第31話 当たり前だった日々
引き続きよろしくお願いします!
それから、俺たちの、できるだけ無関係を装う日々が始まった。
例外は、委員の仕事とメッセージ、それから弁当のみだ。
蓋が締まる限界まで、たっぷりと詰めてやった。
というのも、ついつい佐久間さんの分まで用意してしまい、予定以上に余りが出たためだ。
そんな欲張り弁当は、登校して即、こそっと佐久間さんの机に忍ばせる。
それで、ほとんどの人には見つかりようがない。
最速登校の女王・比嘉さんにはあっさりバレてしまったけれど、
「ほな、勉強教えてもらうんと引き換えな?」
と軽すぎる交換条件で、秘密にしてくれることとなった。
本当にイメージと違わない人だ。突っかかるようなところが全くない。
そして穏やかなだけかと思えば、
「あ、なぁ引き換え券とか作る? 肩叩き券みたいな感じで。勉強教えてくれる券!」
会話に小ボケを挟んできたりするユーモアもある。
男子たちが彼女の魅力に気づいていないことが残念でならないくらいだった。これはもはや損失とさえ言える。
ーーしかし俺がこの感動を伝えられる男子は、彼をおいて他にいない。
「なに言ってんだ、世界一幸福な妻帯者さん」
陸奥爽太郎だ。
ただし、真顔のまま鋭い切り返しを受けてしまった。
チャリ通の彼は、愛車を転がしながら、引きつった顔を見せる。
無関係作戦がはじまって、三日目の放課後を迎えていた。
今日は彼に誘われ、クラスメイトらとのカラオケに参加することになっている。
集合は店前らしく、今は移動の道中だ。宝塚駅前の河川敷を、二人で歩いていた。
「ほかの女子を褒めてるところなんて、佐久間さんに聞かれて変な勘違いされたら、どうすんだよ、佐久間翔さん」
「いや、勝手に苗字変えてくれるなよ。俺はどこまでも湊川だ。妻帯者でもないし」
「……で、どうした? まじでカラオケ来るなんて、ビビってんだけど」
「じゃあなんで誘ったんだよ。俺、こういう会は誘われたら、まず行くようにしてるだろ」
とりあえず形式的に声かけたけど、まさか本当に来るとは…………って周りにドン引かれているタイプのやつか、これ?
俺、そんなにはみ出しものだった?
「誘えた時点でびっくりしてんだっつの、俺は。
いつもは佐久間さんと速攻帰っちまうから、声もかけられなかったし」
なにかあったのか?
と、彼が尋ねるトーンは急におふざけのない真面目な色を帯びる。
どうせ今さら、彼に隠し事をしてもしょうがない。
家が隣であることまで把握されているのだ。
俺が歩を緩めながら経緯を説明すると、感心したように声を上げる。
「……へぇ、なんつーかまぁ、本当に変わりだしてね、お前」
「別にそんなつもりはないけど?」
「いいや、変わったね。
仕方なくってことはあっても、自発的にそんな面倒そうなことやるタイプじゃなかったぜ」
そこまで主体性に欠けて見られていたのか、俺。
……でもまぁ、言われてみれば否定はできない。
小学校の卒業式以来、俺は受け身になることが多かったと思う。
そう、ちょうどこの場所が原因だ。
佐久間さんに告白できなかったあの日。
なぜか代わりに幼馴染に告白され、わけもわからず断って、その後彼女との関係がギクシャクした。
そしてそのまま、彼女は転校していった。
SNSこそ知ってはいるが、そのアカウントは動いていない。
今どうしているかなんて、まるで分からなくなった。毎日のように一緒にいたのに、音沙汰ゼロだ。
断れば、なにかが壊れる。
そう体に刻まれた出来事だった。以来というもの、俺は下手に物事を断れなくなった。
それは裏を返せば、主体性を失ったことと同義だ。
ただし、最初からそんなものがあったとは言っていない。
「ま、そんなつまんなさそうにしてても、しゃあねぇって。どうせなら楽しめばいいんだよ」
陸奥は、黙り込んでいた俺の背中をばしっと強く叩く。
川に落とさんばかりの勢いだ。
ちくしょう、こいつ背負い投げで水の中へ放り込んでやろうか。
「考え方の問題だぜ、翔。
せっかく転がり込んできた最後のモラトリアムだ、これは。なぁ妻帯者さんよ」
「なにがモラトリアムだ、バカ。それに妻帯者じゃないから!」
「あぁ、『世界一幸福な』っていう接頭辞忘れてたか」
「そこじゃない、そこじゃない」
そりゃあ佐久間さんが隣にいてくれる旦那は、幸せだろうけども。
カラオケ屋の前に着くと、五人ほどがすでに待っていた。
クラスメイトらは一様に俺の姿があるのに驚きつつも、連れ立って店内へと入る。
高校生失格かもしれない。
カラオケ屋にくること自体が久しぶりでなかなか慣れなかったのだが、歌う順番が一回りしてようやく体が馴染んでくる。
そこへ、
『今おうち帰ってきたよ。お弁当ありがとうね』
佐久間さんからメッセージがあった。空になったお弁当箱の写真と一緒に、だ。
洗って、ポストに入れてもらう手筈になっていた。
ふっと一人、微笑んでしまう。
この三日間は毎日のことだ。
彼女は、本当に些細なことでも報告をしてくれていた。
入浴、風呂上がり、着衣の連絡をしてきたときには、見事に純情を弄ばれたが、彼女なりに俺と接点を持とうとしてくれているのは伝わってきた。
画面越しに、陸奥の歌声が天井のスピーカーから室内に響く。
室内の写真でも撮って送ろうか……?
