか!?」
余りに出来すぎたタイミングだった。
そして、シュティーナは明らかに、今の会話内容を知っている。
そうでなければ、騙される、などという単語は出て来ない。
だからマコトも、そう訊いた。
しかし、その質問には一拍の間を置いて、予想と違う答えが返ってきた。
『……誤解なきよう。念話は既に繋がっている相手に掛けようとしても、弾かれて不発になってしまうのです。既に何度か繋げようとして、悉く弾かれていたので、きっと姫様と話しているのだろうと思ったに過ぎません……。そして、今この時期になってマコト様と念話を繋げたのなら、色々と虚実入り交じった話を聞かされたのだろうと、そう考えたまで……』
「……そう。じゃあその事には、一応納得しておく」
マコトはとりあえず頷いたものの、その声色は固い。
返答までに間があった事でもあるし、納得いっていないと宣言したに等しかった。
それほど、シュティーナに対する疑いの念は強い。
――だが、それを馬鹿正直に告げたところで……。
惚けられて終わりだろう。
証拠もないのに、騒ぎ立てたところで観念するような相手ではない。
疑念ばかりが膨らみ、シュティーナの言葉は素直に聞けないところではある。
しかし、念話の原理として、盗聴が可能かどうかも分からない状態なのだ。
それを知り得ない立場としては素直に追求する事も出来ず、そしてシュティーナもまた、追求程度で素直に告白する筈もない。
聞き出せそうとするなら、些細な言動から尻尾を掴む、慎重さと大胆さが必要だった。
「……ケルス姫から聞いたよ。君はこの城に在籍してないとか……。身のこなしにしてもそうだ。魔物から襲われるのを承知で、誘導しておきながら無事でいる。それだって、よくよく考えれば異常な事だ。……教えてほしい。君は一体、何者なんだ」
『それこそが、姫様が猜疑心を埋め込む為に取った欺瞞の矢なのです。ですから、騙されないで下さい、と言いました。姫様は何度もそういった、分断工作をして来たではありませんか』
「そうかもしれない。……でも、そうじゃないかも。だから、君の口から聞かせて欲しい」
聞くほどに、混乱の度合いが増すだけかもしれない。
煙に巻かれるだけなのかもしれない。
それでもやはり、マコトとしては聞いておかなければならない質問だった。
ただ一つ聞いただけでは繋がらなくとも、複数を重ね合わせていけば、見えてくる真実もある。
『……そうですね。まず、私が在籍していない、という事実はありません。簡単な嘘です』
「でも、あのとき聞いた説明は、すごく説得力があった。一つ一つが理路整然といていて……」
『破綻のある嘘を吐いて、容易く騙せる相手とは、姫様だって思っていないでしょう。当然、騙す為に嘘を用意してあったに決まっています。あなたには、それを確認する手段が無いのですから』
マコトは自覚していた痛い指摘に言葉を詰まらせ、それから重い息を吐いた。
もう既に何度も経験した、苦い事実を呑み込むかの様な溜め息だった。
――記憶が無いから。
貴族制度、身分制度を始めとして、多くの常識を知らない。
メイドを雇うにしろ、どういった基準があるのか、それもまたマコトの知るところではなかった。
ケルス姫は、かつて同じ質問をされた、と言っていた。
記憶を喪ったマコトが再び同じ疑問を抱く事は予想できるだろうし、その為に、自分にとって都合の良い嘘の用意も出来ただろう。
――そう、考える事は出来る。
一度された質問は、再びされると思えば、都合の良い嘘は用意しておけるだろう。
『それに、身のこなし……ですか? あなたは、この魔法王国について、どうお考えでしょう。――いえ、今のは質問として適切でありませんでした。……そもそも王国において、貴族とは戦う者なのです』
「戦う……?」
『魔法を使えるのは貴族だけではありませんが、その為の高度な教育を受ける為には、お金が掛かります。庶民にはその教育を受ける機会が、大変限られる。そして魔法使いとは、一兵卒何百人と揃えるより強力なものなのです。ならば、貴族が戦うのも道理でしょう?』
「そう、かもしれないけど……。でも、それはつまり、一人の損失が大き過ぎるという意味でもあるんじゃないか。一般兵を押し退けてまで、なんて……」
『勿論、そうです』
念話の向こうの声は、我が意を得たりとでも言うように、語調が上がる。
『兵の存在は必要です。身を護る壁として、また安全に魔法を使う盾として、用意されるものでもあります。ですが、貴族は同時に、自分の身を護る技術も体得しているものです。近寄られたら弱い……そんな弱点を消す為に、護身術を必ず身に付けます』
「それは……うん、有り得そうな話だ」
『魔法使いとは、単に魔法を使える者を呼ぶのではありません。高度な教育を受けて十全に使いこなす者であり、そして護身術を身に付けている者でもあります。ですから、貴族は高い戦闘力を持ち、戦い慣れている者を指す言葉でもあるのです』
なるほど、と頷くと共に、マコトは喉奥で唸った。
シュティーナの言い分にも、一理ありそうではあった。
だが、広く門戸が開かれている道場など、市井にあっても良さそうとも思ってしまう。
とはいえ、それも市井を知らない者からすれば、想像するしかない部分だ。
それに、魔法を特権として遇したい貴族からすれば、安売りしないし出来ないもの、と考えるだろう。
