黒の剣士
(承前)
「しまった・・・はぐれてしまった。」
ソールは、村の通りで立ち尽くしてしまった。
「黒の剣士」のことを考えていたせいで、ボールズが先に行くのに気づかなかった。
「いや・・・」
慌てることはない、と彼女は考え直した。
どのみち、隊商のいる広場には戻ることになるだろうし、気配をたどれば、見つけて後を追うことも難しいことではない・・・ボールズが、わざと気配を消したりしなければ。
彼女は、神経を研ぎ澄まし、ボールズの気配を追ってみた。
彼の気配は、すぐに見つかった。
二つほど先の角を曲がって、広場のほうに戻ろうとしている。
「戻るか・・・」
ソールも、ボールズを追って歩き始めた。
が、すぐにその足が止まる。
「なんだ?」
それは、気配、というものではなかった。
もっとはっきりしたもの。
背後に「視線」を感じる。それも、かなり禍々しい「視線」。
その禍々しさゆえに、瞬間的に腰の剣に手をかけていた。
ゆっくりと振り返り、その視線のもとを見る。
最初、それは小さな明かりが二つ浮かんでいるような感じだった。
けれど、それが「視線」のもとであることは、明らかだった。
それは、まさしく「目」だった。
その周りに、シミのような黒いもの・・・周囲の闇よりさらに暗い・・・が広がって、人の形を作り出した。
「何者だ?」
そう口に出した時には、腰の剣を抜いていた。
その黒い相手が、笑ったように見えた。
双眸の下に口らしきものが見えて、それが奇妙な形にゆがんだのだ。
「!」
その笑顔にも見えない「笑い」に、心臓を冷たいもので撫でられるような感覚を覚える。
いつの間にか、相手は剣を手にしていた。いつ抜いたかもわからない。
そして、いきなり「間合い」を詰められる。
反射的に剣をあげると、相手の剣と交錯して重い衝撃が、手に響いた。
一撃、二撃、と相手の剣をしのぐと、一歩踏み出して剣を横になぐ。しかし、相手はその一瞬に、彼女から距離をとってその剣をかわす。
さらに一歩踏み込んだところで、今度は間合いを詰めてくる。
「誘いこまれたか?」
そう感じた瞬間、相手の刃が下から襲い掛かってくる。自分の剣は、外に開いて対応できない。
身体をわずかにそらして、その切っ先を交わしたが、胸の上、皮一枚をかすめた。
「な?」
一瞬、何が起こったのか判断できなかった。
ほんの少し、相手の刃がかすっただけなのに、その傷から思った以上に出血する。それはまるで、血を引きずり出されたような感覚・・・
慌てて、後ろに下がる。
一瞬、相手とにらみ合う。
再び、相手が「笑った」。そして、また間合いを一気に詰めてくる。
再び、重い斬撃が襲ってくる。それを剣で受ける。二撃、三撃と受け続けると、手がしびれてくる。
そして、正面から受けた剣がはじかれ、右に剣が流れる。
相手の剣は、すかさず彼女の無防備な左側から斬りかかってくる。
とっさに、左腕を上げた。普段の、シールドを装備している時の動きのままに。
剣士団の訓練の時ならば、それで相手の剣を受ければよかったから。
けれど、今シールドは装備していない。籠手すらない、素手の状態だ。
「しまった!」
左腕を斬り飛ばされる、そう覚悟した瞬間、鈍い金属音とともに、相手の剣が止まった。
彼女の背後から伸びた、別の剣が相手の剣を受け止めていた。
「防具に頼る癖は、直したほうが身のためだぞ。」
ソールの背後から、ボールズがゆっくりと姿を現した。
「で、何者だ、お前は?」
鋭い目つきで、相手を見据える。
黒い影のような剣士は、にやりと笑うと、再び間合いを取るように後退する。
けれどボールズは、それを許さず、ぴったりと相手にくっついていく。
相手は、ボールズに間合いに入られたまま、剣をふるう。
その剣を、ボールズは時には正面から、時には脇に流すようにして、受ける。さらに、相手のスキを見つけるように、剣を繰り出す。
「なんて速さだ・・・」
ソールは、二人の剣の速度に絶句した。
ボールズの剣の速さは、昨日も見ている。彼女の目からでも、かろうじて追い切れるかどうか、というスピードだ。
それを、相手の黒い剣士も受け、同じ速さで打ち返している。
さっきまで、ソールに対していた時は、彼女でも十分に追い切れるスピードだったのに。
それだけじゃない。昨日見たボールズの剣は、一撃で相手の剣をたたき折っていた。けれど、今は相手と互角に打ち合っている。それほど、相手の剣も強いということだ。
「こいつは?」
ボールズも、相手の剣の腕に驚いていた。
相手の剣筋は、読める。だから、いくらでも防ぎようがある。けれど、同時に、自分の剣筋も相手に読まれている。
こんな相手と剣を交えるのは、久しぶりのことだった。もうずいぶんと昔、まだ、道場に多くの仲間がいて、互いに剣の腕を競い合っていたころ、それ以来だ。
「だが、こいつの纏うこの気配は・・・?」
妖気、とでもいうのだろうか?禍々しい気配が、その振り下ろされる剣にまとわりついてくる。
剣を交えるたびに、その「妖気」が体にまとわりついてくるような、いやな感じがする。
「なら!」
その「いやな感じ」を振り払うように、ボールズは剣の速度を上げた。
相手が、一気に防戦一方になる。
さらに、大きく一歩踏み込んで、下から一気に斬りあげる。
相手を切り裂く、必殺の一撃。
しかし、その一撃は空を切った。
「なんだと?」
ボールズの剣を受ける瞬間、相手はまるで幻のように揺らいで、そのまま消えてしまった。
そして、周囲にそれらしい気配は、まったくなくなってしまった。
「逃げられたか・・・?だが、手ごたえはあった・・・。」
最後の一撃は、相手のどこかにわずかに当たった。おそらくは、かすった程度、けれどその感触は、手に残っていた。
ボールズは、剣を収めると、ソールを振り返った。
彼女は、傷を負った胸のあたりを押さえている。
「深手か?」
その様子を見て、ボールズは言った。けれど、彼女は首を振る。
「かすり傷だ。ただ・・・」
何か、理解に苦しむことがあるように、彼女は一瞬口ごもり、あとを続けた。
「斬られた瞬間、傷口から血をごっそり引っ張り出されたような感じだ。」
その言葉通り、彼女の顔は血の気を失って青白くなっている。
けれど、周囲に血が飛び散った跡はない。
そして、突然、幻のように消える。気配が現れたのも突然だった。
「転移魔法、というやつか・・・?」
ボールズは、つぶやく。話に聞いたことはあっても、目にしたのは初めてだ。
「いずれにしても」
彼は、ソールが立ち上がるのに手を貸しながら考える。
・・・今のやつが、今回の事件の相手だと考えれば、事件の不可思議な点にも合点がいく。
斬られた相手の血が、周囲に流れていない、ということも、事件の後、痕跡も残さずに消えていることも。
剣士が、魔法士のように魔法を使う、というのは聞いたことはないが、誰かしら魔法士がかかわっているのは、間違いがないだろう。
明日会う予定の魔法士は、このことについて何か知っているだろうか?
