7話 懇親会を開こうとお隣さんは。
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「懇親会をしよう!」
意気揚々、佐久間さんがそう宣言したのは、打ち明け話が終わってすぐのことだった。
俺は迷わず、その誘いに乗った。
二人で学級委員になったこともあれば、お隣さんになったことも、数年ぶりの再会ということもある。
親睦を深めるのは、今後のために必要なプロセスだといえた。
加えて、ずっとこの状況に戸惑っているよりは、受け入れて向き合うべきだろう。
……だが。
「帰ってこないな……?」
ご飯用意するね! と言ったきり、すでに一時間以上だ。
もう時計の針は正午を大きく回って、一時半である。
編み物に精を出していて、少し気づくのに遅れたが、さすがに心配になってくる。
こうなったら、直接確認するほうがいいか。
俺は家を出て、すぐ隣の扉の前に立つ。
……隣の家とはいえ、女の子の家には違いない。変な緊張に襲われ、少し震える指でチャイムを鳴らす。
しかし、待っても反応はなし、繰り返しても反応はなし。
「きゃっ!?」
かわりとしては少し物騒なことに、中からは悲鳴のような短い叫びがした。
なにかあったのか?! 俺は焦って、ドアノブを回す。
なんということか、簡単に開いてしまった。
エントランスもないような、ボロアパートである。
前提からして、一流アイドルが住むには心もとない防犯設備なのに、なにしてんの、あの子!
とにかく、ままよと俺は扉をオープンしてしまう。
「佐久間さん! 大丈夫か…………って、え?」
そこには、白のシャツを真っ赤に染めた少女が両手でがっちり包丁を握り、立っていた。
ぎこちなく首を振って、玄関先の俺を見る。
「翔くん! やっちゃった、やっちゃったよ、私……」
本当に人でも刺したかのよう、目に涙を溜め赤い手のひらを震わすが、そうじゃない。
床に飛び散る赤は、鮮血ではなく、トマトだろう。
どうやら、トマト缶をひっくり返したらしい。作ろうとしていたのは、ナポリタンだろうか。
めちゃくちゃに折れたパスタが、新品らしい鍋に入っている……いや、突き刺さっている。
まさか、このまま火にかけるつもりだったのだろうか。
「ふ、ふ、普段はこんなことないんだよ!? ちょっとほらキッチンが狭いから、感覚が分からなかっただけで……」
「その剣山みたいなパスタは、どう説明するんだよ」
「これは、えっと、パスタは茹でたことなかったの! お米なら炊けるんだけどね。あとレンジで五分とかならできるし」
「はぁ。そういうのを、からっきしって言うんだよ」
裾からトマトを滴らせながら、泣き声になって、ボロアパートの廊下兼キッチンに立つクール系アイドル。
うん、あまりに新しすぎる。
斬新すぎて『※ 一流クール系アイドルです』と注釈を入れないと、誰にもわからないだろう。
……とりあえずこういう時は、っと。
「ほら、早くシャワー浴びて、服着替えてこいよ。風邪ひくんじゃないか?」
「えっ、トマトで濡れても風邪ってひくの」
「普通にひくと思うけど。冷たさでいったら、水と同じだし」
……まぁトマト風邪は、前代未聞ではあるかもしれない。
「じゃあ俺は雑巾取ってくるから」
俺は床に散乱した汁にため息をつきながら、扉を閉める。
けれどすぐに開けて、もう一つ言葉を加えた。
「今は俺だからよかったけど、次からは鍵はちゃんと閉めろよ」
「はーい……!」
なんか俺、面倒くさい親みたいになってない?
