複数の真実に明瞭はなく その5
まるで鈍器に殴られた様な衝撃が、マコトの脳を揺さぶった。
思考が停滞し、ケルス姫の口から出た言葉の意味が理解できない。
マコトは暫く呆然としてから、喘ぐように口を動かし聞き返した。
「居ない……? 居ないって、どういう? 確かに居た、この目で見たんだ……!」
『分かります。私が、あなたに会えていなかったり、物を隠されたりと妨害していたのは、そのシュティーナに間違いないでしょうから。言いたい事はそういう意味でなく、その名を持ったメイドなど、この城には存在しないという意味です』
「だって、そんな訳……」
マコトは反射的に反論しようとしていたが、言葉の途中でピタリと止まった。
ケルス姫に言われた事で、マコトの記憶が喚起される。
それはマコトの記憶を見た直後の事だった。
シュティーナの名を持つ別人が、一度マコトにコンタクトを取って来た。
だが、その彼女はケルス姫の手先だと断じられ、容赦なく殺してみせたのは、メイドのシュティーナだった。
彼女の言い分だと、ケルス姫の手先の裏切り者を始末した、という事だった。
記憶を再び奪うために、甘言で誘き出されのだと、彼女は言った。
その危険から遠ざける為に、敢えて殺したという釈明だった。
その時は、その言葉に全面的でないにしろ、納得する事にしたのだ。
彼女の言う事には一理あり、そして一度記憶を奪われたという事実から、同じ目に遭うのは御免だ、という警戒心から信じる事にしたように思う。
しかし、本当に彼女がケルス姫の手先であるなら、知らぬ筈がなかった。
惚けて知らぬふりをしているのか、それとも本当に知らないのか、声音からは判別出来ない。
何を信じて良いのか分からず葛藤している間にも、ケルス姫の言葉は続く。
『美しい所作を持ち、教養を感じさせるメイドというのは、総じて傍付きメイドと決まっています。王城にて王族の近くで世話をする事になるので、彼女ら自身も貴族の出です。一般メイドとは、その出自からして違います』
「え、メイドなのに……? 貴族が?」
『……同じ質問を、かつてされた記憶がありますね』
苦笑する様にケルス姫が呟き、そしてその時の言葉をなぞるかの様に、丁寧な説明を返してくる。
『メイドの仕事、城内での仕事を、実体験として知っているのは良い事です。自分もいつかは何処かの貴族に嫁ぎ、そして奥向きの仕事を統括する女主人となるのですから。その知見は役に立ちますし、王族の専属とまでなったメイドは、その王族と太いパイプが作れます。それは貴族社会にとって、大変プラスとなる事なのです。多くは五年とせずに嫁いで行きますので、先行投資としても十分。娘を持つ貴族ならば、側付きメイドとして教育に出したいと考え、むしろ箔が付くとして歓迎する事なのですよ』
「な、なるほど……。なら一般メイドは、もっと掃除をしたりとか、そういう下働きのイメージか……」
『えぇ、ですから、そちらまで一人ずつ知っているとは言えません。けれど、そちらは最低限の礼儀以上の教養は求められませんし、むしろ掃除や洗濯の技術を求められます。だからこそ、美しい所作をしたメイドというなら、側付きメイドという事になり、貴族の誰かという話になるのです』
どうやら、話を聞く限り、そういう事になるらしい。
教養として一定の水準にまで達していて、無作法に見えないのなら、一般メイドとしてはそれで十分なのだろう。
客前に出るのも、華々しい場に出る機会があるのも、その側付きメイドが務める。
なればこそ、自然体にしているだけで、美しい所作が垣間見えるものなのかもしれない。
『そして、側付きメイドの名前と顔なら、全て覚えています。それはつまり、我が貴族の令嬢という意味でもあるのですから。王族の義務として誰一人、欠ける事なく覚えています。ですから、断言しましょう。シュティーナという名前の側付きメイドは、存在しません』
「なんだ、なぜ……そんな……」
マコトの口から、続く言葉が出て来ない。
では、彼女は――あのシュティーナは、一体何者だと言うのだろうか。