特権は簡単に捨てられない。
その一方で、市民でさえ教育すれば使えるというのなら、その一般兵をこそ鍛えた方が効率が良いとも思ってしまう。
しかし、封建社会の権力者にとって、市民が力を付けるのは危険と考えるものだ。
数が多いのは市民の方で、いつでもひっくり返せる戦力を城下に溢れさせたいとは思わないだろう。
『貴族の令嬢はお淑やか、戦う姿など想像できない、と思われるでしょうか? ですが、その令嬢の頂点とも言える姫様が、こうして生き延びている現状を思えばこそ、まったくの嘘でもないと思って頂けませんか?』
「それは……っ!」
今度こそ、マコトは反論しようとしたが、結局沈黙を選んでしまう。
近衛らしき兵を連れている事は、つい最近聞いた。
ただ一人で城内を移動しているのではなく、護衛がいるからこそ今も生き延びている。
しかし、とも思うのだ。
足音は四人分、護衛の数としては如何にも少ない。
元はもっと多く居たはずだ。しかし敗れ、殺され、喰われた者もいたのだろう。
それだけで、どれほどの苦戦があったのか推して計れようというものだった。
城内では幾つもの死体を見て来た。
そして、魔物に為す術なく喰われる姿も、また同様に見た。
人間にとっても未知、初見の敵は多くの被害を生み出し、犠牲の数も多かったろう。
必死の抵抗、必死の堅守、近衛の献身があったからこそ、ケルス姫は生き延びたのだと思う。
それでも、戦いのいろはすら知らない筈の姫が、ここまで生き残るというのは異常に思える。
これを単なる偶然、と片付けるのは難しく思えた。
貴族とは戦う者であり、一般兵と同等以上の護身術を体得した、魔法を扱える者。
そう定義された時、王族もまた何一つ武芸を修めていないとは思えない。
特にケルス姫は、魔法技術開発者としても有能で、魔法の扱いに長けているようだった。
貴族の頂点に立つ者を王族というのなら、そのケルス姫もまた、相応の護身術程度を身に着けているのは当然に思える。
ならば、シュティーナの言い分にも、十分納得できると言わざるを得なかった。
――だが、それでやはり分からなくなる。
ケルス姫とシュティーナ、二人の言い分に矛盾は無く、また説得力があった。
そして、最初に予想していたとおり、どちらを信用すべきか迷う羽目になっている。
だが、どちらかが嘘を言っている。
それは分かっていた。
そうでなければ、互いの齟齬に説明がつかない。
しかし、二人の言い分から、どちらが正しいと判断する事も、また出来なかった。
何故なら、マコトには二人の真偽を見定めるだけの知識がない。
シュティーナが言う事は、確かに尤もらしく聞こえる。
だが、貴族が戦う者という裏付けも無いのだ。
同様に、ケルス姫が言う、シュティーナというメイドは存在しない、という裏付けもまた、取れない。
シュティーナから話を聞いたものの、結局、確たる答えや確信に近いものは得られなかった。
それどころか、どちらに信を置くかも決められず、宙に浮くような形になってしまっている。
『あなたの混乱を、分からないとは言いません。ですから、考えて欲しいのです。姫様は為政者であり、必要とあらば、裏切りでさえ一つの手段とします。記憶を喪ったあなたなら、掌で転がせると思っている事でしょう』
「そう……かもしれないけど、それは余りに悪く言い過ぎな……」
『姫様は記憶結晶を提示しませんでしたか? 探すのに時間が掛かった、とでも言って、あたかも手元には無かった……奪われていた、とでも言って来たませんでしたか?』
まるで見て来た様な言い分で、本当に盗聴していなかったのか、疑問が沸き起こる。
しかし、それをいま問い質しても意味はなかった。
「まぁ、そう……。大体、そのとおり」
『あらあら、まぁ……。本当に、そんな事が可能と思いますか? この広い城内で、どうやってたった一つの記憶結晶を見つけ出すというのです? 只でさえ簡単な事ではないのに、魔物がどこにでも溢れているのですよ』
それは確かな指摘だった。
魔物に命を脅かされている中で、何か一つを探し出すのは困難を極める。
だが例えば、その結晶を追跡する魔法があれば、決して不可能でもないだろう。
魔法の可能性が無限とまでは言わない。
だが、人を探知する魔法は存在した。
では、物を探知する魔法が実在しても、おかしくない。
そして、ケルス姫は魔法技術開発者として、その腕を振るっていたのだ。
以前までは無くとも、マコトの助言で完成した、と言われても納得できてしまう。
だが、それをここで指摘したところで、本当にあるかどうか確認できる筈もなかった。
第一、シュティーナが持論を推しつけたいなら、そんな魔法を認める訳にはいかないのだ。
『姫様は、それを見つけ出したのではありません。――作り出したのです。記憶を継ぎ接ぎ、それらしく……もっともらしい記憶を捏造したに過ぎません』
「そんな……馬鹿な……! そんな事が出来てしまったら、記憶の映像には全く何の信用もなくなる! それに……それに、そんな事が可能だとは思えない!」
『何故です……?』
シュティーナの冷淡に聞こえる声が、今になって恐ろしい。
その素朴な質問は、先程まで大きく動揺していたマコトを鎮めてしまう。
――何故。
何故、可能と思えない?
