42話 靴下脱がし
そろそろ1巻分ラストが近づいてきました。
カラオケ屋からボロ屋へ帰ってきても、俺と佐久間さんは、一緒に過ごしていた。
金曜日の夜の特権だ。明日のことを気にする必要はない。
ご飯をとり、そのままグタグタと部屋に転がる。
彼女がやってきて一ヶ月、日がな彼女がそこにいることにも、もうすっかり慣れた。
むしろ一人でさえ手狭なはずの空間が、佐久間さんがいないと寂しく感じるくらいだ。
彼女は、またしてもベッドの上、漫画を読み耽っていた。
俺の枕を胸下に抱え込むのも、もういつものことだった。
ほんとやめてほしいのだが……、言ったって聞かないので、もう諦めていた。
俺はローテーブルの前まで座布団を引きずって、晩酌タイムをとることにする。
といっても、注ぐのは酒ではなくて、お茶だ。
今日のチョイスは、苦さの中にほんのりとしたコク、抜けるような甘みを感じさせる静岡茶。
アテも、スルメやうずら卵ではなくこの間、佐久間さんが買ってくれた味噌煎餅だ。
俺がまったりそれを嗜んでいると、
「本当美味しそうに飲むね、翔くん。私も飲みたくなってきたかも」
佐久間さんが、身を跳ね起こして、女の子座り。
俺の方へ、上半身だけをぐーっと伸ばしてくる。
尋常ならざる柔軟性だ。まるで猫みたいに、その体は伸びる。
さすが、体力テストで満点を叩き出すだけのことはあった。
「ね、貰ってもいいかな?」
「ほんとか? いやぁ、嬉しい。ありがとう、すぐ淹れるから座っておいてくれ!」
「め、目の色変わったね……」
いつもはエナジードリンク漬けになっている佐久間さんを、『わびさび』の世界へ引き摺り込むまたとないチャンスだ。
俺は意気込んで、茶の用意へ取り掛かる。
まずポットの湯を湯飲みに注ぎ、冷ましていった。
茶葉の種類や煎り方によって、最適な温度が違うためだ。
蒸らし時間まで慎重に見極めて、彼女の分を注ぐ。できる頃には、俺の横で彼女は正座をしていた。
濁った深緑色、抹茶の溶けた綺麗なお茶に、俺と同時に口をつける。
「「ふへ〜…………」」
気の抜けた声も、全く揃って居間を満たした。
これだよ、これ。この溜まっていたガスが抜けていく感覚である。
飲み終わると、佐久間さんは正座に組んでいた足を崩し、テーブル下に投げ出す。
そう、それでいいのだ。
家で楽しむお茶は、なんとか千家みたく格式ばる必要はない。
形はどうあれ、リラックスできれば、それでいいのだ。
いつもはそうなのだが、俺の気分はむしろ昂っていた。
誰かに自分の趣味を理解してもらえる感覚ときたら、嬉しいことこのうえない。
俺は安息とともに満足感を覚え、佐久間さんにならって足を伸ばそうとする。
そして、
「…………ん、わるい。ごめん」
足先同士が触れあってしまった。
「いいよ〜、やっぱり足は伸ばしたくなるもんねー」
なんて佐久間さんは少し横へずれてくれたのだが…………。
ちょん、ちょん、と。
黒ソックスを履いた足先で、突っついてくるではないか。
顔を見れば、とくに表情は変わらない。なんのつもりもない、ちょっとしたお戯れらしかった。
彼女は熱心に、足先へ注意を向けている。
……恐ろしい。
耐えがたい誘惑になっているとは、微塵も気づいていないらしい。
制服姿の女子高生に、それも超美少女にそんなことをされて、変な気分にならない奴がどこにいようか。
脚フェチでなくたって、生唾を飲まざるを得ない。
お茶で落ち着いたばかりの心が、全力でかき混ぜられていた。
「脱がせてあげよっか、靴下」
あの、佐久間さん……?
アイドル様の靴下脱がし、ってどんなサービスだよ。フェチにしたって尖りすぎというものだ。
「いえ、結構です。あとあとの請求が怖いので」
「お金なんか取らないよ〜、お代は……翔くんの靴下でいいかな♪」
「絶対あげない」
「なんで?」
「なんでも、だよ」
「なんでも、ってなによー。もう絶対貰うからね!」
どこで、むきになってるの、あなた。
思うけれど、走り出したら後ろを振り返らないのが佐久間杏だ。
足指をわきわきとさせながら、まずは自らの靴下を脱いでいく。
無駄を全て除き美しいものだけで仕上げた生足が、お目見えしてしまった。
筋肉質ではあるが、しなやかなライン、まるで真昼の三日月のように磨かれて白い乳肌だ。
それが、蒸れたせい、もわっと温かいあたり、犯罪的な匂いさえしてくる。
これぞ、『童貞殺し』というやつかもしれない。そんな無敵のフォルムになったと思えば、佐久間さんは足先を絡めようとしてくる。
えいえい、という掛け声の間に挟まれる息がだんだん荒くなっていった。
「逃がさないよ。私も脱いだんだから、翔くんも脱ぐのっ」
ねぇ、字面まで想定して発言してくれない!?
くそ、このまま彼女の無自覚に転がされているわけにはいかない。
こんなときこそ、テレビだ。馬鹿話で、このピンク色の空気を変えてくれ!
俺はどうにか足をテーブル下から抜き、なかば血走った目で、リモコンがあるはずのテーブル端を見る。
しかし、なぜかない。
ぐりっと一周、家を見てみれば、それはベッドの上に置かれていた。
なにかの時に、彼女がずらしたのだろうか。
とにかくもベッドの上へ避難して、リモコンの電源ボタンを押す。
助かった、と一息つきつつ、テレビの画面を見る。
ちょうどニュースの時間、芸能関係の報道が伝えられていた。
ここで、佐久間さんもやっと休戦に入ってくれたらしい。
二人、テレビ画面に釘付けにされる。
端の方に掲示された『話題のニュース一覧』なる項目に、目を這わせる。
果たして、「佐久 杏子」の名前は、そこになかった。
「そういえば、もう聞かないね、私の話」
「…………言われてみれば、そうだな」
大事件とも言える、春の謝罪会見から、約一月。
その大炎上した勢いは、かなり落ち着いてきてくれているらしい。
「順調だね、きっと。こうしてみんな、忘れてくれるよ」
「…………いいのか? 一応は休業なんだろ」
俺は流れの中で、こんなふうに聞いてしまう。
「うーん、まぁ忘れられるのが嫌かって言えばそうかもだけど」
顎に人差し指を当てて、佐久間さんは間をとる。
「私は君に覚えてて貰えば、それでいいんだよ」
「…………そういうこと言ってるんじゃない」
「えー、本気だよー? ところでねぇ翔くん、女の子に靴下脱がされたことある?」
突然、話を引き戻された。俺は少し気取られつつも、首を横へ振る。
普通、あるわけない。たとえば彼女持ちの人間でも、そんな経験はなかろう。
大概の悪戯は仕掛けてきた、うちの姉とて、そこまでの暴挙には出なかった。
「じゃあ、靴下を初めて脱がした人だって覚えててもらえるね」
「その覚えられ方嫌じゃない?」
「嫌じゃないよ。どんな風にでも、君の記憶にいられるんだもの。だから翔くんの靴下を脱がすっ! まてーっ」
なんだ、この可愛いがすぎる生物は。可愛い度が振り切れすぎている。
けれど、ここまできたら、危険指定すべきかもしれない。