シュティーナはマコトの協力者だった。それは間違いない。
危機から救い出し、魔法の一つを教わり、マコト自ら危機から脱し、立ち向かう手段を与えた。
実に献身的で、マコトが掲げた覚悟に共感して、その身を犠牲にしてでも付き合うと言ってくれた。
あれが嘘だとは思いたくない。
それに、ドーガによる証拠だってあるのだ。
だが、それを持ち出すなら、ケルス姫にだって証拠がある。
これでは、どちらの言い分を信じれば良いのか分からなかった。
『私はいつだって、あなたと接触し、真摯に話し合いたいと思っていました。でも、必ず邪魔が入り、あなたは私から逃げ続け、決して叶うことがありませんでした。……それは何故か。いつだって互いに邪魔され、誘導されていたからでしょう』
「まさか……、でも……!」
『対面されては困るのです、その者は。そして、私は決定的な証拠さえ喪失していました。奪われていたのです。では誰に……と考えると、彼女しかいない事になるでしょう?』
シュティーナがマコトを、ケルス姫から遠ざけようとしていたのは事実だ。
だがそれは、姫に対する不審感から来るものだった。
満場一致で信用できない、と考えた結果であって、決して彼女に誘導されたからではない筈だ。
――だが、本当にそうだろうか?
状況証拠でしかないが、疑える要素は多くある。
シュティーナ自身も、決して潔白な身の上ではない。
しかし、疑わしいといえば、同じだけケルス姫も怪しかった。
大体、隠されたものを、どうやって彼女は見つけ出したのか。
そして、どうやってこの部屋に再び隠す事が出来たのだろう。
彼女は行動を邪魔されて、この部屋に帰って来られない状態だった。
シュティーナが三階の魔物を連れ出した辺りで、既に不可能だったのは明白だ。
ならば、それより以前に用意してあったのだろうか。
不可能とは言えないが、しかし――。
何しろ、ケルス姫にしろシュティーナにしろ、その行動はあまりに不透明すぎた。
特にケルス姫は、近くまで来ている筈なのに、何故か対面まではしなかった、というケースが多い。
だがそれも、互いに互いが邪魔で、蹴落とそうといていたのなら、ある程度筋が通る。
最終的な目的が真逆である以上、互いを敵視し排斥しようとするのは当然だ。
そして、ケルス姫に不審感を覚えた一番の理由――。
それはシュティーナが、ケルス姫こそ記憶を奪った元凶だと教えられたからだ。
ドーガの中のマコトも言っていた事だし、その後にもシュティーナが強く言い含めてきた。
それが全ての原因でもある。
だから、これについてはまず聞いておかなければならなかった。
「記憶を……奪ったのは、君……なのか?」
『マコトの記憶を? えぇ、ドーガで見た筈では? 私が直接――』
「そうじゃない! 何故、全ての記憶を奪ったのかと聞いているんだ!」
『何故、私があなたの記憶全てを奪うのです? そんなつもりも、意味もないと理解しているでしょう? 私が抜き取った記憶は、その一つだけなのです』
流石にその言い分は受け入れられないマコトは、大きく声を荒らげる。
「そんな訳ない! だったら何故――」
『事故です。あなたが記憶を喪ったのは、魔物との戦闘中に起きた偶発的な事故でしかありません。初めて顔を合わせた時、あなたは既に記憶を喪っていました』
「その割には、随分冷静だった……。そう、記憶を喪った事も、既に知っていたじゃないか」
『東棟で目覚めた時ですか? あの時の対面は二回目です。一度目は酷い混乱ぶりで、状況を受け入れられず癇癪を起こした様な有様でしたので……。だから一度、強制的に眠って頂きました。私が冷静に見えていたのは、その所為でしょう』
問えば、予め用意していた様な答えで即答される。
そして、回答されたところで、それが真実かどうか、確かめる手段はマコトに無い。
それを今更ながらに思い至った。
『良いですか? 信じて下さい。知って欲しいのは一つだけ、シュティーナの事も、もう良いのです。捨て置いて下さい。必要なのは、魔物を駆逐する手段があるという事』
