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第38話 朝のお勉強会は三人で。




「翔くん、こんなの聞いてないよぉ……」


佐久間さんが不満を託してこう漏らしたのは、早朝の教室でのことだった。


席に座った彼女の前に広がるのは、英語の教材。

しかし手もつけずにだらんと腕を腰の横に下ろして、彼女は呆然とした顔をしている。


佐久間さんの苦手科目は数学だから、英語が嫌いなわけではないはずだ。


問題は、彼女の向かいの席にあった。


「二人でお勉強ならやるよ? 翔くんに教えてもらうの好きだもん。でもこれは……」

「大丈夫だって。取って食われるわけじゃないんだし」

「でもね……」

「でも、じゃない。このまま過ごしてたら、いつまでもクラスに馴染めないだろー」


でも、けど、たとえそうでも、とたくさん逆接をこねて、彼女はねだるように眉を落とす。

その瞳はきらきらと涙の膜が張られ、揺らめいていた。


……どうやったら、こんなに可愛くできるのだろう。


彼女が願うのなら、なんでも叶えてあげたくなってしまうというもの。



そこらの男ならそうかもしれないが、俺はそれではいけない。


ここでほいほい釣られていては、これから先も思いやられてしまう。


「これも、当たり前にしていくための一環だよ。いつまでも俺としか喋れないのもダメだろー」

「ダメじゃないよ?」


うん。本気で言ってそうだから、この子の純真さにはお見それする。


「いいや、ダメだ。このままじゃ、クラスメイトたちを「愚民どもが!」って見下ろしてるアイドル様になっちゃうと思うし」

「失礼すぎる! 私、そんな子じゃないし!」


知ってる、よく知ってる。


でも現時点で、俺以外の誰かに一切興味を持っていない。

また持とうとしていないのもまた、身をもって分かっていた。


彼女の中では、とくに区別しているつもりはなのだろう。


けれど、周囲からしてみれば、「相手にもしてくれない」と感じているに違いない。


一人、高みにいる存在だときっと思われている。


「そんなに緊張しなくてもいいっての。比嘉さんは優しいから」

「翔くんは、私に厳しいけどね。勉強させるし、他の女の子褒めるし」

「……他意はないから! 事実を述べたまでだ」

「むぅ。鬼だ、スパルタだ、鬼畜だ〜!」


どうも、子供っぽいモードのスイッチが入ってしまった。

けれど、またたくまにそれはがらりと変わることとなる。


教室後方の扉が開かれ、比嘉さんが戻ってきたのだ。


それを確認するや、一転、お人形さんのように口をつぐむ。


「ごめんごめん、ロッカーの整理できてへんくてさぁ」

「で、探してた単語帳は見つかったのか?」

「うん。あった、あった。灯台下暗しやね。持ち歩いてたわ」


そう言って、単語帳は比嘉さんのブレザーポケットから引っ張りだされる。


ほんまいややわぁ、と彼女は苦笑していた。


「普通、そこに入れてて忘れるか?」

「ほら、うちと単語帳、仲良しやからさぁ。ここにいるのが当たり前みたいな? そこにいても気づかんくらい馴染んでるんよ」

「……なにそれ、家族かよ。

 でもたしかに、スマホ感覚で持ち歩いてたら、頭もよくなりそうだな」


誰でもウェルカムな、ユーモアのある会話だった。


口を挟まずとも、ちょっと合わせて笑っていれば輪に入っているかのように振る舞える、お手頃なトークだ。


けれど、佐久間さんはといえば…………必死に単語帳をめくり、真剣な目で文字を追っていた。


……うん、こんな時だけめっちゃ勉強してやがる!