「もう大丈夫だ。」
ソールは、立ち上がるとそう言った。
まだ少しふらついているけれど、胸の傷も、彼女の言う通りかすり傷程度らしく、もう出血も止まっているようだ。
その彼女の視線が、ボールズの背後に向かう。彼も、その人の気配に振り向いた。
「ご老人?」
先程の老人が、立っている。その表情は、血の気を失ったソールと同じくらい青ざめている。
「あんたら・・・今、闘っていたのは・・・?」
老人は、おびえ切った様子で言う。
「ご存じなのか?」
ボールズの問いに、老人は首を振る。
「そんなはずはない・・・だが、今の気配は、間違いなく五十年前に現れた「黒の剣士」のものだ。」
「黒の剣士・・・?」
ボールズとソールは、顔を見合わせた。
五十年前に現れたという「剣士」が、再び現れる、などということがあるだろうか?
「いや、ご老人、今のは確かに「黒の剣士」かもしれないが、かつてご老人が戦場で遭遇したのとは、別人だろう。」
ボールズが、自分の考えを口にした。
「五十年前の剣士は、見境なく相手を斬ったかもしれないが、今のやつは、「剣士」以外には興味を持っていない。
でなければ、今頃、この村は全滅しているのではないだろうか?」
ボールズが、安心させるように言うと、老人は「戸締りをしっかりして、家にこもる」と言って帰っていった。
「今のは、本気なのか?」
ソールが、歩きながらボールズに問い詰める。
「まず、間違いない。でなければ、とうに村が二つばかり消滅している。」
先に事件の起きた、シルデスもケラも剣士が殺害された以外、だれも傷つけられてはいない。
「あいつは、剣士だけを狙っている。」
ボールズは、確信を持って言った。
・・・だが、なぜ奴は、我らの前に現れた?どうやって、今日ここに、剣士がやってくることを知った?
何かが、引っかかる。大事なことを、見落としているような・・・。
ボールズは、歩きながらその「何か」を必死に考えた。
「ずいぶんと遅かったな?」
広場の隊商のもとに戻ると、ゼダンが二人を出迎えた。
「なんだ、飲んでいるのか?」
彼の発する「酒の匂い」に、ボールズが顔をしかめた。
だが、ゼダンは気にも留めずに、上機嫌だった。
「ここでの商売が、思った以上によかったんでな。先に始めていたところだ・・・」
そこまで言って、彼は話を止めた。
ボールズたちの雰囲気に、怪訝そうな顔になる。
「何か、あったのか?」
ソールがけがをしていることにも、彼は気付いた。近くのものに、薬箱を取りに行かせる。
「黒の剣士というやつが、現れた。」
ゼダンの問いに、ボールズが答える。その答えに、ゼダンの顔がさらに不審そうになる。
ボールズは、簡単に説明した。
「剣士を狙って襲ってくる、正体不明の人物だ。たぶん、最近、あちこちで起きている事件は、こいつの仕業だろう。」
「そいつが、このあたりに出たっていうのか?」
険しい顔になって、ゼダンは周囲を見回した。
「今は、もう気配がない。このあたりには、居ないようだ。それに、転移魔法のようなものを使っていた。」
「転移魔法?剣士が、魔法を使うってのか?」
そんな話は、聞いたことがない、と言いたげに、ゼダンは言う。
「わからない。魔法には、詳しくないからな。」
少し疲れたように、ボールズは言った。
「明日、会う魔法士が、そういう話に詳しいといいんだが。」
そのために、彼はやってきたのだから。
「ふむ、それで魔法士にあいたい、か。」
ボールズが、この隊商に同行する理由を、ゼダンは理解したようだった。
「いずれにしても、酒はもう終いだな。そんな奴が近くにいるかもしれないんじゃ、のんびり飲んでいるわけにもいかなしな。」
かすり傷とはいえ、けがをしたソールを馬車の中で休ませ・・・本人は大丈夫だ、と強がってはいたが。
ボールズは、周りを警戒しながら、眠ることなくその夜を過ごした。