思えないのではない。
マコトが声を荒らげたのは、あって欲しくないという、感情だけの問題だったからに過ぎない。
魔法の可能性は無限大――。
その言葉は、本当に何でも……空想したものを現実に出来る、という意味ではないだろう。
だが同時に、一見して不可能と思える事でも、魔法ならば可能、という意味ではある筈だ。
そうして考えた時、記憶の改ざんは絶対に不可能だと、断言する事は出来なかった。
人の脳にある記憶は不可能でも、そこから取り出した記録ならば、むしろ可能とさえ思える。
マコトは苦々しく息を吐くと、両手で頭を掻き毟った。
最早、自分が残し、自分が映った記憶さえも信用できない。
信じても良い指針を失い、完全に霧の中を彷徨う心境だった。
そこへ、シュティーナの優しげな声が降りて来る。
『最初に見た、あの記憶こそが唯一信じられる記憶です。姫様が隠そうとした記憶の魔石です。……その一点からも、窺う事が出来るでしょう? 何故ならそれは、改ざんされていない、見られたくない記憶だったからです。――どうか、自分の意志と覚悟、その決断を忘れないで下さい』
「忘れるな? 無理を言うな。忘れてる、何もかも! 何一つ、些細な思い出さえ覚えてない!」
乱れる心を制御できていないのは明白だった。
マコトは腹の底から怒りを放つように吠え、椅子を蹴飛ばし立ち上がる。
「何を忘れるなって言うんだ!? 何で忘れてないといけないんだ!? 戦闘の事故で記憶を失う!? そんなこと、信じられるものか!」
『そのとおり。あなたが戦闘で不覚を取ったのは事実でも、それで記憶を失ったかは……非常に疑わしい。ですが、記憶を奪えても、覚悟までは奪えない。喪った覚悟は、内なる想いから、また再び湧き上がる筈です』
マコトは苛立ちを紛らわせる為か、乱暴に机を殴り付け、それから書棚の傍をウロウロと歩き出した。
「どうかな……! 最初は乗せられて、そんなつもりになったさ! でも、今は全く沸き起こらない! 何が真実なんだ! 何を信じたらいいんだ! 一体なにをしたらいいんだ!」
『どうか忘れないで下さい。私は、あなたの自己を厭わぬ決意を知って、忠誠を誓ったのです。あなたを一人で死なせはしない。その為に、出来る限りの協力をするとお約束しました』
「覚えていないんだよ、そんな約束……ッ!」
マコトは書棚の近くで足を止め、苛立ちに任せて殴り付ける。
大きな衝撃と共に棚が揺れ、敷き詰められていた本が落ちた。
それだけで飽き足らず、マコトは苛立ちに任せて、本をサッカーボールの様に蹴飛ばした。
『どうか、お願い致します。迷っている間にも、魔物は増殖を続けているでしょう。そして、城内で喰らえるモノがないとなれば、城壁を破壊してでも出ていこうとする筈……。この世界を、魔物の蔓延る世界にはしない――そう誓った時の想いを、どうか……!』
切なる願いを口にして、シュティーナは口を閉じた。
沈黙が続くなか、マコトに返事する気がないと分かると念話も切れる。
元より一人切りの部屋だったが、これで本当の意味で一人になった。
マコトは振り下ろした拳を握り締め、再び持ち上げようとして動きが止まる。
崩れて山の様に積み重なった本の傍で、静寂の中、ただ一人俯いて立ち尽くしていた。