「あれだけの数……」
『可能なのです。城ごと全て、何もかも全てを破壊する必要はありません。魔法の可能性は無限大……かつてあなたが、そう言っていたでしょう?』
確かに、ドーガのマコトはそう言っていた。
だが、あれを言ったのはかつてのマコトであり、そして今のマコトではない。
今のマコトには何一つ、それを根拠と出来る自信がないのだ。
『魔物には、今回の顛末、その元凶とも言える女王が居ます』
「あぁ……、女王蟻とか女王蜂みたいに、一つの個体で大量の子を産むっていう……」
『えぇ、よくご存知で。ですが、単に産み増やす為の存在ではありません。魔物の王、全てを統括する王でもあるのです。これは謂わば、見えない糸で繋がっているとでも考えるべきで、その意思伝達を素早く行えているのも、それが理由だと判明しています』
「伝達……しているの? 一つの個体が、全魔物へ……?」
『はい。遠く地下深くに居ようとも、魔物が広く分布し、計画立てて動いているのも、それが理由です。一箇所を殲滅し空白地帯が生まれても、程なく埋もれるのは勝手に動いた魔物が棲み着くからではありません。女王が指示するからです』
その計画立てて動く、という場面には遭遇した覚えがないから、確かな事は言えない。
だが、野生の動物や虫は、手付かずの場所があれば、勝手に縄張りを定めて棲み着いてしまうものだろう。
だから、好き勝手に卵を産み付けるのだし、一階ホールに大量の魔物がいるのも、勝手に棲み着いたものだと頭から考えていた。
所謂、習性や本能というものの話であるし、虫の生態を持つなら不思議でもない、という気もする。
だが、ケルス姫が言うには、どうやら違うらしい。
『女王は魔物達という目を通して、その全てを見通しています。だから、巣へ通じる道へ近付こうものなら、これを防ごうと周囲から魔物が押し寄せてきます。でも逆に、これを制すれば――女王を倒せれば、全ては瓦解するという事でもあるのです!』
「理屈の上では……、という話でしかないんじゃ? まず、巣へ到達するまでが無理に聞こえるし……」
『いいえ、可能だろうという話もされていました。それがつまり、あなたと共に開発した魔法でもあります。これがあれば、きっと――』
そう言うと、次いで焦りを帯びた悲鳴が上がり、それから息を切らせた声で言ってくる。
何者かに襲われ、逃げているかのような雰囲気だ。
『ま、魔物がッ! あぁ、もう……っ! いいですか、愛しいマコト。どうか全てを吹き飛ばすなど言わないで。乗り越えましょう、二人で!』
「そんな勝手な……、でも……!」
『良く考えて下さい。どうか正しい決断を! シュティーナは敵です! 傍付きメイドが、貴族の令嬢が、この城で生き抜け――』
その息遣い、そして一呼吸毎に弾む様な声音は、明らかに走りながら話していたからだった。
魔物から逃亡し、しかし念話を続ける余裕がなくなり途切れてしまったのだろう。
そして、ケルス姫が最後に残した一言は、間違いなくマコトに明確な猜疑心を打ち込んだ。
所作が綺麗で教養の高さを窺えるメイドは、この王城で側付きメイドしか有り得ない、というのが事実なら――。
それは貴族の令嬢としか考えられない、という事になる。
だとしたら、そのシュティーナが、ここまで見事に魔物から逃げおおせるものだろうか。
そして、一撃のもとにナイフ一本で対象を仕留める技術を持っている。
それが貴族の令嬢として相応しい姿とは思えない。
それに、貴族は護国堅守を願うものではないのか。
シュティーナは国を護るより、この魔物どもを世に放たない事を最優先と考えていた。
とはいえ、これは気高い意思であるのは間違いない。
自己保身ばかり考える貴族より、よほど意味ある選択と言える。
だが、いち貴族令嬢として見た場合、シュティーナの異常性というものが目に付くのだ。
猜疑が疑念に、疑念が敵意に変わろうとした時、またも念話が脳を揺らす。
そして聞こえてきた声は、そのシュティーナからのものだった。