家で雑巾を絞りながら、自分でもそう思うのだが、あればっかりは仕方ない。言わなくちゃいけない忠告である。
なにが孤高のアイドルだ。
今の彼女は、危なっかしいだけの女子高生だ(ただし、抜群に可愛い)。
「佐久間さん、入るぞー」
「はーい」
廊下脇にある脱衣所にいるらしい彼女に、許可を取り、再度扉を開ける。
廊下の水がけを始めてから、気付いた。
……あれだけ躊躇していたのに、すんなり上がってしまっているじゃないか。
いやこれはノーカウントだ、明らかに緊急事態だったし。
そんなふうに変な言い訳を考えつつ手を動かしていると、
「翔くん。あの、一個聞きたいんだけど、いいかな」
話しかけられて、つと顔を上げる。
見れば、脱衣所の扉から、可愛い顔だけがのぞいていた。
光沢を放って白い肩が、隙間からちらりと見えて、察する。
頭を抱えるしかない無防備さだ。どうやら、服を着ていないらしい。
…………そういえば、昔から弩級の天然だったなぁ。
「な、なんだよ?」
掃除に集中ふりをして、なんとも思ってなさげな声で返す。
意識して、フローリングの木目だけを見つめる。
「これ、トマトの染みってどうすればいいのかな。お気に入りのシャツだったから、どうしようかと思って。
お洗濯したらなおる?」
隙間から佐久間さんがねじ出してきたのは、先ほどまで彼女の着ていた白シャツだ。
どうにか白肌を見ないようにして、俺はそれを受け取る。ほかほかしていることは、一旦頭の端に追いやって、その状態を確認する。
べったり中まで染みているわけではなさそうだ。
あくまで、今のところ。
「……あー、まだ間に合うな。この服、このまま貸してくれるか? 染み抜きしておくよ」
「ほんと!? 洗濯機まだ届いてないんだ、助かるよ」
ぱぁっと、表情が晴れる。が、すぐにまた雲が陰りを作った。
「そ、そうだ、翔くんあのね……」
ここまできたら、なんなり願いは聞き届けよう。そう思っていたのだけど、
「あの、結構派手にひっくり返したから、下着も染みちゃったんだけど……これもいいかな」
「よくないだろ、それ!」
「ごめん〜! でも、これも勝負下着というか、大事な奴なんだ。
翔くんに会うために、わざわざ選ぶくらい大事なやつで……」
「そ、そ、そんな奴に俺が触ってもいいのか」
「もちろんだよ! ほら、いつかは翔くんに脱がせてもらうつもりで…………じゃなくて、とりあえず大丈夫だから!」
どうやったら、そんな快活な返事ができるのか思考が謎である。変に生々しい想像が膨らんでくるので、俺はえぇいと自分の頭を殴った。
けれど、こうも懇願されて、断る俺ではない。
目を瞑りながら手を伸ばすと、ふわっと柔らかい生地と、お椀型のなにかが乗る。
そう、あくまでなにかだ。なにかだというのに……
カップの大きさから、胸の大きさを想像してしまう自分が悔しい。妙に生暖かいのが、心をかき乱してくる。
女性ものの下着自体に、耐性はある。家族と住んでいた頃、姉の下着が家のそこら中に散らかっていたせいだ。
触ることだって躊躇はない。
けれど、佐久間さんのものとこれば、話が違う。
「ど、ど、どきっとする? 女の子の下着だよ。君を好きだって言う女の子の」
なにそのセリフ、どこで覚えたの。
めちゃくちゃ下手くそな誘惑だし、せめてその真っ赤なリンゴのように、いやトマトのように赤い顔は隠すべきだろう。
「トマトのシミがついた、って前置きがあるけどな」
「むっ。そ、それはそれで貴重だよ。この世に一つしかない一品ものだよ」
「いらない貴重さなんだって」
「…………どれくらい、いらない?」
「親父のお下がりくらい」
「むー!! もうやけだ〜。オークションにかけて価値証明してやるぅ〜」
まぁたしかに、オークションにかければ、四桁万円は固いかもしれないが。
そんな下びたことをして品格を落としても仕方ない。
もちろん俺は彼女を止めた。
ちょっとだけ刺激強め回でした