少しよぎるけれど、これではまるで佐久間さんを放置して楽しんでいるみたいだ。
無関係を装うためとはいえ、申し訳なさも感じる。
事実、外から見たら、そういう風に見えるのかもしれないが……楽しみきれているかといえば、微妙なところだ。
俺が返事を書きあぐねていると、
「なんだー、その微妙に乗り切れてない顔! 彼女さんとメッセージ?」
身体の小さな女の子が、俺の横に跳ねるように座る。
藤浪 灯里だ。
前髪を跳ね上げたデコだしスタイルといい、キャラの快活さといい、いつも部活のパーカーを腰に巻いていることもそう。
そのポジティブ全開な雰囲気は、さん付けがまじで似合わない。
それほど関わりのない俺でさえ、呼び捨てにしているほどだ。
「……彼女さんじゃないっての」
「えー、とか言ってぇ。佐久間さんと明らかにできてるでしょ?
それに、ヒガモモちゃんとも、朝からなんかヒソヒソやってるじゃーん!」
烏龍茶を吹き出す一歩手前だった。
おいおい、なんか部屋の空気も、不穏になってるじゃねぇか。
一度呼吸を落ち着けてから、俺は突如貼られた妙なレッテルについて弁明する。
「……いや、別にヒソヒソしてないからな!? 健全に勉強してるだけだっての」
「朝から二人きりで勉強って健全かなぁ〜、委員長さん」
藤浪さんは平気で背中をばんばんと叩いてくる。男女構わず、平等にゼロ距離だ。
ウブな男子どもの中には、これだけで簡単に惚れてしまう奴もいるらしい。
「夜にファミレスで二人きりより、ばっちり健全だろ。
なんなら、約束も待ち合わせもしてないよ」
というか、なぜそれを知っているんだろう。早朝、比嘉さんの他に誰かと遭遇したことはない。
「なんだ〜、まぁそんなことだと思ってたけどねぇ。見た人にちらっと聞いてたからさ。
灯里そういうネタ大好きだから、集めてるんだ〜☆ ね、他にもないの、色男エピソード!」
「そんなものあってたまるかよ!」
俺は一刀両断するが、それくらいで引くのなら、それは藤浪さんじゃない。
目を爛々とさせて、彼女はさらに俺からなにか引き出そうとしてくる。
そこへ、
「ほら藤浪、次お前の番だぞ」
見かねたのだろう陸奥が、助け舟を出してくれた。
「おぉ、回ってきましたなぁ! じゃあ、尋問は後で!」
彼女はマイクを受け取ると、みんなの前へと出ていく。
身振り手振りで、華やかな曲を歌い出した。
俺とは真逆の人種だなぁ、としみじみ思う。
昼と夜みたく、ずっと裏返しの関係だ。
たぶん、この先ずっと理解し合えないタイプ。
そう考えていたのに、
「いやぁ、委員長面白いね〜。カラオケの点数より、それに気づけたことが収穫かも!」
終わる頃には、なぜか気に入られてしまったらしい。
まじで、そのフィーリングがどこからどうくるんだか、分からない。
とにもかくにも、帰り際。
「委員長、またカラオケ行こうね〜」
こちらへ大きく手を振る姿には、小動物的な可愛らしさを感じた。
うん、あの分だと、たしかに落ちる男もいるなと思う。
彼女にとっては当たり前の愛想が、受け取る側には特別に見えるわけだ。
隣に立っていた陸奥が、にやにやと俺の顔を覗き込んで言う。
「どうした、今度は藤浪が気に入ったかー? 妻帯者さん」
「そうじゃないってのは、分かるだろー。
お前こそ、藤浪みたいなのはどうなんだ」
「バカ、お前、俺は沙希さん一筋だっての」
単純明快に断言できるのが、羨ましかった。