「えらい真面目なんやね、佐久間さんって。意外かも」

「いやぁ、今たぶんトランス状態に入ってるだけで……。話しかけたら、普通に答えてくれると思うけど」


そう、彼女は今、アイドル・「佐久 杏」ではない。

お金を払ってCDを買わなくても、高校生・佐久間杏とは会話ができるはずだ。


数秒で、脇からスタッフに引き剥がされたりもしない。


「えーっと、ほな……。佐久間さんは英語、得意なん?」

「……フツー」

「普通か、そっかぁ……」

「ウン」


なんで片言になるんだ……! それに、あまりにも素っ気なさすぎる。


脈なし女子のメールかよ。



……まぁ、いきなり慣れろと言っても無理があるのかもしれない。


俺は、手を顔の前で縦に振ってひとまず詫びを入れておく。比嘉さんは、ううんと首を振ってくれた。


まるで、手のかかる妹を見守る姉みたいだ。


そういえば兄弟が多いと言っていたから、そういう理由もあるのかもしれない。


そんなふうに考えていたから、油断した。


「なぁ、二人は家近いん? 毎日一緒に来て、一緒に帰るってそういうこと?」


比嘉さんはまだ、手のかかる「妹」たる佐久間さんとの会話を諦めていなかったのだ。


そして、にわかにピンチにである。


にこやかに、春の木漏れ日みたいに微笑みかける比嘉さんに、もちろん悪気はない。

それだけに、泣きどころを突かれてしまった。


こればかりは、俺もすぐにはうまい返しが浮かばない。


「え、え、えっとね、私たち、その」


佐久間さんが口を開く方が早かった。


俺が驚いていると、さらに彼女は不意な行動に出る。


なぜか机の下で、俺の手を握ってきたのだ。爪の先が俺の手の甲にすこさだけ触れる。


「わ、私たち、すぐ隣に住んでるんだ。アパートの二階で、隣の部屋なんだ」


そして、こう言ってのけてしまった。


な、なんだ? 緊張のしすぎで、結界が壊れてしまったのか?


握った手は小さく震えて熱を持っている。


結んだ指をちらっと見ると、俺の方も頬が火照っててきた。


比嘉さんに気づかれまいと、どこかへ顔を逸らそうとする。


口からは適当な言い訳を繕いそうになるが、そこで思い留まり、飲み込んだ。


…………比嘉さんなら、彼女になら、言ってもいいかもしれない。


さすがにまだ、公にするような暴挙は困るが、信頼できる人の輪を広げていくのは大切なことだ。


俺は机の下、佐久間さんの手をちょっと強く握り返す。

すると、勇気を得たりとばかり、彼女はさらに続けた。


「わ、わ、私、実は大家さんなんだよ。翔くんが一人暮らししてるアパートをね、どーんと買っちゃったの。隣に住みたかったから……!」


なにも間違っていないのに、支離滅裂だ。


当然、比嘉さんも目を白黒させるだけで、驚き以前に情報を処理し切れていないらしい。


初めて聞く身にすれば、突っ込みどころ満載に決まっていた。


そもそも俺が一人暮らしだということも、ギリギリ知っているくらいだろう。これだって、親しくない人にまで、わざわざ言ってはいない。


しばらくかかって、


「そっかぁ、なるほどやわ〜」


やっと比嘉さんが軽く頷く。


人懐っこく笑ってこそいたが、その表情にはちょっと曇って見えたような……? 


伏し目がちに、その丸い目は半分つむられ、ナチュラルに長いまつ毛が目下に影を作る。


でも、そんな雲間はほんの少しだった。また癒しの笑みを携えて、


「……うちも同じところ住もかなぁ」

「な、なんで?! ま、まさか比嘉さん、翔くんのことーーーー」

「そこは言われへんよ〜。ほんで、うちも住んでもええ?」


「あう……、だめ! もしくるなら、家賃月100万!!」

「いやや、無理やってそんなん。うち、湊川くんと変わらんくらい貧乏なんやから」


比嘉さんは、もう佐久間さんの扱い方を心得たらしい。


決して人を不快にさせない程度のいじりで、佐久間さんを翻弄する。


意外とこの組み合わせいけるかもなぁ。

この分なら、いつか瑠璃と親友になったときのように、ほぐれていってくれるかもしれない。


なんて、外野にいる気分で俺は二人を眺めていた。


佐久間さんに、手は繋がれたままだったけれど。


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